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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第四章:The cave of a white dragon――白竜の住処
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2

 シュタンバルツ宮殿は、青と白で彩られた荘厳な建物だった。

 距離はまだかなりあるというのに、一度にその全貌を視界に収めることも出来ない。

 視線を左から右へゆっくりと移動させ、エリスは微かに吐息を漏らした。

 グレイージュ公国は、もとはスキル帝国から派生した小国だった。当時の女公爵がスキル帝王に与えられた国という領土。だが、月日がたつにつれてスキル帝国の力は衰え、今では完全に立場が逆転してしまっている。小国になってしまったスキル。そして、ルナ大陸四大国がいちに数えられるグレイージュ。

 未だに公国のままなのは、スキル帝国の精一杯の抵抗なのかもしれない。公爵以上の爵位は与えられていない。

 だが、実際はほぼ王制ではあるし――絶対王政ではないが――女公爵も、正式な場面では女公と呼ばれるが、それ以外ではほとんど女王と呼ばれており、国民も、またスキル以外の他国も、公国という認識は捨てつつある。

 その国を象徴する建物、シュタンバルツ宮殿――そこはたしかに、美しい建物だった。

 この国のほかの建物と比べれば、まだ若干色合い的にはおとなしい。白を基調とし、壁面は青く色付けられている。丁寧に刈られた芝生の緑は鮮やかなコントラストを生んでいた。

 庭園には大きな噴水――水は出ていない――があり、少し離れたところには青い天に伸びる、尖塔もあった。

 巨大な宮殿。シュタンバルツ宮殿。

 エリスたちはそこに案内された。



「ねぇ、エリス。このままでいいわけ?」

 エリスたちを謁見の間に通し、待つようにと言ったあとすぐ、アペルは姿を消した。

 アペルの姿が見えなくなると同時に、アンジェラが小声で問い掛けてきた。エリスもとりあえずバンダナだけは外し、服の皺を伸ばしながら、

「さぁ。アペルさんは特に何も言わなかったから、構わないんじゃないの? ……あんま心地よくはないけどさ」

 ぶつぶつ呟くと、アンジェラも同意するように肩をすくめた。その様子をみていたゲイルが、どこかきょとんとした顔で訊いてくる。

「何か、まずいことでもあるのかい?」

「まずいっていうか、一般常識的なもので、よ。公族に逢いに宮殿へ足を踏み入れるのに、正装もしてないんだからさぁ」

「そういうのが、常識なのかい?」

「……」

 あまりにずれたゲイルの言葉に、エリスは軽く沈黙してドゥールを見やった。ドゥールはこちらの視線に気づくと、いつも通りの平坦な声で、

「俺たちは基本的に、ラボから出ることはないからな。そんな『常識』は必要がない」

 ラボから出ることはない。

 その言葉に、エリスは軽く頭をたれた。その様子を察したのだろう、ジークがこちらの頭をぞんざいになでてくる。

「マグナータ家もライジネス家も、貴族だからな、その辺りが気になるのは仕方ねぇだろうが、まぁ、気楽に構えとけ」

「……マグナータの名前を持ち出さないで」

「はいはい」

 小さな呻き声に、ジークがひょいと肩をすくめた。アンジェラが小さく嘆息をつき、天井を仰いでいるのが視界にはいった。

 と――

「お待たせ致しました」

 アペルの声に、エリスはすっと背を正した。

 入り口から入ってきたアペルが、エリスたちの横に並び、謁見の間の奥――そちらからも出入りができるのだろう――に向かって敬礼の姿勢をとる。暫くして、奥の扉が開かれた。



 重々しい、重厚な扉。細部まで細工を施されたそれをあけ、一人の少女が出てきた。

 周りの空気をもかえてしまいかねないような美しさ。

 我知らず息をのみ、エリスはその少女を凝視していた。

 曲線の美しいシルバーのティアラと、銀色の腰まで伸びたストレート・ヘア。真っ青なドレスは、白い肌とのコントラストが効いていた。

 すっと惹かれた淡い色のルージュと、まつげの長いアイスブルーの瞳。背は高く、すらりとした四肢の美しさ。

「姫さま。エリス様方をお連れいたしました」

 右手のこぶしを、自らの左手のひらにあわせ、胸元にひきつけた敬礼の姿勢のまま、アペルは静かに口をひらく。

「ご苦労様です。お下がりなさい」

 鈴のような柔らかな声音が、少女の唇から漏れる。その言葉に恭しく頭を下げたアペルは、すっと隣に身を引いた。

「あ……」

 ふいに、隣のアンジェラが小さな声を漏らしてきた。

「エリス。あの子、広場の管楽器の子」

 言われて、昨日のプローシャッチ・エリカで聞こえたあの管楽器の音色を思い出す。なるほど、確かに神秘的なアイスブルーの瞳は、あの時一瞬あったそれだ。

「エリス様、ですね。わざわざのご足労、感謝いたします」

「……いえ。もったいなきお言葉にあります。お招きいただき感謝いたします」

 ほとんど反射的に言葉が口をついて、エリスは胸中でこっそりとため息を漏らした。嫌がっていても、癖というものはなかなか抜けないらしい。

 少女は白い頬に僅かに笑みを浮かべ、

「急に呼びたててしまい、申し訳ありませんでした。貴女方にお会いしたかったのです。許してくださいませ」

 そう言うと、すと一歩前に出てきた。

「いえ。その……ご用件は?」

 訊ねると、ふっと少女の顔に今度ははっきりとした笑みが浮かんだ。少女が、手の甲で口を覆い、くすくすと笑い声を漏らし始める。

「へ……?」

「……壊れちまったかい?」

 ジークの皮肉な物言いに、さらに少女は笑い声を高くする。くすくす、だった笑い声がどんどん高くなり――

「……悪ふざけを」

 ふいに聞こえた声に振り返ると、ドゥールが苦い顔でたっている。

「ドゥール、知り合いなの?」

「……あのな」

 ドゥールが深々と嘆息を漏らした瞬間、笑い声はいっそう高くなった。屈託のない声に、ぎょっとして目をやると、少女がしきりに肩を震わせている。

「お、おまえら……気づけよ」

(お……おまえ!?)

 あまりといえばあまりの言葉に、一瞬目を見開く。だが、少女は取り合わずに笑い声の隙間から言葉を投げ出してきた。

「あたしだよ、あたし。ミユナ!」

「……へ?」

 その言葉が脳に浸透するまでに、数秒の時間を要した。ミユナ――といえば、精霊の聖地で出会ったあのオカリナの少女――

(……)

「ミユナァ!?」

 その情報が、目の前の少女といちいち合致することに気づき、エリスは素っ頓狂な声をあげていた。

 少女――ミユナはくつくつと笑い声を上げながら、

「そーだよ。ったくもう、こっちが冗談で堅苦しい芝居してんのに、ドゥールつったっけか、そっちの兄ちゃん以外全く気付かねぇんだから」

「……何故気付かんのだおまえらは」

 呆れ返った口調のドゥールに、視線が集中する。暫くして、吐息がアンジェラの口からすべりでた。

「うそぉ……」

「こんなたいそれた嘘つけるかい阿呆」

 さらりとミユナが笑う。何故気付かなかったのだろう、と思いもう一度見やり――理解する。化粧と、オーラだろう。

 女性にとっての化粧は、それだけでずいぶん印象が変わるものだ。身にまとっているオーラも、あのときのようにはつらつとしたものではなく、落ち着いた公族ぜんとしたものだった。理解できなかったのも仕方ない――と思う。

 確かに、共通項はあるのだ。アクセントや、見た目や――だが、気付かなかった。

 呆然としているこちらをよそに、ミユナは何とか笑い声を飲み込むと続けてきた。

「改めて自己紹介するよ。ミユナ・レイス・デュ・グレイージュ。ここ、グレイージュ公国の現第一公女」

 公女――と、いうか、つまりは王女――

「……お姫さま」

「なんだその苦湯を飲み込んだみたいな呻き声は」

 苦笑でいってくるミユナに、力なく首をふる。まさかその通りです、とも言えない。

 世の中とは判らないものだな、となんとなく悟ってみたりもする。

「それで。お前らがこの国にきたってことは、あれだろう? 白竜に逢いに来たんだろ?」

 ミユナの言葉に、エリスは視線を上げた。ゆっくりと頷く。

「はい」

「敬語はなしだっていったろ。――けどま、意外だったりもする」

「意外……?」

「あの様子じゃ、どうしたところで来たがりはしないだろうって思ってたからな」

 あっさりとそう言われ、エリスは続ける言葉を見つけられなかった。

「女神ルナの言いなりになることになる。――そいつは、理解しているんだろ?」

「……言いなりになんてなりません」

 低くうめく。確かに、四竜に逢えとは女神ルナの――あの幻影の――指示だ。だが、それを否定するために、逢う。否定するための証拠としたいから逢う。それだけだ。決して、言いなりになどならない。

 ちらりと、ドゥールに視線をやる。彼は――逢う、のだろうか。エリスにとっては、逢うことには意味がある。メリットがある。だが、彼にとってはデメリットしか思い当たらない。

「ドゥールは、逢う、の?」

 訊ねると、ドゥールはその黒瞳を揺らがせもしないまま即答してきた。

「逢う」

「それは……何故?」

 彼は一度腕を組んでから、はっきりとした口調で言って来た。

「逃げつづけるのは性にあわない。事態を見極める」

「……そっか」

 軽く頷く。ミユナはその様子を見た後、アペルのほうに向き直った。

「て、なわけで。おつかれさま。いまからちょっと姉さんに会いにいきたいんだけど。姉さんは公務中?」

「え。いえ。自室でおくつろぎになられているかと」

「あ、ラッキ。ありがと」

 そのまますたすたと歩き出したミユナに、アペルが慌てたような様子で、

「あの、姫さま」

「んだよ」

「以前から何度も言っておりますが、その、お言葉遣いは」

「るせ」

 あっさりとその言葉を切り捨てると、ミユナはこちらに向き直って笑った。

「姉さん――この国の女王にあいに行こう。話はすでにつけてある。白竜伝説に付いて詳しいのは、姉さんなんだ」



 ミユナについて、宮殿の中を進む。広い宮殿の中を暫く歩き、この国の女王と呼ばれるその女性に面会することになった。

「あら、ミユナ。そのお方たちが、貴女が逢いたいと言っていたエリス様たちかしら?」

 やわらかな声音は、トーン自体はミユナによく似ていた。声だけではない。雪の光を集めたかのような銀髪も、冬の泉のような瞳も、パーツだけとってみればミユナと酷似している。血の繋がった姉妹というものは、これほどまで似るものなのかどうか、エリスにはよく判らなかったが。

 ただ決定的に違うのは、身にまとうオーラだろう。穏やかな春の陽射しのように柔らかいオーラを纏うこの女王と、晴れ渡った夏の空のようなオーラを纏うミユナと、そこだけは大きく違った。

 エリスは軽く礼をし、

「エリスと申します。こっちは、幼なじみのアンジェラ。それから」

「えーと。ゲイル・コルトナルです。こっちは従兄弟のドゥール」

 ゲイルがいつも通りののんびりとした口調で挨拶をする。ジークはにやりと笑って続けた。

「で、俺がこいつらの保護者で、エゼキエル・アハシェロス。――ジークとお呼びください。お美しい女王様」

「誰が保護者よ誰が!」

「女王を口説かないで……」

 エリスとアンジェラの抗議に、ジークはただくつくつと笑うだけだった。ミユナが、苦笑を漏らす。

「面白いな、おまえら。――で、だ。エカテリーナ・レイス・フォン・グレイージュ――カーチャ女王。あたしの姉さんだ」

「はじめまして。エカテリーナと申します。ミユナから話は聞いています。妹がお世話になったようで」

「へ? あ、いえ。お世話になったのは、こちらのほうです。助けていただいて」

「あら、そうでしたか」

 女王――エカテリーナは変わらない穏やかな口調のまま、微笑した。

「どちらにせよ、私からお礼を言わせてください。ミユナの――妹のご友人になって頂いて、ありがとう」

「姉さんってば」

 ミユナが照れたように笑う。仲の良い姉妹なんだな――と、少しばかり羨ましさを伴う感情が、エリスの胸のうちに湧いた。

「それで、その。白竜のことなんですが」

「ええ。調べてあります」

 エカテリーナは一度頷き、

「この街の外れに、洞窟があります。通常は出入り禁止になっているのですが、ご希望とあればこちらから伝達をまわしておきますわ。伝承を調べた結果では、そこが白竜の洞窟とされています――ただし、ご内密に。ことが漏れると争いの火種になりかねませんので」

 四竜は、守護聖獣と謳われる。別に住み着いた国に何らかの作用を及ぼすわけではないが、理屈はともかく他国の――特にこの国の場合、上位に当たる割に敵対関係に近いスキルや、領土争いが時折勃発するセイドゥールの――狙う種になりかねない。だからこそ、なのだろう。情報がいやに手に入りにくかったのは。

 公室だけがその情報を代々手にしている、ということなのか。

 ミユナがあの場で正確な場所まで言わなかったのは、この辺りが原因なのかもしれない。

 エリスはこくりと頷き、

「理解しています。女王。情報、感謝いたします」

「いいえ。それから――ご存知だと思いますが、白竜は風を司っています。現在の大陸間で起こっている異常現象の一環で魔物が増えてきていることはご存知でいらっしゃいますか? 白竜の洞窟にも、その兆候がないとはいえません。万が一に備えてご準備なさることをお勧めいたしますわ」

「判りました。お心遣い感謝いたします」

 アンジェラが、芝居がかった様子で腕を広げて笑う。

「居たとしても、私がいるから平気よ、エリス」

「……でた。魔導バカ娘」

「ちょっと、どういう意味よ、エリス!? 白竜は風でしょ? 風属性なら、火と土に弱いはずだもの。私が得意とするところよ」

 ぱちり、とウィンクを飛ばしてくるアンジェラに、ミユナが笑顔を向けた。

「頼もしいこって。道案内はあたしがしてやるから心配しなくてもいい。まぁ、こんだけ情報ありゃ何とかなるだろ。まだ調べたいことあるなら、公室図書つかってもいい。お前らは読めるようにまわしとくからさ」

 さて、と――と呟き、ミユナはドレスのすそを翻して歩き出した。

「悪いけど、ちょっとついてきてくれないか? あたしの自室へ案内する」

「へ?」

「話したい事があるんだ」

 そう言ったミユナの目が、一瞬――ほんの一瞬、切なげに翳った気がして、エリスは何も言えず、ただ、ついていくしかなかった。

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