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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第三章:『It is a wish to a star――願いかけた短冊』
21/76

4

「月がないわね」

 アンジェラのその言葉に、エリスは顎を上げた。

 夕焼けに赤く染まった空は、しばらく前に藍色にその姿を変え、今はいくつかの白く輝く星を抱いて広がっている。

 話を聞いた後、しばらく宿で休んだのだが、気づくと何故か祭の準備に借り出されていて、今にいたる。

「ホントだ。もしかして、新月なんじゃない?」

「もしかしなくても、新月だ」

 不意に聞こえた隣からの声に、エリスは顎を上げたままそちらを見やった。ジークだ。

「終わったの? 結界?」

「ああ」

 ジークは本人が言ったとおり、村の周りに保護結界を張ったらしい。エリスにはよく判らないのだが、魔導――法技であれ、魔法であれ――には、ある一定の波動があり、ジークの張った保護結界は、その波動を中和し、打ち消すものだという。

 ただし、中和できるもののは限度があるそうだ。その限度を一応エリスは耳にしたのだが、実際のところ、さらさらと魔導の専門用語らしきものを用いて説明されても、判らなかった。

 ようするに、強すぎる魔法だか法技だかは、結界に関係なく使えることもある、ということだろう。最もジーク曰く、よほどじゃない限り使えないそうだが。

「星祭は、大抵この時期の新月の夜にやる。毎年日付が変わる祭なんだよ」

「へぇ? なんで?」

「月がないほうが、二つの星は出会いやすいだろうが。一年に一度だけ出会えるんだ。月明かりに邪魔されて互いの姿が見えないよりは、見えるほうがいい。だろ?」

「まぁ、そうかも、ね」

 ジークの言葉に、エリスは曖昧に頷いて見せた。実際理屈としては判るのだが、どうにも隣にいる大男の口からそれを聞くと、胡散臭さが先に立ってしまうのだ。さすがに、本人を目の前にそんなことは口には出来ないのだが。

「こっちも終わったよ、飾り木」

 薄闇の中からの声に目を向けると、ゲイルとドゥール、二人がゆっくりと歩いてきていた。

「もうすぐはじまるってさ、星祭」

 ゲイルは軽く笑いながら、隣に並んできた。ドゥールも、だ。

 村中央の広場には、細長いウィッシュ・カード――短冊が飾られた枝垂れ木。子供たちが、いまや遅しと周りを取り囲んでいる。

 そのざわめきの中、エリスはそっと、右隣に立つゲイルたちの顔を盗み見た。

 いつもと変わらない穏やかな表情で、ゲイルは子供たちと、周りで変わった民族衣装を着ている大人達を交互に見つめている。

 ドゥールは、広場のかがり火をじっと見つめている。引き締まった頬が、赤く揺れている。灰色がかった黒瞳を微動だにせず――

「あれ?」

 ふと覚えた違和感に、エリスは我知らず声を漏らしていた。ドゥールが、こちらを向いてくる。

「なんだ?」

「や、えーと。なんか、微妙な違和感が……」

 少しばかり背伸びをして、違和感のもとを探ろうとドゥールの顔を見据え、ようやっと気づいた。

「ドゥール、目の色、違う?」

 自分でも呆れるほど間の抜けた声で、エリスは呟いた。

 ドゥールは一度目を瞬かせてから、ああ、と低く頷いた。

「左目の色、か?」

「うん。そっちだけ灰色っぽくない? 気のせいかな」

 綺麗な黒瞳なのだが、よくよく見ると、左目だけが僅かに灰色がかっているのだ。

「気のせいではない。今まで気付いていなかったのか? 俺は『月の者』だぞ?」

「へ?」

 いまいち判らなく、首をかしげる。ドゥールは呆れたような嘆息を漏らし、

「月の者には色素異常が付きまとう。知らない訳ではないだろう?」

「あ……」

 言われてみれば、確かにそうだ。エリスはこくんと頷いて見せた。ドゥールは、再び炎に目をやり、低く呟いてくる。

「色素異常とは限らないのだがな。月の者の持つ力は巨大すぎて、人の身には余る。だからこそ、肉体的、もしくは精神的に異常をきたす。大体が色素異常だが、俺のように、それだけではない場合もある」

「……どういうこと?」

「俺の左目には、ほとんど視力がない。それだけだ」

 あっさりとそういわれ、エリスは口をつぐんだ。何を言うべきかも、判らない。それは――もし、今後再び戦うことになれば、有利に働く情報だろう。弱点だ。左側からの攻撃には弱いはずだ。覚えておいて損はない。それは判った。

 けれど、それを肯定してしまうには、何か釈然としない思いもあった。

 この二人と、ジーク、そして、ダリード。――女神。

 渦巻く何かが、危ういバランスで成り立っているのだろうか。自らの包帯に包まれた手のひらを一度見下ろし、エリスは軽くかぶりを振った。

 自覚できるのは、今、自分とアンジェラが、ひどく不安定なロープの上に立っている、そんな状況だけだ。それでも、渡りきらなければならない。落ちてしまえば、もう後はないのだから。

 と、ふと甲高く透き通った音が広場に響いてきた。笛の音――だろうか。

「ケーナね」

 アンジェラが、どこか浮き立つような声で言った。

「ケーナ?」

「どこだったかしら。忘れちゃったけれど、どこかの民族楽器よ。あ、ほら、あれ」

 と、アンジェラの指差したほうを見やる。細い縦笛が、いくつも横に連なってひとつの笛になっている――といえばいいのだろうか。変わった形のそれを、色鮮やかな帽子をかぶった男性が吹いていた。

 いち小節程度吹き終えると、男性は口を離し、告げた。

「おお人々よ、祈られよ。汝の願い、祈られよ。今こそ祭は始まらん。二つの星は空で出逢わん。さあ、祈られよ、祈られよ」

 ぱっと、周りに集まっていた子供たちが立ち上がった。互い互いに手を組み、空に掲げあう。柔らかい子供独特のたどたどしい声で、謳う。

「再び出逢えしその時よ。我ら祝いしその夜に。我らの願いを叶えたまえ!」

 それが――星祭の始まりだった。


 さきほどまでの不穏な関係が嘘のように、ゲイルたちはともに祭を楽しんでいた。

 ゲイルとジークは、何故か酒の飲み比べを始めてしまい、村人達の喝采を浴びている。ジークはともかく、ゲイルが全く顔色を変えずに笑顔で飲み続けているのは、多少なりとも驚きはしたが、それ以上の感慨を抱くわけでもなかった。

 それよりも、二人がどんな思いでああいう事をしているのかと考えてしまう。だが、二人とも互いの内心はおくびにも出さず、まるでぱっと見では仲の良い友人同士のように酒を飲み交わしている。

 何を考えているのだろう――?

 祭だから、関係はなかったことにして楽しもうというのか。それとも、村の人たちを考慮して楽しんでいるふりをしているのか。あるいは、明日には本当に敵として対峙する可能性も踏まえ、今夜だけ腹の探りあいをかねて共にいるのか。いくつかの可能性は考えられる。推測だけは、いくらでもできる。だが、二人に直接訊ねるのはどうにも躊躇われた。

 アンジェラはアンジェラで、ひさびさに娯楽らしきものに触れたのがうれしいらしい。音楽を奏でる人々の横で、時折歌を口ずさみ、あるいは楽器について語り合っている。それを邪魔するのも忍びない。

 エリスはしばらく迷った後、ぼんやりと空を見上げているドゥールに近寄った。

「なんのようだ?」

 こちらから声をかけるより先に、ドゥールが言ってくる。

「あ、いやべつに……」

 ぼんやりと答えつつ、つられるように空に目を向けた。深い藍色のビロードが空を覆っている。なるほど、星祭の名に相応しく、いくつもの星が力強く瞬いていた。

 月のない夜が、ひどく懐かしく思えた。

 そう自覚をすると、何故か急に眠気が襲ってきた。昨晩寝付けなかったせいもあるだろうし、精神的に疲れたのもあるだろう。

 祭は確かに楽しそうだが、無理はしないほうがいい。眠れるときに眠っておかないと、まずい。特に今は――ダリードのことがある。彼は、すぐ傍に来ているはずなのだから。戦力的、体力的にものを考えると、睡眠はとっておいたほうがいいにきまっていた。

 きらきらと白く輝くたくさんの星を見上げ、エリスは呟いた。

「先に、寝るね。悪いけど。伝えておいてくれる?」

「わかった」

 あっさり頷いたドゥールに、一度視線を戻す。特に、何も思ってはいないように、いつもどおりのポーカーフェイス。その横顔を見てから、生あくびを飲み込んで、エリスは何も言わず歩き出した。顎だけは上を向け、星を目に焼き付けて――

「おやすみ」

 ふいに聞こえてきた声に、軽く振り返った。ドゥールの言葉だった。多少なりとも驚きが胸中に浮かんだが、それは表には出さず、こくんと頷いてみせる。

「おやすみなさい。ドゥール」

 言葉を返してから、胸中でぐるぐると感情が渦巻いた。再び彼に背を向けてゆっくりと宿のほうへと足を向けつつ、思う。

(悪い奴……じゃ、ないの、かな。仕事がなかったら……普通の奴なのかな)

 我知らず漏らした溜息は、星ぼしの間に溶けた。


 目覚めて、窓からの朝日がなかったことに、エリスは小さな苦笑を漏らした。まだ夜中、なのだろう。視線を動かすと、アンジェラが眠っている。すでに星祭は終わったらしい。もったいないといえば、もったいないだろう。それでも、体のきれが眠る前に比べて数段よくなっているのが自覚できる。それだけでも充分だ。

 軽く首を回して、窓の外を見やる。深い濃紺の空に、就寝前より多く、きらきらと星が輝いていた。

 なんとはなしに、エリスは立ち上がり、ベッドの横に立てかけてあった剣を手にとった。まだ強く握ると両手のひらに痛みが走るので、戦闘はできないだろう。だが、昨晩のことがあって、丸腰は不安が強すぎた。

 剣を無造作につかみ、少しばかり迷ってから、エリスは部屋の扉に手をかけた。理屈のつけられない胸のしこりと、そして――胸騒ぎ。なんとなく、外に出たかったのだ。

 扉を開け、廊下に出るとすぐ――ゲイルと顔を合わせた。

「あれ、エリスちゃん。起きたのかい?」

「あ。うん」

 ゲイルは、となりの部屋を開けようとしていたところらしい。

「今、何時ぐらいかな」

「さあ……この村、時計がなくてね。たぶん二時ぐらいじゃないかな。星祭が十二時に終わったから」

「そんなに長いこと騒いでたんだ……。あれ? ゲイルは、寝ないの?」

 訊ねると、ゲイルは苦笑を浮かべて、手に持っていたカップを掲げて見せた。水が入っている。

「ジークが、飲み潰れちゃってさ。世話してたんだ」

 その言葉に、軽くこめかみに手をやった。確かに、二人は飲み比べをしていたが――

「ゲイルが勝ったんだ……?」

「うん」

 あっさりと頷くゲイルの顔には、ひとかけらも酒のあとは残っていない。赤くもなっていなければ、言動がおかしいわけでもない。しっかりと、両足を床につけて立っている様も、問題ない。相変わらずのどこか間の抜けた笑顔で、こちらを見下ろしている。

 それで、ジークに勝ったと言うのだから、まぁありていにいって驚きに値するだろう。

(人って見かけによらないんだよねぇ)

 そんなことをぼんやり思っていると、ふいにゲイルが、

「エリスちゃんは、こんな時間からどこかへ行くのかい?」

「あ……うん。ちょっと、外に」

「一緒に行こうか? 外は危ないよ? また、怪我したらどうするんだい?」

 まるで妹を心配する兄のような口調で、言ってくる。それが非常に心地悪く、エリスは視線を逸らした。

「大丈夫。村からは、でないし。剣も一応、持ってるし」

「持ってても……そんな手じゃ、まともに使えないだろ?」

「大丈夫だから」

 まだ何かを言い募ろうとしてくるゲイルをぴしゃりと言葉ではねつけ、エリスは彼に背を向けた。薄暗い廊下が、伸びている。背後から、それでも穏やかさは失わないゲイルの声が飛んでくる。

「判った。気をつけてね」

(それは、あたしが死んだりしたら、『仕事』に影響が出るから言ってくれるの?)

 反射的に口をつきそうになったその言葉を、何とか飲み込んで、ただエリスは頷いた。何が真実なのか、実際よく判らなくなっている。

 一度だけ軽くまぶたを下ろし、それからゆっくりと、エリスは歩き出した。


 祭の後の静けさは、何故か寂しさが薫る。

 人のいなくなったアレモドの村は、先ほどまでの賑やかさが嘘のように佇んでいた。

 月明かりもなく、薄暗い村の中をゆっくりと歩む。

 湿っぽい林の空気を深く肺に送り込むと、それだけで頭がすっきりしていった。確かに、混乱はしている。事実は判らない。けれど、おやすみといったドゥールの、気をつけてといったゲイルの言葉に、その言葉本来の意味もしっかりこめられていたのは、事実だろう。偽りではないはずだ。そのことは、判った。

 足をするように、歩く。砂がこすれる音が耳に残る。

 広くない――というより、きっぱりと狭い――村を、ゆっくり時間をかけて一周する。そして、気づく。少し奥に続く道があった。まだ村の内部といった感じだろう。道もしっかりつくられている。

 一度腰につけた剣に触れる。指先だけは、包帯から出ているので、慣れ親しんだ柄の傷がはっきりとわかる。それが、安堵感をうんだ。大丈夫、だろう――そう判断して、エリスはその道を進んだ。左右の木々が、視界の大半を占めていた。

 星明りだけが頼りなので、少々足元は不安だったが――それでも問題なく進み、ふと、視界が開ける。

 そこは、小さな広場になっていた。この林自体が、登り気味になっていたせいだろう。広場の端からは、下の木々が見下ろせた。だが、それを視界に入れるよりもはやく――エリスは、ひとつの背中を見つけ、硬直した。

 中背の、ほぼ同い年くらいであろう少年の背中。

 銀色の髪と、褐色の肌。

 ――ダリード。

 反射的に、足をひいた。剣の柄に触れ、息を呑む。

 だが、不安とは裏腹に、数メートル向こうの少年は、振り返って淡白な口調で、告げた。

「心配するな。ここでは俺の力は出せない。殺しはしない」

「……へぇ?」

 引きつる喉を無理やり上下させ、音を発する。無理やり肩をすくめて見せ、

「なんで? 殺しに来たんじゃないの?」

「殺しにきた。だが、出来ないのだ」

 あっさりと言うと、ダリードは今度は体ごとこちらを向いてきた。

「この村は、結界を張っているな? だから力が出せない。それだけだ」

(ジークの結界、だ)

 内心、安堵の息を漏らした。助かった――と、正直に思う。ダリードの動きは、魔法らしく、よめなかった。けれど、ただの体術なら負けはしないはずだ。今なら、こちらに分があるはずだろう。

 けれど。彼の目的は――

「……ねぇ。訊いてもいい?」

「なんだ」

 エリスはしばらく躊躇った後、薄く唇を開いた。

「あんた、この石――月の石。狙ってるんでしょう? ゲイルたちは、知らないみたいだけれど」

 ダリードの眉が、ピクリと跳ねた。それを見て、エリスは少し左右に頭を振る。

「言ってないよ。内緒にしてる」

「それを、よこしてもらおうか。殺すことは出来なくても、それを貰い受けることはできるからな」

 じっと、エリスはダリードの目を見据えた。

 今、頭の上にある夜空と同じような、透き通った黒。白く瞳の中に星が見える。混じりけのない――瞳。

 

『ダリードも、プレシアも、大切な家族なんだ』


 ふいに脳裏にゲイルの声がよみがえる。痙攣するまぶたを抑え、エリスはそっと首の後ろに手を回した。

 それを、はずし――放り投げる。

 紅色のそれは放物線を描き、ダリードの手の中にすっぽりと収まった。

「なんのつもりだ」

 睨みつけるようなダリードの目に、戸惑った顔の自分が映っている。それを見て、エリスは苦笑を漏らした。

「さあ」

 自分でもよく判らない衝動だった。けれど、それを思いついたとたん、投げていた。

 月の石を。

「――それ、渡すから。もう、いいから。だから、話がしたい。あんたに訊きたいこと、いっぱいあるんだ。今夜だけ、休戦にしない?」

 と、軽く顎を上げた。

 藍色の空に、無数の星が広がっている。

「せっかくの、星祭なんだし」

 ざわりと風が流れた。普段ならバンダナに覆われていて、多少なりとも抑えられる赤毛が、ばさばさと揺れた。手のひらでそれを押さえつけ、じっと待つ。

 しばらくの沈黙。

 ややあって、ダリードが動いた。

 こちらとは反対に、広場の端に向かい、こちらに背を向けて腰をおろした。

「かまわない」

 風に乗って流れてきた無愛想な声に、エリスは戸惑いながらも、それでも自然に浮かぶ笑みを消すことが出来なかった。

 星はいくつも、何もいわずに瞬いていた。

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