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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第九章:『Eve's eye is skyblue――空の瞳を持つ少女』
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「ドゥール兄、ご飯できたよ」

 呼びかけに、ドゥールは重たい首をゆっくりともたげ振り返った。

 折れそうなほどに細い手足を持て余し気味に立っている、ショートヘアの少女がひとり。似合わないエプロンを気にしているのだろう。しきりに手のひらでさすっている。

 戸口にもたれかかるようにして、少女はもう一度口をひらいた。

「皆、集まってるから。早くしてね」

「ああ」

 小さく頷くと、少女――アーシィはあっさりと身を翻し、歩いていく。その後姿は、十五の少女にしては若干背も高めで、ちょうどミユナと同じくらいだ。そう考え、ドゥールは僅かに眉を寄せた。馬鹿げた考えを振り払い、質素な部屋を出て行く。

 無機質な、生活臭の排除されたラボの廊下を歩いていく。塵ひとつ落ちていないのは、ここが研究施設側だからだ。居住施設側になると、掃除は兄弟たちの当番制になっているため、割と適当な節がある。

 それでもまだ、ドゥール自身がいた頃はきっちりとさせていたのだが、しばらく離れて帰ってきてみると案の定手抜き掃除になっていた。ゲイルもいないため、料理も相当適当にやっていたらしい。ゲイルとドゥールがラボにいる間は、常にゲイルが炊事を、ドゥールが掃除をと区分していたせいだろう。弟や妹たちにも少しは覚えさせとくべきだったと後悔した。

 その考えに至り、ドゥールは再度眉根を寄せた。漏れかけたため息を飲み込み、歩を進める。

 先を行くアーシィは、何もいってこない。アーシィだけではない。他の妹や弟たち全員に会った訳ではないが、会った者たちは、誰もが何も言ってこなかった。

 共に出て行ったゲイルが一緒でないことも、ダリードのことも、アザレルの仕事とは何だったのかということも。攫うように連れて来た――否、実際さらった事になる――アンジェラのことも。

 誰も何も、言って来ない。

 答えを欲していないからなのか、それともなんとなく察しているからなのか、あるいはドゥールを気遣っているのか、それは判らなかったが。

 ラボ――魔導技術開発研究所は、表向きにはまともな研究施設とされている。実際、魔導師たちからの依頼を受け新たな法技の組み立てを行って、それを売ることもある。あるいは、先日行った黒竜遺跡のような、旧時代の遺跡の探索を行い、魔術系の代物があればそれを解読することもある。ラボの研究員は三十人ほどで構成されており、誰もが優秀な魔導師、あるいは魔導研究者だ。もちろん、みな賃金をもらって働いている。

 さほど大きな施設でもないが、知名度はフォルム共和国内ではそれなりに高い。

 だが、ラボの本来の目的は、前述した一般的なものではない。

 魔法に関する研究。

 フォルム共和国の民が知らない事実として、それは確かにあった。民が知らないことは多い。一般的な学校ほどの大きさであるその施設内が、居住施設側と研究施設側に分かれていることも知らないだろう。そして、ラボには研究員が毎日通ってくるが、ラボを家としているものがいることも知らないはずだ。

 それが、ドゥール達だった。

 研究側実験体。

 ドゥールは、我知らず早まっていた足を緩めた。靴の裏に響く廊下の感触が変わる。

 研究施設側から少し廊下を進むと、扉がある。そこをあければ、居住施設側に入る。そこだけとってみれば、それなりに広々とした家と感じるだろう。

 入って二段だけ階段を下りると、すぐにリビングがある。先に歩いていたアーシィが、ソファの周りを走り回っていた弟たち二人をひっつかまえ、リビングの奥、ダイニングキッチンへと投げ入れる。

 ダイニングには、子供があふれていた。全て家族だ。

 弟が――ゲイルとダリードを抜いて――八人。妹が十二人。全員揃っているかどうか、頭数を数える。それは意識したことではなく、すでに癖になっていた。大人しくしていない下の弟たちを、アーシィを含む年上の少女たちが叱咤する。ほぼ毎日の光景だ。

 かなり巨大な――巨大にならざるを得ないわけだが――テーブルを囲むように置かれた椅子に座りながら、ドゥールは疑問符を浮かべた。数が足りない。

 訊ねようとして、嘆息した。その前に騒ぎを収めなければ訊ねることも出来ない。ドゥールは、兄の隣の席を陣取ろうと椅子取り合戦をはじめている妹たちをなだめた。

「アグネス、リーナ、いいかげんにしろ」

「だって、リーナ、お兄ちゃんの隣がいいもん!」

「アタシだってそーだよ!」

「左右に分かれろ」

「こっちはオレの席だ!」

 と、反対側からは威勢のいい声があがり、ドゥールは頭を抱えた。

「……ロジャー……」

「だって、ゲイルがいないんだもん。兄貴横席が明らかに足りないんだし」

「……」

 それを言われてしまっては、言葉が返せない。答えに窮したドゥールの横で、少女たちの椅子取り合戦は決着がついたらしい。

「しかたないわよ。みんな寂しかったんだから」

 含み笑いと共に、目の前に水が置かれる。最年長の妹であるその少女を座ったまま見上げ、ドゥールはようやく訊ねる口火を切った。

「ライラ。スージーは?」

「スージーはアンジェラちゃん担当。同年齢だから、ってアザレル推薦」

 つまり食事の席は一緒ではないと言うことだ。頷き、もう一言訊ねる。

「アーロンとケイレブは? スージーは昨日いたが、二人はまだ見てない気がするんだが」

 その言葉は、小さな声音だったはずだ。だが一瞬にして、水を打ったように場が静まり返った。

「……仕事だってさ」

 朝食をテーブルに置きながら、アーシィが淡白に言った。

「仕事……だと?」

 膨れ上がる不安感に、ドゥールは僅かに色の違う左右の目を見開いた。



 紺碧の海は、波ひとつ立っていなかった。

 朝日に照らされ、海は白い輝きを放っている。昨日の出来事などただの悪夢だったと言いたげに。だが、悪夢ではなく現実だったと、甲板に残った黒ずみが証明している。

「おっす」

 後ろから頭をたたかれ、エリスは振り返った。朝日の中で、髪を下ろしたままのミユナが苦笑を浮かべて立っている。

「あ。ミユナ、おはよ」

「ったく、こんな朝っぱらから何見てる」

「海」

「そいつは見りゃわかる」

「じゃ、訊かなくていいじゃん。あたし、海ってセイドゥール出るまでちゃんと見たことなかったんだよね。だから、なんとなく飽きないなーって」

 再度海に視線を戻しながら答えると、ミユナが隣に並んできた。

「そういうもん?」

「うん。運河の街っていうか、フェアリ・ベリーの上にあるような街だったから、水って言えば湖って感じだったし。海まで出るのは、面倒だし。でっかい塩水湖みたいなもんだって思ってたけど、そういうんでもないみたいだし」

「……いや、それは思いっきり曲解だろ」

 苦笑を浮かべたミユナが、こちらの頭を撫でてくる。どうにも旅に出てから、撫でられる回数が極端にあがっている気がして、エリスはくすぐったさを覚え顔をしかめた。

 子供の頃に、普通ならもらっているはずの、親からのキスや抱擁は、エリスには経験がない。それらと同じで、撫でられるというのも今まではほとんどなかったのだ。だから、こうされるとどうすればいいのか困る。

 決して、嫌ではないと判ってはいるのだが。

 その戸惑いを見て取ったのだろう、ミユナが笑いながら手を放した。エリスも苦笑を浮かべ、言葉を選んで告げる。

「不思議だよね。どこ見ても青いの。空も、海も。こういうの、好き」

 そこで一度言葉を切り、息を吐いた。震えそうになる声音を固め、続ける。

「アンジェラも、多分好きだと思うんだ」

「一緒に見れるさ。近いうちに」

 何も言わないうちに、ミユナがそう続けた。こちらの望みを見透かしている。揺るぎそうになる感情を抑え、エリスは首を縦に振った。

「早く会いたいの。怖い。あいつがどうしてるか判んなくて、怖いの。寝るときも、隣に居なくて、手がなくて、怖いの。だから、早くあいつに会いたい。アンジェラに」

「すぐ会える」

 耳の傍で声がした。肩を強く抱かれている。そう自覚して、エリスはミユナの細い肩に一瞬だけ顎を預けた。強くなりたいとそう思うほどに、判る。強くなりたいとそう思うほどに、弱くなっている。

 不安を、揺らぎを共有していた手が放れてから、初めて判った。

 自分がどれほどアンジェラに依存していたのか。

 それが急に無くなり、独りで立つこともままならない状態になっている。こんなのでは、再会が危ぶまれる事も判っているのに、けれど、不安を拭えない。依存していたものを、アンジェラではなく、ジークやミユナ、ゲイルに求めている。

 情けないと思いつつ、それをどうすることも出来ない。

 エリスにとって、それほどにアンジェラの存在は大きかった。

 一日、一日、日がたつほどに怖くなる。不安になっていく。

「大丈夫だ。すぐ会える。会いに行くんだろう。蒼竜に会って、力つけて、アンジェラ、連れかえすんだろ」

 頷く。

 そのために、船の上にいる。ホワイト・フィールドはもうすぐ見えるはずだ。朝早くから甲板に出ていたのも、それを早く視界に入れたかったからだ。

 ミユナから身を放し、顔を見上げる。真紅の目で見つめると、ミユナが僅かに視線を落とした。

「ごめんな」

「……え?」

 唐突な言葉に、目を瞬かせる。

「ごめん。あたしは……知ってたんだよ、ドゥールが、おかしかったこと。ちゃんと、告げてれば何か、変わったかもしれない。アンジェラは……」

「時間は、巻き戻せない」

 ミユナの言葉を遮り、エリスは告げた。

 正面から、整いすぎるほどに整ったミユナを見上げ、言葉を紡ぐ。

「アンジェラの能力って、時間でしょ。でもね、不思議なことに、時を早めることは出来ても、巻き戻すことは出来ないんだって」

 ミユナの目が、きょとんと子供じみた色を浮かべている。エリスはそのまま続けた。

「あたしは、ミユナが何で黙ってたのかは判らない。でも、結果として起こった事はもうどうしようもない。だとしたら、あたしはこっから先を見据えるだけ。あたしに出来るのは、それだけ。これから先、あたしが出来る最善のことを、最大限やっていくことだけ」

 そう告げると、ミユナの顔がくしゃりと歪んだ。笑みなのか、泣き顔なのか、いまいち判らない表情で、彼女は頷く。

「ああ……」

 頷いてから、ミユナは顔を上げた。白い繊手を伸ばし、海の向こうを指す。

「蒼竜は未来を司る。未来と水を司る」

 ミユナが指す方向を見て、エリスは大きな吐息をついた。

 紺碧の海の中に、忽然と砂糖菓子が現れたかのようだった。

 赤茶けた大地は急勾配になっている。その断崖絶壁のような場所に、白い民家群が、重なり合うようにへばりついていた。

 遠目からにも判るほど、鮮やかに輝きを放つ白い街並み。島の高部にある丸みを帯びた青い屋根は、シーランド正教会の屋根だろう。

 シーランド共和国、スフォラティス諸島に属する島。大陸最東端にある三日月型の小さな島。ホワイト・フィールドの姿だった。

「あそこに、蒼竜はいる」



 程なくして、定期船はホワイト・フィールドに到着した。ホワイト・フィールド唯一の港であるリバティー港へと横付けし、しかし船はすぐに離れていった。

 厄介事を持ち込んだエリスたちを、とりあえず降ろしたかっただけとも言えるほどの行動だった。だが、それに対しての反論があるはずもなく、エリスたちはただ見送った。

 ホワイト・フィールドはカルデラ島だ。そしてその名は、島の名前であると同時に、島唯一で最大の街の名前ともなっている。

 ここ、ホワイト・フィールドは三日月形の島だ。だが、元々は大きな円形だったとされている。旧時代――今から約三千年程前と言われている――に、大きな噴火があり、それが重なった結果、島の中心部が吹き飛んだ。今のホワイト・フィールドが三日月形なのは、そのせいだといわれているのだ。

 そして、この島には平らな道というものが存在しない。

 崖にへばりつくように街が立っているため、島にある道という道は、すべて坂になっているか、あるいは階段になっているのだ。一軒の家の屋根が階段になり、一軒の家の壁が階段になる。まさに積み木細工のような街だ。

 当然、港も例外ではなく、港から街へ入るには六百段近い階段を上らなければならない。

 ――というようなことをすらすらと語るジークに、エリスは若干目を細めた。

「何でそんな詳しいの?」

 ちらりと視線をやると、右手にはきっちりとグローブをはめている。彼はこちらの視線に気付いたのか気付いていないのか、何事もないように肩を竦めた。

「だから、俺は物知りなんだよ、お嬢ちゃん」

「ジーク」

 とがめるような口調で言うと、ジークは苦笑を浮かべた。

「ラボから逃げ出してから、あちこち放浪したからな。ここも、そのとき立ち寄って、二ヶ月ほど過ごした」

「……ああ、なるほど。じゃ、もしかしてアレモドも?」

「ああ。あそこは一年近くいたからな」

 あっさり頷いてくる。それで、なんとなく彼の今までの言動が多少理解できた。

「それで、ジーク?」

 ゲイルが、やや戸惑った様子で声をあげた。

 彼の碧色の瞳は、目の前にある、六百段近い階段を見上げていた。くねくねと曲がりくねって伸びている。

「……これ、一段一段、上るのかい?」

「上りたいなら止めはせんが?」

「いや、あの」

 それだけでかなりの重労働だろう。それを考えたのか、ミユナも顔をしかめている。だが、ジークは快活に笑い声を上げた。

「さすがに徒歩じゃあがらん。ロバがいるさ、そのあたりにな」

「……見当たりませんが」

 半眼になってエリスが告げると、ジークも肩を落とした。

「俺にも見えん。何故か」

「何故かじゃなくて!」

「でも、いるはずなんだって。糞だって転がってるじゃねーか」

 ジークの言う通り、ロバの糞がそのあたりに転がっている。エリスは首をかしげた。

「でも、いないし」

「あ、いた」

 ゲイルの声が、背後でした。振り返ると、簡易椅子で一人の老人が座りながら寝こけている。その隣に、足を畳んだロバがいた。

「居眠り……」

「じいさんー」

 ミユナが、その老人の肩を揺さぶった。

 その動きは、決して大げさではなかった。少なくとも、エリスにはそう見えた。

 だが、それは一瞬だった。

 老人の体は大きく揺れ、そのままどうと地面に倒れたのだ。

 簡易椅子も転がり、老人はしたたかに体を打った。

「うわっ! ちょっ、ちょっとじいさん!」

「ミユナ、何やってんの!?」

「違うって! ちょっと揺さぶっただけだって!」

 慌てたようにミユナがしゃがみ込む。落ちた老人の肩を、今度は恐る恐るといった様子で揺さぶる。その手が、固まった。

「……寝てる」

「へ?」

 その言葉に思わず間の抜けた声をあげ、エリスもしゃがみ込んだ。耳を寄せると、確かに老人からは規則正しい寝息が聞こえてくる。

「……あ、あの。ロバも健やかに眠ってるんだけど……」

 戸惑いを含んだゲイルの声に、ジークが寄って来た。眠ったままの老人の腕をとり、顔に耳を寄せる。

「……どう? ジーク」

「寝てるな」

 端的な答えに、何故か胸がざわつく。

 それはエリスだけではなかったようだ。

 四人は顔を見合わせ、ゆっくりと頷きを交わした。

 何かが、おかしいと。


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