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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第一章:Encounter is full of a trap――出逢いの罠
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 アンジェラのわがままは、最高潮に達していた。

「眠いよー。ねぇぇぇむぅぅぅいぃぃぃ! 超眠い! 無駄にねむーいっ!」

 本日十二回目の台詞だ。

(んなの知ったことか)

 などと内心毒づきながら、エリスはとりあえず言葉を返した。

「……天気良いしね」

 春の陽気は幾分いつもより暖かい気はしたが、まぁそれに不満はなく、あるとしたらやたらに眠気を誘うといったことくらいだろう。暖かいのは大歓迎だ。

 後ろからとぼとぼと歩いてくるアンジェラの気配を感じながら、エリスはあごを上げた。

 まだ低い位置にある太陽は、陽射しをきつく降り注いでいる。

 陽光が木々の合間から煌いていて心地よい。が、逆に言えば遮るものがないと眩しすぎるほどだ。

(確かに、暖かいけど。ちょっと暑いくらいかなぁ)

 なんだかここ最近、気候が妙な日が多い。また冬に逆戻りか、と感じるような寒い日があるかと思えば、今日のように暑いくらいに暖かい日もある。

(大陸間の異常現象……か、な?)

 魔物の大量発生なども最近問題になっているが、こういう気候に関する妙もまた、そういったもののひとつなのかもしれない。

 ともあれ、このバジル街道の深い木々の間では、暑すぎるということもない。涼やかな風と、少しばかりきつい陽射しは、ちょうど眠気を誘うのに適していた。アンジェラのわがままもそのせいだと思うことにする。

「疲れたよー」

 違ったらしい。

「……まだ街を出て数時間しかたってませんけどお嬢様?」

「昨日夜通し歩いたしー」

「宿までだけでしょ」

 しかも行き道をずれてまで宿に寄ったのは、野宿は嫌だと言ったアンジェラのせいだ。

「ベッド硬かったしー」

「安宿だから仕方ないでしょ」

 もともと、アンジェラもエリスも、割と不自由なく暮らしてきた金持ちの娘だ。貴族家系のアンジェラにしても、騎士家系として地位を築いたマグナータ家の長女であるエリスにしても、安い宿というのは実のところ初体験だった。

 アンジェラの言う通り、安宿のベッドの硬さに寝付けなかったのは事実だ。エリスもそのせいで、疲れはとりきれていない。

(そのうち慣れるんだろうけどね)

 というよりは、慣れざるを得ないのだろうが。

 それにしても、アンジェラの不平不満は次々と言葉になって漏れて来る。

「エリス起こすの早いしー」

「あんたが遅いんだって」

「ていうか、マジ眠いよぅ」

「もー少し行ったらレナード村ってとこに着くから、今は起きてなさい」

「足痛いー。疲れたー。眠いー。暑いー。喉乾いたおなかすいたー!」

「やかましぃ」

 呻く。振り返り睨み付けると、アンジェラがぷっと頬を膨らませた状態で足を止めた。

 低く、言ってくる。

「――ていうか。ウザいよー」

「……それは同感……」

 苦笑して、エリスは頷いた。自らも足を止め、空を仰ぐ。

 バジル街道。整備もろくにされていない道は街道と呼んでいいのかなんなのか知らないが、まぁそう呼ばれている。ジャリ道と、両脇の林。鼻先をくすぐる濃い緑の匂いは心地よいが、森林浴としゃれこむわけにはいかなさそうだ。

 アンジェラがさっと前髪をかきあげ、呟いてきた。

「出て来てもらおうよ」

「……賛成」

 エリスはペンダントに一度触れ、それからその手で腰の剣に触れた。なじんだ柄の傷を人差し指のはらでなぞりながら、声をあげる。

「――ってなわけで。残念ながら気付いています。眠すぎてこの子無駄に気がたってるみたいだから、早く出てきたほうが身のためよ」

 数瞬の沈黙。ややあって――風が流れた。

 アンジェラが拗ねた表情のままでそちらを向く。右手奥、街道脇の木陰。そこから、二つ、人影が出てきた。

 ――若い。

 反射的に脳裏に浮かんだのは、その単語だった。

 エリスはじっとその二つの影を見据える。

 男だ。二人とも、背は高いほうだろう。エリスたちからすれば、頭ひとつ半は違う。年齢は――多少判りづらいが、十七、八、くらいか。アンジェラが小さく口笛を吹いた。

「カッコいいじゃん」

「あのね」

 アンジェラのあっけらかんとした感想に、エリスは思わず苦笑を漏らした。

(まぁ確かに。美形っちゃ美形、かな?)

 一人はエリスと同じ黄色人種――いや、エリス自身とはまた少し違うらしい。目鼻立ちがはっきりしている。彫りが深い。セイドゥールでは、というよりは、この大陸西部ではあまり見かけない顔立ちだ。異国人だろうか。

 長い黒髪と、同色の切れ長の眼。体の線は細いが、弱々しい感じは全く見受けられない。

 もう一人。こちらは白色人種然とした容姿だ。ルナ大陸で一番よく見かける人種の特徴をかねそなえている。丁寧にカットされた、陽光に輝く金色の髪と、翡翠のような碧の瞳。手足がすらりと長く、剣を携えてはいるが、正直あまり似合っているとは思えない。慣れた感じは受けるのだが、むしろ楽器でも持っていたほうが似合いそうだ。

 その、白人のほうが口を開いた。

「エリス・マグナータ……アンジェラ・ライジネス」

 澄んだ声だ。清水のような雰囲気すら、ある。

「どうでもいいけど。家名、やめてくんないかなぁ……」

 エリスは思わず嘆息を漏らしていた。家を出てきたのだから、自分にはもう家名を名乗る資格はないし、名乗りたくもないのだから、いいかげんやめて頂けるとありがたいと思う。最も、そんなことあちらがわには関係のないことではあるだろうが。

「そうだけど。なぁに? 悪役の世界には、相手を襲うときにはフルネームで呼びかけなければいけないとかいう法律でもあるの?」

 アンジェラが飄々と言ってのけるが、それに構う様子もなく、今度は黒髪の男が口を開いた。

「気の毒だが、少々、手荒な真似をさせてもらうぞ」

 その言葉に、エリスはアンジェラと顔を見合わせた。違和感が、二つ。

(……アクセント、こっちの方のじゃないな。東部訛り……?)

 完全に訛っているわけではないのだが、微妙な違和感がある。この辺り――西部ではあまり聞き慣れない音だ。それが違和感の一つ。もう一つは、台詞の内容そのものだ。アンジェラが肩をすくめて続けた。

「へぇ。案外紳士なんだ。でもね、お兄さん。女の子を襲うのは、感心しないわよ?」

(だよねぇ)

 わざわざ襲うのに断りを入れてくる奴というのも珍しい。エリスは苦笑して、言葉を投げた。

「まぁ、それはいいけど――で、お兄さんたちのどっちが『ダリード』さん?」

 ぴくり、と白人男の眉が動いた。黒髪のほうは、全くの無表情だ。気付いているのかいないのか、隠すのが上手いだけなのか知らないのか、それすら読み取れない。

 ダリード。昨日聞いた名前だ。といっても、あの男が言っていたのは『おまえ達と同じ年頃の』だ。この二人だとしたら少しばかり年かさになるのだが。

 どちらにせよ、この反応――全く無関係ではなさそうだ。

「昨日、ラスタ・ミネアで聞いたんだけど。『ダリード』さんとやらがあたし達狙ってるらしいんで。手ごまじゃなけりゃ、あんた達のどっちかがそうなんでしょ?」

 挑発するように肩をすくめ、剣から手を離す。乗ってくるか否か。いちかばちかの懸けだ。

 黒髪の男が、薄く唇を開いた。

「――ダリードとは、関係ない」

(……!?)

「エリス……!」

 アンジェラが警戒したように小さく声をあげてくる。

 知らないわけでもない。雇われているわけでもない。本人でもない。

 ――関係ない。

(別口……!?)

 そうとしか考えられなかった。しかも『関係ない』と言う事は、この二人は『ダリード』とやらを知っている、確実に。

「どういうことよ!」

 アンジェラが甲高い叫び声を上げた。黒髪の男が、淡々とした口調で続けた。

「――俺はドゥール」

「……ッ!」

 唐突にエリスの肌が粟立った。膨れ上がる強烈な殺気。

 反射的に足をひき、アンジェラを引っつかんで退がらせた。

 危ない。

 脳がその言葉をしきりに発している。

 危ない。こいつらは、危ない。

 もう一人の白人男が、口を開いた。

「――おれは、ゲイル……いくぞ!」

「来ないでいいわよっ!」

 反射的にだろう、アンジェラが悲鳴のように叫んだ。そのアンジェラを背後にかばい、エリスは慌てて剣を引き抜いた。

 

 ――ィヂギィッ!


 重く、歯の根の浮きそうな音がバジル街道の空に響く。同時にエリスの腕にしびれが来た。噛みあった剣を滑らせるために、角度をつけて無理やり流す。白人男だ。ゲイルと名乗っていたか。

(こいつ……案外やる!)

 上段から振り下ろされた剣の威力は、ただ力任せにしただけのレベルではなかった。練りこまれた威力がそこにある。

 エリスはアンジェラから離れるように距離をとった。この男、スピードもそれなりにあるようだ。昨晩の男に比べれば、スピード自体は遅いが、それでもエリスに付いてこられるのだからかなりのものと言える。

 男――ゲイルはそのまま、こちらにむかってきた。流された剣に左手を添えて引き戻すと、そのまま突きに転じてくる。後ろに下がればアンジェラがいる。エリスは反射的に左に跳んだ。

「……っ!」

 紙一重。鼻先を剣がかすった。エリスが左に跳んだ瞬間、ゲイルは突くのをやめて剣を薙いだのだ。

 ド、ド、ド……と、心臓が恐怖を感じて鼓動をうるさくさせている。祈る。少し静かにして、後でいくらでも怖がっていいから、今は静かにして。

 しゃがみこみ、エリスはすくい上げるように剣を振るった。ゲイルが跳び退り、間合いが開く。

 と、そこへアンジェラの声が降り注いだ。

「――炎の精霊よ、風の精霊よ! 共に我が腕に今来たれ!」

 呪文。唐突に炎が膨れ上がり、風が吹いた。そのまま、ゲイルに向かって熱風が襲い掛かる。助かった――とエリスは一つ溜息をつき、背後から援助をしてくれたアンジェラに親指を立てた。

「サンキュ、アンジェラ!」

「どーいたしましてっ!」

 にっとアンジェラが笑い――その顔がそのまま固まった。

「――だめ、エリス! 跳んで!」

「……っ?」

 訳も判らず、言われるがまま跳ぶ。次の瞬間、いままでエリスがいたその空間を、ゲイルの剣が薙いでいた。

「効いてない……!?」

 アンジェラが悲鳴のような声をあげた。先ほどの魔導が、全く効果をなしていない。アンジェラが慌ててこちらに走り寄ってくる。

「どういうこと、アンジェラ!」

「わ。わかんないわよぅ!」

「――風に干渉しただけだ」

 ゲイルが、淡々とした口調で告げた。

(風に干渉――?) 

 魔導に疎いエリスにはさっぱり判らない言葉だったが、隣のアンジェラが息を飲んだので、それが酷く異常なことらしいというのは理解できた。

 と、今度はいままで成り行きを見守っていただけの黒髪の男――ドゥールが、すっと右腕を上げた。武器は持っていない。

「なに……?」

 思わず眉根をひそめる。ドゥールはそれには答えず、静かな表情のまま、パチン――と指を鳴らした。

 その瞬間、自分の身に何が起こったのかエリスはよく判らなかった。

 ただ言えるのは、脳が拒絶反応を起こすようなレベルでの爆発音があったという事。そして、周りの木々が数本壮絶な音を立てて倒れたという事。視界が煙に閉ざされたという事。最後に、自分の肌のあちこちに、裂傷が生まれたという事だけだ。

「きゃっ……!」

 アンジェラの悲鳴が聞こえ、慌てて彼女をかばうように腕を回した。身長差で言えばほとんど変わらない――どころか、実はほんの僅かアンジェラのほうが高いのだが――彼女は、エリスの腕の中で身を縮めていた。瞬間的な『何か』が収まった後、エリスは我知らず閉じていた目を見開いた。

 アンジェラの体が、震えている。

「――アンジェラ、怪我は!」

「……擦り傷……ひっどーい! 乙女の柔肌傷つけて!」

 大丈夫そうだ。

 頬や手足に赤い線が走っているが、大きな傷は受けていない。エリスはほっと安堵の息をつくと、アンジェラから離れる。

 剣を握りなおし、向き直った。

「一体、なんなのあんた達は。変な魔導使いね?」

「魔導じゃ――」

 エリスの言葉に反応したのは、ゲイルでもドゥールでもなく、アンジェラだった。彼女は細い体を震わせながら、悲鳴のように叫んだ。

「法技じゃないわよあんなの! あれじゃ、あれじゃまるで――」

「魔法、か?」

 その言葉を引き継いだのは、ドゥールのほうだった。感情すら見えない黒瞳に、僅かに光が反射する。

(魔導……法技? 魔法?)

 エリスにすれば、どれも同じに思えるのだが――少ない知識を呼び起こし、考える。法技は一般的に使用されているもの。魔法は――

 ふと、思い当たる。

 魔女、特殊能力者しか使えないはずだ。アンジェラの『先見』の能力と同じ――!

「そうよ。あんたたち何者よ!」

 アンジェラの声に、男達はお互い一度視線を交わすと、黒髪の――ドゥールのほうが、一歩前へ出て来た。胸元に手を入れ、そして引き出す。

 バジル街道の木々の隙間から降り注ぐ太陽光が、引き出されたそれに反射した。

 赤い、小さな石――


 どくん


「……月の石……っ!」

 アンジェラがかすれた声をあげた。

 エリスは反射的に、左手で自分のそれを握っていた。月の石。あの男が持っているものと同じ、月の石――

「……じゃあ、じゃああんた……エリスと同じ……月の者――!」

「……」

 肯定も否定もせず、ドゥールはそれを再び胸元にしまうと、また一歩、前に歩み出て来た。ゲイルも同じように近づいてくる。エリスとアンジェラは、それに反応するように二歩、後ろに下がった。

「エリス」

 右隣に立っていたアンジェラが、エリスにだけ聞こえる声でささやいてきた。視線だけで促す。

「――ここから村まで、後どれくらい? 走っていける?」

 アンジェラの質問の意味が判らず、エリスは眉を寄せた。一番近い村はレナードという名前だ。一度だけ行った事がある。そう遠くはない。ここからだと――

「……走れば、十分ってとこかな。走るの?」

 アンジェラは答えず、男二人をにらみやったまま、エリスの手を握ってきた。剣を持つその手を握られて、反射的に振りほどきそうになったが、アンジェラの手の力が思いのほか強く、やめる。乾く喉に無理やり音を発してもらう。

「なに、アンジェラ」

「――十分、か。ちょっと……辛いわね」

 アンジェラの横顔に、挑むような笑みが浮かんでいた。その表情に、エリスの心臓が高鳴った。酷い不安感。

「アンジェラ、あんた……まさか!」

「――やるしか、ないでしょう。ちょっとだけ無茶するわよ。死んじゃったら――ごめんということで」

「アンジェラ……!」

 さらりといった言葉に、これからアンジェラがやることが危険度が高いものだと理解した。なんとなく判る。過去に一度だけ、たった一度だけだが、見たことがある。あれをやろうというのだ――!

 しかしエリスが止めるまもなく、アンジェラがあいていた右手を上げた。声高に、叫ぶ。


「我が中に眠りし時の力よ! 我アンジェラ・ライジネスが命ずる!

 我に先の未来を見せ、我らが時を進ませよ!」


 ――視界がぶれた。


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