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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第六章:『Azrael spins death――死を紡ぐ天使』
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3

 エリス、ゲイル、ミユナが出て行った後、部屋に残されたのは、荒い呼気の音だけだった。

 漏れかかるため息を飲み込み、ジークはきつく眉根を寄せた。

「ジーク」

 掠れた声に、閉じていたまぶたを上げる。冷たく細い少女の指を強く握りながら、声をかけた。

「なんだ」

 アンジェラは、まぶたを落としたまま、呟いてきた。

「エリスのこと、怒らないで」

「怒っちゃいねえよ」

「あの子、酷いこと、言ったから」

「慣れてるよ」

 苦笑し、彼はアンジェラの言葉を遮った。

(慣れてるさ)

 胸中でだけ、呟く。忌々しい呪いの言葉を吐かれるたびに、躍起になって会得した『人を救うための法技』は、万能ではない。届かないもどかしさは、常にある。ああいった言葉を吐かれるのも、目の前で泣かれるのも、何度となく経験している。

 ああいったもどかしさは、まだ耐えられる。呪いの言葉を吐かれるよりは、ずっとましだ。

 彼は、少女と繋がっている手とは逆の右手を見下ろした。左手とは違い、そちらだけグローブに包まれている。

「……お母様……」

 ふと聞こえてきた声に、ジークは少女へと視線を合わせた。眠っている。とはいえ、あまりの体調の悪さに気を失っているといっても、大差はないかもしれない。そんな顔色だ。

 すぐ隣りには、ドゥールも眠っている。この家の主――桜春<オウチュン>の養父――の計らいで、アンジェラとドゥールが横になれる場所を作ってくれた。少しは、休めるはずだ。

 ジークは、再度強くアンジェラの手を握った。

 夢をみているのだろう。おそらくは、家族の。

 どれだけ強く見えても、まだたった十三の少女なのだ。顔立ちにも、まだ多分に幼さを引き摺っている。ふいに気が緩めば、そんな言葉が漏れでるのも仕方ないだろう。

 淡い陰が落ちた寝顔。色を失った顔色。

 ――いやになるほど、似ている。

 顔立ちそのものではない。雰囲気と称せば一番近い、何か。彼女が、彼の元からいなくなったあの日が、重なる。

「イヴ……」

 ジークは、きつくアンジェラの手を握った。きつく。



「鈴ちゃん!」

 エリスは、一度少女の名を呼び、その流れで手にした剣を振るった。

 鈍く重い手ごたえとともに、血しぶきが上がる。顔にかかったそれを手の甲で拭う。鉄の臭いが、僅かな吐き気を呼んだ。

 倒れた魔物に、一瞬視線を落す。

 奪った命。もうもどらない。

 それを自覚して、剣についた血を拭った。顔を上げる。

「鈴ちゃん」

「どうして、来たネ」

 洞窟の中、低い呟きは反響して広がっていく。

 桜春を追い、エリスたちは町の奥まった場所から行ける洞窟へと辿り着いた。すぐに理解した。そこが、赤竜の住む場所だと。

 白竜の洞窟とは違い、導かれるといったようなことはなかったのだが、洞窟の入り口には、石碑が立っていた。

 古き英雄の名が刻まれていた――『赤き竜よ、炎の中で眠れ』の文字とともに。

 入ってすぐ、桜春の小さな背中を見つけて安堵したのだが、それも一瞬の間だけだった。

 目の前で、少女へと飛び掛った黒い肌の魔物がいたのだ。そして咄嗟にエリスは剣を抜き――今の状況へと、なった。

 だが、桜春が紡いだ言葉は、エリスの想像のどれとも違っていた。

「どうしてって……」

「どうして、来たの? 桜春言ったネ。この町から出てって!」

 きっと、少女の目が鋭くこちらに向けられた。そのあまりに真剣な瞳にやや押されながらも、エリスは桜春を見返した。

 こくりと喉を鳴らし、唇を薄くひらく。

「それは、貴女の立場でものを言った場合のこと。あたしたちの立場で物を言わせてもらうなら、それは出来ないことになる。あたしたちは、貴女を放っておくこともできないし、ましてやアンジェラやドゥールを見捨てるわけにもいかない。原因がはっきりしない限りは、治療法だって見つからないかもしれない。それに、あたしたちはあたしたちなりの理由があって、赤竜に会いたい。これだけそろっていて、追ってこないほうがおかしいでしょう」

「……」

 桜春が俯いた。その小さな肩に手を置いて、ゲイルが柔らかく声を出した。

「桜春……ちゃん」

 ややアクセントはぎこちなくはあったが、彼は確かにその名を呼んだ。桜春も驚いたのだろう。顔をあげた。

「桜春ちゃん。君、知っているね? あの症状が何か」

 その考えは、エリスにも無論あった。ミユナも、同意するかのように頷いている。視線をしばらくさまよわせた後、桜春は小さなため息をついた。

「……霧のせいネ。この霧は、赤竜の吐息ネ。毒をもっているから……長く吸っていると、病気になっちゃうのネ。特に、咆哮が聞こえたときは、毒素が強まるから……」

「……毒」

 桜春が、こくりと頷いた。その顔も、若干白くなっている。

「おかしいだろう……」

 うめいたのはミユナだった。寒気を抑えるためだろうか――実際には、寒気も何もないのだが――自らの両腕を抱きながら、彼女は柳眉を寄せている。

「四竜は魔獣じゃない――聖獣だ。人間に対し友好的な生物なんだ。圧倒的な知力と生命力と魔力をもってしても、人間に対して害を及ぼすことはまずありえない」

「じゃあ今のこの状況は!?」

 桜春の悲鳴に、思わずエリスたちは顔を見合わせた。つい、いつもの癖で、隣りにあるはずの手を握ろうとしてしまった右手を拳の形に握り、呟く。

「――ルナ」

 白竜のときと同様に、女神ルナが関わっている。その可能性が高かった。

 右手を解き、胸元のペンダントに触れる。

「行こう」

 一声だけ呟き、エリスたちは駆け出した。



 意外だったのは、桜春だった。幼い少女――下手をすれば幼女といっても過言ではない年頃――だ。ある程度足手まといになることも、エリスたちは覚悟していた。保護しつつ進むことになるだろうと。だが、その心配は杞憂に終わった。

 驚くほどの身体能力が彼女にはあったのだ。瞬発力だけで言えば、エリスにも引けを取らないかもしれない。それはすなわち、ゲイルやミユナよりも上と言うことになる。

 体機能の出来上がっていない年齢の少女が、それだけの動きをしてのけたのだ。

 洞窟は奥へ進めば進むほど、『赤竜の洞窟』らしさを漂わせてきている。

 赤竜が司る火の属性――つまりは、炎の熱気に近しいものが多くなってきたのだ。無論、自然のものと言うわけではないだろう。近くに活火山があったのは確かだが、それそのものではない。魔力による炎が、所々、岩の間から噴出してきたりしていて、かなり危なっかしくはある。

 そんな洞窟の中を進み――どれくらいが、たったときだろう。

 不意に桜春が足を止めた。

「たぶん。ここネ。この、細い通路を抜けた向こうが、赤竜の間」

 ミユナが作り上げた魔導の無機質な灯りに照らされ、桜春は細い指を通路に向けた。

「気をつけてね。行くよ」

「良くここまでいらっしゃいました」

「っ、誰!」

 ふいにどこからともなく降ってきた声に、エリスは適当に叫び声を上げた。

 既視感に襲われる――それが、いつ、どこで起きたものだったか。我知らず脳内で巡る記憶の中に、現在の状況とほぼ同じものを見いだす。

 星祭の夜。ダリードが、姿を消したあの直後――それだ。

「あのときの……!」

 足を引き、腰を落とした戦闘体勢をとる。右手は、柄へと伸びていた。人差し指に慣れた傷跡の感触。

 桜春を背後に庇い、一歩前へ出る。すぐ隣りにゲイルが並んだ。

 その、エリスとゲイルのすぐ目の前の空間が、滲んだ。

 ややもしないうちにその滲みはすぐに元へと戻り、だが、ひとつの人影を景色の中へ落としていった。

 魔導の白く無機質の灯りの下でも、その女の美しさは際立っていた。

 麦色の豊かな髪は編みこんである。すらりと伸びた四肢に、真っ直ぐに前を見据える瞳。年齢は判らない。確実に仲間内の誰よりも上だろうが、面立ちはどことなく幼くも見えた。いたずら好きの子供を思わせるかのような瞳が、それに拍車をかけているのかもしれない。

 剣はまだ、抜かない。だが、鼓動が知らずに高まっていた。体中が、危機を訴えている。

 この女は、危険だと。

 だが、女はそんなこちら側の内心など無関知のようで、ただ穏やかな笑みを向けてきた。

 柔らかい女声が、降ってくる。

「こんにちは。エリスさん。みなさん。エリスさんとミユナさんは……実際にお会いするのは初めてですわね」

 ざわりと、肌が粟立った。膝が震えはじめている。目の前の女は、ただ笑って佇んでいるだけだ。武器も何も持っていない。なのに、何故――自分はこれほどの恐怖を感じているのか。

(恐怖……)

 その考えに思い至り、エリスは奥歯を噛み締めた。馬鹿げているとしか思えない感情に動揺しては、戦えるものも戦えなくなる。

 だが――その感情を覚えたのは、何もエリスだけではなかったようだ。

 すぐ隣りで、気配が揺れた。横目で見やると、蒼白した面立ちで、ゲイルが後退さっていた。

「ゲイル……?」

 ゲイルのすぐ後にいたミユナが、彼の背を支えた。ミユナに支えられた体勢のまま、ゲイルが震えた悲鳴をあげる。

「何故だ……」

 女の頬に浮かんだ笑みが、きつくなった。

「何故、ここにいる! アザレル!」

 裏返った声は、まさしく悲鳴と呼ぶに相応しいものだったろう。ふらついた彼を支えながら、ミユナが女からは視線をはずさずに問い掛ける。

「ゲイル。こいつは一体誰なんだ」

 その言葉に、女は、驚いたように口を覆った。大仰なしぐさで、苦笑してくる。

「あらあら。わたくしったら。自己紹介を忘れていましたわね」

 まわりの状況にも動じず、女はゆっくりと口を開いた。

「――アザレル・ロード。魔導技術開発研究所――あなたたちにすれば、ラボといったほうが判りやすいかしら。そこの、研究所長を務めております」

「ラボの……!」

 瞬間、エリスは躊躇うことなく剣を引き抜いた。

 正面に構え、アザレルを見据える。

 だが、アザレルは髪の毛一本ほどの動揺も見せずに、やんわりと笑むだけだった。

 ゲイルがミユナの手を振り払い、数歩前へ出た。

「アザレル! よくもダリードを……!」

「嫌ですわ、ゲイル」

 ふぅ、と大げさなため息が、アザレルの口から漏れる。血色の紅がひかれた唇をつりあげ、

「酷いですわよ? わたくしは、貴方の母親も同様なのに、そんなことを言うのですか? それに」

 アザレルのきついまなざしが、一瞬、笑みを含んだままエリスに注がれた。

「勘違いされては困ります。あの子を殺したのは、わたくしではありませんよ? まぁ、多少お手伝いはしましたけれど、あの子を殺したのは、貴方のすぐ隣にいらっしゃるエリスさん。そうでしょう?」

 ゲイルの視線が、横顔にぶつかる。それを、肌で感じた。

 気まずさを覚えたのか、彼の視線はすぐに感じなくなったが、それでも、心中に痛みを残すには充分だった。

 剣を――彼を殺した剣を再度握りなおし、ゆっくりと息を吐いた。

 アザレルを、見つめる。

「そう。そうだよ。ダリードを殺したのは、あたし。でも。あんたを許すなんて出来ない!」

「せっかちなお方」

 こちらの声の、半分よりもずっと小さな声量で、アザレルは言葉を遮った。

 小さく首を振り、笑顔で告げる。

「わたくしは、とりあえずの挨拶に伺っただけですのよ。ミユナさんも、大きくなられましたね」

 洞窟内に、波紋が落ちた。

 止水に雫が落ちたときと同じように、それは広がって――その場の空気を波立たせる。

 ミユナの目が見開かれていた。

「……何故、あたしを知って……」

「直接的には、今初めてお会いしました。ただ、よくお話は伺っていましたから」

 まるで、久々に出会う親戚の子供を見つめるかのような、邪気のない笑みで――アザレルは吐いた。

「レイスさんとナタリアさん。――貴女のご両親から」

「てめぇっ!」

 怒声が上がった。

 弾かれたように走り出したミユナは、そのまま素手でアザレルに掴みかかろうとした。だが、その手がアザレルに届く瞬間、ゲイルが彼女を後から抱きとめた。

「駄目だ! ミユナ!」

「放せよ! 何が駄目なんだ! こいつが、こいつが関係しているのかも知れねぇんだ! お母様と」

「今君が殺されてどうするつもりだっ!」

 羽交い絞めにした体勢のまま、ゲイルが叫ぶ。その内容に、一瞬、ミユナの体から力がぬけた。

「君のご両親は、そんなことは望んでないはずだろう。今は、耐えてくれ。苦しいかも、知れないけれど」

 少しの時間があった。怒気に染められたミユナの瞳が、アザレルを見据えつづけ――ややあって、視線が下へ落ちた。

 アザレルは、ただ、笑う。その笑みだけは、少女のように。

「それにしても。皆さんおそろいとは……桜春、貴女にも会えるなんて、思ってもいませんでしたわ」

「……鈴ちゃん……?」

 視線を、肩越しに投げる。幼い少女の顔は、地面に向けられていた。表情は、読み取れない。

 ただ、その小さな薄い肩が、震えているのだけは確かだった。

 エリスの頭の中に、次々へと名前が浮かんでいった。

 倒れたアンジェラ。死んだダリード。殺した自分。ラボに人生を狂わされたといったジーク。その彼女だったイヴと言う名の女性。ゲイル。ドゥール。そして、ミユナとその両親――桜春。

 その全てに、目の前の女が関わっていると、したら。

 我慢など、きくはずもなかった。



 エリスの喉が悲鳴を上げた。

 剣を構えたまま、エリスは大地を強く蹴っていた。

 何も、考えられなかった。

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