煙が目に沁みる
『無口な先輩の笑えない冗談』事件の後、僕は女子たちに囲まれて質問攻めに遭いました。
精悍で美形な長身の先輩(他の人にはそう見えるらしい)との関係について、それはもう根掘り葉掘りと。
一部の女子からは、それはもう執拗に……お姉さま方の方から聞こえた『サソイウケ』ってなんですか?『リアル男のコ?!』って、僕は女子ですよ?
それはともかくとして、お陰様で中学デビューもスムーズに(?)済み、一躍、学年一の有名人になりました。
そんな入学直後の落ち着きの無さや、事件のほとぼりもようやく落ち着いた、とある日曜日。
「キーちゃん、ちょっと届けに行ってくれない?」
リビングで寛いでいた僕は、母からお使いを頼まれました。
部活にはまだ所属していませんし、珍しく友人との約束も無いので、二つ返事で請け負います。
洸は、ちょっと一緒に来たそうにしていましたが、友達と約束があるとかで別行動です。
小学校の時はどこにでも付いて来てくれたのに、最近あんまり構ってくれません。
これが子離れか?お姉ちゃん、ちょっと寂しい……
などと身勝手な事を考えながら自転車をこぎます。
住所を頼りに、お目当てのお宅に到着。
母からの頼まれ物を渡し、軽く雑談をしてミッションは終了です。
狭い歩道を、自転車を押しながら歩きます。
目的地までは地図を確認すれば辿り着けるのですが、帰りが少し怪しくなる僕……いつもは洸が帰り道を覚えているので、任せきっていたのが仇になりました。
でも、大丈夫です。
なんとか見覚えのある大きい通りに出ることができました。
ホッとしたその時、道路わきのアパートの一階から薄紫色の長髪の青年が走り出て、僕の目の前を横切ります。
そのまま車道に飛び出さんばかりの彼の勢いにびっくりして、咄嗟に自転車を手放し、抱き付いてしまいました。
が、
「その手を離せ!汚らわしい!!」
そう吐き捨てて、振り放そうと身を捩ってきます。
このままでは、二人揃って往来激しい車道に投げ出されそうです。
焦った僕は、追い縋りながら叫びました。
「初対面で、なんてこと言うんだ!この、恩知らずっ!!」
お、青年の動きがぴたりと止みました。
顔を仰ぎ見れば、僕を見て『想定外』といわんばかりに、薄い紫がかったグレーの瞳を見開いています。
誰かと勘違いしていたようですね。
そして「君、誰?」と呟いたと思ったら、もともと青褪めていた顔色が、さらに白くなりだしました。
全体的に色素の薄い彼が、消えてしまいそうに儚く見えます。
貧血でも起こしかねない様子なので休む場所が必要と判断し、
「このアパートに、お兄さん住んでるの?」
出てきたアパートを指すと、唇を噛み締め否定してきました。
なるほど、女性が好みそうな外観です。
お兄さんが握り締めている鍵らしき物にぶら下がっているマスコットも、可愛らしいキャラクターですし。
「じゃあ、彼女さんが住んでいるのかな?少し休ませてもらおうよ」
腕を取り移動を促しました。
全身で拒否を示すので事情がありそうですが、抵抗自体は弱々しく、かなり体調が思わしくなさそうです。
去りたい青年と引かない僕の揉み合いは、僕の「じゃ、病院に行きますか?」の一言で決着がつきました。
というわけで、お兄さんの彼女らしき人のお宅にお邪魔します。
玄関入って正面に、仕切り用でしょうか、カーテンが揺れていました。
今はそれが開け放たれており、ダイニングキッチンとその奥までが見通せます。
奥の右手がドアで恐らくお風呂とトイレ関係、左手が引き戸のお部屋でパッと見では1DKですね。
僕達が上がり込んだちょうどそのタイミングで、引き戸が開きました。
出てきたのは、大きめのシャツを羽織っただけという、あられもない姿の女性。
彼女はお兄さんを見てぎょっとしたように口走ります。
「マサオミ!どうして、ここにいるの?!」
その声に、奥から別な男性が出て来ました。
こちらも大概な姿で、スエット一枚……黒光りに日に焼け、素晴らしく発達した上半身を惜しげも無く晒しています。
「どうした……って、今日はお坊ちゃま、来ない日じゃなかったのか?」
はい。あらかた察しが付きました。
『マサオミ』さんを振り仰げば、紙のように白い顔色で唇を噛み締め、震えています。
だいぶ酷な事をしてしまったようですが、傷口は膿む前に洗って消毒をしましょう。ちょっと沁みますが、我慢して下さいね。
差し出がましいとは思いつつ、無意識だろうとも発作的に車道へ飛び出す程の痛手を負った人に関わったからには、最後までお付き合いしましょう。
まずは一喝、かまさせてもらいます。
「お客の前で、なんて恰好してるんですか!服ぐらい着なさい!!」
友人曰く年齢不詳の明らかに第三者な僕に怒鳴られ、面喰いつつもさすがに恥ずかしいのか、二人は奥の部屋へ戻りました。
キーキー言いながら身支度をしている彼女に、一応のお断りをします。
「ちょっとキッチンを借りますよ」
二脚しかないダイニングセットに『マサオミ』さんを座らせ、お湯を沸かしてお茶を入れましょう。
薬缶はコンロの上、マグカップは流しの横にありますし、ティーバッグはテーブルの上の籠に入っていました。
椅子を移動させ、斜向かいに腰を落ち着かせます。
俯く彼にお茶を勧めました。
カップを両手で包んだお兄さんは、少し顔つきがマシになっています。
まだ僕の存在に疑問を挟むだけの心の余裕は無いようですが、これなら大丈夫でしょう。
ちょうど二人も戻って来ましたし、さて始めますか。
2014/11/25 二ヶ所、誤字修正しました。ご指摘感謝です。




