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紅月は女神の祈り  作者: 中原まなみ
第二章:『Rebellion of Spirit――精霊の反乱』
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1

 振り下ろされた腕をかいくぐるように、右手に持った剣を突き出す。鈍い銀光を放つ切っ先が、黄褐色の肌にめり込んだ。

 鈍い手ごたえが、突き進む。

 剣先が、ぎん、と異物にぶつかる。骨だろうか。ずらす。引っ掛かりを覚えた何か――筋肉か、筋か――を無理やり引きちぎる。ぷつりという軽い音。

「ウゥグォ……」

 呻き声。

 顔にかかる血生臭い吐息。剣に左手を添えて、さらに深く突き立てる。ずぶりと肉塊に沈んでいく感触。短い悲鳴。命の終わり。

 びくっびくっと痙攣する内臓の動きが、剣から手のひらへと伝わってくる。

 それを確認した後、柄を引き戻す。引っかかり、素直に戻らなかったため、足を添えて力任せに抜いた。

 鮮血が噴出す。

「また、腕を上げたわね。ダリード」

 ふいに響いた声に、少年は振り返った。赤い汁がこすられたように、鈍くぎらつく剣を携えたまま、左手で顔にかかった血を拭う。逆流してこようと蠢く胃の中のものを、喉を上下させることで無理やり嚥下させる。

「……」

「まぁ、怖い顔。後でお風呂に入りなさいね」

 安っぽい調子で続ける声。夜の暗幕を割いて、月光が降る。浮き上がる、女性の影。

 だが少年は、その姿を完全に視界に入れる前に眼を伏せた。半月形に歪む唇が、脳裏に焼き付いている。

「……いつまで、続ける気だ」

 低く、問い掛ける。

「いつまで、ですって?」

 柔らかいトーンの声は、まるで子供に言い聞かせるかのように笑った。

「お馬鹿ですわ、ダリード。そんなの、決まっているでしょう?」

 その人影は、すっと右腕を天に掲げたようだった。見なくとも、気配で判る。

 月明かりが、降る。

「全ては、あのお方の意思。あのお方が、ご満足されるまで」

 血風が吹き、雲が流れた。

 月光が、眩しいほど降り注ぐ。

 赤い池に、月が揺れる。



「エリス、起きてる?」

 木戸の向こうからの声に、エリスは体の動きを止めた。

「起きてるよ。開いてる」

 言うとほぼ同時に、扉は開けられた。火照った顔の少女が一人、軽い動きで入ってくる。しっとりと濡れた黒髪に、ネグリジェ。どことなく幼さと艶っぽさが同居している。風呂上りのアンジェラだ。

 宿の小さな部屋には、ベッドが二つ。アンジェラは窓際――奥のベッドの上に座っているこちらに目を留めると、髪をかきあげて言ってきた。

「起きてたんだ」

「つーか、先に寝ると怒るでしょうがあんた」

「うん」

 ブーツを引っ掛けたアンジェラは、そのままエリスの隣のベッドにダイブした。

「あっつぅーい!」

 その声に、エリスは横手の窓を見やる。窓は開け放たれ、下限の月が夜空に見える。

 流れ込んでくる夜風は、多少欲目に見たところで涼しいとは言い難かった。生ぬるい、というのが一番近いかもしれない。

 額に浮き出た汗の珠を拭い、軽く嘆息をつく。

「……あっついね、確かに」

「なんか変よぅ。絶対変ー! 変変変ー! 暑いー!」

 枕に顔を埋めた格好でアンジェラが喚く。じたばたと足を動かしているのを横目で見て、エリスは再度溜息をついた。そんなもの、わざわざ言ってもらわなくとも判っている。

 暑い。

 むしむしと不快な湿気と、肌にまとわりつく空気の生ぬるさは耐えがたいほど気持ちわるい。

「……エリスゥ。今何年何月何日でしょう」

「一二〇五年。四の月第二十の日」

 正確には、頭にプトネッド新暦との注釈が入るが。と内心で付け足しておく。アンジェラはその言葉を聞くと、さらに深く枕に顔を埋めた。シーツもかけないで枕を握ると、いやいやをするように首を振る。

「うそー! うそうそ絶対うそー!」

「いやなんでこんなこと嘘つかなきゃいけないんですか」

「だってー! おかしーいー! 暑いもんー!」

 認めたくないらしい。

 ストレッチをしていたままの格好になっていた体を正しながら、エリスはもう一度窓の外を見た。セイドゥール・シティほどではないが、それなりに入り組んだ街並みが見える。

「……ホントにねぇ」

「はーるーなーのーにー!」

 アンジェラの悲鳴のような声。それはもうおそらく、この街じゅうの人々が内心で全く同じことを叫んでいるであろう。

 春なのに。

 この暑さは一体。

 ――ジェリア・シティ。

 セイドゥール帝国から南南東に位置する場所にあるこの街。実はすでに国境を越え、セイドゥールの隣国、ストレイツァ王国の領土内にあった。

 さすがにシティというだけはあり、また国境沿いということもあるのだろうが、賑やかな街で、アンジェラも初めにこの街に足を踏み入れたときは嬉々としていたのだが――

 今はこのありさまだ。

 国境の川を越えこの街に入ったとたん、微妙な違和感程度でしかなかった暑さが本格的に気になり始めた。

 もはや春の気候とは言い難い。いや、言えない。ほぼ夏だ。

(大陸間における異常現象……か)

 少し前もそういう考えに至ったが、今回はほぼ確信をもってそう思う。と、いうよりそうとしか言いようがない。

 あの奇妙な提携を結び、ゲイルとドゥール、二人と行動を共にしてから数日。何とか慣れはじめた矢先に、気候の妙という現象は、どうにも体に負担がかかって仕方がない。

 ぐったりとベッドに突っ伏しているアンジェラの姿に、多少なりとも不安感が生まれる。

「アンジェラ、大丈夫?」

「……うん……あつーいー」

 アンジェラは軽くうめきながら体を起こした。風呂上りで濡れた髪の毛を気にしてだろう。サイドテーブルに置いてあったブラシを手にとり、髪を梳きながら口を開いた。

「……ったく、おかしいわよね、ホントに。何がどうなってんの」

「さあね」

「……もうー、超ムカツクー。誰に当たればいいのー」

「当たるなって」

 いなすと、アンジェラがぷっと頬を膨らませる。またこの顔――と苦笑する。一体一日に何度、この顔をしているのだか。

「えーと……どこ行くんだっけ?」

「ジェリア・シティをこのまま南に行くんでしょ。港地区のほうだって言ってたけど」

 二人と同行を始めた時には、エリスにもアンジェラにも目的地はなかった。そこで、あの二人に当面の目的地を決めてもらったのだ。


「目的地?」

「そう」

 ゲイルのきょとんとした顔に、淡白に頷いてみせる。

「あたし達は、特に行きたい所とかないから。ただ、セイドゥール・シティから離れられれば別に。二人は?」

 言うと、ゲイルはドゥールと顔を見合わせた。暫く首をかしげ、

「……ジェリア・シティ。ストレイツァ王国の方に行ってもいいかな」

「ジェリア? いいけど。理由は聞いてもいい?」

「妹がいるんだ。それで」

 その言葉を聞いて思ったのは、大家族なのだろうか、ということだった。ダリードのことも、弟だといっていた。妹とやらに会いに行くのなら、取り立てて反対する要因もなく――ダリードのようにこちらを狙っている、というわけでもなさそうだったし――素直に従うことにしようと、アンジェラと顔を見合わせて頷いた。

「オーケイ。いいよ。じゃあ、ジェリア・シティに向かおうか」


 そんなわけで、この街にきたのだが――着いてそうそうのこの気候に、多少なりともいやな予感がした。明確な理由はないが、どうにも気味が悪い。

「それにしても。変なことになっちゃったわね、エリス」

「……まぁね。判ってると思うけど、あんまり気は許さないでよ、あの二人に」

「表向きはどうあれ、そんなことは判ってるわよ。――ま、悪い奴らでもなさそうだけどね」

 ブラシをおいて、アンジェラが笑う。窓の外を見上げ、ふと、紫の瞳が揺れていた。

「――どうなるんだろうね、これから。私たち」


 ストレイツァ王国、ジェリア・シティ。港区ロストック。

 さすがに隣国とはいえ、国が違えば街並みも違ってくるものだ――と内心感嘆してエリスは首をまわしていた。

 隣でアンジェラも同じように目を泳がせている。

「……この国に来るのははじめてかい?」

「うん、そー……」

 後ろからのゲイルの言葉に、生返事を返しておく。

 僅かに黄味がかった壁面には、飾り木が施されている。セイドゥールではほぼ直線的だが、この国の建物は屋根に曲線が用いられているところもあるらしい。尖塔形の屋根が、幾つか並んでいる。

 地面は僅かに海側に傾斜しており、敷き詰められた石畳が、エリスにとっては異国情緒を感じさせていた。

「……いい街だね」

 港区だけあり、海鳥の鳴き声や、船乗り達の威勢のいい声が潮風と共に流れてきている。嗅いだ事のない香りに鼻を鳴らしながら、目を細め――

 呻く。

「……暑いけどね」

「それがすべて台無しにしてるわようー!」

 アンジェラが地団太を踏みながら叫んだ。さんさんと輝く太陽は、雲ひとつない青空からまるで嫌がらせのように熱気をふりまいている。流れる潮風は、それだけなら涼しげなのに、生ぬるい――いやもっとはっきりと、暑い。もはや熱風の粋に達している。べっとりと肌にまとわりつき、呼吸のたびに疲労感すら覚える。

「……この地区、他の場所より暑く感じるのはあたしの気のせいですか」

「いやーもういやーっ暑いーっ! 信じられないー! 春を返してー!」

 他人が聞けば、意味を取り違えないことを喚くアンジェラをとりあえず無視して、振り返ってみる。

 ゲイルとドゥールが、そろって無言で――

「……って、なに。その顔」

「……ごめん」

 ゲイルが短く言葉を切った。表情が、酷く強張っている。額に浮いている汗は、気候のためだけではなさそうだ。

「……ドゥール、まさか、だよな」

「わからん」

「……!」

 その瞬間、ゲイルが地面を蹴った。駆け出す。

「ちょっ……ちょっとぉ?」

 アンジェラがきょとんとした声をあげた。白いマントの後姿が、どんどん小さくなっていく。

「と、とりあえず追いかけてみる?」

「だね」

「……」

 嘆息をつくドゥールやアンジェラと共に、エリスは駆け出した。が、案外足は速いようで、なかなか追いつけない。エリス一人ならともかく、アンジェラがいるのであまりスピードが出せないのだ。

「……場所がわかればなー」

「判る」

「……へ?」

「家だ」

「……ああ、妹さんの?」

 無言で頷くドゥールに納得する。何か意図することがあって、急いでいったらしい。ややあって、一軒の家に辿り着いた。

 一般的な家よりは、一回り大きい。この地区でもわりと地位のある人物の家のようだとエリスは判断した。どこがどう、というわけではないのだが――こういったことは、勘が働く。

 ドゥールが無造作に扉を開けて、軽く声をあげた。

「――プレシア、いるか」

 その声に、暫くして廊下の向こうからぺたぺたとリズミカルな足音と共に一人の少女が顔をのぞかせた。

 柔らかい金髪が、背中まで伸びている。身長はエリス自身やアンジェラより高い――中背だ。質素だが、丁寧なつくりの服に身を包んでいる。愛らしい、くるくると丸い瞳が、ドゥールを見つけてにっこりと笑みを宿した。

「ドゥール兄ちゃん! ひさしぶりー」

「……ああ。ゲイルは?」

「先にきたー。おおいそぎー。ダッシュ。なにごと」

「……いや、本人に聞かなかったか?」

 ドゥールの嘆息に、少女――プレシアはきょとんと首を傾げた。

「言ってたね」

(この子変だ)

 エリスは内心で断言した。ずれている。ゲイルの妹だけはあるな――とどこかで納得しつつも、そう思わずにはいられなかった。

 と、プレシアの言葉にほぼ間を置かず、奥からゲイルが歩いて来た。

「あ……」

「追いかけてみました。なにごと?」

 プレシアのまねをしたのだろう、アンジェラが笑うと、ゲイルが泣き笑いのように顔をゆがめた。

「……心配、だったんだ。プレシアが……関係してるんじゃないかって、思ってね」

「関係……?」

 眉根をひそめて見やると、ゲイルが軽く肩をすくめた。答えるつもりはないらしいが――ようするに、この少女も普通ではないということだろう。

(きな臭い……なぁ。どうにも)

「――ああ、そうだ。エリスちゃん、アンジェラちゃん。こっちは俺とドゥールの妹、プレシア。プレシア。こっちは今ちょっとワケアリで、行動を一緒にしてる子達なんだ」

 話を変えるように、高いトーンでゲイルが切り出した。プレシアの背中を押す。プレシアは一瞬きょとんと目を瞬いてから、ばっと右手を上げた。

「おぅ。了解! えーと。プレシシャル・セディラディート! 愛称はプレシア! いじょ!」

「……」

 どういっていいものやら――アンジェラと顔を見合わせてしまう。エリスにしてもアンジェラにしても、こういった類の――奇妙な――知り合いはほとんどいなかったせいで、対処の仕方がわからない。

「あ……ええっと。エリス――エリス、です。家名は、今はありません」

 そう言うと、アンジェラが隣で苦笑するのが判った。なんだか妙だな、とは自分でも思いつつ、続ける。

「お会いできて、光栄です」

「私は、アンジェラ・ライジネスと申します。以後お見知りおきを」

 アンジェラも型どおりの挨拶をして、軽く握手を求めた。と、ふいにプレシアが握手はせずにこちらに手を伸ばしてきた。

「……?」

「髪の毛。ついてるです」

 服についていたらしいそれを、プレシアはつまみとった。

「アンジェラさんもー」

「え? あ。ありがとうございます」

 右手でエリスの赤毛を、左手でアンジェラの黒髪をつまみ――ふっとプレシアは背を向けた。

「……?」

「ふふっ……」

 低い笑い声に思わず背筋がぞくりとした。

「エリスさんにアンジェラさん……髪の毛を手に入れちゃった。ふふふっ……」

「……」

 あまりといえばあまりの発言に、アンジェラがこちらの服を握ってきた。震えている。無理もない。

「……エリスゥ。怖いよう」

「泣くな。たぶんきっとギャグだから……!」

 かなりの希望を含んで、アンジェラの手を握ってやる。と、ドゥールが深く溜息をついた。

「プレシアの言うことはあまり気にするな。放っておいても問題はない」

「……っていうか、疑問。家族っていったのに、家名が違うのは何で? っていうか――プレシアさんって、どっちの妹?」

 訊ねると、ゲイルとドゥール、プレシアはそろって奇妙な顔をした。

「どっちて、二人ともの、だけど?」

「従兄弟なのに?」

「……ああ」

 ゲイルが今思い出したというように頭をかいた。

「……一緒に住んでる――住んでたから、家族。血のつながりはないんだ。おれとドゥールも、従兄弟って言うよりは兄弟って言ったほうが近いんだけどね。家名の違いは、おれとドゥールは生家から。プレシアは、この家の養女なんだ。それでだよ」

 言われて、さらに眉根にしわを寄せてしまう。なんというか――あまり立ち入らないほうが良いことらしい気もする。

 と、その時、廊下の向こうから、笑みを含んだしわがれた声が聞こえてきた。

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