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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第四章:The cave of a white dragon――白竜の住処
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6

 何かが間違っている、と思った。三人とも、どこかで歯車がかみ合っていない。向かっている場所は、同じようにも感じたが、だが――

「それで、あんたはあたしを……あたしたちを、殺すんだよね」

「ああ。そうなるな」

 ゆっくりと、エリスは頷いた。先ほどの言葉と同じフレーズを、ミユナに再度かける。ミユナはややためらった後、教えてくれた。

「……生命の湖のほとりに、丘がある。安らぎの丘と呼ばれている。そこに一本の巨木がある。そこなら、判りやすいだろう」

「ありがとう。……ダリードくん、そこで決着、つけよう」

 言う言葉に、力が入らなかった。それも疲労のせいだろうか。

 ダリードが片眉を跳ね上げるのをみて、エリスは続けた。

「ここは、ふさわしくないよ。それに、今は。……ゲイルとドゥールは、あんたを止めたいって言ってる。でも、ドゥールは、あんたを殺したくはないって。ゲイルは、殺してでも止めるって言ってるけど、でも、あたしは家族が殺しあうのはやっぱり、見たくないよ。……甘い考えだとは自覚してるけど」

「エリス……」

 囁きが、ドゥールの声だと気付いたが、振り返らないまま、エリスは無理やり口の端を上げた。

「でも、あんたを止めなきゃあたしは死ぬ。あたしは死にたくはないし、それにアンジェラを守りたいから。だから、あたしはあんたを止めなきゃいけない。殺してでも」

 殺して、でも――

 頭痛がした。だが、そんなことはどうでもよかった。

「それで、さ。……今はこんな状態だから。こんな状態で戦って殺して、奪っても……しかたない、でしょ? そういってたよね。あの時」

 言っていたはずだ――怪我をしたエリスを助けてくれた、あの時に。

「それに、ここじゃあまりにも場所が、ね。相応しい場所を用意しよう。どっちの最期になるか判らないんだから」

「! 何馬鹿なこといってるのよ、エリス!」

 叫んできたアンジェラに、エリスは小さく笑って見せた。

「大丈夫、できるだけ死なないようにするからさ」

「エリス!」

「……アンジェラ。これは『あたしが決めたこと』なの」

 再度アンジェラが言葉に詰まった。卑怯だとは思った。こんな時に約束を持ち出すのは――だが、それでも、アンジェラはこちらを睨み据えた後、視線を外した。止めてはこなかった。

「エリス……馬鹿よ」

 呟きだけは、耳に残った。

 ダリードは少し黙考した後、きびすを返した。こちらの条件を呑んでくれたのだ。

 遠ざかっていく、彼の、決して大きくはない背が言葉を発する。

「――そこで、最期だ」

「ダリード!」

 歩き出したダリードに、ゲイルが悲痛な呼び声を投げた。

「ダリード……どうしても、おれたちと敵対するつもり、か? どうして、今になって……」

「今までが異常だっただけだ。……あんなラボについていたなど、吐き気がする」

 その言葉に、ゲイルは再度視線を落とした。長い間をおいて、少年の姿が闇にまぎれて見えなくなった頃に、ようやく呟きを漏らした。

「そうかも、しれないな」



『彼の者は、月の者だな?』

 ダリードが立ち去ったすぐ後に、そう言葉を発したのは黙していた白竜だった。

 無理やり顔を上げ、エリスは白竜に向き直った。

『赤髪の少女よ。そなたと、そちらの黒髪の少年もだな』

「……はい」

『少女よ、名は?』

「エリスと申します」

 白竜の血色の眼を見上げ、エリスはしっかりと言葉を発した。

『エリス、か。人間の少女よ。我はジェイフェス。女神ルナとともに、この大陸を見つづける四竜がいち。――そなたたちは、ルナの意思を聞きに来たのだな?』

「……それは」

 そのことは、正直に言えばどうというわけでもなかった。ただ、会って証明したいだけだったのだ。四竜全てにあっても、自分自身でいられるというそのことを。あの――少年に。

「私は違います」

 そういったのは、ミユナだった。彼女はきっと視線を上げ、

「私は――貴方の――」

『皆まで言わずとも判っておる。ミユナよ』

「……私の、名を……」

 一瞬戸惑ったようなミユナの言葉に、白竜は淡々と告げた。

『我は風を司る。そして風は情報を運び来る。すなわち我は、風と情報を司っているのだ。だからおぬしらのことも、今になってすべて知った』

 少しだけ間をあけると、順にこちらをみて、白竜は続けた。

『――全て、だ。情報としてあらゆる事はな。エゼキエル……ミユナ。そなたたちのこともだ』

 ぐっとジークの肩に力が入った。彼はまた、癖のようにグローブに包まれた右手を握ったり開いたりと繰り返しながら、うめくように言葉を発した。

「ほぅ……? さすが、四竜さまといったところか? だが……言わないで頂きたいね。俺は、てめぇのケツはてめぇでふく。俺自身のことを他のやつから言って欲しくはない。例えそれが、白竜。あんたであってもな」

 喧嘩を売るようなその口調に、白竜は全く動じた様子も憤慨した様子もなかった。

『良い心構えだ』

「白竜様」

 ミユナは、すと膝を落とした。胸に手をあて、敬礼の仕草をとって頭をたれている。

「私は、グレイージュ公国の公女。ミユナ・レイス・デュ・グレイージュ。私は、貴方にお尋ねしたい事があってここにきました」

「あ……」

 あの夜のことだ、と反射的に理解した。エリスは視線をミユナに落としたまま、彼女の言葉が続けられるのを待った。

「レイス・バルム・デュ・グレイージュ。ナタリア・トーマ・フォン・グレイージュ。この二つの名は、お判りですか?」

『そなたの両親、だな』

「はい」

 ミユナはゆっくりと頷いた。

「率直に、お尋ね申し上げます。私の両親は……今、どこにいるのでしょうか。本当に、亡くなったのでしょうか……?」

 アンジェラが、きょとんとした顔を見せていた。

「レイス……さまと、ナタリアさま……っていうと。前女王陛下と、閣下よね……?」

 代々の女王国家であるグレイージュの、先の女王の名前がナタリアだ。エリスは記憶の中の世界史の教科書をめくり、曖昧にうなずいた。

「だったと思う、けど。お二人って、十年前にお亡くなりになられたんでしょ? 馬車の事故か何かだって、かいてたと思うけど……」

「そう言われている」

 口をはさんだのは、ミユナ本人だった。地面に膝をついたまま、かぶりを振っている。

「だが……王家の、棺には。墓には。――死体がないんだ」

 しん、と一瞬にして空気が止まった。

「……死体が、ない……」

「そんな馬鹿な――」

 上滑りする声をあげたのは、自分自身とジークだった。ミユナはこちらに目を止めると、苦々しい顔でうめいてきた。

「……十年だ。十年。その事実が隠蔽されて……!」

 ばんっと、ミユナは地面を叩きつけた。顔を上げ、悲痛な叫びを上げる。

「ジェイフェス様! お教えください! 私は、真実が知りたいのです!」

 昨晩のミユナの言葉が思い出された。

 ――真実が判らない痛みを知っているか――

(これのこと……なんだ)

 エリスは知らずに高まってきていた鼓動を静めるために、胸元のペンダントを握った。

 沈黙が長かったのか、それとも短かったのか、判断できなかった。時間の感覚も疲労で上手く働かないのか、それ以外の理由があったのか。

 ややあって、ゆっくりと白竜が口を開いた。

『真実は……そなたたちの手中にある。今我が言えるのは、それだけだ』

 瞬間、ミユナが悲鳴を上げて立ち上がった。見ていられず、思わず顔をそらした。

「何故です! 貴方は……! 貴方は情報を司る! ならば真実を知っておられるはずだ! 何故お教えいただけないのです!」

『ミユナよ』

 白竜の呼びかけは、決して強いものではなかった。音としては。だが、ミユナはその言葉に二の句がつなげられなくなったらしく、呆然と立ち尽くしたまま白竜を見上げていた。

 その横顔は、端整ながらどことなく幼くさえ見えた。

『我が司る情報は、非常に曖昧なものだ。情報とは、全てを有する。それが事実であれ、そうでなかれ、全てだ。そなたの欲しているものは、そのような曖昧なものではないであろう?』

「そ、れは……」

『真実が知りたければ、己の手で掴むが良い。――残りの四竜に出逢えよ。知識を司る赤竜。過去を司る黒竜。そして、未来を司る蒼竜――すべての竜に出会えしとき、そなたの中の真実が目を覚ます』

 白竜のその言葉に、ミユナはただ俯いただけだった。影になった横顔からは、何も窺い知ることは出来なかった。

『皆も同じだ。全ての竜に出逢えよ。さすれば道は開かれん。特に――赤髪の少女、エリスよ』

 唐突に名を呼ばれ、エリスはたじろいで顔を白竜に向けた。

「あたしです……か?」

『ああ、そなただ』

 戸惑いながらも、だがエリスは顔をしっかりと上げ、白竜を見つめた。

「なんでしょうか」

『鍵はそなたの手中にある。そなたの中の真実の力が目覚めしとき――ルナの意思が判るであろう。それが我に言える精一杯だ』

 白竜の言葉に、皆の視線が集まるのをエリスは肌で感じた。知らず閉じていたまぶたの裏に、ちかりと光が点滅する。

 ――鍵――ルナの意思――

「あたしの中の……真実の力」

 うめきは、口中だけで留まった。じっと俯いた視線が、またぐるぐると揺れ始めた。疲労しているのだろう、やはり。

『――我は、もう少し眠りにつく。女神は狂い始めておる。そして、そなた達を待ち望んでおる。我が意識を拘束されていたのは、そなた達の力を目覚めさすためだった』

 白竜の言葉は、遠く聞こえた。

 地面が、徐々に迫ってきていた。

『だがそれは叶わんことだ。全ては、我だけでは叶わない。――人間たちよ。そなたたちの力を見せてくれ』

 ざっ――と、頬に冷たい感触がした。

 ぼやけた視界の中、アンジェラのアメジストの瞳だけははっきりと確認できた。それが安堵感をうんだ。小さく、頬に笑みが浮かぶ。

「エリス……」

 不安げなアンジェラの囁きに、青い何かが見えた。目を凝らすと、それは彼女が握っていたバンダナだと知れた。風に吹かれて飛んだ、エリスのバンダナだ。

「それ……拾ってくれたんだ。ありがとう」

 自分自身の声さえ、ひしゃげすぎていて聞き取れなかった。だがアンジェラになら伝わるだろう――実際、アンジェラはかすかにだが笑って、頷いてきた。

「これ、どうしたの? 珍しいわよね、あんたにしたら。青いものなんて」

 視界が暗くなったのは、まぶたを閉じたからだろう。

 自覚はあったが、急速な睡魔に逆らうことが出来なかった。

 夢魔の懐に抱かれる寸前に、エリスは小さく、本当に小さく囁きを漏らした。

「カイリに……貰ったんだ」

 地元の――故郷の古い友人の名。

 それが、とても昔のことのように思えて、ただ苦笑とともにエリスは夢へと堕ちた。



 夢を見たのだ。

 水路に囲まれた街並みの夢を。

 その場所にいたとき夢見ていたのは、冒険というものだったのに。

 どことも知れない場所で眠りについたとき見た夢は、なぜか戻りたくもないはずの故郷の面影だった。

 それが何故なのかは、エリス自身考える余裕などなかったが。



「――そう。行くのね、ミユナ」

 エカテリーナは、温和な笑みを浮かべたままそう告げた。

 妹であるミユナを前にして、少しだけ、寂しそうな口調で。

「うん。……ごめん、姉さん。これだけは譲れないんだ。真実を知りたいんだ、どうしても……」

 窓からの陽光が、部屋を照らしていた。だれもいない、二人だけの部屋は、どうしても広く感じざるを得なかった。少なくとも、エカテリーナにはそうだった。一人のときよりは、ずっといいとしても。

 チェアに腰掛けたままエカテリーナは、ふんわりと笑った。

「貴女に話していなかった、私の責任でもあるものね」

「姉さんの責任はないよ。……ただ、どうしても納得がいかない。それだけなんだ」

 そう呟くミユナの姿に、いつもよりも幼さを覚え、エカテリーナはそっと立ち上がった。

「どれくらいに、なるのかしら」

「判らないよ。……全ての四竜、なんて、広すぎて。それに、エリスたちのこともある。エリスたちが抱えていることが、どうしたって関わってきちまのは目に見えてるから……」

「そう、ね……」

 窓の外を見る。白竜が自己を取り戻したおかげで、寒風は治まり、同時に冬精霊にも影響が出た。

 徐々に太陽光が明るくなり、雪解け水を多く川に流している。郊外では、それがはっきりと判るだろう。窓から見える市街では、多少判りづらくはあったが。

「帰って、くるわよね?」

「あたりまえだよ!」

 弾かれたように、ミユナが顔を上げた。それを微笑んで見つめる。

「必ずよ、ミユナ。必ず戻ってきて頂戴ね」

「あたりまえだよ。姉さんを一人になんて出来ない」

 そう言ったミユナを、エカテリーナはそっと抱きしめた。細い体にたぎる、真っ直ぐな力が愛おしかった。それが、自らの妹であるということが、とても誇らしく思えた。

「エリスの目がさめて、みんなが落ち着いたら出発するよ。でも、必ず戻ってくるから、待ってて……」

「ええ。待っているわ、ずっと。私も、アペルも……みんな、ね」

「……カーチャ、姉さん……」

 妹が自分のことを愛称で呼ぶ。それが、とても宝物のような響きに聞こえた。

 その愛称は、いつも両親が呼んでくれたものだったからだ。

「真実を、掴んできて頂戴。ミユナ。貴女ならきっと、出来るわ」

 エカテリーナは、細く震える妹の背を撫でながら、言葉を発した。

 その瞳に、好ましげな優しい光をともして。

 細いミユナの体が、揺れていた。背を撫でる。彼女の心には、あの頃から晴れない冬の暗雲が覆っているのだろう。

 けれど、きっと冬は明ける。

 この街のように、必ず。

 それが、今は遠く見えても。

「ミユナ……」

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