『地味で価値がない』と言われ続けましたが、幼馴染には溺愛されています
「エリーゼ、君とはもう無理だ」
王宮の夜会会場。華やかなシャンデリアの光の下で、婚約者のダリウス・フォン・エーデルシュタイン伯爵は、私にそう告げた。
「君は地味すぎる。華やかで魅力的な女性の方が、俺には相応しい」
周囲の貴族たちの視線が、一斉に私たちに注がれる。ひそひそと囁く声。驚きと好奇の入り混じった表情。
「婚約破棄だ。今夜限りで、君との関係は終わりにさせてもらう」
ダリウスは躊躇なくそう言い放つと、踵を返して会場を去っていった。
私、エリーゼ・ハーヴェストは、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
(地味、か)
そうだろう。私はいつも地味な色のドレスを着て、社交界では目立たないよう隅にいて、自分の意見を言うこともほとんどない。
でも、それは——
「エリーゼ様、大丈夫ですか?」
侍女のマリアが心配そうに声をかけてくれたが、私は首を横に振った。
「平気よ。帰りましょう」
本当は平気なんかじゃない。でも、ここで涙を見せるわけにはいかない。家族に、また何を言われるか分からないから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やっぱり婚約破棄されたのね」
実家のハーヴェスト侯爵家に戻ると、応接室で継母が待ち構えていた。隣には、私の妹・カミラが嬉しそうな顔で座っている。
「お母様の予想通りだったわ。お姉様じゃ、ダリウス様を繋ぎ止めておくのは無理だもの」
カミラは無邪気な笑顔でそう言った。十六歳の妹は、薔薇色のドレスに身を包み、金髪を美しく巻き上げている。
「カミラ、そんな言い方はおやめなさい」
継母がたしなめるが、その声には本気の叱責は込められていない。むしろ、どこか満足そうだ。
「でも本当のことですもの。お姉様がもっと華やかにしていれば、こんなことにはならなかったのに」
「カミラ…」
「あ、そうだわ。実はね、お姉様。私、ダリウス様に興味があるの。お姉様の元婚約者だけど、私が貰っても良いかしら?」
(やっぱり)
私は静かに二人を見つめた。
「最初から、そのつもりだったのね」
「あら、気づいていたの?」
継母は驚いた様子もなく、優雅に紅茶を啜った。
「そうよ。カミラをダリウス様と結婚させるための布石だったの。あなたには最初から期待していなかったわ」
「お姉様、恨まないでね。だって、私の方がお姉様より可愛いし、華やかだもの。ダリウス様も絶対私を選ぶわ」
カミラは屈託なくそう言った。悪気なんてないのだろう。ただ、当然のこととして、姉の人生を奪うことを宣言している。
「私は…部屋に戻ります」
「ええ、そうなさい。しばらく社交界には出ないでちょうだい。恥ずかしいから」
継母の冷たい声を背に、私は自室へと向かった。
部屋に入り、ドアを閉めた瞬間。
込み上げてきた感情が、堰を切ったように溢れ出した。
(もう、無理)
私の実母は、私が五歳の時に病で亡くなった。父は二年後に再婚し、継母とその娘であるカミラが家族に加わった。
最初の頃、継母は私に優しかった。でも、それは演技だったと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「エリーゼ、あなたは長女なのだから、妹を立ててあげなさい」
いつもそう言われた。
華やかなドレスを着ようとすると「派手すぎる、カミラより目立ってはダメ」と止められた。
社交界で発言しようとすると「余計なことを言わないで。カミラの印象が悪くなるから」と制止された。
私の趣味だった花の品種改良も「そんな地味なことより、もっと社交術を磨きなさい。でも目立ちすぎてもダメよ」と矛盾したことを言われ続けた。
(私は、ずっと我慢してきた)
父に愛されたい一心で。家族に認められたい一心で。
でも、その我慢が、こんな結果を招いた。
ベッドに倒れ込んだ私は、枕に顔を埋めて声を殺して泣いた。
(もう、この家にはいたくない)
(でも、行く場所もない)
私には友人もいない。継母に「無駄な交友関係を持つな」と言われてきたから。
財産もない。成人後の財産管理はすべて父と継母が行っていて、私は自由に使えるお金を持っていなかった。
(どうすれば…)
絶望の淵で、ふと、ある人物の顔が浮かんだ。
金色の髪に、深い青の瞳。優しい笑顔。
(レオン…)
レオンハルト・フォン・シュヴァルツ。幼馴染の騎士。
彼は十年前、騎士としての修行のために国外へと旅立っていた。
(今はもう、帰ってきているはずだけど…)
でも、十年も会っていない。覚えていてくれるだろうか。助けを求めるなんて、図々しいだろうか。
それでも。
(会いたい)
子供の頃、いつも私を守ってくれた彼に、もう一度会いたい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、私は密かに屋敷を抜け出した。
向かったのは、王都の中央公園。ここには、様々な花が植えられている。子供の頃、レオンと一緒によく遊んだ場所だ。
(もしかしたら、ここに来れば…)
淡い期待を抱いて公園を歩いていると、噴水の近くで、見覚えのある背中を見つけた。
金髪。長身。騎士の制服。
「レオン?」
思わず声をかけた。
その人物が振り返る。
深い青の瞳が、私を捉えた。
「エリーゼ?」
少し驚いた表情の後、彼の顔が優しく綻んだ。
「本当にエリーゼか。久しぶりだな」
「レオン…!」
涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。でも、声は震えてしまう。
「帰ってきていたのね」
「ああ。一ヶ月前に帰国した。王国騎士団の副団長を拝命してね」
レオンは近づいてきて、私の顔を覗き込んだ。
「エリーゼ、泣いているのか?」
「え…」
頬に触れると、いつの間にか涙が流れていた。
「いえ、これは…」
「無理をしなくていい」
レオンは優しく私の肩に手を置いた。
「何があったか、話してくれないか? 昔みたいに」
その言葉に、堪えていたものが決壊した。
私は、すべてを話した。
婚約破棄されたこと。実は家族に抑圧されていたこと。妹のために地味にさせられていたこと。継母たちの本音を聞いてしまったこと。
レオンは黙って聞いていた。時折、怒りに顔を歪めながら。
「…そんなことが」
私が話し終えると、レオンは低い声で呟いた。
「エリーゼ、君は何も変わっていない」
「え?」
「子供の頃の、あの優しい笑顔も、花を愛する心も。ただ、抑えつけられていただけなんだな」
レオンは私の手を取った。
「エリーゼ、俺と結婚してくれ」
「えっ…?」
突然の言葉に、思考が追いつかない。
「君が望むなら、自由に生きられる場所を用意する。好きなことをして、好きなように笑って、ありのままの君でいられる場所を」
「でも、私なんかで本当にいいの? 地味で、面白みがなくて…」
「エリーゼ」
レオンは私の両手を包み込むように握った。
「俺は子供の頃から、ずっと君が好きだった」
「…え」
「君が花に囲まれて笑う姿。困っている人を放っておけない優しさ。小さな生き物にまで心を配る繊細さ。全部、全部好きだった」
レオンの青い瞳が、まっすぐに私を見つめている。
「だから、海外での修行中も、ずっと君のことを想っていた。帰国したら、必ず君に想いを伝えようと決めていたんだ」
「レオン…」
「君は地味なんかじゃない。君の家族が、君の輝きを奪っていただけだ」
(ああ、そうか)
初めて気づいた。
私は地味なんかじゃなかった。地味にさせられていただけだった。
私は面白みがないんじゃなかった。自分を出すことを禁じられていただけだった。
「エリーゼ、答えを聞かせてくれ。俺と結婚してくれるか?」
迷いはなかった。
「はい。レオン、お願いします」
レオンの顔が、嬉しそうに綻んだ。
「ありがとう、エリーゼ。絶対に君を幸せにする」
そして、彼は私を優しく抱きしめてくれた。
温かかった。安心できた。
(私は、ここにいていいんだ)
初めて、そう思えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レオンとの婚約は、すぐに王宮に届け出られた。
王国騎士団副団長と侯爵令嬢の婚約は、社交界で大きな話題となった。
当然、ハーヴェスト侯爵家にもその知らせは届いた。
「エリーゼが、レオンハルト・フォン・シュヴァルツと婚約?」
継母は信じられないという表情で、私を見た。
「ええ。近々、こちらの家を出ます」
「ちょっと待ちなさい! そんな勝手なこと、許されると思って?」
「父上の許可はいただきました」
実際、父は意外にもすんなりと許可してくれた。おそらく、レオンの地位と名声を考えれば、悪い話ではないと判断したのだろう。
「お姉様、ずるい! レオンハルト様って、すごくハンサムで有名な騎士じゃない!」
カミラが叫んだ。
「私だってお姉様より可愛いんだから、レオンハルト様が選ぶなら私のはずなのに!」
「カミラ、君は今、ダリウス様を狙っているんじゃなかったのかい?」
冷静な声で、レオンが応接室に入ってきた。
「れ、レオンハルト様…!」
「エリーゼを迎えに来た。準備はいいか?」
「ええ」
私は立ち上がった。持っていくのは、最小限の私物だけ。
大切にしていた母の形見のペンダント。花の種。レオンが昔くれた本。
それだけあれば、十分だった。
「エリーゼ」
継母が、最後に呼び止めた。
「後悔しても知らないわよ」
「後悔なんてしません」
私は笑顔で答えた。
「私は今、とても嬉しいんです。初めて、私を私として愛してくれる人に出会えたのですから」
そして、レオンと共に屋敷を後にした。
振り返らなかった。もう、ここに用はない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レオンの屋敷は、王都の貴族街にあった。
広い庭園に、美しい洋館。
「わあ…」
庭には、様々な花が咲いていた。
「気に入ってくれたか?」
「とても」
レオンは嬉しそうに笑った。
「庭は自由に使っていい。君の好きなように、花を育ててくれ」
「本当に?」
「ああ。それから、これ」
レオンは私を屋敷の裏手へと案内した。
そこには、立派な温室があった。
「おまえ…いつの間に」
「婚約が決まってから、急いで建てさせたんだ。君が花の品種改良をするのに使ってくれ」
涙が溢れた。
「ありがとう、レオン」
「泣くな」
レオンは優しく私の涙を拭ってくれた。
「これからは、君の笑顔が見たいんだ。泣くのは、もう終わりにしよう」
「うん…」
私は何度も頷いた。
(ここが、私の居場所なんだ)
心から、そう思えた。
それからの日々は、信じられないほど幸せだった。
レオンは、私の全てを肯定してくれた。
「今日はどんなドレスが着たい?」
朝、レオンが尋ねてくれる。
「えっと…ピンクのドレスは派手すぎるかしら」
「派手なんかじゃない。君に似合うと思うよ」
初めて、好きな色のドレスを着られた。
鏡に映る自分は、まるで別人のようだった。華やかで、明るくて。
「綺麗だよ、エリーゼ」
レオンが後ろから抱きしめてくれた。
「君は本当に美しい」
(私、綺麗なんだ)
初めて、自分を肯定できた。
花の品種改良も、レオンは全面的に支援してくれた。
必要な資材はすぐに用意してくれるし、私の研究について興味深そうに聞いてくれる。
「この花は、どうやって作ったんだ?」
「二種類の花を掛け合わせて、新しい品種を…」
「すごいな。エリーゼは本当に才能があるんだな」
レオンの言葉が、嬉しかった。
そして、三ヶ月後。
社交界へのデビューの日が来た。
「エリーゼ様、本当にお美しいです」
侍女たちが私を華やかに飾ってくれた。青いドレスに、花の髪飾り。
「レオンが待ってるわ。行きましょう」
会場に入ると、周囲の視線が一斉に集まった。
「あれが、エリーゼ・ハーヴェスト嬢?」
「まるで別人のようだわ」
「あんなに美しかったかしら」
ざわめきが広がる。
「気にするな」
レオンが優しく手を握ってくれた。
「君は君のままでいい」
「ええ」
私は笑顔で頷いた。
パーティーが始まると、多くの貴族たちが私に話しかけてきた。
「エリーゼ様、お噂は伺っております」
「花の品種改良をなさっているとか」
「ええ。最近、新しい品種を作ることに成功しまして」
会話が弾んだ。
(ああ、私、普通に会話できてる)
抑圧されていた頃は、こんなに楽しく話すことなんてできなかった。
「エリーゼ様の改良された花、ぜひ見せていただきたいわ」
「それなら、来週、私の屋敷で茶会を開きますので、ぜひいらしてください」
「まあ、光栄です!」
初めて、自分から交友関係を広げることができた。
パーティーの途中、レオンが私をテラスへと連れ出した。
「疲れたか?」
「いいえ。とても楽しいわ」
「それは良かった」
レオンは私を抱き寄せた。
「エリーゼ、愛してる」
「私も、レオン」
星空の下、私たちはキスを交わした。
甘く、優しいキス。
(これが、恋なんだ)
初めて知った。愛される幸せを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして、半年後。
私の品種改良した花が、王宮で採用されることになった。
「エリーゼ・フォン・シュヴァルツ様、前へ」
女王陛下が私を呼ばれた。
「あなたが改良された『月光の薔薇』は、この国の宝となるでしょう」
「ありがとうございます、陛下」
謁見の間に、惜しみない拍手が響いた。
客席を見ると、レオンが誇らしそうに笑っていた。
(私、認められたんだ)
自分の才能が、ついに公に認められた。
謁見が終わり、王宮の庭園を歩いていると。
「エリーゼ」
聞き覚えのある声に、振り返った。
「ダリウス…」
元婚約者が、そこに立っていた。
「話がしたい。少しだけ時間をくれないか」
「…何の用かしら」
冷静に答えた私に、ダリウスは驚いたような顔をした。
「君は…本当に変わったな」
「そう? 私は何も変わっていないわ。ただ、本来の自分を出せるようになっただけ」
「そうか…」
ダリウスは苦しそうな表情を浮かべた。
「エリーゼ、俺は間違っていた。君の本当の価値に気づけなかった」
「それで?」
「やり直せないだろうか。俺と、もう一度…」
「お断りします」
即座に答えた。
「私を見てくれなかったあなたと、やり直すつもりはありません」
「エリーゼ…」
「それに、私には愛する夫がいます」
「エリーゼ」
背後から、レオンの声がした。
「レオンハルト…」
ダリウスは青ざめた。
「二度と俺の妻に近づくな」
レオンの声は、普段の優しさとは違う、騎士団副団長としての威厳に満ちていた。
「エリーゼは俺のものだ。お前が手放した宝を、俺が一生大切にする」
「くっ…」
ダリウスは悔しそうに唇を噛んだが、何も言い返せなかった。
そして、そのまま去っていった。
「ありがとう、レオン」
「当然のことをしただけだ」
レオンは私の手を取った。
「行こう。家に帰ろう」
「ええ」
私たちは並んで歩いた。
後で聞いた話だが、ダリウスとカミラの婚約は、結局破談になったそうだ。
カミラの浪費癖と我儘に、さすがのダリウスも耐えられなくなったらしい。
妹は社交界で評判を落とし、継母も立場が悪くなったという。
(因果応報、というやつかしら)
でも、私はもう彼らのことなど、どうでもよかった。
私には、大切な人がいる。愛してくれる人がいる。
それだけで、十分だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから一年後。
春の陽光が降り注ぐ中、私とレオンの結婚式が執り行われた。
会場は、私が育てた花々で埋め尽くされていた。
月光の薔薇、陽光の百合、星空のすみれ。
すべて、私が愛情を込めて改良した花たちだ。
「エリーゼ、本当に美しいよ」
レオンが微笑んだ。純白のウェディングドレスを着た私を、彼は愛おしそうに見つめてくれる。
「ありがとう、レオン」
誓いの言葉を交わし、指輪を交換した。
「改めて、これからもずっと一緒にいてくれ」
「ええ。もちろん」
私たちはキスを交わした。
会場に、盛大な拍手が響く。
出席者たちの笑顔。祝福の言葉。
(私は、幸せだ)
心から、そう思えた。
披露宴の最後、私はゲストたちに向かって話した。
「私は長い間、自分を出すことを恐れていました。地味だと言われ、面白みがないと言われ、自分には価値がないのだと思い込んでいました」
聴衆が静かに耳を傾けている。
「でも、違ったんです。私は地味なんかじゃなかった。ただ、ありのままの自分を出せる環境になかっただけでした」
レオンを見た。彼は優しく微笑んでいる。
「そして、ありのままの私を愛してくれる人に出会えました。だから今、私はこんなにも幸せなんです」
涙が溢れた。でも、それは悲しみの涙じゃない。
「どうか皆さんも、ありのままの自分を大切にしてください。そして、あなたをありのまま愛してくれる人を見つけてください」
会場に、再び拍手が響いた。
レオンが私を抱きしめてくれた。
「よく言えたな」
「レオンのおかげよ」
私は彼の胸に顔を埋めた。
「私を、私にしてくれて、ありがとう」
「こちらこそ、俺と結婚してくれてありがとう」
そして、私たちは再びキスを交わした。
花園に降り注ぐ陽光のように、二人の未来は明るく輝いていた。
私は、ついに見つけたのだ。
自分の居場所を。自分を愛してくれる人を。そして、ありのままの自分を。
これから先、どんなことがあっても。
レオンと一緒なら、きっと乗り越えられる。
そう信じて、私たちは新しい人生へと歩み出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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