第5話 「黄昏時 邂逅編~御堂誠齬~」
謹賀新年明けましておめでとうございます。
新年最初の『ヒトというナの』は、やっと物語がスタートラインに立つくらいかな、と思っております。
どうか飽きずに2011年も『ヒトというナの』、『精霊騎士物語』共々2つの物語に宜しくお付き合い下さい。
人々が当たり前に暮す現代。
それは知ってはならないモノが闇に隠蔽される事で保たれている表面上の日常世界。
こちらは”精霊と魔法が混在する隠された真実世界”の物語です。
お楽しみ下さい。
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灰の壁と黒の床に朱色の光が指す。
光は辺りを紅く染め、彩られたモノ達は黒い影を生む。
昼と夜。
対極に位置する存在が同居する僅かな時間。
黄昏時。
夕日と闇に彩られた駐車場。
そこにいる向かい合う2つの存在も対象的に見えた。
白銀と漆黒。
眩いばかりの銀色の髪を持つ少女の姿をした魔法使い、と日を浴びてもなお闇を纏う漆黒の肌をした異形の形の悪魔。
こんな悪魔が現実にいて、それを相手にする等と俺の知る世界には有り得ない夢のような光景。
夢にしても間違いなく悪夢の類に入る光景だろう。
黄昏に染まる駐車場が別世界なら、西日が差し込む空間に佇む2つの姿は別世界の住人に感じた。
「今度は逃がさない」
彼女が今しがた口にした台詞。
『今度は逃がさない』
軽く吐き捨てたその台詞にセイゴは驚愕した。
激痛と出血で朦朧とする意識と視界をクリアにする驚くべき台詞は、アイリスがこれまでにこの悪魔と対峙した事と、悪魔がアイリスから逃げた事を指している。
セイゴはいつの間にかアイリスから眼が離せなくなっていた。
そして魔法使いが呟く。
―この手に銃を―
―私は銃把を握り、標的を定め、銃爪を引こう―
魔法使いの細く透き通った声は女神の神託を聴いてるように美しく、淀みなく響く言葉は歌を歌っているようだった。
紡ぎ出される言葉は駐車場内の空間自体に聴かせるように静かに、されど隅々までハッキリと響いていく。
その言葉に応えるようにアイリスの周囲の景色が歪み、全身が淡く発光し銀の風が吹く。
霞がかったような光は白糸のような銀色の髪を包み、尚も膨らむ銀光が全身を包んでいた。
―嗅ぐは硝煙
―聴くは銃声
―視るは標的
アイリスの言葉はこの場にいるセイゴに聴かせる為でもあったのだろう。
耳に入る言葉は日本語で、魔法使いを教えると宣言した通りセイゴにも理解出来る内容。
魔法使いの口から溢れてくる言葉はセイゴの耳に美しく聴こえる。
だが、その内容を口にする少女の小さな背中にセイゴは一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
―籠めるは魂と心
―放つは七つの弾丸
銀光が空間に線を引いていく。
それは軌跡を残しながら空間に幾何学模様を描いていた。
アイリスの周囲に浮かび上がった幾何学模様の数は7つ。
それらは口から溢れ出る文言が直接宙に刻まれたかのようだった。
―装填
キイイイイイイイイィィー…ン
幾何学模様が音を立てて銀光から緑光へと変わっていく。
その光景は幾何学模様に何かが溜まっていっているように連想させる。
激しい音と光を放つ幾何学模様に大気が濃縮されていくような錯覚。
また、屋上や教室で見たものと籠められる量も質も違うようにセイゴは感じた。
『キイイイイイアアアアア■■■■■■■ーー!!!!』
突如微動だにしていなかった悪魔が雄叫びを上げる。
「くっ!」
耳の鼓膜をつんざくように刺激する悪魔の声にセイゴが怯み声を洩らす。
外見と裏腹に腹の底にまで鳴り響く悪魔の叫び声は雄叫びというより超高音の悲鳴のよう。
。
アイリスの声が空間に語りかけたものなら、悪魔の叫びは建物を揺らしていた。
悪魔を中心に放射状に青い光が走る。
表面に青い皮膜の光を纏い建物が命を得たように鼓動を開始する。
―鉄骨は軋み、
―壁に亀裂が入り、
―床が――歪み、波打つ。
「な、なんだ!?」
足下。
その床下を何かが大量に這いずるように蠢めいていた。
駐車場内の床も壁も剥き出しのコンクリートで出来ている。
そのコンクリートの表面だけを残し、すぐ下を細長い生き物が蠢く光景は灰色の皮膜の下を虫が這いずっているようにしか見えない。
――気持ち悪い。
思わず悪寒が走る。
だが、
それは床だけでは無かった。
壁も、床も、天井さえも建物全体が生き物のように動き出し、まるでこの駐車場が生物で、ここがその生物の内腑の中にいるような状態。
コンクリートが歪み、波打ち、蠢くなんて有り得ない光景だった。
そして、
その光景には続きがあった。
波打つ面は蛇が鎌首を持ち上げるように盛り上がり、天井は水滴が滴るように盛り下がる。
それらはブルブルと揺れながら凸型に延び始め、大量に出来上がったそれらは重力に逆らい一斉に先端を向けてきたのだ。
ここまでくればセイゴでも充分理解出来る。
これらは悪魔の牙であり爪だ。
『ア■■■■■■■ーー!!!!』
悪魔の叫びに床、壁、天井、上下左右が一斉に牙を剥いた。
牙というより鋭く伸びてくるそれらは針であり大量の棘だった。
セイゴは無くなった右腕、その根元を止血するため押さえ込んでいた事も忘れアイリスを掴もうと左手を伸ばす。
前方、左右上下に逃げ場は無い。
だが、後方には変わらぬ景色があったから。
―あんなの相手に出来ない
―アイリスを連れて逃げるしかない
本能が逃走を選択し前に立つアイリスを掴む為に伸ばした手。
奇しくも俺は右手を喰われ、彼女は右手を怪我していた。
必然的に左手は彼女の左手へと伸びていた。
されど、その手は彼女の言葉によって打ち切られる。
「御堂君はその場を動かないで」
アイリスの左手に触れそうだった手が止まる。
背を向けた小さな魔法使いにセイゴは『何をするんだ?』等と口にしない。
そんな事をわざわざ聞かなくとも彼女が何をするか分かっていたから。
凍るようなアイリスの蒼い瞳は無表情に悪魔を見詰めていた。
そこには恐怖の色も何もない。迫る棘の向こうにいる只の標的を捉える寒々しい程冷静な視線。
―ガチリッ
音がした気がした。
気のせいかもしれないが、アイリスを見ていたらそんな音が聞こえた気がしたのだ。
撃鉄を引き起こすような音が。
―私はあなたを撃つ
アイリスの周囲に浮かぶ幾何学模様が火を吹いた。
強発光する7つの紋様から延びた光芒が雨のように突き出た棘その全てを撃ち落とす。
下から延びる棘を、前方から飛来する針を、緑光が完全に粉砕していく。
悪魔の牙ならぬ棘が肉眼で辛うじて把握出来る速度なら、アイリスの閃光は一閃。
素早い筈の棘が鈍重に感じる程瞬く間に一瞬で打ち緒としていく。
「これが・・・魔法使いの戦い・・・」
駐車場内は最早駐車場だった原型を留めていなかった。
駐車場内は童話に出てくるいばらの森のように生きた植物の根と棘に満たされていた。
そんな中、無尽蔵に突き出る棘をアイリスは7つの閃光によって触れる事さえ許さない。
空中で棘を砕き、砕いた破片を更に撃ち砕く。
悪魔の棘が一つ延びる内にアイリスの緑光は三度走る。
アイリスは一歩としてその場を動く事無く、微動だにせず、舞い散る粉塵さえも彼女へと触れる事は叶わない。
これは謂わば互いの領域を侵食する陣取り合戦。
魔法使いと悪魔が陣の奥にいる大将に牙を突き立てる為に互いの領域へと陣地を拡げていく。
一見拮抗している様に見えた両者の攻防。
それは、セイゴの眼から見ても明らかにたった7つの光がいばらの森を圧していた。
悪魔も劣勢を感じたのだろう。
森の奥にいた悪魔は自身の領域を侵す魔法使いを直接迎撃しようと身を動かした。
だが――
アイリスはいばらの向こう側、森の奥に隠れていた獲物が出てくる瞬間を待っていた。
針の穴を通す程の隙間から悪魔の姿を視認し捉えたアイリスが呟く。
「そこ」
ゴオオォォンッッ!!・・・・
大気を揺るがす衝撃。
静寂をぶち破る轟音とともに、夜を切り裂く閃光が走る
アイリスが放ったその弾頭は光ったというぐらいでしか視覚で捉えることなんて出来ない。
7つの内の1つから発せられた緑光は駐車場を光の渦に埋め尽くす。
いつまでも網膜に軌跡が残るような緑の一閃。
聞こえたのは聴覚が捉えた大気を切り裂き悪魔の遥か後方でした破壊の音、
そして――
『ギイィィアアアアアアアアアアア!!』
胴体の右半身、その大半を失った悪魔が悲痛な叫びを上げた事でその銃弾は確かに存在していたのだと認識するだけだ。
アイリスが放った超高速弾がその速度と圧力を持って全てを飲み込んだ。
いばらの森は吹き飛ばされ、後に残された致命傷を追った悪魔に残された手段は撤退だと思った。
しかし、
悪魔は撤退する事無く血飛沫を上げながらアイリスに向かって跳んだ。跳んだ先、そこには俺の知っているアイリスは、目の前にいなかった。
「いけ」
俺の予想通りアイリスを強襲した悪魔、その腕はアイリスに触れる事無く破裂するように吹き飛び辺り一面にどす黒い血を撒き散らした。
やけに浮世離れした印象だった。
風圧の余韻なのか、風に揺れる白銀の髪。
硝子細工のように透き通っていてどこか生気を感じさせない瑠璃色の瞳は、目の前で悪魔が血渋きを上げ頭から全身にその血を浴びても波一つ立つ事の無い水面のように落ち着いている。
一撃で悪魔の世界を吹き飛ばし、大穴が空いた壁面から漏れ出る夕日に照らされるアイリスの姿は、神話を描いた悪魔と戦う天使のようで、鮮血に濡れた怪しさが相まって神秘的なこの世界で尚美しい。
悪魔が凶悪な殺意を振り撒く拷問処刑機ならば、圧倒的な破壊を生み出すアイリスは殺害する事を目的とした洗練された美しさを備えた武器だった。
両腕を無くしたたらを踏み、呻き声を洩らした悪魔は虫の息。
それでも縦に割れた瞼の中にある瞳は殺意を帯びていた。
「危ねえ!」
その声を上げたのはセイゴ。
元に戻った駐車場、アイリスの死角。
その背後の影のコンクリートが微かに歪むのがセイゴに見えた。
セイゴの声にアイリスが振り返る。
背後にはコンクリートを媒介に形成された針が既に鋭く尖端を伸ばし射出されていた。
「えっ―――」
こんな戦いで負ける事も無ければ、この程度の相手ならば自分が傷を追う事さえ無いはずだった。
「なんで?」
アイリスは戦いにおいての全ての判断が間違っていない。
事実、アイリスは悪魔を圧倒しその砲ともいえる灰色の針は当たっていない。
しかし、正解ともいえない。
それは一人で戦い続けてきたアイリスの失念だった。
戦闘中絶えず無表情だった鉄面皮が苦痛に歪む。
その無表情を壊したのは、盾にでもなるかの如く身を割り込んで来た存在だった。
「ぅぐっ、がふっ・・」
振り向いたアイリスの前には口から吐血するセイゴが立っていた。
セイゴが自らの腹部を見ると、胴体から丸太のような棘が生えていた。
棘はセイゴが手で触れるとひどくあっさりと抜け落ちてゴトンと地面に転がった。
溢れ出る血は左手だけでは押さえ込む事も出来ず、麻痺した感覚ではソコがどうなっているかも、自分がどういう状態なのかも分からない。
頭にあるのは気が付いたら体が動いていて、あの時の少女がどうなったかということ。
セイゴが血を垂れ流しながら顔を上げると、真正面に白銀の髪をした蒼い瞳で真っ直ぐ見てくる少女がいた。
「なぜ、あな■は私を庇ったん■■か」
彼女の声はノイズが激しくて中々聞き取る事が出来ない。
どてっ腹に風穴が空いたせいなのか、血が無くなりすぎたせいなのか、それとも死が近いせいなのかは分からない。
―分からないけど、
―おかげで全て思い出した。
昨夜、夜の公園に空から舞い降りてきた天使に思えた白銀の少女。
あの灰色の廃ビルの中で見た、触れれば消えてしまいそうな儚い存在に感じた女の子が今目の前にいる。
「なぁ、君は人間なのか?」
「私は・・・■■■■・・」
俺の質問にアイリスは悲痛な表情をした。
聞かれたくない、答えずらそうなそんな顔。
何でそんな質問を口にしたのか分からない。
この時の俺は出血多量のせいで正常な思考ではなかった。
だからこの時の俺と彼女の会話は彼女に聞かせる為でもなく、ましてやこんな風に戸惑わせ悲しい表情をさせる為でもなく。
―『御堂誠齬』という名の人が呟いた独白―
彼女が廃ビルの中で泣きそうな表情の姿が脳裏に焼き付いている。
暗闇の中で泣きそうな顔をしていたのは何故だったのだろう。
今も大きな青の瞳を泣きそうに揺らしているのは何故だろう。
その原因は俺には分からない。
分からないけど、初めて彼女を見た時に思った事を口にした。
「こんな綺麗な人見たことねえよ」
なんてクサイ台詞言ってんだろ俺。
こんな状況じゃない限り口に出せない本心は、呟くどころか霞がかかってきて、もう一つの思いも考える事が段々出来なくなっていく。
空から舞い降りた少女。
彼女がどこから来たのか分からない。
だけど、天上から降りた高位の存在に感じた少女の姿は今もあの夜もあまりにも小さく孤独に見えた。
孤高じゃなくて孤独。
廃ビルで見た姿。
駐車場で戦う姿。
あの廃ビルでも今と同じように一人で戦って血を浴びたのかもしれない。
小さな女の子が血にまみれ一人で佇む姿はあの日も今も辛く悲しくて淋しい。
「―――――あっ」
震える掌で彼女の頭を撫でた。
今の俺に出来る最大の動作。
アイリスは頭に伸びる手に僅かに声を洩らした。
頭を触れられただけで驚くなんて彼女らしくない。
俺みたいなただの人間は彼女にとって恐怖でも何でもないのだから、単純に誰かに触れられるという行為に驚いたのかもしれない。
掌に収まる頭は小さく、置かれた高さは低くあまりにも華奢。
月の恩恵を浴びてなお月さえも色あせてしまいそうな白銀の髪。
アイリスとは知り合って間もない。
それなのに、普段の彼女は何も表に出さないようにしている。
血を浴びても冷静な顔をする。
人形のような表情を常に形作る様は自らを人じゃないと言っているように思える。
なめらかで誰も触れる事を戸惑ってしまう、そんな不可侵の新雪のような肌。
触れた指先はやはり冷たく、それでいて確かにそこに彼女が存在すると分かる程にほのかに温かい。
黒と白銀のコントラストが素肌の白を際立たせ、左手で瞳にかかる前髪をどける。
黒髪の奥にある蒼の瞳は俺を憑かれたように、反らす事もなく、瞬きもせずに俺の顔だけを見つめていた。
どこか幼さが残る顔。
それでいて危険な匂いをさせた不思議な魔法使い。
そんな彼女と俺は時が止まったかの如く見詰め合っていた。
──しかし、
──それもほんの僅かな間。
俺の身体は意思ではどうにもならない程に血が流れ過ぎていたから。
燃えるように赤く、闇のように暗い二つの相反する世界が混在する黄昏時の駐車場。
昼は終わり、漆黒の夜の世界が間近に迫っている。
ここで途絶えてしまうのが名残惜しい。
目の前にいるのか記憶にいるのか、俺は白銀の少女をぼんやりと眺めた。
─彼女は人という名の存在とは思えない程美しい。
崩れるように薄くなる映像を鮮明に焼き付けながら意識は薄く削れていく。
落ちていく闇の中。
感じるのは暗闇と泣きそうな顔をした少女の暖かさ。
彼女が泣くような悲しい世界は許せない。
「そんな顔すんなよ」
上手く出来たか分からないが、セイゴはせめて笑ってみせた。
──少年はそれから何も言わず、沈黙し糸の切れた人形のように地へと崩れた。
───こうして、───
もう戻らない俺の日常は崩壊し終わりを告げ、俺は真実の世界へ足を踏み入れた。
そして──
ここから一人の少女と、少女と世界を天秤にかける事になる少年の物語が始まる。
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◇◆◇◆
─Fusillade=一斉射撃
─Je tire sur vous=私はあなたを撃つ
─Balle=弾丸
えっと、此方の世界の主人公の基本的戦闘スタイルは素手です。
その状況に併せてスタイルを変更出来る万能型ですが、基本的には素手です。
そりゃもうガチで!
―次回予告―
突如誠齬が足を踏み入れてしまった裏の世界。
次々と明かされる世界の真実に困惑する誠齬に、アイリスは淡々と隠された事実を説明していく。
二人が話をしていたのは彼女の魔法により誰もいなくなってしまったファストフード店だった。
「私が所属するのは魔法協会。記憶を失くすのが嫌なら協会に所属しないと御堂君、あなたは『騎士』に消されてしまうわ」
第6話
「魔法使いと男子生徒」
─白銀の少女から聞かされる真実。それは彼女の所属と精霊と魔法が混在する世界を支える協会の話だった─
※ほぼ同時進行で進めていきます、
『精霊騎士物語』
”精霊と魔法そして人間が当たり前に共存する世界”の神秘的で不思議な異世界譚!
も良ければ併せてお楽しみ下さい!