鉄拳制裁
昼休みの教室にて。
とある男女が昼食を共にしていた。
おかずの入った大きめの弁当箱と、それとは別に二人分包まれたおにぎりを双方無言のまま頬張っている。
彼らの周囲の生徒達は皆、賑々しく食事を楽しんでいるにもかかわらず。
「ねえ」
「ん?」
彼女が話しかけた。
おにぎりの咀嚼に夢中だった彼が視線を向ける。
「例えばの話だけど。赤の他人が自分のためにおべんと作ってきたとしたら、それはどういう意図だと思う?」
「んー……」
問われて考え込む。
もきゅもきゅ。
咀嚼する。
んー。
唸る。
「差し入れ」
ごっくんと飲み込んでから答えた。
案外行儀がよい。
が、その答えは彼女のお気に召さなかったらしく、彼の右側頭部に縦突きが炸裂した。
「……痛いんだけど」
「殴ればその腐った頭が治るかと思って」
殴られた部分をさすりながら彼は思う。
殴って直るのは壊れたものであって腐ったものではないんじゃなかろうか、と。
しかし彼は賢明なのでそれを口にすることはない。
なおも右側頭部をさすりながら彼女に問い返す。
だったらなんて答えればよかったのか。
「それはだから、その……普通は、アプローチ?とかあるでしょ、普通」
気のせいなのか、内心の動揺のせいなのか、普通という単語が2回繰り返されている。
保守的な彼はそこにツッコもうとはしないが、さすがに不審に思い始めた。
今日のコイツは何か変だ。
分かりやすく言えば挙動不審だ。
すわ麻薬にでも手を染めたか……などと心配していると再び右側頭部に激痛が走った。
「話を聞け」
「はい。すんませんした。自分、調子乗ってました」
「よろしい」
鉄拳制裁によって彼の注意を取り戻した彼女は満足そうに頷く。
で、さっきから話が進まないわけですが。
「で、何なんだ、さっきから。何が言いたいのかさっぱりわかんないんだけど」
「だからその、毎日あたしの特製弁当食べてるアンタとしては何かあたしに言うことはないのかって、そういう話よ」
言うだけ言って、ふんっ、と顔を背ける彼女。
控えめに言ってもゆでだこのように頬を真っ赤に染めている。
これを言い出すのによほどの勇気を要したことが窺える。
彼はと言えば、ようやく話のキモが見えたとばかりに何度も頷いている。
なるほど、そういうことだったのか納得納得。
彼の心中を要約すればそういった具合だろう。
晴れやかな表情で彼女に告げる。
「いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束……じゃないっていうのよこのスットコドッコイ!」
三度、右側頭部に直撃するストレート。
いい加減、人間の防御力をオーバーしてしまいそうだ。
一点集中でボコボコにされた彼は心底不思議そうに彼女を見つめている。
なぜ今時スットコドッコイなどという罵り文句が出てくるのだろうか、と彼は必死で考えていた。
もちろん、口にはしないが。
「今のが間違ってるとすると、もはや可能性が浮かんでこないんだけど……」
興奮のあまり、肩で息をしていた彼女に投げかけられたこの一言が、彼女にとってのトドメとなった。
ぷつん、と何かが切れる音。
同時に彼女の周囲で食事をしていたグループがいそいそと机を遠ざけ始める。
このような事態に遭っても慌てず騒がず遠巻きに見物するクラスメートたち。
彼らはなかなか器が大きかった。
単に、彼女の暴走を見慣れているだけという説もあるが。
ところでそのキレた彼女、わなわなと拳を震わせた後、大喝した。
「あたしの手作り弁当に愛情感じないのかって聞いてんのよ、このウスラトンカチ!」
おおー……と教室中に嘆息が広がる。
傍目にも恋人同士以外の何かには見えない彼ら二人、実は今まで付き合っていなかったのだ。
高校入学から2年と3ヶ月。
思えば長い道のりだったと、しんみりするクラスメート達。
いや、クラスメートはどうでもいい。
思いがけず、衆人環視の場で想いを告げられた彼は、一人ぽかんとしていた。
「そりゃ愛情は感じてるけど。それがどうかしたのか?」
あまりと言えばあまりな回答に、もはや殴る元気もないのか沈黙する彼女。
先の言葉を翻訳したなら、愛情を感じてはいるが応える気にはなれないという推測が容易に導ける。
それはつまり、5年以上も一緒だった幼馴染みとの関係の終焉を意味する。
確認するのは怖かったが、震える声を抑えて聞いてみた。
あたし達はいったい何なの?と。
すると彼は。
「彼氏彼女じゃないのか?」
さも当然と言わんばかりの顔で言う。
今度は彼女がさっぱり分からないという顔をする番だった。
ぽかんと口を開けていると彼が言葉を継ぎ足す。
「高校入った時にお前、自分が弁当作るって言い出したろ? 俺は入学したら告白しようと思ってたんだけど、お前がそんなこと言い出すから、暗黙の了解で付き合うことになったものだとばっかり……」
思ってた、と言おうとしたが彼女の泣き顔に驚いて言葉を切った。
「ちょ、え、何。これ俺が悪い流れ?」
ぐすぐす泣いている彼女を、とりあえず慰めようとする。
が、ここでもやはり右側頭部を狙った強烈な一撃が飛んできた。
本日、四度目。
「暗黙の了解って、バッカじゃないの!? 恋愛にそんなもんあるわけないじゃんこの大ボケ! 好きなら好きってちゃんと言ってよ! あたし一人やきもきしてバカみたいじゃん!」
衆目の中で恥ずかしいことを叫ぶ彼女。
しかし本人にとっては非常に重要なこと。
理解あるクラスメートたちは黙って成り行きを見守っている。
どちらかと言えば空気が読めていないのは彼の方で、「うん、ごめん。小学校の頃から好きだった」などとのたまって彼女に5回目のストレートをくらっていた。
右側頭部は大丈夫なのだろうか。
ともあれ、二人の気持ちが通じ合ったことはめでたい。
めでたいとなったらやることはひとつ。
宴だー、とクラスメートの中の馬鹿な奴が叫び、彼と彼女を中心に大騒ぎが始まった。
しかし。
「おーい、いつまで騒いでる。もうとっくに授業始まっとるぞ。先生はどうした」
隣のクラスで授業をしていた教師が入ってくる。
入り口付近に貼ってあった時間割を確認すると、次の科目は体育となっていた。
「お前ら。杉浦先生にあんまり心配かけるんじゃないぞ。あの人の頭髪もそろそろ危ないんだからな。ほら、さっさと着替えて行け」
言い残して教師は隣室へと戻る。
彼と彼女を含めた生徒たちは、慌ただしく着替えに走った。