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金のトランペット

作者: イヤクラ
掲載日:2026/10/19

「楽器は努力の成果が直接出るものなんだ。努力すれば必ず応えてくれるよ」

右手に白いチューナー、左手に金色のトランペットを持った彼はそう言った。チューナーにはリスをモチーフにしたアニメキャラのシールが貼られていた。顔は思い出せないが、少し癖のある黒髪と黒いメガネが太陽の光を反射していたのは覚えている。

俺が小学生のとき、近隣の中学校との学校交流イベントがあった。そこで中学校の吹奏楽部の演奏を聞くことになった。

率直に言って感動した。目の前で聞くさまざまな楽器たちの声は迫力にあふれており、しかし繊細だった。とくに心を掴まれたのがトランペットのソロパートだ。ホルンの裏拍が小さく刻まれる中どこまでも伸びていくように響いていたトランペットのハイトーンを、今でも鮮明に覚えている。

だから中学校に入ったら吹奏楽部に入って、トランペットを吹こうと決めていた。あの透きわたるようなハイトーンを、俺も奏でてみたい。


そして今日、俺は音楽室の前に立っていた。軽く息を吸い、ドアを押し開ける。目の前に制服を着たたくさんの先輩方と、沈みかけた日に照らされた楽器たちが浮かび上がった。

「こんにちは、入部希望かな」

こちらから声をかける前に声がとんできた。銀色に輝くトランペットを右手に抱え、左手に譜面台を持った女の子だ。茶色の長い髪が窓から吹き込む風に揺らされている。

「は、はい」

「希望の楽器はある?」

「トランペットをーー」

「ほんと!? うれしい」

茶色い髪の先輩はそう言うと、振り返り近くにいた別の子に声をかける。

「やったぁ、るい、ペット志望の子きた!」

「ほんとか、よし、今のうちに囲むぞ!」

わざわざ囲まなくたって、俺の第1志望がトランペットであることに変わりはないんだけどな・・・・・・。


「トランペットはこのマウスピースで音を鳴らすんだ」

るい先輩はそう言って、俺に銀色の小さな金属の筒のようなものを手渡した。イスに座った俺の横で、るい先輩がひざ立ちで俺にトランペットの吹き方を教えてくれている。

「本体はあくまで音程の調整と音の拡張。音源はこのマウスピースだ。まぁものは試しだ、吹いてみて」

俺はマウスピースを指でつまみ、口に当てる。

「あ、ちなみにそれ落としたら3000円だからね」

その言葉のせいで俺はつまんでいたマウスピースを危うく取りこぼしそうになった。早く言ってくれ。

軽く息を吸い、吹き込んでみる。

「・・・・・・鳴らない」

「「フー」というより、「トゥー」って感じかな。唇を震わせて音を鳴らすんだ」

唇を・・・・・・震わせる?

先輩が自身の唇の端に指を当て、唇を小さく震わせる。

「真似してみて」

マウスピースを外し、唇に左手を当てる。先輩の真似をして唇を震わせてみる。

「そうそう、うまいうまい。そのままマウスピースを当ててみて」

右手につまんだマウスピースをゆっくり唇に当てる。そのとたん、甲高い詰まったような音が響いた。目を丸くして驚く俺に、先輩が笑いかける。

「そんな感じ、もう1回吹いてみて」


2週間後、俺は正式に吹奏楽部の部員になった。新入部員である俺たちの前に立った顧問の先生が、声を張り上げる。

「新入生のみなさん、入部ありがとうございます」

顧問の先生には見覚えがあった。新人の田中先生だ。女性にしては高い背とスラリとした体からは、鋭い雰囲気が放たれている。

「みなさんが気になっているのは、楽器分けのことだと思います」

そうだ。せっかく吹奏楽部に入れたとて、トランペットパートに配属されない可能性もあるのだ。

「新入生のみなさんにはこれから、第1希望から第3希望の楽器を1ヶ月練習してもらいます。そして1ヶ月後の5月25日、楽器分けのオーディションを開催いたします」

新入部員の間でざわめきが広がった。俺も小さく息をのみ込む。

「1ヶ月間、第1希望の楽器に全ベットして1つの楽器を練習するか、第3希望までバランスよく練習するかはみなさんの自由です。わかりましたか?」

バラバラと小さく返事が広がる。

「なお、オーディションまで使用する楽器は学校がレンタルしているものです。レンタル期間が終わったら返却しますから、基本的には配属先の楽器をみなさんには購入していただきます。ホルン、ユーフォニアムやチューバ、大型のサックスなどの高価な楽器は学校の備品も使えますが、それ以外の安価な楽器を希望するみなさんはお金を用意しといてください」

・・・・・・は?


家に帰るなりスマホに飛びついた。通販アプリのアイコンをタッチしーー。

「トランペット、入門機・・・・・・」

少し震える手でそう入力する。結果はすぐに出た。

「10万円はかかるなぁ」

新品の楽器は、まともなものだと最低でも10万円はした。そうだ、なぜ今まで気づかなかったのだろう。楽器は高いのだ。

「これで「安価な楽器」ですか」

思わず言葉が漏れる。家は貧乏な方ではない、どちらかというと裕福な方だ。だがーー。


「ダメに決まってるでしょ。お小遣いちゃんとあげてるんだから」

月2000円のお小遣いで、お年玉も大半が没収されている状態で、いったいどうしろっていうんだ。

「部活はゆう君の趣味。趣味のお金は自分のお小遣いから出すこと。以上」

・・・・・・親に反抗してもどうにもならないのは身にしみてわかってる。俺の意見を聞き入れてくれることはほとんどない。家から叩き出されるのがオチだ。俺、笠原ゆうきの家での立場は、かなり弱かった。

「わかった」

これ以上交渉しても無駄だ。俺は母親に背を向けた。階段を登り自室に向かう。

「・・・・・・はぁ」

全体重をドアノブにかけるようにして、ドアを開ける。古い木製のドアがきしみつつ開く。

ほとんどもらってないお小遣いとお年玉は、当然のように友達との交際費に消えており、貯蓄はほぼなかった。こうなったら部屋にあるものをなんとか売り払って、お金を作るしかない。

「といってもそもそも金目のものなんてないんだよな・・・・・・」


1週間かけて部屋のガラクタをフリマアプリで片っ端から売り払い、なんとかかき集められたお金はおよそ10000円だった。フリマアプリで中古のトランペットを探す。

やっぱり質のいいのはないな。先端の広がっている部分、ベルというらしいが、そこが凹んでいたりそもそもかなり古かったり。

ため息をつく。お小遣いやお年玉がまともにもらえる家庭に生まれていたら、こんな目に遭わなくても済んだのだろうか。


数日後、フリマアプリで購入したトランペットが家に届いた。もちろんまだトランペットパートに配属されると決まったわけではないが、もとより俺はトランペット以外に興味はない。だったら早いとこ実機を手に入れたかった。

緩衝材を破く。ところどころシミが広がった布製のセミハードケースが中から姿を現した。もっともシミがあるのは商品説明にも書いてあったが。

「これが、俺のトランペットか・・・・・・」

ケースのファスナーに指をかけ、ゆっくりスライドさせる。金属の独特な匂いがかすかに広がる。フタに手をかけーー。

「よし」

フタを開ける。中からところどころくすんだ、しかしたしかに銀色に輝くトランペットが現れた。右手でトランペットをつかみ、指をかける。付属してきたマウスピースをつけーー。

小さく息を吸い、吹き込む。

・・・・・・ひどいもんだった。息の通りが悪いとか、2番ピストンの動きが悪いとかは、一応商品の説明欄に書いてあった。だがやはり吹いてみると、学校でレンタルしてる質の良いトランペットとは大違いだった。

何かにつっかかったように息が入っていかない。出てくる音も割れており、不安定だ。何より2番ピストンが硬すぎる。これではスムーズに音を変えることができない。

「そうだ。オイル」

ピストンの動きはオイルを注せば変わるかもしれない。いや、ちゃんと手入れをすれば、少しは全体的にマシになるかもしれない。


翌日、俺は買ったトランペットを持って部室に入った。10000円という大金ーー俺にとってはだがーーをはたいて買った、ボロボロだが、しかし大切なこの愛機は、丁寧に手入れしたとてマシになることはなかった。

今は学校でレンタルしているトランペットが使える。だがオーディションが終われば、嫌でもこのオンボロトランペットとつき合わなければならない。

「お、ゆうきじゃん」

声をかけてきたのは新入生で同じクラスのたかひろだった。高い背にのりのきいた新しい制服を身にまとっている。癖のある髪が照明に照らし出される。

「なんだ、それ新しいトランペットか?」

「・・・・・・そうだよ」

「まだトランペットパートになれると決まったわけでもないのに?」

「俺は絶対トランペットパートになるからね」

「それはまたすごい自信で。じゃあライバルだな、俺もトランペットが第1希望なんだ」

なるほど、こいつと競うことになるのか。いや、もちろんこいつだけではないが。

「しかしお前のトランペット・・・・・・なんか・・・・・・その、すごいな」

明らかに含みのある言い方だ。まぁしかたがない、俺は苦笑いを返す。

「正直に言っていいぜ、ボロいってな。なんせ予算が10000円だったから」

「そっか、それはきついな」

まるで自分ごとのように、悲しい顔をしてくれる。

「たかはペット買うのか?」

吹奏楽部ではトランペットを「ペット」と略す。最初は違和感だらけだったが、すぐに慣れた。

「ーーああ、選ばれたら買うぜ。もう目星もつけている。父さんに買ってもらうつもりだ」

一瞬返事に間があった。

「YAMAHAのYTR-4335・・・・・・なんだっけ」

たかが忘れている型番の部分にもよるが、20万円くらいするやつだ。なるほど、間があったのは俺に気を使ってのことだろう。

「うらやましいな、この」

「そんなことはない」

たかはそう言い切った。まっすぐな目で俺を見つめてくる。

「大事なのは技術だ。楽器の性能差なんて、微々たるもんだよ、きっと」

それは、そうかもしれない。というかそう願いたい。

「そうだな」

しかし、父親に20万円もするトランペットをぽんと買ってもらえるやつが、そんなことを軽々しく言わないでほしい。


楽器分けのオーディション、当日。

「それではこれより、笠原くんのテストを行います」

俺の目の前には、トランペットパートの先輩方が3人、そして田中先生が座っていた。張り詰めた空気が場を支配する。

「ただ、いきなりは緊張すると思いますから。3分時間をあげます。その間に音出しをしたり、肩をほぐしたり自由に使ってください」

そう言うと田中先生は砂時計を取り出しーー。

「はい、始め」

ひっくり返した。ピンクの砂が渦巻きながら、ガラス瓶の中を下へ落ちていく。

大丈夫だ、あんだけ練習したんだ。音を出して肩慣らししてればよい。

俺はペットを両手で持ちかまえる。握っているのは俺の愛機ーーではなく、学校でレンタルしているトランペットだ。

「よし・・・・・・」

ゆっくり息を吸い、吹き込む。先輩方には遠く及ばないが、それでも透き通ったきれいな音が、教室の中に響いた・・・・・・少なくとも俺にはそう感じた。

「いい音ですね、期待していますよ」


数日後、音楽室の壁にオーディションの結果が書かれた紙が張り出されていた。すでに紙の前にはたくさんの新入生が集まり、みな結果に一喜一憂している。人ごみをかき分け、紙の前へと進んでいく。

「どこだ・・・・・・」

TRPの3文字を目がとらえた。横にはーー。

「あった!」

慌てて口に手を当てる。受かった人がいるということは、落ちた人もいるということだ。むやみに喜ぶのは良くない。それでも俺は、横に書かれた「笠原ゆうき」の文字に心を踊らされずにはいられなかった。


こうして俺は、吹奏楽部に入り念願のトランペットパートに配属された。だがそれは、輝かしい青春の始まりではなかった。

・・・・・・嫌な予感はしていた。レンタル品とはいえ整備が行きとどいた新品同様の十数万円のトランペットと、中古の10000円のトランペットが同様の音を奏でられるわけがない。予想外の出費も多かった。チューナーにトランペットのお手入れ用品、譜面台など。なんとか学校の備品でまかなえるものもあったが、それでも限界はあった。


「順調か?」

声をかけてきたのはたかだった。手には銀色に光るYAMAHAのYTR-4335GSII、19万円近くするやつだ。そうだ、こいつもトランペットパートに配属されたのだ。

「まぁ、ぼちぼち、かな」

うらやましい。こいつは新品のトランペットと道具一式を買い揃え、何不自由なくトランペットを吹くことができるのだ。

「442Hz、と」

チューナーを作動させ、トランペットをかまえる。楽器の音程を確認するこの手のひらサイズの機器は、吹奏楽部では必需品だ。小さく息を吸い、音を鳴らしてみる。

チューナーの画面に視線を移す。音程を示す針はずれていない。しかし音が詰まったような感じは拭えない。もっとマシなトランペットがあれば、あのレンタル品が使えれば、伸びと広がりのある温かい音が奏でられるはずなのに。

俺のとなりにたかが腰かけた。流れるような動作でトランペットをかまえ、息を吹き込む。音楽室を包み込むように、やわらかい音が広がった。銀色のベルから、花開くように音が流れる。


そんな中、事件は起きた。いつものパート練習の日、たかの譜面台の上にチューナーが置いてあった。いや、いつもたかが使っているチューナーではない。その白いチューナーには、見覚えのあるシールが貼られていた。

「・・・・・・おい、たか、そのチューナーはなんだ?」

聞いてはいけない気がする、しかし聞かずにはいられない。

「これか?」

そう、それだ。そのリスみたいなアニメのキャラのシール・・・・・・。

「兄貴が使っていたやつだよ。今のより性能がいいから、譲ってもらったんだ」

視界が揺らぐ。譜面台に手をつき、なんとかバランスを保った。兄貴の、だと? いや、間違いない。このシールは俺の記憶の中にあるものと同じだ。

たかの家は恵まれている。たぶんお兄さんも同様だろう。だとしたらーー。

頭が割れるように痛い。あの、俺を感動させた、俺をこのトランペットの世界に誘ったあの音色さえ、財力に裏打ちされたものだったのか?

「おい、ゆうき、大丈夫か?」

たかがうつむいている俺に駆け寄ってくる。誰のせいだと思っているんだ、ふざけるな。

「ごめん、少し疲れてて・・・・・・」

なんとか取り繕い、顔を上げる。

「そっか。そんなゆうきくんにいいニュースがあるんだ」

いい・・・・・・ニュース? それはほんとうにいいニュースなのか?


そっからのことは、よく覚えていない。けれど、たかひろは確かにこう言っていた。

「俺のYTR、お前にやってもいいって思ってるんだ。もっといいやつを買ってもらうことにしたから」

・・・・・・俺が喉から手が出るほど欲していたものを、こいつはこともなげに他人に与えようとしているのだ。もっといいものが手に入るからと。


家に帰るなり、俺は自室の布団に飛び込んだ。ほこりが宙に舞い、光に照らされる。視界の端に俺の愛機が入る。ボロボロだが、それでもこの数週間つき合ってくれた愛機だ。

もちろんいいトランペットを使いたい。2番ピストンを押すたびに指がつっかえるのはもうごめんだ。しかしーー。

拳を握りしめる。しかし、ここでたかひろからトランペットを譲り受けるのは、この理不尽な世界に、ひざをついて負けを認めるようなものではないだろうか。

 

数十分後、俺はスマホを手に取り、震える手で文字を打っていた。暗い部屋に鮮やかな液晶の光が浮かび上がる。

『YTR、ありがたくもらい受けることにするよ』

返事はすぐに来た。

『りょーかい、しっかりクリーニングしてから渡してやるから、数日待って』

続いて最近流行りのアニメキャラが、「まかせて!」と言い腕まくりしているスタンプが送られてくる。

「・・・・・・クソが!」

わざわざクリーニングまでしてくれるらしい。たかは、あいつはほんとうにいいやつなんだろう。せめてもっとーー。

胸の中を突き上げてくるような黒い、なんともいえない感情を抑えながら、俺はかけ布団を頭までかぶった。

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