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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
序章:『旅立ちの日 ―The Starting Day』
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 緑が濃い。柔らかく降り注ぐ太陽光は、木々の合間からまるでレースのように肌に模様をつけていた。

 それにしても――

 一体何匹目なのだろう。

 エリスはそれを思うと嘆息を漏らした。二十三まで数えて、そこからは数えるのをやめた。数えれば数えるほど、疲れが増す気がしたからだ。

 斬り倒したばかりのそれ――見た目は狼、しかし鱗付きの魔物――を見下ろして、エリスは右手に持っていた剣を振った。剣についた血がびゅっと飛ぶ。けれど飛びきらない血油がぎらぎらと気持ち悪い。血の臭いはとっくに感じなくなってはいたが、やはり胃のあたりがむかむかとした。

 ――まったく、今夜の剣の手入れはいつもの倍はかかるだろう。

「あーもー、ちょーむかつくぅ!」

 横手からの甲高い声に、エリスはもうひとつ嘆息を追加した。この台詞は十七回目だ。こっちは倒した数より少ないので覚えていた。それにしても、いいかげんうざったい。

「アンジェラー。だまってよもー。あんたの声でいらいらする」

「だって! ちょーうざいよ!」

「だからそれはあんただって」

 こちらを振り返ってくる少女に、エリスは半眼を投げた。ぷっと頬が膨れているのは拗ねている証だ。顔を真っ赤にして、息も上がっている。

 紫色の瞳に、腰まである黒くつややかなウェービー・ヘア。エリス自身と違って白人で、アンジェラの名前のとおり天使のような外見だ。黙っていれば可愛いのに――とは思うが、悔しいので一度も本人に言った事はない。幼なじみという照れくささもあるが。

「だって! 多すぎ! 何匹倒したのよう、もう。少なくとも三十は倒したわよう……」

「……三十超えてたか……」

 再度、溜息。溜息ひとつに幸せがひとつ逃げていく、と聞いたことはあるが――だとしたら、あたしはこの瞬間にいくつ幸せを放り投げたのだろう、とエリスは苦笑した。

「ねぇ、エリスぅ。何でいきなりこんなことになってるわけ? ここ」

 今さら聞いてくるアンジェラに、エリスは頭痛を覚えた。

「あんた……今まで何も知らずに戦ってたわけ……?」

「うん」

 あっけらかんと頷くアンジェラに、エリスはこめかみをもんだ。

「……さっき、入るとき言われたでしょうが。大陸全土における異常現象のため、魔物が大量発生しています、って」

「……そだっけ?」

「聞きなさいよヒトの話!」

 あまりにあまりな言葉に、思わずエリスは怒鳴っていた。アンジェラが人の話を聞き流すのはいつものことだが、自分の身が危機にさらされるような重大な内容まで聞き流してもらっては困る。

「だって、長いし。あの管理人の話」

「……ああもうー。わがまま娘! 魔物が異常に発生してんのよ! 無駄に! 多く! なってんの! 判る!?」

「そりゃ、戦いまくってるから判るけど。なんで?」

「……もーいい……」

 その理由が判らないからこそ、最近大陸中で国家単位の会議が開かれているのだ。いまもその真っ最中で――エリスの両親も、アンジェラの父親もその会議に出ているはずだ。マグナータ家は騎士家系だし、アンジェラのライジネス家は男爵位を持っている貴族なのだから。しかしその一人娘がこれでは、なんともまあ――ライジネス男爵は、子育ての才能には恵まれなかったらしい。

「あーもう。ほら、とっとと進むよ。ティア・ドロップ見つけてさっさと帰ろう」

「えー。せっかくここまで来たんだから、旧神殿よって行こうよー」

「だったらさっさと進めっての!」

「あ、冷たいわねぇ。せっかくあんたのお仕事手伝ってあげてる私に、そういうこと言うんだ、エリスは」

「頼んでないでしょ!? あんた勝手についてきただけでしょ!?」

「だって、ラスタ・ミネア久々だから来たかったんだもん。でもこんな魔物多くなってるならやだー。帰ろうー」

(こんのわがまま娘……)

 毒づく。アンジェラのわがままは今に始まったことではないが――こういう状況下でのそれは、普段と違って緊迫した意味を持ちかねない。魔物との戦闘。それが絶え間なく続くこの森――ラスタ・ミネアの中では、ひとつのわがままからあっさり死を迎えてもおかしくはない。

「あたしは仕事なの。ティア・ドロップ二十本。とっとと見つけないといけないんだから。アンジェラ先に帰ってなさいよ、そんなこと言うなら」

「えー。やだ」

「……じゃあ黙ってついてくる!」

 吐き捨てて歩き出すと、アンジェラが慌てて付いてくるのが判った。背中越しにアンジェラの気配を感じながら、ばれないようにほっと胸をなでおろす。ついてきてくれないと、困る。アンジェラは確かに魔導も使えるが、この森の中でひとりでいれば、ものの十分とたたないうちに死体になりかねないからだ。自分で先ほどいった言葉が頭の中をめぐる。無駄に多い。魔物。

 それに――実際、助かっている。エリス一人でも、この森は危険だ。剣の腕はかなりのものだと自負してはいるが、それにだって限界はある。特にこういった対複数の戦いの場合、アンジェラの魔導はかなり役に立つのだ。

「ねー、エリスぅ」

 とことこと付いてきながら、アンジェラが思い出したように声をあげる。

「……何?」

 肩越しに促すと、アンジェラは小首をかしげて、聞いてきた。

「資金、貯まってるの?」

 その言葉に――ぎくりと心臓がはねた。

「……貯まってる」

 エリスはアンジェラから視線をはずすと、前を向いたまま頷いた。知らず知らずに足早になっている。かさり、かさりと緑を踏む音が耳に障った。

 資金は貯まっている。――もう十分なほどに、だ。

「ふーん……ホンキなんだ?」

「……当然。何よ今さら」

「……別にぃ」

 トーンの低くなった声が気がかりだったが、エリスはアンジェラのほうを向くことは出来なかった。罪悪感が、それを許さなかったのだ。

(……言わなきゃいけないんだけど……)

 いつ言えばいい? どのタイミングで? しかも今さら――?

 今夜発つことにしているなどと、今さら言えるだろうか。けれど、何も言わずに発つことは出来ない。それだけは絶対に出来ない。十三年間。アンジェラが生まれてからずっと一緒だった。姉妹のような関係。それなのに――

「……エリス、来るよ。もー一匹」

 ふいに思考を割って、アンジェラの声が鋭くなった。緩んでいた気を引き締め、意識を戦闘モードへと切り替える。気配が――する。

「右だね……来たら、すぐ殺る。タイミング、お願い」

「オーケイ。……四、三……」

 抜いた剣を握りなおす。相手に一撃の猶予も与えないで戦うほうが、ずっと勝率は上がる。そのためには、アンジェラの『能力』が役立った。

 一瞬先の、未来を見る能力。

「ニ、一……今っ!」

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 呼気。右手にしていた剣を、真一文字に横に凪ぐ。それはエリスの意識というよりは、体が勝手に行ったような感覚だった。脳で考えるよりもずっと早く、体が反応していた。エリス自身が気付いたときには、手のひらに重い手ごたえがすでにあったのだ。

 その重さにぞくりとする――ひまもなく、それはあっけなく地面に倒れた。

「うーわー……」

 倒れたそれを見下ろして、アンジェラが淡々と呟いてくる。

「ねぇねぇ、見て見てエリスぅ。腕が四本もあるわよ。気色わるぅーい」

 それは確かに、そんな形態だった。この森に入ってから、実にさまざまな魔物を目にしてきた。小鬼から、やたらどでかい蜂から、鱗狼にアメーバー状のよく判らない魔物まで。けれどこれはまた……なんというかけったいな魔物だ。

 大まかに見れば人型だろう。しかしアンジェラの言うとおり、人間で言えば肋骨にあたるような部位から、おまけといわんばかりに腕が二本伸びている。浅黒い肌は気持ち悪さを増大させて見えた。

「私こんなの初めて見たわよ。ねぇねぇ、これ、なんて魔物?」

「知らない。新種でしょ? 最近やたら発生してるらしいし」

「ラスタ・ミネアでも?」

 アンジェラのきょとんとした表情。まぁ疑問としては当然だろう。『神聖たる』旧神殿が置かれた『輝ける水の森』=ラスタ・ミネア。そこにまで魔物が発生しているなど、今まででは考えられなかったことだ。それに付随して『新種』。けれど、事実は事実としてある。

「あんたの目の前にあるのが真実。それ以外にどう説明しろって?」

 逆に問い掛けてみるが、アンジェラにしたらそんなものはどうでもよかったらしい。落ちていた木切れでつんつんとその死体をつついている。

「あーやっぱ気色悪いねー。燃やしていい? 火葬火葬。わぁ、アンジェラちゃんやっさしー!」

「……あんた、それで火事とか起こさないでよ……?」

「しないわよぉ、私エリスほど馬鹿じゃないもん」

 あっさり言うと、アンジェラは口の中で呪文を唱える。本人の言うとおり、周りには何の被害も出さずにその死体は火に包まれた。しばらくして、燃え尽きる。

「魔導って便利だよねぇ……」

 思わず呟いたエリスに、アンジェラはにっと皮肉な笑みを浮かべてきた。

「こんなの、子供でもできるわよ? エリスが特別、おかしいだけ」

「うるさいなぁ」

 確かにこの魔導大陸ルナでは、たいていの人間が苦もなく魔導を操れる。理由はよく知らない――というかエリスにしたら知ろうが知るまいが関係なかったので学んでいない。どうせ、向き不向きがある。エリスほど『魔導』に関して鈍いのは珍しいらしいが。

「あたしは、これがあるからいいの」

 剣を指して見せると、アンジェラは何もいわず肩をすくめた。そのままてけてけと歩き出す。迷路のような森だけれど、アンジェラの歩みには不安もない。それもそのはずで、この森の道は十分に把握している。

 昔よく、ここを遊び場にしていたのだ。ここ、というよりはこの森の奥にある旧神殿を、だが。そこを『ひみつ基地』にしていた。最も、ここ数年来ていなかったけれど。

「しっかし、あれだよね。こんなんなってるなら、もーちょい警備増やしたほうがいいよね、この森」

「私たちが出入りしてたときよりは、ずいぶん厳しいじゃない」

「あれは、ほとんどなかったも同じじゃない。そりゃ、今は一応管理人と兵士が入り口守ってるけど……あの程度じゃ入ろうと思えば入れるじゃない。これ、やばいよ? いたずら気分で入ったら、死ぬって、マジで」

「ま、そのあたりはあとでお上に言えばいいじゃない。――と、フェアリ・ベリーとうちゃぁく!」

 アンジェラが嬉しそうに走り出した。その先にあるのは、大きな湖だ。フェアリ・ベリーと呼ばれる湖――の、正確にはおおもとだ。セイドゥール・シティそのものが、このフェアリ・ベリーの上に乗っかっている水の都だから、ここだけをそう呼ぶのは適切ではない。まぁ、そんなのは教科書で十分だろう。街の人たちも大概がそう思っている。ここが、フェアリ・ベリー。

 アンジェラは湖のほとりにひざをつくと、そっと小さな手で水をすくった。のどに流し込み、大きく息をつく。

「あー、おいしーい! 生き返るぅ」

 エリスも一度周りの気配を確かめてから、同じように水を飲んだ。疲れきった体に、ひんやりとした水の感触が心地よい。血の臭いに麻痺した鼻すら、少しずつ回復傾向にある。森の匂いがした。

「さて、と。この辺りよね? あの似非ぺんぺん草」

「……『ティア・ドロップ』です」

「似たようなものじゃない」

「違うわい」

 ぺんぺん草と形状は似ているけれど、同じにしたら薬草の面目が立たないではないか。エリスの半眼をアンジェラはあっさりと受け流すと、ほとりを歩き始める。探しているのだろう。エリスもこっそり溜息をついて、同じように探し始めた。


「ふぅー。これで、二十本ね!」

 アンジェラの溜息に、エリスは苦笑して頷いた。持ってきてた布袋に最後のティア・ドロップを放り込んで、口を閉じる。結構時間はかかってしまったが、何とか見つけることが出来た。

「あとは、これを……えーと」

「ジャックさんとこに届ければおしまい」

「あ、そっか。パズーのお父さまね。そんじゃ、行く? エリス」

「あんたが素直に帰ってくれるなら、あたしは喜んで行くけど?」

 くいっと親指で背後にある建物をさしてみると、アンジェラは慌てたようにまくしたてた。

「あ、だめ。ストップ! 先に寄っていく! 旧神殿!」

「だと思った。じゃ、行ってみよっか。久々だし、あたしも嬉しいや」

 エリスはにっと笑うと、アンジェラとともに旧神殿へ足を向けた。 


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