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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第六章:『Azrael spins death――死を紡ぐ天使』
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 活字を活字として認識することを、脳が拒否していた。

 胸中に詰まっていたかのような息を、細く長く吐き出し――エリスはテーブルに突っ伏した。

「頭から煙ふきそう……」

「出来るならやって見せてくれ。楽しいから」

 笑いを含んだ口調で、目の前の少女がそう答えてくる。

 窓の外はすでに暗く、光源は室内のランプだけだった。

 安宿の一階にある、宿泊客用の談話室。そこには、粗雑なテーブルがあった。粗雑でありながら、そのくせ割と質の良いテーブルクロスを敷いているのは、宿の主人の趣味なのかもしれないが。

 そのテーブルクロスに頬をつけながら、エリスは視線だけで少女を見上げた。

 銀青色の瞳が、宝石のように輝いている。

「ミユナって実は意地悪い……?」

「今さら気付いたのか? ていうか、自分で希望したんだろうが。嫌ならやめるか?」

「やる」

 即答して、身を起こしなおす。テーブルの端に追いやっていた分厚い本を手元に引き寄せて、しおりをはさんでいたページを広げた。

 ミユナが苦笑を浮かべるのが判る。

「なぁエリス。あんま無茶すんなよ? 休んだって構わないんだぞ」

「やるよ。ごめん、続きお願い」

「エリス」

 窘めるような響きが、含まれる。エリスは下唇を噛んで、ミユナを見上げた。

「駄目?」

「駄目ってわけじゃなくて。あたしは構わないが、お前この間からずっと気を張り詰めっぱなしだろ。こんなの、急にやるようなもんでもないだろうが。あんなことがあったばかりなんだし、休んだほうが」

「あんなことがあったから、だよ」

 ミユナの言葉を遮り、低く呟いた。装丁の荒い分厚い本の活字を指でなぞりながら、ミユナの視線を受けたまま、呟く。

「……今、知っておきたいんだ。手遅れにしたくはない。あたしは、知らないことが多すぎる」

「エリス」

 答えずに、本を睨む。小さな嘆息の後、ミユナが自分の手元にあった本を開けるのが判った。

「ありがと」

「後一時間だけだ。今日はもう、それ以上はやらない」

「……判った」

 頷く。

 ミユナは軽い嘆息を再度ついた後、こちらの手から本を奪ってきた。

「ちょっ」

「本は要らない。復習。この世界プトネッドにおける神の使者の種類と、その特徴、能力は?」

 まるきり教師のような口調に、一瞬ひるむ。椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた。ちらちらと、ランタンの火が揺れている。

 談話室の暖炉近くにある機械時計――こんな安宿に機械時計があること自体不思議に思えたのだが、よくよく考えれば、このテーブルクロスだってそれなりの代物だ。この宿の主人は、実はそれなりに裕福なのかもしれない――の規則正しいときを刻む音に耳を済ませて、目を閉じる。

「プトネッドにおける神の使者――は。プトネッドにおける四つの大陸全てに関係してあり、四タイプに分けられる。……えーと」

 指を折りながら、考える。目を閉じたまま、エリスは続けた。

「プトネッドにおける四つの大陸は……神聖大陸ユアファース。魔聖大陸パンドラ。知識大陸ラフィス。それから、魔導大陸ルナ、で」

 活字が脳内で踊り始めるのを自制しながら、目をあける。

「それぞれ、ユアファースは光の女神アイテールが、パンドラは暗黒神エレボスが、ラフィスは知識神プロメテウスが、ルナ大陸は……はぐれ月神ルナが治めており、神の使者とは、人間の中で神々の力を受け継いで生まれてきたとされる特殊能力者をさす。……ここまではあってる?」

「ああ。補足するとすれば、神々の力――の神々とは?」

「前述した四大神のみに限られ、他の数多神は除外される、でしょ?」

「正解」

 ミユナが頷くのを見て、安堵の息が漏れた。髪をかきあげて、再度言葉を続ける。

「よって、それぞれの大陸における神の使者は呼称も能力も特徴も違う。えっと」

「神聖大陸ユアファース。光の女神アイテールの使者とされるのは?」

 テーブルに頬杖をついたまま、さらりと言ってくるミユナの言葉に、一瞬戸惑いはした。が、気を取り直して、先ほど読んだばかりの記述を思い出す。

「神族。特徴として、神族は必ず女性。また、左胸に蝶型の痣がある。能力は……身体能力の高さと、後、知りえない事象を知ることも出来る……だっけ」

「はずれ。その能力の後半は、完全人のほう。知識神プロメテウス、ラフィス大陸の神の使者のほう」

「えー」

 あっさりと不正解を渡され、エリスは声をあげて再度テーブルに突っ伏した。と、頭上から声が降ってくる。

「エリスってやっぱり馬鹿よね」

「アンジェラ……人がこんな必死なのに……」

 頭の上にかかる重みに、アンジェラが肘をついているのだと判る。少し前から背後に気配は感じていた。

「だって、それ、授業でやったじゃない。何で判らないのよ。馬鹿でしょ」

「出てないんだって……だから、ほとんど」

「自業自得」

「うーるーさーいー」

 軽口をたたいて、頭を振る。アンジェラの手が頭の上からなくなってから、エリスは振り返った。

 アンジェラのアメジストの瞳が、笑みの形に歪んでいた。目が合い、思わず小さく頬が緩む。

 いつも通りの、勝気な笑みを浮かべたアンジェラは、こちらの視線を振り切り、テーブルの空いている場所に座った。

「ミユナ、どーお? お勉強は進んでる?」

「あんまり。だってこいつ、飲み込みわるい」

「うあ、きつ……」

「って言うか、馬鹿なのよね、単純に。ごちゃごちゃ考えすぎ」

 あっさりと告げたアンジェラは、テーブルにおいてあった黒板を引き寄せ、チョークを手に持った。

「いーい? 単純よ。だいたい全ての物事は四つに大分できるの。これも同じ」

 黒板に、大きく四つの丸を書き、アンジェラはその中に文字を書きいれていった。

「A、B、C、D、と分けるとしましょ。Aはユアファース。Bはパンドラ。CはラフィスでDがルナね」

 四つの丸に、それぞれの大陸名が書き込まれる。

「で、A。ユアファースは、光の女神アイテール。神の使者の名は神族。特徴は女性のみ、左胸の痣。能力はオール・キュア。癒しの能力」

 Aとかかれた丸に、その事柄が全て書き込まれていく。アンジェラはそのまま、隣のBと書かれた丸にうつった。

「こっちはB。パンドラ。暗黒神エレボス。使者は魔族。特徴は右掌に目……視覚器官ではないらしいけど、まぁそれがあるってこと。男女。能力は物理現象を『なかったことにする』らしいわね」

「ちょ、ちょっとまって早いって!」

「次、C。ラフィス。知識神プロメテウス。使者は完全人。別名オール・ノウズ。特徴は額に古代文字での痣。能力は、さっきあんたが間違えた奴ね。膨大な知識と絶大な処理能力があるらしいわ。時には知りえないはずの事象も知るらしいわね」

 いいながら、アンジェラはそれらをさくさくと黒板に書き込んでいく。――エリスが止めるのも聞かずに。

「最後、D。これは簡単ね。ルナ大陸。はぐれ月神ルナ。別称は月と狩猟の女神セレネ。使者は確認するまでもないでしょうけど、月の者。特徴は、生まれたときに持っているとされる月の石と、基本的に高い身体能力。それから」

「――月の者の能力は、他の神の使者と違い個別、と。多種多様」

 ミユナの補足に、アンジェラは満足そうに笑った。それをそのまま黒板に書き込み、エリスの前に示してくる。

「はい、おしまい。簡単でしょ?」

「いじめですか……」

 渡された黒板に、細かく書き込まれた文字をみて、エリスは口中でうめいた。

「だって、エリスが勉強したいなんて言い出したんでしょ?」

「そうだけど、簡単じゃないし……これ」

「簡単よ。なんなら、魔導についても勉強する?」

「それ以上はドクター・ストップだ」

 ふいに割り込んできた声は、ジークのものだった。

「誰がドクターよ似非神官」

「似非じゃねえっつの。大体、望んでもいないのに俺は最近エリスのお嬢ちゃんの専属医と化している気がする」

 否定できず、エリスは曖昧に笑ってみせた。背の高いジークは、半分身をかがめながら、グローブをはめた右手でこちらの頭を撫でてきた。

「どうだ、具合は?」

「平気。ミユナのくれた痛み止め、すごい効くし。怪我は、まだやっぱ時々違和感とか痛みとかはあるけど、一応ふさがったみたいだし。ありがと」

「寝てるか?」

「……頑張ってる」

 苦笑して見せると、ジークは軽く頭を小突いた。そのまま、テーブルの上の本を片し始める。

「ミユナも、アンジェラのお嬢ちゃんも、こいつにあんま無茶させんなよ。放っといたら、自分で加減が出来ないらしいからな」

「判ってるわ。エリス馬鹿だもん」

「あたしも気をつけてる」

「……」

 どういう目で見られているのだろう、と思わず半眼になりながらため息が漏れた。とはいえ、それを完全に否定することも出来ないのが情けないかもしれない。

 と、不意に宿の入り口が開かれ、人影が現れる。

「あ、ドゥール。おかえりー」

「ああ」

 無言で入って来たドゥールは、こちらから声をかけると、淡白に頷いてみせた。マントを脱ぎながら歩いてくる。

「どこ行ってたの?」

「……いや。馬車の時間を調べてきた」

 ドゥールは言いながら、こちらの手元を見下ろして眉根をひそめた。

「何をしている?」

「お勉強。ラボに行くんだから、ちょっといろいろ知っておかなきゃって思って教えてもらってた。特殊能力者とか、そういうの。あと、竜もあるし」

「そうか」

 頷いたドゥールのその言葉が、低い音だったので、エリスは軽く首をかしげた。

「どうかした?」

「なんでもない。それより、赤竜のことだが、レジック・タウンにいるらしいな。明日の朝、近くの乗り合い馬車停から出発すれば、夕方前にはつく」

「調べたの?」

「ああ。もう寝ろ。朝は早い」

 その言葉を残して、ドゥールは早足で二階へと上がっていった。

 後姿を呆然と見やりながら、エリスは思わずぽつりと呟いた。

「へんなの」



 安らぎの丘から幻想街道を進み、辿り着いた小さな町、レジックは、絵本の町とも称されるほどの可愛らしい場所だ。

 その名の由来になったのは、その町にある家々の壁だ。フレスコ画で有名なこの町は、一般民家の家壁まで、美麗に彩られているのだ。通りによっては、家の並びがそのまま童話のフレスコ画になっている場所すらある。

 そんな町なのだが――いまは、ゆっくりと見学できるものでもなかった。

 馬車に乗っている間から、違和を感じてはいたのだ。だが、降り立ったときに、その違和感は確信へと変わった。

 時計がないので何とも言えなかったが、勘で時間を推し測る。といっても、それが上手く働かない。

「えーっとぉ。エリス、ひとつ訊いてもいいかしら」

「いいけど、たぶん答えられないわよ」

「何でこんな霧がかってんの」

「知らない」

 即答すると、他のメンバーからも同時にため息が漏れた。鼻をつく異臭と、そして肌に気持ちわるいほどの湿気。――霧だ。

 視界が通常の半分以下でしか利かない。まだ夕方前だというのに、街灯には火が灯っている。

 ストレイツァ独特の、飾り看板の多いメイン通りには、ぽつりぽつりとその灯りが、まるで道しるべのように続いていた。

「なんか変な臭いもする……気持ち悪い」

 言いながら、アンジェラがそっとこちらの腕をとってきた。よくよく見ると、顔が青褪めている。

「アンジェラ? ちょっと、大丈夫?」

「……うん」

 小さく顎を引いて、肯定の仕草を示してくる。後ろで、ゲイルやドゥールの囁きも聞こえてきて、エリスは顔を向けた。

「大丈夫?」

「あ、おれは、なんとか。ただ、ドゥールが」

「ドゥール?」

 ゲイルの戸惑いがちな声に視線を移すと、ドゥールが立ち尽くしたまま、俯いている。

「ちょ、ドゥール?」

「大丈夫だ」

 そう答えるドゥールの顔は、アンジェラと同様青褪めている。ジークが、右手で鼻をこすりながらドゥールに目をやった。

「お前さん、寝てるか?」

「何がだ」

「いや? 外的要因からすぐ体調が悪くなるのは、寝不足の場合が多いからな。訊いてみただけだ」

 ジークの言葉には答えず、ドゥールは先に歩き始めた。

「……なぁ」

 と、ふいに黙っていたミユナが口を開いたので、そちらに視線を投げる。彼女は自らの腕を抱いたまま、眉をしかめて虚空を見上げていた。

「変なこと、言ってもいいか?」

「変なこと?」

 反復すると、一拍だけ呼吸を置き、ミユナは口を開いた。

「精霊の気配が……全くしないんだ。どうなってるんだ?」

「え……?」

 ミユナの言葉の持つ意味を考えようとした、そのときだった。

「きゃあっ! 邪魔ネ! どいて欲しいネー!」

 甲高い、舌足らずの声が聞こえた。と思った瞬間には、エリスは衝撃を受けて地面に倒れていた。

 まだ包帯を巻いたままの二の腕に、一瞬強烈な痛みが走り、歯を噛み締める。

 身体にのった重みに、混乱しながら目を開けた。

「きゃあ、ごめんネ!」

(どんな訛りだ)

 聞こえてきた声に、反射的にそんな言葉が浮かぶ。ジークに通じるような、アクセントのひどい訛り。語尾上がりのきつい響きは、ある意味でジーク以上だった。

(間違った環境で言語を覚えればこうなるのかなぁ……)

 痛みがもたらすぼんやりとした現実逃避に、脳がそんな言葉を吐き出した。と、視界にその声の主の顔が割り込んでくる。

 まるい輪郭に、引っ張れば気持ち良く伸びそうな桃色の頬。左右二つに、まるく結い上げられた髪型は、あまり見慣れない雰囲気を醸し出している。宝石球を埋め込んだかのような丸い瞳と髪は、艶やかな黒色をしていた。

「大丈夫ネ? 痛くないネ?」

 エリスの頬を撫でながら、不安げに言葉をかけてくる。

 見た目十歳前後の、小さな黄色人の子供だった。

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