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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第八章:『A marine requiem――潮風の鎮魂歌』
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 聞こえるのは波音だけだった。

 船べりにもたれながら、エリスはただ無言で空を見上げていた。

 アーロンとケイレブの亡骸は、ゲイル自身が海へと投げた。東部式の土葬でも西部式の火葬でもなく、海へと投げた。甲板についた血を海水で洗い流すゲイルの横顔に、エリスは何もすることができずにただ見つめていた。

 それでもまだ黒ずんだ血痕を残す甲板に直接尻をつけ、ゲイルは黙っている。先ほどミユナが来て、とりあえずホワイト・フィールドまでは乗せて貰えるように、船長と交渉してきた、と知らせてくれた。礼もそこそこのうちに、ミユナはまた船内へと引き返した。それから考えても、結構な時間がたっている。

 ジークの言葉を思い出し、エリスは思い腰をあげた。

 話さなきゃいけないことがある。

 きっと彼は、待っているだろう。船室の中で、じっと。伝えるべき何かを抱えながら。

 だとしたら、行かなければならない。

 エリスはやや躊躇ってから、薄く唇を開き、ゲイルに声をかけようとした。

「プレシア……?」

 だが、声をかける直前に、ゲイルの唇からぽつりとそんな言葉が漏れた。

 ゲイルは空を見つめて、目を瞬かせている。

 プレシア――は、ゲイルの妹の名前だ。いまはもう随分離れてしまった場所にいる。エリスとも面識があるが、だからといって今この場で、唐突に名前が出る理由が判らない。

 エリスは思わずきょとんと、ゲイルに訊ねていた。

「プレシアさん……? 何、ゲイル」

 振り返ってきたゲイルの顔には、驚きが浮かんでいた。驚きで、その下にある何かが隠れてしまっている。一時的とはいえ、それもいいのかもしれないと、エリスは内心で嘆息を漏らした。

 ゲイルの横に歩いていき、座ったままのゲイルに視線をあわせる。

「ゲイル?」

「今……プレシアの、声が……」

「え?」

 呆然と呟くゲイルの言葉に眉を寄せる。

 その瞬間、脳裏に声が届いた。

『ゲイル兄ちゃん。エリスさん。聞こえる?』

 どこかたどたどしいその言葉遣いに、エリスは目を見開いた。東部訛りの口調。愛らしい声。

「プレシアさん……?」

『聞こえてる! よかった! プレシア!』

 目の前には、ただ青空が広がるだけだ。なのに頭の中には、確かにあの彼女の声が聞こえてくる。

 ジェリア・シティのロストック地区で出会った、プレシアの声が。

 疑問符だけが溢れ出てくる中で、エリスはゲイルと視線を交わした。碧色の瞳にも、疑問符がならんでいるだけだ。

『能力! テレパシー! 話し掛けてるの!』

 頭の中でがんがん鳴り響く、甲高い声にエリスは眉をしかめた。うめく。

「プ、プレシアさん……ごめん、ちょっと、うるさい」

『おぅ……ごめんなさい』

 しゅんと静まり返った声が返ってくる。エリスはゲイルと視線を交わし、次いで首を傾げあった。

「えーと……能力。テレパシーで、話し掛けてる……ってこと?」

『うん!』

 姿は見えないが、金色の髪を目一杯上下させて頷くプレシアの顔が、確かに判る気がするような声だった。

――否、正確には声ではなく思念なのだろうが。

 確かにプレシアも魔女であり、能力としてテレパシーも持っていたが、エリスが出会ったときにはその片鱗しか見せてはいない。エリスがせいぜい知っている情報は、傍に寄れば思念が声として『聞こえてくる』というくらいだった。

 話し掛けることが出来るなんてエリスは知らなかった。が――ゲイルの様子を見る限り、驚いているのは自分だけでもないらしい。

「ゲイル。プレシアさんって、話し掛けることができたの?」

「いや、あいつの能力はそこまで高くはなくて……出来なくは、なかったけど、せいぜいが半径数メートル以内の、だったはずで」

 しどろもどろの説明に、プレシアの『声』が割り込んでくる。

『髪の毛!』

(……髪の毛?)

 今の今までにあった状況も一瞬吹き飛び、エリスはその単語に思わずとろんとまぶたを閉じかけた。

「ごめんなさいプレシアさん。前後の脈略がなさ過ぎてあたし、どうしたらいいやら」

『媒介。髪の毛、媒介にするの。ずっと練習してた』

 主語がない喋りは前からだったが、聞いていて理解するのに間が必要な話し方ではある。痛む背中をさすり、エリスは静かに口をひらく。

「……それって、プレシアさんがあたしたちの髪の毛とったやつ?」

『そうです』

 肉声でもないその声は、多少奇妙ではある。

 確かに、エリスもアンジェラも、プレシアに肩に付いた髪の毛をとられていた。

 媒介――つまり、両方が同じ物を持っている状態だと、それを通じて魔法を働きかけることが出来るということなのだろうが。

 ゲイルが困ったように頭をかいた。

「プレシア。何で急に出来るようになったんだ?」

『判んない。……ダリードくんにも、話し掛けてみたけど、返事ないし』

 届くはずがない。

 痺れた指先を折り、エリスは奥歯をかんだ。届くはずがない。返事などあるはずがない。

 彼はもういないのだから。

 だが、プレシアはその事を知らないのだ。

 ゲイルが、ゆるくこちらの頭に手を置いてきた。取り繕うように、語頭を上げて話しだす。

「ラボに……戻ったからかな。ドゥールは?」

『……』

 沈黙は、返って来ないと言う事なのだろう。ゲイルがまぶたを下ろし、だが口調だけは軽く続けた。

「ちょっといろいろあってね。今話し掛けて返って来ない連中は、ラボにいるから、だと思うよ」

 こちらの視線に気付いたのだろう。ゲイルが補足するように微笑んだ。

「ラボは、魔法自体を扱うから、逆に外部からの魔法は効かないようにされてるらしい。どうやってるのかはしらないけどね」

『うん……だから、みんなには連絡取れないけど』

 みんな。

 その言葉が指すみんな、は家族のはずだ。ゲイルが微かに肩を震わせる。少なくとも彼女の家族のうち三人は、エリスとゲイルが殺している。ダリード。アーロン。ケイレブ。

 彼らは、プレシアの呼びかけにももう応えない。

『あ。推測、ある。ゲイル兄ちゃんとエリスさん、四竜に、逢ってたりする?』

「え。ああ……うん」

 よく判らずに、とりあえず肯定した。プレシアが納得、と何度か呟く。――思念ではなく、実際言葉にしているのかもしれない。ここまで細かいとそう思えるが、一度会った彼女のことを考えると、頭の中と口がそのまま直結しててもおかしくはないので、どちらともいえない気がした。

『だとしたら、それ。可能性ある。受信側の魔法に対する関知能力が、研ぎ澄まされてたら、急に聞こえるようになること、ある。知らないけど』

 最後はともかく、エリスとゲイルは彼女の言葉に顔を見合わせ頷いた。

 可能性としては、確かに否定できないところではある。

「それで、プレシア。一体いきなり、なんなんだ?」

『う』

 ゲイルの言葉に、プレシアが詰まる。そんなところまでテレパシーで送ってくれなくても、とどこか冷めた部分でそう思いながら、エリスは彼女の次の言葉を待った。

『いま、どうなってるの?』

 端的といえば、これ以上ないほど端的な問いだった。

 息を呑んだゲイルが、ゆっくりと立ち上がった。空を見上げ、呟く。

「全てが終わったら、説明するよ。それまで……少しだけ、待ってて欲しい」



 媒介となる二本の髪の毛――金色のものと赤色のものと――を、小ビンの中にしまってから、プレシアは椅子の背もたれに体重をあずけた。

 古い椅子が、ぎしりと鳴く。

 ようやっと声が聞けたゲイルの言葉に、判った。家族の中で、唯一声が聞けたゲイルの言葉で、判らざるをえなかった。

 ダリードは死んだのだろう。

 あの時に感じた不安は、そのせいだったのだ。ダリードか、ゲイルか――誰でもいい。あの時に声をきいてくれたら。そう思わずにいられなかった。

 部屋に帰ってすぐに、今と同じように小ビンから集めていた髪の毛を引っ張り出してテレパシーを送ってみたが、こちらの能力不足か、あちら側の関知能力不足か、届かなかった。

 ゲイルは、隠し事が下手ではないはずだ。他人からすれば。

 だが家族であるプレシアには、判っている。嘘をつくときに、語頭が上がる癖があることも。

 こつん、とプレシアは机に頭を打ち付けた。

「泣け」

 こつん、こつん、と頭を打ち付けてみる。

 家族がまた一人、死んだ。ドゥールが今どうなっているのかは判らない。それだけではない。ラボにいるみんなの状態は、判らないのだ。

 生きているのか、死んでいるのかさえ。

 だが、確実にひとり、死んだのだ。

「泣け」

 こつん、こつん。

 こういうときは、泣くのが普通のはずだ。少なくとも、演劇なんかではそうなるはずだ。プレシアはメルクーリに引き取られてから、何度か演劇を観に行った事がある。そのときは、登場人物の誰かのために、主人公たちは泣いていた。

 亡くなった命に対して、涙を流していた。それがきっと『普通』なのだろう。

 だが、プレシアの目には涙が浮かぶことは無かった。

「泣け、泣け、泣け」

 こつん、こつん、こつん。

 やがてその行為にも飽きて、プレシアは机に突っ伏した。

 泣き方なんて、ラボで教わったことが無い。

 どうすればいいか、判らない。

 ただ、どうしようもない虚無感が胸中に生まれただけだった。



「よ」

 狭い船室の中で、ジークは巨躯を持て余し気味に部屋の隅にある椅子に座っていた。

 ゲイルとエリスが入っていくと、すでにミユナはその部屋にあるベッドに腰掛けていた。ベッドといっても、木板を重ね合わせた二段ベッドのような粗末な代物ではあるのだが。

 エリスはミユナの横に座り、ゲイルは少し離れた椅子に座る。狭い部屋の中で、何故か距離がある位置に座ってしまったことを内心後悔しつつ、エリスは首をかしげた。

「ジーク。話って?」

 前置きも何もなしに話し始めたことに、ジークは不快を示すことはなかった。むしろそれを望んでいたのかもしれない。こくりと頭を振り、こちらに視線を投じてくる。

 ワインレッドの瞳が、いつになく真剣な色を灯していた。

「エリス。ゲイル。ミユナ」

 それぞれの名を呼び、ジークは唇を一度舐めた。ゆっくりと、口を開く。

「今から俺が言うことを、信じられるか?」

 がたんと船が揺れる。転上に吊り下げられている、火の入っていないランタンが揺れた。

「……ジーク?」

「信じられるか?」

 ゲイルの視線が、ミユナの視線が、何故か集まっていることにエリスは気づいていた。

 唾すら沸き出てはこなかったが、無理やり息とともに呑み込んだ。

 ワインレッドの眼差しを正面から受け、言葉を切る。

「判らない」

 エリスは視線を逸らさずに、ジークに告げた。

「判らないよ。信じられるかどうかなんて、今判断できるものじゃない。ジークの話をきいてから、判断する」

 視線が絡み合う。隣からのミユナの視線を感じてはいたが、それは無視して、エリスはただじっとジークを見つめた。

 ふっと、ジークの頬が緩んだ。

「時々、お嬢ちゃんのこと甘く見過ぎてると思うことがあるな。しっかりしてるよ」

 苦笑を含んだ声音でそう言ったジークは、ゲイルに視線を投げた。

 視線を受けたゲイルが、びくりと体を固まらせた。ジークの顔に浮かぶ苦笑が濃くなる。

「ちぃと立て。ゲイル」

「え……」

「殴らねぇから」

 告げられるジークの言葉に、ゲイルが訳も判らずと言った様子で立ち上がる。

 ジーク自身も立ち上がり、ゲイルが座っていた椅子のほうへ歩き出した。椅子はちょうど、エリスたちの正面にあったため、ジークはこちらに背を向ける格好となる。

 ゲイルはこちらの隣に立ち、同じようにジークの背を見つめた。

 ジークの厚い肩が上下し、深呼吸をしているのだと判る。

 彼の体から放たれるオーラに気圧され、エリスたちは誰も言葉を発することが出来なかった。

 ジークが、腕を掲げたようだった。

 床に、ぱさりと黒い何かが落ちる。――グローブだ。

 彼が常に身につけていたグローブ。

 ふいに、静かな声が聞こえた。

「その眼が見つめしは、過去などなし」

 そして、椅子が消えた。

(え……?)

 エリスの目には、何が起こったのか映らなかった。全く判断できなかった。

 ただ、文字通り――『消えた』のだ。

 壊れたのでもない。ただ、あったものが無くなったのだ。忽然と。

 そうとしか表現しようが無い出来事だった。

 ジークの目の前にあったはずの椅子は、一瞬にも満たないうちにその場から無くなった。

 あまりのことに、エリスは無論、ゲイルやミユナもただ呆然としていた。

 ジークの背が、荒い息を吐いた。

 ゆっくりと振り返ってくる。

 こつり、と床を叩く靴底の音がやけに響いた。

 自嘲気味に歪んだ顔に、グローブのない右手。

 彼はその右手を掲げ、こちらに見せてきた。

 その手のひらには――眼があった。

 漆黒の闇へと開かれたような、瞳があった。

 ジークの右掌。その中央に、切込みを入れたかのように開いた『眼』があった。瞳もきちんとある。まぶたや睫毛にあたるものはないようだったが、それは紛れも無く『眼』だった。

 その『眼』と、ジークの目を同時に視界へと入れる。

「黙ってて、悪かった」

 かすれた声で、ジークが呟く。

 エリスは手のひらに穿たれたその『眼』を見つめ――ぽつりと、言葉を漏らした。

 その『眼』が何を意味するのか、理解った。

 ここ数日、ミユナやゲイル、そしてジークに付き合ってもらっていた勉強のおかげだろう。

 右掌に『眼』が特徴の特殊能力者。それは、ひとつだけだった。

「……魔族」


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