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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第七章:『Dear my best friend――約束の手紙』
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 赤い夢を見た。

 囁きかけてくる誰とも判らないその声音に、全身が粟立つ。

 どくりと心臓が跳ね上がり、エリスは目を見開いた。

「……」

 夢だ。そう自覚すると、安堵の息が漏れた。むやみに早まる鼓動をもてあまし、固いベッドの上で身を起こす。体のあちこちから、鈍い痛みが襲ってきた。

「アンジェラ……?」

 掠れた声が喉から漏れる。彼女の姿を求め視線を投じるが、船室の中には誰もいない。

 重い体を引き摺り、エリスはベッドから立ち上がった。



 甲板に出ると、潮の匂いが身を包んだ。 

 夕陽が、波間に踊っている。

 船が上げるしぶきの中、きらきらとオレンジ色の光が瞬いている。

 潮風に流されそうになる赤毛を抑え、甲板の端にまで歩いていく。さほど大きな船でもない。すぐに、目的の背中を見つけた。

 柔らかな歌声が、潮風にのっている。

 その声を聞くと、それだけで体の重みが和らいだ。知らず浮かぶ微笑を携え、エリスはその背中に声をかけた。

「アンジェラ」

 歌声がやむ。

 緩やかに風に流されていた黒髪を抑え、少女は振り返ってきた。

 一瞬だけ、戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに笑顔を向けてくる。

「おはよ、エリス。お昼寝はもうおしまい?」

「うん」

 答えながら、彼女の隣に並ぶ。潮風を吸い込み、海を眺める。船のふちにもたれかかると、アンジェラは逆に、船のふちに背を預けた。

 隣に並びながら、アンジェラは空を、自分は海を眺める。言葉も交わさないこの一瞬の空気が、何故か懐かしくさえ思えた。

「体、平気? 痛みは?」

 アンジェラが、振り返らずに聞いてくる。

「多少はあるけどね。平気」

「そっか」

 アンジェラが、再度歌を口ずさみ始めた。なだらかなメロディラインと、スローテンポな曲調は、アンジェラの好きな曲だ。しばらく、その歌声に耳を済ませる。

「――久々に聴いたな、それ。いい曲だよね」

「まぁね。私が唄うんだもの」

 アンジェラの言葉に、思わず笑い声が漏れる。

 なんでもないただの会話と、ただ傍にいるというこの空間が、痛みも、不快な夢の記憶も解かしてくれる。

 もしも、あの時――アンジェラが、付いて来てくれていなかったら、どうなっていたのだろう。ふとそんなことを考え、エリスは微苦笑を浮かべた。

「あんたがいてくれて、良かったよ」

「何よ、いきなり。変なの」

「変だね」

「変よ」

 くすくすと、笑い声が漏れる。すでに沈もうとし始めている太陽を眺めながら、エリスは目を細めた。

 ルナ大陸最南にある島国、フマーネンの姿は見えている。もうそう遠くはないだろう。

 遠く、海鳥の鳴き声が聞こえる。船が進む音に耳を預けながら、エリスは呟いた。

「どうなるのかな、あたしたち」

「なーにが」

 軽い口調で、アンジェラが答えてくる。すぐ隣にあるぬくもりを感じ、目を閉じた。

「さあね。よく判んないや。――赤竜に言われたこと、ずっと引っかかってるみたい」

「何?」

「あたしの能力が、覚醒しない理由」

 一瞬の沈黙に、アンジェラが身じろぎするのが判った。

「なんだっけ。能力の強さゆえに封印が強い、だっけ?」

「らしいね」

 思い出しながら呟いてくるアンジェラに、肯定の言葉を漏らす。髪をかきあげ、うめく。

「なんかもう、嫌になる」

「馬鹿ね、エリス」

 ふいに、明るくアンジェラが笑ってきた。視線だけを彼女に投げると、彼女はこちらを振り返りもせず、夕暮れの空を見上げていた。

「そんなの、どうだっていいじゃない? あんたの力がなんであろうと、あんたがあんたであるってことには変わりないわ。私の幼なじみで親友の、エリスであるって事には変わらないんだから。でしょう?」

 はっきりと告げられたその言葉は、エリスの頬に自然と笑みを浮かべる結果となった。

「うん」

「だったら、平気よ」

 そう言ってから、ふいにアンジェラが言葉をきった。ややトーンを落とし、続けてくる。

「――ただ。ちょっと変な感じがするの。エリスじゃなくて、私自身だけど」

「……変な感じ?」

 促すと、アンジェラの声音のトーンが、再度上がった。無理やり上げた、というよりは、顔を上に向けたのだろう。

「能力がさ。急に強まってる気がするんだよね」

「……未来予知?」

「そう」

 アンジェラが頷く。

「正確かどうかは、判らないんだけど。気付いてる? 私、一瞬先の未来じゃなくて、数秒から、数分先まで見ることがあるのよ」

「え?」

「――そういうのがある、ってこと。四竜に逢い始めると、能力が高まることもあるんだって赤竜は言ってたんでしょ? そのせいかもしれないけどね」

 実際、アンジェラは白竜には逢っている。エリス自身が知ることは出来ないが、彼女が自覚しているのならそういうことなのだろう。――エリスも、身に覚えがあるので何とも言えなかった。

 船のふちに、体重を預ける。さらさらと波音が心地良い。

「ラボってさ、何なんだろうね。特殊能力者集めて、どうするつもりなのかしら。あんたが言ってたアザレルとかもさ」

 アンジェラが、音だけを聞けば軽く聞こえる口調で、言った。

「もうワケわかんないわよね」

「……そう、だね」



 それから、しばらくもしないうちに、船はフマーネンへと辿り着いた。

 フマーネン連合国は、ルナ大陸本土より少し離れたところにある島国だ。

 全体的に乾燥した気候と、多種多様な民族が集まった、多民族国家ということが特徴である。

 とはいえ、フマーネン連合国のどこに黒竜がいるのか、その情報をまずは集めなければならなかった。

 各部族がそれぞれに生活しているために、はっきりと『首都』といえる場所がないのだ。実際にはあるのはあるのだが、どうにも通常口にする『首都』とは趣きが違う。

 しかしながら、情報を集めるにはまずそこへ向かうしかないだろうという結論に達し、船を降りてすぐ、手近な村へとエリスたちは歩を進めることにした。完全に夜になる前に、辿り着きたい。

「面白い国ね」

 隣を歩くアンジェラが、そう言葉を漏らす。

 詩人であるセシレル・ハイムは、自由の風が吹く国と称していた。雨が少なく、乾燥した国土でありながらも草原地が広がっている。フマーネンの中には砂漠もあり、夏が近い時期だと、酷く暑くなるという。

 もうひとつの特徴としては、建物らしき建物がほとんどないということだろう。

 ゲルと呼ばれる、移動式家屋――ようするにテントのようなものが家そのものなのだ。船に乗っている間に目にした書物によれば、分解することもできるという。放牧を主とするフマーネン国民にすれば、利便性は高いのだろうが、やはりセイドゥール国民であるエリスたちにとっては奇異にしか思えなくはあった。

 住居以外でも、文化としてさまざまな違和感を覚えずにはいられない。本土から離れているだけとはいえ、やはり大きく違う。イニシエーション(成人の儀礼)として行うという髪染めや刺青の習慣、放牧という仕事、民族衣装や宗教観、あるいは食文化や、判り易いところだと馬の大きさやら――そういったものが、いちいち違うのだ。

 港から少し行くと、すぐにその光景は目に飛び込んできた。

 どこまでも広がる草原と、地平線。宵闇の空には、満点の星。乾燥した風が、髪をなびかせていく。

 一瞬、言葉も無かった。

 エリスにしても、アンジェラにしても、こんな光景を目にするのは初めてだった。遮りのない地平線。

 少し離れたところに、白く丸いゲル(移動式住居)の姿がぽつりぽつりと点在している。

「すごいね」

 ゲイルが、やや呆けたような声を漏らした。

 隣に立つドゥールに、笑顔を向ける。

「あいつらに、見せてやりたいな。これが終わったら、また来れたらいいよな」

 家族、の事だろう。エリスはアンジェラと顔を見合わせ、一瞬だけ苦笑を交わした。

「そうだな」

 ドゥールは、相変わらずの淡白な口調でそう告げる。

 と、不意にアンジェラが足を止めた。その次の瞬間には、いきなり走り出す。

「ちょっ、アンジェラ!?」

「ついてきて、早く!」

 アンジェラは走りながら、答えてきた。

 咄嗟のことに動けずにいたエリスの肩を、ジークのグローブに包まれた右手が叩いた。

「何か『見た』んじゃねえか。行くぞ」

「う、うん」

 すでにミユナは走り出していた。船の上でアンジェラと交わした言葉の内容が、胸に引っかかってはいたが、エリスはそのまま走り出した。



 ジークの推測は正しかった。

 駆け出してすぐに、引きつったような悲鳴が聞こえてきたのだ。膝に力をこめ、速度を上げる。筋肉が引きつり、痛みが脳髄に響いてきたが無視をする。

 ゲル(移動式住居)に近くなると、前を駆けていたアンジェラが足を止めた。理由はすぐに知れた。

 ――獣。

 一匹の、狼に似た獣が、その場にいた緑色の髪をした少年と向きあっていた。先ほどの悲鳴の主は、この少年なのだろう。

 少年といっても、ゲイルたちに近い年齢だろう。緑色の髪――ということは、この国のイニシエーション(成人の儀礼)を受けているはずだ。とすれば、歳としては十八以上のはずだが、ただ若干、身長が低いせいで幼く見える。地面にぺたりと尻をつけ、その顔は恐怖に引きつっている。

 アンジェラは、これを『見た』らしい。

 エリスは、その瞬間再度速度を上げ、剣を振るった。

 血臭が、草原の風に混じる。

 顔にかかった血を、拭う。一瞬のことだったためか、誰も反応しなかった。

 倒れたその獣を見下ろし、軽く目を伏せた。大地に、血が広がっていく。

「――腕を上げたな」

 低い声に視線を投げると、ドゥールが立っていた。

「瞬殺か」

「あんま嬉しくないよ、その言葉」

 返り血のかかった髪を手でかきあげ、低く漏らす。ぬらりと反射する剣についた血を、ふきとった。

 顔を上げる。

 地面に座り込んだままの少年は、自らの身に何が降りかかったのかも良く判ってはいないのだろう。

 ぼさぼさの緑色の髪に、両頬の刺青。身長はミユナよりも低いが、やはり一応は成人しているらしい。

 黄色人種ということもあるのだろうが、ずいぶん幼く見える。驚きに見開かれたブラウンの瞳と、丸い輪郭がさらに輪をかけてそう見せているのかもしれない。あるいは、その顔にかかった、サイズがあっているのかどうか微妙なほど大きな眼鏡のせいかもしれない。

 左前あわせの、多少変わった民族衣装はこの国独自のものだ。どことなく、桜春の着ていた衣装と通じるものがある。

 ぺたりと地面に座り込んだままのその少年に、エリスは視線を合わせた。

「怪我はありませんか?」

「え! あ、は、はい! 僕は元気です!」

 彼は慌てたように言うと、立ち上がった。呆然とこちらを順番に見てくる。

「あ、えっと。その、助かりました。ありがとうございます。旅人の方ですか? この国の人間ではなさそうですが……」

「本土のほうから。それよりも、いきなりこんな事になってるなんて思わなかったですけど……」

「そうか? あたしはある程度覚悟してたぞ」

 ミユナが、ぼそりと漏らしてくる。

「……まぁ、今まで考えれば、そうかもしれないけどさ。でもいきなり戦闘開始とは思わなかったよ」

 アンジェラに視線をやると、彼女はやはり見たせいもあるのだろう。さほど驚きを示しもせずに肩を竦めてきた。

「この国って、いつもこんなのじゃ、ないですよね?」

「いつもではありません。ここ数日、です。異常に獣が暴走を起こしてまして」

 その言葉に、思いつくことがあった。アンジェラも同じだったらしい、腕を組み、告げてくる。

「セイドゥールと一緒?」

「かもね」

 セイドゥールでは魔物の異常発生だったが、似たようなものだろう。ふいに、ジークが空を仰いだ。嘆息を漏らす。

「どーにもいやあな予感がするんだが。いやべつに、良くないわけじゃないんだが」

「なんだい?」

 ゲイルが、きょとんと言葉を返す。それに答える、というよりはそれを無視して続けるに近い言葉調で、ジークは呟いた。

「こう言った現象はあちこちで起きてるが、それが極端に強いところには何らかの理由があった。憶測だが、近いんじゃねぇの? 黒竜。この村にいる、とかな」

 その言葉に、エリスは思わず少年を見つめた。少年は間の抜けた声音を漏らすと、わたわたと両手をふってくる。

「い、いませんよ! この村には! 放牧民の村ですし!」

「……え、ここ、もう村なんだ?」

 アンジェラが、目を瞬かせた。確かにゲルはすぐ近くにあるが、村といえるほど集まってもいない。

 少年は、ありありと苦笑を浮かべ、

「まぁ、本土の……しかも言葉からすると、おそらくはセイドゥール国民の方からすれば驚かれるかもしれませんが。ええ、ここは村です。フマーネン連合国内ガゼル部族州の村。リアーグです。ようこそ」

「リアーグ。それが、この村の名前?」

「はい。――と、いつまでもこんな場所で立ち話もなんでしょう」

 ちらり、と少年は獣の死体に目をやった。たしかに、あまりずっと傍にいたいものでもない。

 少年は軽く聖印をきると、ふうと大きく息を吐いた。

「じゃあ、僕の住んでいるゲルにご案内します。お礼もしたいですし」

 と、すぐ後ろにある丸いゲルを指した。

 少年の顔に、笑みが浮かぶ。

「僕はロジスタ・ジェイドと申します。よろしくお願いします」



「じゃあ、あなたたちがあの『エリス』さんたちなんですか!?」

 ゲルに招かれ、簡単にここに来たいきさつを話すとすぐに、ロジスタはそう声をあげた。

 出されたお茶を手にしたまま、アンジェラが憮然とした表情を見せている。

「なによ、それ」

(あーあ……)

 言葉尻がかなりきつい。完全に不機嫌だ。理由としては至極単純だが、重なりすぎているのだろう。

 民族風習の相違のためか、座る場所まで男女で完全に分けられたことや、出されたお茶があまりに口にあわなかったことや、ゲルの中にハエなのかノミなのか良く判らない虫が飛んでいることや、埃っぽい空気や、まあそういったもののことごとくが、アンジェラの肌にはあわないらしい。

 お茶に関しては、エリスも全くの同意見だったが。

 ――というより、このお茶を一口以上飲んでいるのは、出した本人であるロジスタだけだ。

 文化の違いというものは、なかなかに辛いものがある。特に食に関しては。

 塩味のミルクティー、と称せば一番近いのかもしれない。どうにも口にあわないのだ。一口つけたとたん、顔が歪んでしまった。それを見かねたロジスタが、その後で馬乳酒なるものを出してくれたのだが――そちらのほうが口にあわず、結局塩味ミルクティーを再度手にする羽目になった。

 馬乳酒は、アルコール度数は低いのだが、とにもかくにも酸味がきつく、匂いもきつい。彼らなりの歓迎のしるしらしいのだが、どうすればいいのか対応に困る味だった。

 それらのせいで完全に機嫌を損ねてしまったアンジェラの腿を軽く叩き、落ち着けと合図を送る。

 それから、エリスはロジスタに再度視線を合わせた。

「で、えーと。それはいったいどう言う意味なんでしょうか」

「有名じゃないですか!」

 ロジスタは急に大声を上げると、拳をにぎって立ち上がった。

 さんさんと、目が輝いている。

 ゲルに開いた天窓――アンジェラは無遠慮に指を指し『穴開いてるわよ』と言ってロジスタを困らせていたが――から、星を見据えている。

「有名じゃないですか! ジェリア・シティの異常気象を解決し、白竜の暴走を止めた! 素晴らしい! 人間の底力そのものです! そして四竜は僕の研究材料! すなわち!」

「……」

 とりあえず、どうしていいやら判らずに、エリスは手にしていたお茶をジークに押し付けた。無言のまま返って来るカップを、再度押し返す。家人が見ていないうちに何とかしたかっただけだが。

 意気揚揚と語り始めたロジスタは、そのまま興奮した口調で続けた。

「――あなた達も研究材料! ああ、素晴らしい!」

「……ある意味、ラボの人間に通じる怖さがねぇか、この少年」

 ミユナの呟きに、エリスたちは無言のまま頷いた。


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