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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
序章:『旅立ちの日 ―The Starting Day』
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4

「エリス、上ッ!」

 鋭いアンジェラの声と同時に――いや、それよりも一瞬早く、エリスは後方に跳んでいた。右足首に着地の感触。それと同時に、銀色の光が迫ってくる。

「――ちっ!」

 まだ地面についていなかった左足を、力いっぱい突き出した。影に当たる。

 だが、牽制にもなりはしなかった。追いすがる銀光に、赤毛が数本飛ぶのを視覚で確認した。上半身をそらし、何とかよける。

「エリスに何するのよッ!」

 アンジェラの甲高い声。

 それとともに――影はいきなり真横に吹っ飛んだ。

「……!?」

 息を整えながら、声の主――アンジェラのほうを振り返った。それから、思わず肩を落とす。

「……いや。あんたさ、もう少しこー、気の利いた助け方もあるんじゃないかと思うんですがあたし」

「贅沢言わないの」

 アンジェラが拗ねて唇を突き出す。まぁ、助けてもらっておいてその言い草はないだろうが、それにしたって、哀しいものがある。

(ナップザック……)

 アンジェラはとっさに手にしていたナップザックで影をはたいたらしい。タイミングがかみ合ったせいか、上手い具合に吹っ飛んだのだ。

 つづりの間違ったへたくそな字で『あんじぇら・らいじねす』と書かれた古ぼけたナップザック。それ自体は別にかまわないのだが……それに助けられた剣士とは、ちょいとばかり虚しくもある。

(せめて魔導でふっとばすとかこう、戦闘らしい行動をして欲しいよ……)

「エリス、ヘンなこと考えてる暇あるなら、とっとと剣抜いて。来るわよ。四人」

 アンジェラの言葉に、呼気をひとつはさむ。思考を切り替えて、気配を探った。いる、確かに。ゆっくりと、剣を抜く。飾りも何もない実用的な剣。人差し指が剣の柄についた古い傷に触れた。握る。それが、ジャスト・ポジションだと知っている。

 と――吹っ飛ばされて地面に転がっていた人影が、むっくりと起き上がった。男だ。三十代だろうか――体のごつい、ただの男。特徴らしい特徴も見当たらない。

「……おはよーさん。いったいどういったご用件でしょうか?」

 皮肉を投げてみると、明らかに苛立った様子で唾を吐く。それで判る。戦闘のプロというわけではなさそうだ。

「……エリス・マグナータとアンジェラ・ライジネス、だな?」

「そうだけど、それが?」

「ていうか、馬鹿よね、貴方。私たちを襲ってから確認するなんて。手順逆じゃないの? お・じ・さ・ん?」

 アンジェラが冷ややかな目で毒を吐く。思わずこみ上げる苦笑を飲み込んで、エリスは続けた。

「ま、いいけど。お仲間も出といで。気配ばればれだよ? 隠しているつもりなんだろうけど?」

 言いながら、気配のするほうに指を向けてみる。

「ほら、そこ。そことそっちも。早く出てこないとアンジェラの魔導で吹っ飛ばされるわよ? この子、なんか知らないけど苛立ってるみたいだし」

「あら、違うわよエリス。出てきても吹っ飛ばす。てか出てきてから確実に吹っ飛ばす」

「……まぁ、どうでもいいけど」

 苦笑していると、観念したのかなんなのか――三つ、人影が出てくる。

「うわ。無個性……」

 アンジェラが呟いているのを耳にして、なんとなく頷いた。街中にいても埋没しそうな風体の男達。ごつい三十路男と四人そろったところで、大して強敵でもなさそうだ。

「……何故、判った」

「へ?」

「気配は消していたはずだ」

 男の一人がそう言ったのを聞いて、エリスはアンジェラと顔を見合わせた。これ見よがしに盛大な溜息をついてやる。

「……ほんっと馬鹿ね、あんた達。ただのチンピラさん? 確かに割と気配消すのは上手かったけど、あたし達襲うなら、下調べくらいしてきなさいよ」

「そうそう。エリスがやったら気配に敏感だとか――この私の特殊能力が、一瞬先の未来を見ることだ、とかね? お・ば・か・さ・ん」

 あかんべーとアンジェラが舌を出す。その様子が、男達の頭に血を上らせたらしい。手に手にナイフや剣を持って迫ってくる。

 が。

「ハイハイ、さようなら! 渦巻け、大地の精!」

 アンジェラが口早に唱えた呪文は、あっさりと法技と言う形になった。断続的に大地に爆発が起き、視界が土煙に覆われる。

 げほげほっと咳き込む声が聞こえ――同時にエリスは怒鳴っていた。

「ちょっとアンジェラ! あたし達の視界まで見えなくさせてどーすんの!」

「いいじゃん。エリスどうせわかるでしょ。あとよろしくー」

「……くそったれ」

「下品よ、エリス」

 アンジェラの軽い笑い声に促されるように、エリスは目を閉じた。視覚を閉じ、それ以外の感覚を目覚めさせる。

 思考は、いらない。ただ、体が動くままに――剣を振るう。


 腰につけていた黒い布で、剣についた血をさっとぬぐった。それほど多くはない。致命傷は与えていないからだ。

 腹部を抑えてうずくまっているのが二人。仰向けに細い息を吐いて、左腕から出血しているのが一人。もはやすっかり意識はないのか、うつ伏せになっている男が一人。その男の両足からは、これまた出血。

「うーん……鉄臭いことこの上ないわね。エリスってさぁ、手加減できないの?」

「してるじゃんおもいっきり」

「てか、流血沙汰ばっかり。無血で勝つ、とかそういう嗜好はないの?」

「無理。てか、これ両刃。どうあがいても、無理」

 憮然とした表情で答えると、アンジェラはくいっと伸びをした。

「ま、いっかぁ」

 一言呟き、手近にいた三十路男の胸倉をつかむ。

「グッモーニン、ダーディ? いい朝よー」

「……えげつな」

 べしべしと遠慮なく頬を叩くアンジェラに、思わずエリスは呟いていた。

「なによう、文句あるならかわる?」

 そう言われ、面倒だったので肩をすくめて手のひらを出した。もう何も言いません、どうぞご勝手に。

 ぷんとそっぽを向いたアンジェラは、そのままがくんがくんと男の胸倉をつかんだまま揺さぶった。

「おーきーなーさーいーよー! ダーディ!」

「いやそれはもういいし」

「……う?」

「あ、おはよう。ダディ」

 起きた。

 うっすらと目を開いた男が、状況を理解したらしい。ひっと小さく息をのむ。

 動けないはずだ。両足を怪我している。もしそうでなかったとしても、動けないはずだ。戦闘にそれほどなれているとも思えない、男。今エリスが細く絞ってわざと出している殺気に、対抗できるとも思えない。

「さてさて、ダーディ。私、ダディに聞きたいことがあるんだけどなぁ」

「……アンジェラ、怖いから」

「あんたの殺気のほうが怖いわよ。ね、ダディ? 答えてくれるわよね?」

 それにイエス以外の選択肢があるはずもない。なんともいえない、奇妙な怖さがアンジェラにはある。エリスはそれをよく知っていた。

 答えない男に、アンジェラは笑顔を向けた。無言はそのまま、あの子の中ではイエスになる。

「ありがと、ダディ。じゃ、まずひとつ。どうして私たちを襲ったの?」

「……何故、言わねばならない」

「ダディだから」

(うっわ……)

 傍で聞いていて、思わず苦笑する。むちゃくちゃな理論展開。アンジェラだからこそ、だ。

「ダーディー。言わないと後でひどいわよぉ?」

「……ま、さっさといったほうが苦しまないと思うよ?」

 エリスにしても、とっとと理由は知りたかったので、そういって剣を抜いてみる。ただの脅しだが、脅しはこういう場合本当によく効くのだ。

 実際、効果はてき面だった。男はひっと息をまた呑み、震える声をあげた。

「や、やめてくれ!」

「やめるから、言えっての」

 冷ややかに告げる。男はぎゅっと下唇をかんでから、吐いた。

「……や、雇われたんだ、街の入り口で。ただそれだけなんだ!」

「街って、セイドゥールのよね? 誰に?」

 アンジェラが小首をかしげた。

「……おまえ達と、同い年くらいの……ガキだ」

「子供ぉ!?」

 素っ頓狂な声をアンジェラがあげた。

「やだ、やだなぁに? 子供に雇われてるの? 貴方? うわ、ダディそれはちょっと情けないわよ?」

「お、おどされ……!」

「脅されたんだ。うわ、情けなさ倍。それで、情けな脅されダディ? それは男? 女?」

 えげつない。

 放っておいたら男が泣き出しそうだったので、エリスは割ってはいる。

「そこまでそこまで。……で、そいつは、何?」

 ほっとしたように男が息を漏らした。アンジェラがつまらないと呟いているが、こっちは無視する。

「……少年だ。本人はダリードと名乗っていた。……かなり、腕は、立つ」

 ダリード。

 聞き覚えのない名前に、エリスはアンジェラと顔を見合わせる。

「知ってる? エリス」

「知らない。聞いたこともない」

「よねぇ。あ、あれかしら! 遠くから見つめるだけの少年の淡い恋心! もどかしくて、もどかしくて、歪んだ形で溢れ出る愛……!」

 放っておこう。

 アンジェラはとりあえず無視して、エリスは男に向き直った。

「――で? その少年はなんて? あたしを殺せとか?」

「おまえの……」

 男がこちらを指差してきたので、エリスはきょとんと瞬いた。

「……の?」

 おまえ『を』ではなくて?

 エリスを殺せだとか誘拐しろだとか痛めつけろだとか――そういったものだったら『を』のはずだ。なのに『の』?

 眉をしかめてもう一度問いただす。

「のって、どういうこと」

「……おまえの、ペンダントだ。それを、捕って来いと。それから、二人を殺せと。順番は逆でもいい、とは言っていたが。とにかく、ペンダントを捕って来いと言っていた」

「……月の、石を……!?」

 アンジェラがぎょっと叫び声をあげた。エリスは、それすら出来なかった。

 声が出ない。

 震える左手で、そっとペンダントの石を握った。ひんやりとした慣れた感触。小さな石だ。もう幾度となく握ってきた形は、しっかりと手のひらが覚えていた。

 月の石。女神ルナの使者、月の者が生まれてくる際握っている石――それを、狙っていた?

「……月の石を、この石を狙っていたの?」

「それをかどうかは知らん。ペンダントを、といっていただけだ」

(じゃあ、そうってことじゃない)

 エリスはやや呆然とした意識の中で呟いた。月の石をペンダントという形にしたのはエリスの父だが、それに使われている紐はただの――本当にただの安っぽい紐だし、そんなものを狙うわけがない。石だ。石が狙いなのだ。

 月の者の証である、石。だが、証以上の意味があるとも思えない。確かに握っていると落ち着いたりはしたが、それは生まれたときからのお守りみたいなところがあるからだろう。エリス以外の、例えばアンジェラなんかでも、そんなことはないと笑う。それはただの石だ、と。

 では――何故、狙う?

 宝石としての価値は高いだろうが――本当に希少品なんて狙うのはただの馬鹿だ。そんなものはあっさりと足がついてしまう。まして月の石など――売りさばくにはかなり不適切な代物だ。

 狙われる理由が、思いつかない。それが逆に不安だった。よく判らない何かが、渦巻いている。そんな気がした。

「……そいつは、何者なの」

「知らんといっただろうが。ただのガキだった。少なくとも、見た目はな」

 男が吐き捨てるようにいった。それから、ふいに思い出したように続ける。

「――と、ひとつだけ違うのは、おまえのそのペンダントの石と同じ物を、胸元につけていたことくらいか」

「――ッ!?」

 アンジェラが息を呑む音が聞こえた。いやに耳に残る。

「月の石を……持っていたの!?」

 エリスは思わずアンジェラを押しのけて、男の胸倉を引っつかんでいた。右手の剣が震えて小刻みに揺れる。

「そいつが月の石を、持っていたって言うの!?」

「そ……そうだ! そうだっ! は、はなしてくれ!」

 月の石を持つのは、月の者だけだ。そのはずだ。

 そして月の者は――エリス自身、自分以外には知らない。知らなかった。

 もしそれが事実なら、そいつは――……

「じゃあそいつも月の者だって言うの!? そいつはどこにいるの!」

「落ち着きなさい、エリス!」

 凛とした声に、錯乱しかけていた脳が静まり返った。アンジェラだ。

 彼女はエリスの左手を男の胸倉からはずすと、きっとこちらを見据えていってきた。

「こいつ、単に雇われただけよ。深いところまでは知らないわよ、きっと」

 そう言うアンジェラの瞳が、あいまいに歪んでいた。

「……アンジェラ?」

「サイッテーのタイミングね」

 アンジェラが吐き捨てる。意味がよく判らなかったエリスが視線で問い掛けると、アンジェラは小さく首を振った。

「まぁ、いいわ。とりあえずこいつら、役人に突き出しましょう。その後で……話すから」



 その後再び無言になってしまったアンジェラと一緒に、エリスはラスタ・ミネアを出た。そこで、警護兵と管理人に男達を渡す。

「エリス! アンジェラ!」

 ふいに響いた声に、振り返る。

「……パズー。カイリ」

 通りからこちらへ駆けてくる見知った人影の名を二つ、エリスは呆然と呟いていた。

 丁寧に切りそろえられた黒髪に、高価なめがねをつけた少年、カイリ。

 明らかに色彩を取り違えているとしか思えない服装と、金色の、気障ったらしい妙な髪形をした少年、パズー。

 エリスとアンジェラの男友達だ。ひみつ基地もこの四人で作った――言ってしまえばグループみたいなものだ。

 その二人はエリスたちの前まで走ってくると、そろって膝に手をついて身を折った。二人ともあまり、体力的なものはない。

「……何してんの? あんたたち」

 呆れたようなアンジェラの声に、まだしも体力のあるカイリが顔を上げてうめく。

「……心配してきたんですよ」

「心配?」

「……ぼ、ぼくの……」

 と、パズーが途切れ途切れに言葉を発する。

「……父上が……依頼……」

「……ああ」

 エリスはアンジェラと顔を見合わせて頷いた。パズーの父親、魔導医ジャックの依頼で、この森にきていたのだ。

 ラスタ・ミネアに生えている希少種の薬草『ティア・ドロップ』を採ってくる。それが依頼だったのだ。

「……父上、知らなかった、らしくて……その」

「魔物の大量発生?」

 助け舟を出してやると、パズーはこくりと頭を垂れた。

「ぼくが……気付いたら、とめた、んだけど……エリスも、父上も……はなしてくれなかったし……」

「……ごめん」

 気まずさにエリスはうつむいた。仕事をしているのは『計画』があるからだ。だがその『計画』はアンジェラにしか話していない。パズーにもカイリにも、幼なじみだというのに話していないのだ。

 アンジェラが嘆息をついて、二人に向き直った。

「ま、ありがと。でも大丈夫だったわよ、とりあえずはね、一応ね、何とかね、私はね」

「……どうかしたんですか、アンジェラ? ものすごく含みのある言い方ですけど……」

「べっつにー?」

 訊くカイリに、アンジェラはぷいとそっぽを向く。そのカイリが疑問符を飛ばしてくるが、理由はエリスも判らなかったので肩をすくめてみせた。

 アンジェラのわがままにはなれているのだろう、カイリが微苦笑をもらす。

「……まぁ、無事でよかったですけれど。本当に……心配したんですよ」

「……ごめん、ありがと。パズーもね」

「……うん」

 エリスが礼を言うと、パズーもカイリも穏やかに笑った。ずきりと、胸の奥が痛んだが――気付かないふりをした。

「……それで、エリス?」

 アンジェラがふいにこちらを向いて、

「今日はこれからどうするの?」

 問い掛けてきた。

「――……」

 思わず答えに窮して口を噤む。

 今夜、発つ。

 言うなら今が最大のチャンスだ。だが――

 ふと、見上げる。パズーとカイリ、二人の男友達の姿。

「……どうか、したかい?」

 眉間にしわを寄せるだけのカイリの変わりに、パズーが訊いてくる。

「あ、いや……」

 さっと前髪をかきあげて、言いつくろう台詞を探した。視線があいまいにさまよい、定まらない。

『計画』の話は二人は知らない。アンジェラには話したい。今夜発つと、今言いたい。だが、二人がいる前では……答えられない。

「……これから、あんたんち行くよ、パズー。ジャックさんの依頼、終わったから」

「……依頼、ですか」

 カイリのあいまいな響きを持つ声に、エリスは軽く笑ってみせる。

「うん。冒険者のマネゴトしたくってね、ジャックさんにお願いしたの。だまっててごめん。なんか、恥ずかしくてさ」

「……それだけですか?」

「そうだよ?」

 大嘘だ。アンジェラの顔が皮肉に歪んでいるのを視界の隅で確認したが、どうしようもないので気付かないふりをする。

「じゃ、いこっか。心配してくれてありがとね、二人とも」

 笑いながら歩き始めたが、カイリの顔にもパズーの顔にも、ただ疑問だけが残っていた。

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