あるのは大人の都合だけ③
ん?と緋色を覗き返すと、今までで一番真っ直ぐな視線とぶつかります。
「『青野』の下、は?」
「ああ、下の名前ね。僕は樹里『Pilululu~』子。あ、ごめん。電話だ」
表示をみると『洸きゅん』。
片手で断りながら、慌てて電話に出ます。
「ひかr『キィちゃん?!今、どこ?お腹、痛いの?壊しているの?大丈夫?!』うん。落ち着け」
どうやら待たせ過ぎて、可愛い弟に心配させてしまったようです。
待ち合わせに遅れた彼氏のように、しどろもどろに言い訳をして、すぐ戻ると約束させられました。
「ごめん、連れを待たせてるから、もう行くね」
お尻を掃って立ち上がります。
彼もつられて立ちました。
なんとなく、こちらを名残惜しそうに見ている気がしますが、今は洸を優先させてもらいます。
「じゃ、電話もメールも、本当に遠慮しなくていいから。またね、先・輩!」
悪いと思いつつも、返事を待たず駆け出しました。
と、ポケットの携帯がメールの着信を告げます。
走りながら確認すると『キリへ 今日は、ありがとう』。
いきなり呼び捨て&愛称かよ!と突っ込みつつ、胸がほっこりと温かくなりました。
『あ・お・の』と打つより『き・り』の方が、文字数が少なくて楽ですからね!
突然できた年上の友人に返信します。
『どういたしまして。来年は後輩になるので、よろしく』
ちょっと間を置いて、返ってきたのは『楽しみだ』。
ふっと笑った所で、洸と合流しました。
「もー、キィちゃん遅い!演劇終わっちゃったよ!」
出合い頭に怒られましたが、春の若草は不安に揺れているのが丸分かりです。
「ごめん、ごめん。人とちょっと話し込んじゃってね」
言いながら抱き寄せると、腕の中で暴れます。
「ちょっ、やめてくれる?!ボクは怒ってるんだからね!」
「うん、うん。分かってる、分かってる。全部、僕が悪い。ごめんね。許して。機嫌直してよ」
他人の視線?黄色い悲鳴?関係ありません。
弟の不安を取り除くことが、僕にとっての最重要事項です。
その後は、なだめてすかして可愛がって。
なんとか矛を収めてもらえました。
柔らかい髪を撫でくり回して癒されます。
うちの子、カワユス。マジ天使。
帰り道、ぽつぽつ届く先輩からのメールに返していると、スネ坊が腕に絡み付いてきました。
「誰?」
口を尖らせている辺り可愛いなあ、と呑気に思いながら「新しい友達」と答えます。
ついでに突き出ている唇を摘まんだら、ペシッと叩かれました。猫パンチみたい。
「もう数ヵ月したら『学校の先輩』かな」
付け足すと、またしても萌黄色が不安で陰ります。
俯いてそれを僕から隠し、腕に抱き付く力をギュッと強めました。
「卒業しても……キィちゃんは、ボクだけのキィちゃんでいて?」
言ってから、おずおずと上目遣いで見上げてきます。
うん。安定のキュートさです。お姉ちゃんはメロメロです。惚レテマウヤロー。
でも、全てに「Yes」とは、いくら僕でも言えません。
「それは無理だよ、洸。君だって、僕だけの洸ではないでしょ?父さんとか母さんとか、僕以外の人とも繋がっているんだから。みんなが居て君が居る。でもね、君のお姉ちゃんは僕だけだよ。それじゃ駄目かな?」
「――――うん、そうだね。ボクにはユキナちゃんも、ヒメちゃんも、ココちゃんも、サエリちゃんも居るもんね」
うん?何気に挙げられた名前は女の子ばかりのような……?
お姉ちゃんは、そんなハーレム男子に育てた覚えはありませんよ?
でもまあ、ご不満そうではあるけれど、暗さは抜けたので良しとします。
すでに癖になっている手触りのよい猫っ毛を撫でると、洸の機嫌はさらに上昇しました。
「頭、撫でさせるのは、キィちゃんだけ、だよ?」
僕、キュン死しても良いですか?
それからしばらくは、本当に遠慮なく頻繁に来ていた先輩からのメールや電話ですが、年が明けた頃から表情が明るく柔らかくなったのか、友人ができたとの報告を受けた辺りからまばらになりました。
たまに友達と馬鹿やっているらしい写メが届きます。
ご両親との距離感も掴めて来たらしく、ここ数ヵ月で一気に考え方などが大人になった気がします。
声もグッと低くなり、電話で話した時は耳元で囁かれているようで、少し悶えてしまったのは秘密です。
そんな先輩と再会したのは、僕の中学校入学式の時。
言祝ぐために、わざわざ僕を探して来てくれた先輩が固まります。
学校祭の時より、さらに背が伸びて髪をさっぱりとさせた先輩を見上げました。
あれ?先輩のこの顔に、既視感が……
華やぐ周囲の声を聞きながら、モヤッとした感覚を手繰り寄せていると、僕より先に先輩が口を開きます。
「キリ。最近、セーラー、着るの、流行り、か?」
何故か以前よりたどたどしくなった口調はスルーしましょう。
「うーん。先輩が何を言いたいのか、分からないなぁ」
あはっと笑った僕を見て、先輩が脂汗を流しています。
不思議な事に、周りの人が引いて行きます。
心なしか気温も下がってきていますね。
どうしたんでしょうか?
体調 デモ 悪イ ノ カナー?
目 ニ 力 ナンカ、コモッテ ナイヨー?
(自分的に)ニコニコしながら思い出しました。
あー。この表情は、卒園式の時の誠志郎の顔だ、って。




