第1章 ”世界の監使者” 第1話 「白銀の転校生 前編」
やっと『ヒトというナの』本編が始まりました。
人々が当たり前に暮す現代。
それは知ってはならないモノが闇に隠蔽される事で保たれている表面上の日常世界。
こちらは”精霊と魔法が混在する隠された真実世界”の物語です。
お楽しみ下さい
今は暗闇が支配する夜の時間。
しかし、電気が発達した現代の街では夜行性じゃなくても気軽に徘徊することが出来る。
夜の街では光があるから出てくるのに、影を好み、集まり、蠢く者達がいる。
そんな影が粘土のように蠢く暗闇に向かって一人の男は走り出した。
屈んでいる男の背後に無言で迫る。
サッカーボールを蹴り飛ばすように何の躊躇も無く頭に向かって足を振り抜いた。
ごんっ。
固い物同士をぶつけたような鈍い音がして、側面から頭部を蹴り飛ばされた男は声を漏らす事無く地面へと倒れた。
。
急にその場に現れた襲撃者。
そこにいる集団の誰もが一瞬何が起こったのか分からなかっただろう。
薄暗い街灯を浴びて微かに見える襲撃者の姿は彼らと大して変わらないであろう年齢の青年だった。
誰かが叫んだ。
誰かという単体より複数でおそらく全員。
足元に転がした奴の仲間だろう。
あっという間に青年は囲まれた。
囲んでしまうとそいつらは威圧を込めた声を更に張り上げだす。
男の一人が気持ちの悪い笑みを浮かべ、ポケットから黒い塊を出していた。
黒い塊は二つに割れると中から鈍い光を放ち出して、振り回しながらカチャカチャと音を出して存在感をアピールする。
男が廻しているモノは『バタフライナイフ』と呼ばれる物だ。
こんな奴らが己を誇示するために通販なんかで手軽に手に入れる事が出来る物。
刃渡りは10センチが良い所だが、急所を狙えば人を殺せる紛れも無い凶器。
でも、覚悟が違う。
力を誇示したところで強いわけでは無い。
力を持てば強くなると勘違いする者達。
それが通じない者もいる。
その凶器を回した瞬間に男に詰め寄り、左手で無造作にナイフを持つ手を握る。
二つに折れたナイフは勢い良く手を挟むが切れることも無く、空いてる右手で顔面を殴り飛ばす。
目の前に現れた異質な男にというより、自分に向かって威勢良く声を上げる男達。
周りの連中もやはり簡単だった。
わざわざ掴みかかってから殴ろうとしているのだから。
せっかく背後を取っているのなら、掴みかかってからでなくそのまま後頭部を殴ればいい。
別に、逃げる気も無いのだからわざわざ殴る予告をする必要も無い。
まあ、どちらにしても当たるハズも無いのだが。
三人、四人、五人叩きのめす。
怒り、怨み、恐怖。
次々と倒れていく男共が喚く声はやけに耳に付いた。
中には女もいたかもしれない。
声を出せるコイツラが癪に障る。
出したくても声を出せない者もいるのに。
「俺に近寄るんじゃねえよ」
張り上げる訳でもない呟くような低い声。
俺はこの場に来て初めて声を出した。
おそらく七人目辺りだろう男が倒れた時に気が付くと、残りの連中はいなくなっていた。
別に逃げる所を捕まえる気も無ければ、足元に転がる奴らも本当の意味で動けなくするつもりもない。
ポケットから携帯電話を取り出すと、迷う事無く番号を打ち込み通話ボタンを押す。
電話は数回もコールする事無く繋がった。
「救急車をお願いします」
緊急回線に答えた愁いを帯びた声は歳相応の少年の声だった。
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-世界は尊く儚く脆い-
あなたが今見ている世界はそんな世界-
目に見える広がる世界は銀色の世界。
聞こえる声はとても静かでどこか哀しい。
−・・さん−
白銀のまどろみの中俺を呼ぶ声がする。
−兄さん−
この人という種が住み着く灰色に敷き積められた世界では異質に思える程美しい。
そんな銀色の輝きの青い瞳の少女だった・・・
「兄さん起きて下さい!」
「んあっ?」
ボヤけた視界に飛び込んできたのは栗色の髪の少女。
サイドでまとめた髪の毛をオレの胸元に垂らして覗き込んでいる。
「なんだ・・・誰かと思ったらナミじゃないか」
夢というのは転じて忘れてしまうモノ。
この眼に見えるものこそが揺ぎ無い現実。
さっきまで頭にあった夢の世界は、目の前にある現実によって既にどこかへ霧散して消えてしまっていた。
「何を当たり前の事を言ってるんですか兄さんは」
寝ぼけてないで起きて下さい、と腕を引っ張って無理矢理起こしてくる少女はオレの妹、『御堂 那美』だ。
同じ学園に通う妹は既に学園の制服であるチェック柄のプリーツスカートに黒のワイシャツを着ていて、緑色のリボン胸元で揺れていた。
俺の名前は御堂セイゴ。
朝は大体規則正しい生活を過ごしている。
それはしっかり者の妹がこうして毎朝起こしてくれているおかげだ。
「ミズホさんも来てるんですから、さっさと着替えて降りて来てくださいね」
「もうそんな時間か、分かったよ」
二つ返事で背伸びをすると、起きた事を確認した妹は溜め息をしながら部屋を出ていった。
「んん、そんじゃ着替えるとするか」
いつの間にか妹によって開けられていた窓から入る風がひんやりして心地良かった。
五月に入りたてのこの時期は、朝の空気はまだ少し冷たい。
深呼吸して肺に酸素を送り込むと眠気は一気に覚めてくれた。
洗面所からネクタイを結びながらリビングのドアを開けると、朝食の良い匂いがしてくる。
俺は既に上下黒のスウェットから、焦げ茶色のスラックスと白いワイシャツに着替えていた。
ネクタイは顔と歯を磨いてから、ブレザーは朝食を食べてからだ。
本当ならも着替える事自体後にすべきだが、なんせ二階にあるオレの部屋から洗面所がある一階に下りてまた部屋に戻って着替えるというのはいささか面倒くさいのである。
「やっと起きて来たのね」
リビングと一間で繋がったダイニングにはいつもの女の子がいた。
那美と同じ格好にエプロンを着けたポニーテールと大きな茶色の瞳が特徴的な女の子。
「せっちゃんは相変わらずナミちゃんに起こされないと起きないんだから」
「まあ昨日は特にバイトで疲れたからな」
「どうせまた帰りに寄り道してきたんでしょ」
艶々の真っ直ぐ伸びた黒髪を揺らしながらパタパタとスリッパを鳴らして台所に入っていく彼女は『桜 瑞穂』。
俺を”せっちゃん”と呼ぶ瑞穂はいわゆる幼なじみというヤツで、俺ら兄妹と同じ高校に通う彼女は毎朝やってきては御堂家の朝食を妹と準備してくれるのだ。
ちなみに、那美の髪形をサイドポニーに整えているのと御堂家の朝食の準備が瑞穂の日課らしく、那美も瑞穂を姉のように慕っている。
そんな仲良しの二人は今も笑いながら台所で料理をしていた。
毎朝見ていても気分の良い光景だ。
といってもほとんど作るのは瑞穂であって、壊滅的な料理しか作れないナミは唯一つの可能調理である卵焼きとご飯炊き以外は補助に徹している。
「セイゴ~そんな所でニヤニヤと二人のエプロン姿を眺めてるんじゃな~いの」
「なっ!?サユリさんっオレは別にニヤニヤなんてしてないって!」
リビングでソファーからひらひらと手を振る女性は『小百合』さん。
小百合さんと呼んでいるが、俺と那美の母さんだ。
「兄さんのエッチ~」
「せっちゃんのスケベ~」
「セイゴのバ~カ」
「最後のサユリさんのは種類が違うでしょ!」
「はいはい、分かったから店からコーヒーのお代わり淹れてきてくれない?」
彼女達三人はとても仲が良くて、基本的に男一人な俺は三人が揃うと勝ち目が無いのだ。
「むぅ・・・分かったよ淹れてくりゃいんだろ」
廊下にある木造りで少し重めの扉から先は、俺たちの御堂家の人間のためにある場所では無い。
部屋中に染み付いた豆と茶葉の香り。
我が家でありながら靴を履き、コツコツと歩く度に鳴る床板。
黒光りする木の床に壁太い梁の走る天井、その間の壁はクリーム色。
少し固めの椅子とソファー、それにテーブルは全て木製で温もりを感じさせてくれる。
長い木のカウンターを潜ると、棚には趣味で集められた食器が並び、調理台に小さなオーブンもある。
外観にはモンタナの花が柱と看板に絡まり甘い芳香を放っている。
茶色の看板に書かれた文字。
喫茶『Sayuri』
それがこの店の名前。
その名の通り小百合さんが経営者兼マスターをしている喫茶店。
茶とクリームで統一されたこの空間は、この店に来てくれるお客様のための空間だ。
細口のドリップポットに蛇口から水を勢い良く注ぎ火にかける。
次いで俺は冷蔵庫から水に浸してある布のフィルターを取り出して絞り、更にタオルなどで水気を取っていく。
『Sayuri』では基本的にこのネルフィルターを使ってコーヒーを淹れる。
「おっと、もう沸いたか」
シュンシュンと鳴る湯沸しの音さえ響く静かな店内。
沸騰したお湯は、布とカップ、サーバーに使っている内に冷めてコーヒーの抽出には適温になっているだろう。
「お湯も適温、粉も蒸らしたし、いざっ」
作業工程を確認しながら、ゆっくりと「の」の字を描くように一定量を保ちながら注いでいく。
細かい泡が立つ粉から布を通して温かいサーバーに香りが滴っていく。
基本的に小百合さんが一人でやっているこの店の営業は10時からで、この時間は営業中のプレートも小さな黒板の角にぶら下がり店の入口に飾られる時を待っていた。
営業中のお客さんは、ご近所さんやタクシーの運ちゃん、学生やサラリーマンの一人客が常連として訪れる。
常連の割合が多いこの店には新しい客や若いカップルとかはあまり馴染めないのかもしれない。
しかし、ココの味と居心地の良さがクセになってしまったお客さんは数多い。
常連達はこの安らげる空間と小百合さんの淹れるコーヒーと紅茶を飲みながら雑談や読書、書き物や流れる音楽に耳を傾けたりと自分の自由な一時を楽しみに来る。
営業中に流れる音楽が止んでいる今でもココにはゆったりとした時間が流れている。
それは単に店の雰囲気だけでなく、この店の持ち主によるモノなのかもしれない。
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「うぅ~ん、上手くなったわね。こんな美味しいコーヒーを淹れれるのに本人は飲めないなんて損してるわね」
「こんなのが何でそんな飲みたくなるのか分からないね」
コーヒー<紅茶=緑茶党の俺は、ダイニングテーブルからリビングのソファーに座る小百合さんと談話していた。
「フフッアンタにもそのうち分かるわよ」
カップから立つ湯気を吸うように香りを楽しみながらコーヒーを美味しそうに飲む小百合さん。
ソファーに座ってコーヒーを飲んでいるだけなのに、綺麗な顔立ちでウェーブの髪を耳にかけて飲む姿が優雅に感じてしまうのは彼女の努力による賜物だろう。
「それに・・・そろそろ飲みたい頃だと思ってね」
カップをテーブルに置いてサユリさんが見るのはリビングに飾ってある一枚の小さな写真。
「あの頃のは『さゆり』まだ学生でね、顔が見たくて彼女が働いていた喫茶店に毎日通ったわ。そしたら、いつの間にかこの味も好きになってたのよ」
この話はオレがコーヒーを淹れれるようになってから聞き続けている話だ・・・その数は数えきれない。
写真に写っている栗色の髪の女性は紛れも無い那美の生みの親であり、サユリさんの妻だった人。
「サユリさんが男性だった頃の写真ってそれだけなんでしょ?」
飾られた写真の『さゆり』の隣、影に折られた部分にいる男性は、色々な事情があって今は『小百合』をしている。
「そうね、私が『サユリ』になった頃に他は処分してしまったから」
「まあ、別にサユリさんじゃない頃を見たいとも思わないしな」
「なんか良いんだけど、それはそれで少し寂しいわね」
台所から朝食を運んできた瑞穂も”サユリさん”と呼んでるし、俺らの実際母さんなのだからそれで良いと思う。
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制令指定都市にも指定されている『千代市』には100万人が住んでいて、都市の中心部を住人は『街』と呼んでいる。
大都会と呼べる程の超高層ビル群は無いが、その分栄えている『街』を離れるとスグに緑があるという適度な都会だと思う。
同じ学園に通う俺ら三人は少し急ぎ気味の登校をしていた。
街の中心部に近い位置に住む我が家を出ると朝の雑踏が心を更に急かし出す。
「せっちゃん、ちゃんとお弁当持った?時計は?ハンカチは?携帯は充電してきた?」
「そんな何回も言われなくても持ったって」
「いっつも忘れるからよ」
「もう兄さんが起きるのが遅いからまた遅刻ギリギリじゃない」
「まぁそんな慌てんなよ」
「兄さんは少しは慌てるべきですっ!」
俺らの通う『青鳳学院』にはいつも歩いて登校している。
普通に歩いて40分、走れば20分の距離にあるから散歩をかねた登校としては適度な距離だ。
『青鳳学院』の学生服は特徴的で非常に目立つ。
男子はそこらへんに売ってる普通の白のワイシャツに焦げ茶色のスラックスにネクタイとクリーム色のブレザーだ。
それに対して・・・
女子は学生服には珍しく黒色の生地に袖と襟に金字の刺繍のラインが入った特注のワイシャツ、茶色のチェック柄のプリーツスカートとボディラインがはっきりと出てしまうウェストが引き締まったクリーム色のブレザーだ。
この目立つ女子の制服を女の子達は皆して可愛いと言っているのをよく耳にする。
しかし、こんな着る者を選ぶような制服は、万人向けの学生服とは言えないと思う。
この制服が似合うのは、服に負けない存在感の持ち主でないと、服に着せられるだけだ。
「どしたのせっちゃん?まだ眠い?」
お気に入りの茶色の革靴を履いた細くも張りのある足。
細い腰まで伸びた真っ直ぐの黒髪を赤いリボンで纏めたポニーテール。
美人でありながら可愛らしさを持つ茶色の瞳の幼なじみ。
「たまには私に起こされずに起きて下さい」
スラッと伸びた足の太ももまで上げてある黒いニーソックス。
幼なじみとお揃いの赤いリボンで髪をサイドで纏めたサイドポニー。
母親譲りの柔らかそうなふわふわとした栗色の髪をした少し童顔な我が妹。
そんな容姿もスタイルもばっちりな二人は、嬉しい事に見事なまでに『青鳳学院』の制服を着こなしているから眼福だ。
瑞穂の胸元では大きな赤いリボンが揺れている。
制服のリボンの色は学年を表していて、瑞穂の学年は二年生で赤。
男子の場合はネクタイで、瑞穂と同じ学年、同じクラスの俺のネクタイには赤い斜線の柄が入っている。
俺らより一つ下の那美は一年生の緑色のリボンだ。
「せっちゃん、たまにはバイト帰りに寄り道しないで帰って来たら?」
「それは譲れないね」
「もぅ、別に何かしてくる訳じゃないのに、兄さんはいっつも真っ直ぐ帰らないんだから」
きっと皆にも分かって貰えるだろう。
毎日通う学校。
放課後に行くバイト。
いずれにしても繰り返す毎日とは得てしてどこか憂鬱さがまとわり付く。
それが差すモノは、決して予想外の展開なんて起こりえない壊れる事の無い自分の世界。
そして、それが幸せな日々だという事も分かってる。
でも、そんな日々に何か起こる事を期待してる自分がいる。
だからオレは学校もバイトも、終わった後に真っ直ぐ家に帰る事は無い。
どんなに疲れていても、バイトが終わるのが深夜でもだ。
深夜という多くの生物が活動を停止している時間帯は、電気という発明により人は克服した。
しかし、基本的に日と共に活動する事を長い時間繰り返してきた人間は、電気という発明を持ってしても克服出来ない睡眠欲に囚われて深夜に活動する人は数少ない。
従って、一般的な高校生である自分を目当てにして営業してる店もまず無い。
だから、バイトが遅くなると決まって寄るのは都会のオアシスのコンビニか、公園だ。
昨夜も確かバイトが終わるのが遅かったから・・
ズキン!-
昨夜を想い出そうとしたら頭に頭痛が走った。
なんだろうか、覚えのないこの痛みに違和感を感じる。
「ぐっ!?」
鈍器で殴られたような痛みに思わず足が止まってしまう。
「兄さん?」
「あぁ、ちょっとクラッときただけだ」
下から首を傾げて上目使いに覗き込んでくる妹の顔。
栗色の髪をした少女は泣きそうな顔をしていた。
「ただの寝不足だよ」
「もぅっ!だから寄り道なんてしてないで真っ直ぐ帰って早く寝て下さい!」
「じゃあ、今日は寄り道しないように私がせっちゃんを連れて帰るから安心してねナミちゃん」
「んん~ありがとうミズホさ~んっ」
顔を真っ赤にしていた那美は瑞穂に頭を撫でられるとあっという間に笑顔に変わる。
怒る那美をあやすのは俺より瑞穂の方が上手い。
妹の頭を撫でている瑞穂は、那美にとってホントに良いお姉さんだ。
「バイト先に行くと迷惑だから、終わる頃にいつもの公園で待ってるからね」
「あぁ、分かった分かった」
オレの体調に関して昔から心配性なナミ、そんな妹に優しい幼なじみ。
そんな二人に俺も心配かけてはいけないな、なんて考えていると不思議な事に頭痛も違和感も薄れていった。
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『青鳳学園』は街の中心部から少し外れた所にある。
広く広大な敷地内では、幼稚園から大学まで経営している私立学校でちょっとした名門校だ。
そのため、高校も大学も偏差値は平均値より高く、エスカレーター式に幼稚園から大学まで上がっていく者も多い。
俺と瑞穂は公立の中学を卒業して、御堂家から歩いて30分の距離にあるからという理由で青鳳学院の高等部に入学した。
妹の那美も、まあ似たような理由だ。
いや、それは本当は俺だけの理由だった。
本当は、瑞穂と那美は町外れにある学校を受験していた。
もう一つの青鳳学院と呼ばれる『青鳳女学院』。
世界のVIP、官僚や金持ち達が通う超お嬢様学校にも入学出来るレベルだったのだが、完全寄宿舎制で規律も厳しいからという理由で数ランク落ちる俺と同じ共学の青鳳学院に入学したのだ。
青鳳学院は制服も特殊だが、その中身も特色が強い。
格式も高く規律の厳しい女学院と制服は同じだが学風は全くの正反対で、生徒による自主性が非常に高い。
どれだけ凄いかと言うと、それこそ単位を取得するカリキュラムや講義、授業といえるもの以外はほとんど全てといっていい。
それは主な学内行事や末端の学則に留まらず、部活動や委員会、各教室の備品、購買の商品に至るまで生徒会に名の元に管理され構成されている。
余程の事じゃない限り教師は生徒の行いに口を出さないし、許可を取ればまず大抵は許可されてしまう。
例えば、
「どこかのトイレが臭う」
と、学校の出来事に疑問や改善点が生徒会に寄せられたとする。
それに対して、徹底した調査と議論を交わして工事が必要と判断したならば、早急に専門の施工業者との見積りから予算交渉、発注に工事期間の代替に至るまで全て生徒が監督する。
生徒なんかにそんな任せて良いのか、と思うかもしれないがそこはやはり名門に通う生徒達。
それぞれが”自分達でより良い学生生活を作る為に”日々生徒が議論していて、そこに問題行動、妥協やおふざけは全く無い。
だから、教師らもそんな生徒達に全幅の信頼を置きその自主性に任せているのだ。
俺がひとえにそんな自由度の高い『青鳳学院』に入学出来て、尚且つ今の二学年に進級出来ているのは瑞穂と那美という優秀な家庭教師のおかげだったりする。
叫び声が飛び交う学園の昇降口は街よりずっと騒がしかった。
「それじゃあ、先に店で待ってるからねミズホさん」
「ええ、今日は生徒会がスグに終わるからいつもより早めに『sayuri』に行けると思うわ」
「うんっ!先に『sayuri』で待ってます!兄さんも今日は早く帰るんですよ!」
「分かったから早く教室に行けっ」
学校がある日中は無理だが、那美と瑞穂は喫茶『sayuri』の手伝いをしている。
テニス部の那美は部活が休みの日、生徒会に入っている瑞穂は生徒会が終わった後だ。
那美は自宅の手伝い。
瑞穂に限っては規則が厳しい桜家が許した唯一のバイト先だったりする。
ここ数年、店の売り上げはこの不況時に右肩上がりで、高くは無いがちゃんと平均的な給料は出ているし二人は仕事にも満足して働いている。
実は店の売り上げ上昇は、この二人の影響だということを俺は知っている。
別にウェイトレスの制服は特別な訳でも、流行のメイド喫茶とかでもない普通の喫茶店なのにだ。
これは本人には絶対に言わない事だが、俺の妹と幼なじみは相当可愛いと思う。
那美に限っては入学式からたった一ヶ月での告白された数は50に及び、瑞穂に限っては学園に本人未確認のファンクラブまである。
そんな二人のポニーのダブル女子高生がウェイトレスをしているのだから人気が出るのも仕方ない。
それはもう”可愛い女子高生姉妹と美人お母さんが接客する喫茶店”として、この街の実在する都市伝説と噂される人気ぶりだ。
だから、二人が店を手伝い出す夕方からの客層は日中とがらっと変わり、店では無く店の店員目当ての客が大勢押し寄せるのだ。
まあ最近は全部が若い男という訳でもなく、中には無謀にも小百合さん狙いのサラリーマンや二人に憧れる女性客も増えてきている。
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学年が違う那美とは下駄箱で分かれて俺が入るのは『2-11』の札が付いた教室。
生徒会の瑞穂は職員室に呼ばれているらしく、二階に上がった時点で分かれていた。
「おおセイゴおはようっ!」
教室に入ってまず聞こえたのは爽やかで元気な声。
「よぉユーリ、相変わらずテンションが高いな」
「朝から僕はセイゴに会えて嬉しいんですよ」
普通なら男に会えて嬉しいなんて言われたらパンチものだが、この男の場合は本気で言ってそうだから背筋に寒いものが走る。
「セイゴこそ綺麗な二人と登校という贅沢をしておいてそのテンションの低さは相変わらずですね」
朝から声も顔も爽やかなこの男は『皇 攸理』。
皇財閥の一人息子で、金も容姿も持ち合わせているのに礼儀正しく頭脳や運動神経まで良い。
正に何拍子揃っていて本人公認のファンクラブまであり”青鳳学園のプリンス”と呼ばれている俺の数少ない友達の一人だ。
窓際の後ろから二番目の席に向かってカバンを置いて椅子に座ると机にパタンと身を任せてしまう。
”窓際の後ろから二番目”
それが俺の席だからだ。
俺の前の席の攸理は椅子に跨ぐ様にして後ろ向きに座った。
「ホントに元気無いですね、なにかありましたか」
「なんか朝から調子わりんだわ」
何か朝から頭に違和感を感じていた。
「そうですか、そんなセイゴにちょっとしたニュースです」
攸理はクラス1の情報通でもあって、色んな情報を持っている。
それこそ、財閥から仕入れた経済情報から、ファンの女の子から仕入れた恋愛談までと幅広い。
勿論健全な男子として下ネタまで豊富である。
ただ攸理はソッチ方面に独自の理論があるらしく、こいつがエロティシズムやフェティシズムを語る時は凄まじく沢山の伝説を作っている。
以前、社会科の課題を出された時だ。
内容は『あなたが今一番気になるニュース』について考察してレポートを提出する、というありきたりな内容。
俺は適当に新聞から『進行する温暖化』という時事ネタを適当に引っ張ってきて書いた。
攸理が提出したレポートは
『進化していく絶対領域』
題名だけ見るとカッコいい響きだが、実はその中身も凄まじい。
それこそ、歴史的な哲学者から派生したエロスの起源からフェチと萌えを一つの文化、信仰として、時系列で論理的に500ページもの厚さで書いたそのレポートは、担当した社会教師が感動のあまり学会に提出していて近日中出版化も予定されている。
そのレポートを読んだ著名な芸術家達が『ニーソックス派』と『ハイソックス派』の派閥に別れ議論したという伝説まで作ってしまった。
下ネタを下ネタに感じさせず芸術に感じさせるから凄い。
「んん~朝っぱらからまた、衰退したローソックスが今再上昇とかじゃないだろうな」
そんな話をされ始めた日には、放課後どころかバイト先にまで来て語りかねない。
しかも、コイツのファンが喜んで全員ローソックスでバイト先に押しかけられそうで恐ろしい。
実際、あのレポートを提出した後に攸理とファンがバイト先で閉店まで議論された時は、俺まで染まってしまうとこだったのだ。
「残念ながら、そこまでの内容じゃないですね」
「それを聞いて安心した。なら、また殺人でもあったのか?」
最近、この街で騒ぎになっている連続通り魔事件。
それは先週に街で浮浪者が見つけた被害者から始まった。
表通りから外れた路地で見つかった被害者は俺らと近い年齢の女子学生らしく、浮浪者が見つける何時間も前に既に出血多量で死亡していたらしい。
それから数日後に別々の廃ビル内で見つかった二件を合わせると、今のところ被害者は三人。
死亡推定時刻は同一日では無い。
”今のところ”というのも犯人は今だに捕まっていない上に、発見された被害者は人目に付きにくい場所で見つかっているために確認できてる被害が全てかどうか分からない状態だからだ。
当然警察も犯人を捜索していて分かっているのは
1、狙われているのはいずれも学生
2、被害現場は人通りが無い路地や廃ビル
3、目撃者は皆無で悲鳴の一つも聞かれていない
4、何か鋭利な凶器による犯行
足跡から全ての被害者は、殺害される寸前まで自分の足移動している。
しかも、被害者の歩幅から普通歩行の状態から”何か”から急に走って逃げた末に殺害現場まで追い詰められている。
そこから分かるのは殺害現場は予め犯人に用意されていた訳では無く、被害者が犯人から逃げ出している最中に殺害されているという事。
犯行現場、移動距離はそれぞれ違うが、これが計画的犯行で犯人が確実に被害者を狙うなら初犯はともかく”逃げ出せる状況”でのそれぞれの犯行は計画性よりも突発性であることが多い。
繰り返される犯行と犯人による計画性の無さも含め、警察は同一犯による連続通り魔と断定。
おそらく犯人は被害者達と同年代もしくは近い年齢と予想して捜査している。
しかし、ここまで分かっていながら捜査は難航している。
何故なら、犯人による情報は全て推測でしかなく、何も決定的なものが存在していないからだ。
あらゆる所に点在する監視カメラ。
主要な交差点、大通り、コンビニ等の防犯カメラ、そのどれもが犯行時刻には機能していない。
約一週間分は自動録画され続ける防犯カメラ、絶えずモニターされている監視カメラも犯行時刻付近では録画されず、視ていた者もいないのだ。
その時刻に機能が果されていなかったという事が発覚したのが犯行時間が大分過ぎてからというのも奇妙だが、沢山存在する管理業者も、防犯カメラにしても、定点カメラにしても、直接ラインで繋がってる映像やネットでもリアルタイムで見れる定点の映像がある、なのに
普段はそれらを見るであろう何百何千という眼が”誰もその時刻犯行現場周辺を見ていなかった”という事実は、犯人がどうこう出来る問題じゃない。
それはもう偶然にしても、繰り返されれば何か作為的な必然に感じてしまう。
それだけじゃない。
どれも無残で卑劣な殺害といえるが、存外人間を斬る刺すというのは中々難しいものだ。
犯行の凶器も何か鋭利なモノということは分かっている。
が、それぞれ被害者は様々な切り傷があり、骨まで切られた傷もあれば、肢体を貫通した大小の傷もあって、犯行に使われた凶器がナイフなのか包丁なのか、はたまたノコギリなのか特定出来ていないのだ。
ましてや生きている人間を不意打ちの致命傷では無く、拘束もせずにジワジワと、というのは更に難しい。
防衛反応により手を振り回す、身を固める、おまけに着ている衣服の素材、何より人間そのものが斬り難い。
衣服越しの生肉、筋繊維や骨は、斬るにしても刺すにしても、相当の力がいる。
ナイフや包丁で刺す事は出来ても骨を斬るという事は難しい。
ノコギリでの切断は生きている動く相手には不可能だ。
それにノコギリなら骨に金属片が残っている可能性も高くなる。
さすがに沢山の凶器を持ち歩いて必死に逃げる被害者を追うのも難しいだろう。
そして、一番の原因は”犯人に関して何も物証が無い”
髪、凶器、足跡、汗、不思議なことに被害者の血痕、汗や髪の毛、足跡は見つかっているのに犯人のものが不思議なことに何も見つかっていない。
それこそ魔法で痕跡を消し去っていると思えるほどだ。
いずれにしても、どこか普通じゃないこの事件はマスコミと街を騒がしている事は間違いなかった。
「いえいえ、その事件は相変わらずですね。ソッチじゃありませんがある意味もっとスケールは大きい」
てっきり毎日ニュースで騒いでいる事件だと思ってた。
「ちょっと興味が出てきた。じゃ何があったんだよ」
机に突っ伏したまま頭を起こして前を見るとそこには目を輝かせた攸理の姿があった。
「あの、東口ボーリングが入ってたビルを覚えていますね?」
「あぁ今度解体するってビルだろ?」
そこはバイト先から近いし何回か遊びに行った事があるからよく分かる。
確かボーリング場と一緒に他の店舗も撤退したけど、この不況でテナントが一店舗も入らなくて解体が決まっていたはずだ。
「そう!そのビルが昨日崩されたんだよ!」
「そりゃ解体する予定のビルだからな」
聞いて損した。
勿体付けて話すから何かと思えばそんなことか。
たしかに遊んでいた場所が無くなるのは少し寂しい気もするが、別にビルの解体現場なんてこの御時勢珍しくも無いし見たいとは全く思わない。
「ただの解体じゃないんですよ!爆破解体されたみたいに一夜のうちに解体されてしまったんですよ!」
もう興味無くなり完全にうつ伏せになっておざなりに答える。
義理で。
「へぇ〜あの大きさのビルを爆破解体ねぇそりゃ見物だったろ」
爆破解体は派手だから最近テレビで見かける機会も多いだろう。
しかし、アメリカならまだしも日本国内での事例は少ない。
そうでなくとも火薬の取り扱いに関連する法規制が厳しい日本では爆破解体を行える業者は少ない上に、隣接されたビルでは粉塵や騒音に対して近隣住民の許可も取れず、尚且つ耐震構造が進んだ地震国日本の建物を崩す事は困難とされているからだ。
そう考えると確かに珍しい。
ちょっとしたニュースといってもいいくらいだ。
しかし、所詮は解体工事。
珍しいとは思うが、わざわざ見たいとは思わない。
「それが、あのビルの解体予定日は今日らしいんです・・・」
「そりゃ工期を早めただけだろ」
そこは別におかしくも無い。
工事の着工予定なんて予定通りいくことの方が少ないんだから。
「いえいえ、なんと解体業者はまだやって無いらしいんですよ。しかも、爆破なんて大袈裟な事せずに普通に日数をかけて解体するつもりだったらしくて」
「へぇ~そりゃおかしな話しだな。でも近所の住人も騒音が早めに無くなって良かったじゃないか」
近隣住民にとっては重機やらでドッカンドッカン何日も続くはずの騒音が、無くなったのなら万々歳だろう。
「違~う!な、ん、で!業者がやった訳じゃ無いんですよ!不思議じゃないんですか!?」
「そ、おお、りゃ、ぁどっかの物好きが破壊衝動にかられてビルを爆破しちゃったんじゃないの、おおおおお?」
ガクガクと揺さぶられても、結局はビルが解体されたというだけ。
別に興味も湧いてこなかった。
「オレだって少しはやってみたいもんなポチッとな、ってさ」
それこそマンガのようにあんなビルを爆破するために設置された爆発物の起爆スイッチを押せるなら、その瞬間はさぞ爽快だろう。
そんなボタンを人差し指で押すような仕草をしていた俺の妄想は、あっさりと覆された。
「セイゴ・・それが爆破じゃないらしいんだ」
「えっ?だってお前さっき爆破されたみたい一夜で解体されたって・・・」
「そうです。確かにビルは爆破解体されたみたいに崩れている。ここからがホントのニュースですよ・・・」
そう言ってから攸理は内緒話をするように耳打ちしてきた。
「それが爆破解体にされたにしても火薬の痕が見つかっていないどころか、そのビルが崩されているところを近隣住民も業者も役所も”誰も知らないし見ていない”そうなんです」
「なんだって!?」
「間違い無いです。その建物と土地を買収して解体するよう業者に頼んでいたのはウチなんですから。マスコミでさえまだ知りません」
それは驚愕の話だった。
一夜にしてビル一つ崩すなら重機などではとてもじゃないが、それこそ爆破でもしない限り無理だ。
それに夜間工事等はまず許可を取っているはずだし、そんな突貫工事の騒音を夜に立てようものなら近隣住民が知らないはずは無い。
たしかに連続通り魔事件なんかとは比べ物にならないスケールだった。
特に殺人が起きた訳でも無いし、住民にとっては嬉しい話かもしれないが、こっちは人どころか建物一つ解体されて誰も犯人が分からないのだから。
「僕のニュースは今はここまでです。中々セイゴも楽しめたでしょう?」
「ああ。確かに凄かった」
「僕もセイゴの活き活きした姿が見れて嬉しいですよ」
おかげで身体のダルさは吹き飛んだ。
今日は起きてるウチはソレについて考えていよう。
それなら退屈な授業も楽しく過ごせそうだ。
そう思った時だった。
「せっちゃん!せっちゃ~ん!」
「お、呼んでますよ。せっちゃん」
そんな呼び方を大声で今時する高校生は間違いなくただ一人だ。
「うるせぇな!そんな大声で呼んだら何人振り向くと思ってんだ!イニシャルSが何人いると思ってんだよ!」
大声を出しながら教室に慌てて入ってくる幼なじみは隣の席にカバンを置くと息を切らしていた。
「むっ、私がせっちゃんって呼ぶのはせっちゃんしかいないもんっ」
胸元に手を添えて呼吸を整えながら、ずいっと顔を近づけてくる。
「やはり羨ましいですね、せっちゃん」
良くも悪くも綺麗な瑞穂はそうでなくとも目立つのに、それを自覚していないから一緒にいると俺にまで視線が集まるから困る。
特に本人だけが知らない瑞穂ファンの方々からの敵意だが。
とりあえず、朝からこの距離はまずい。
仰け反った身体を戻せば前かがみになっている瑞穂とキスしてしまうような距離だった。
「いや、分かった、分かったから朝から視線を集めるのは止めよう。オレは平和に今日を過ごしたい」
甘い吐息を頬に感じながら両手を肩を押して、とりあえず距離を取らせる。
「うん。そうビックニュース!」
「分かったって、まさかお前もビルの事で騒いでるんじゃ・・・」
ちらりと横目で前に座る攸理を見る。
それは内緒ですよ、と眼で語っていた。
「ビル?何の話し?私が聞いたのは今日このクラスに"転校生が来る"って話しだよ!」
その一言が出た瞬間にあれだけ騒がしかったクラスは、一瞬で静かになった。
誰も一言も喋らない静寂。
椅子に座った攸理も氷のように固まった。
今、クラスにいる男子全員が瑞穂の発する声を少しも聞き逃さないように集中している。
「へ、へぇ~随分、変わった日に来るんだ、な。学校が始まってまだ一週間しか立ってないぞ」
ギリギリ、と机が軋む音やそこかしこから、全身に無言の圧力を感じる。
このクラス内の室温は確実に2、3度は上がっているだろう。
俺は既に汗がダラダラ垂れてきている。
さっきとはまた別の熱視線が怖い。
目の前の攸理も怖くて見ることが出来ない。
「うん、何でも、海外で暮らしてたからズレたんだってさ」
-なにぃ~!帰国子女!
-パツ金ブレザー!
-まさしくハイスクールになるんですね!
-いや、外人が入らなくてもハイスクールだって
声に出さなくてもコイツ達が何を考えてるのか分かってしまうから更に嫌だ。
-早く!早く!肝心な事を聞けよボーイ!-
俺はサウナのような熱気の中、勇気を持って踏み出した。
「へぇ~、それで、それは男?それとも女?」
それはもう嵐の前の静けさで・・・
「うん。転校生は・・・スッゴい」
野球で言ったら優勝決定戦、因縁の巨人対阪神戦、
「可愛い・・・」
延長12回九回裏満塁で四番フルカウント最後の一球が、
「女の子だって」
投げられた瞬間だった。
YEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!
イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
イヤああああああああああああああああああああああああああ!
待ってました!とばかりに弾けたクラスのきっかり二分の一は黒板を爪でひっかくより強烈な声量で弾丸の如く廊下へと飛び出ていった。
つまり、クラスには男子はオレだけだった。
「さっきまで職員室の方に来てたらしいよ。ってあれ?皆イヤ、なの?」
そんなクラスの異常に全く気づかなかった瑞穂。
嵐が去った教室の残骸を首を傾げて眺める俺の幼なじみは、とんでもない大物なのかもしれない。
「違う、良く聞いてみろ」
「ん?・・・」
疑問符が浮かんだままの瑞穂を廊下に引っ張っていく。
タアァァー・・・
タアァー・・・
アァー・・・
廊下に響くこだまにはちゃんと語尾まで残していた。
「なっ皆嬉しさの余り、喋り切る前に出ていっちまっただけだ・・・ん?」
さっき最後の方にこいつなんて言ってたっけ?
・
・
・
さっきまで職員室に、来ていた?
・
・
・
あれ?今は?
「なあ、その転校生今はどこいるんだ?」
「今はアイサツだけで3時間目のHRの時に来るみたいだよ」
・
・
・
「そ、そか」
それから1、2時間目までの間、クラスの熱気はもう熱帯瓜林の熱く湿度が高く異様なモノで”早く転校生よ来い・・・”と怨念のように響いていた。
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担任が受け持つ3時間目のHR。
「おまえらも色々と噂で聞いているな」
黒のスーツがピチピチになるほど胸板が厚く、ドスが聞いた声。
鋭い眼光は教師であることを知らずに見れば、本職さんなのでは?と思ってしまう『2-11』の担任『清水 龍太郎』、空手部顧問で通称『青鳳の龍』だ。
「このクラスで転校生を受け持つことになった」
普段は立つだけで威圧感を放つ担任も、この時だけは霞んで見えた。
男子の期待は言わずもがな、仲間が増える女子も期待に胸を膨らまして待ち望んでいた。そして、
「紹介する。入ってきなさい」
「「おおおおおおおお〜!」」
ついにその瞬間がやってきた。
「失礼します」
透き通った声は高くも低くもなく澄んでいて、クラス中の拍手喝采の中一番遠い位置のセイゴでも聞き取れた。
しかし、扉を開けて彼女が入って来た時誰もがその姿に息を飲み、声を忘れてみとれた。
流れるように優雅にたいくを運ぶ細くしなやか腰から延びた足。
身長は150センチ程だろう小柄な身体。
白く綺麗な素肌に淡い桃色の形の良い小さな唇。
気品のある小顔の中で際立つ大きな青色の瞳。
左目辺りの僅かな黒髪と対照的に銀色の髪は窓から入るそよ風より軽く、肩口までの絹糸のように細い髪だった。
「フランスから来ました。アイリスです。」
担任が黒板に彼女の名前を書いていく。
『アイリス アイル』
皆にも読めるように書かれたカタカナでさえ彼女を表しているなら美しく見える。
クラスに入って来た転校生を形容するなら絵画や絵本から飛び出して来た。
そんな白銀の髪をした綺麗な少女だった。
「彼女はフランスからの留学生で、このクラスで今日から皆と一緒に過ごすことになる。仲良くするように」
あれだけ待ち望んでいた人物の登場。
なのにクラスの誰も言葉が出なかった。
「急な転校だからアイリスの机と椅子はまだこの教室に運ばれていない」
だから、担任の言葉も耳になんて残らなかった。
ある女子は憧れ。
ある男子は見惚れ。
中には既に妄想の世界へ旅立った者もいた。
しかし、セイゴ、瑞穂、攸理の三人は違う。
その姿から眼を離さず見ているが
攸理は、彼女という芸術と制服という額縁を含めて全体のバランスを鑑賞している。
瑞穂は、一目見て綺麗だと思った時から彼女の右腕を見ている。
「午後には用意しておくので、この時間はどこでも好きな場所を選んで一緒に相席させて貰うといい」
「分かりました」
そして、セイゴはというと
−なんだ・・・
教室に入って来てから、ずっと真っ直ぐに見つめて青い瞳から眼をそらす事が出来ずにいた。
-なんでさっきからあの子は俺を見ているんだ
ズキ
あの銀色の髪、近づいてくる青い瞳を見ていると頭が痛くなる。
「隣、座っても良いかしら」
いつの間にか俺のスグ近く、目の前に立っていた彼女が立っていた。
見下ろしてくる銀髪の少女。
その視線は冷たく、氷のように無表情だった。
「・・・えっ?」
「まだ私の席が無いから」
「あっああ」
声をかけられるまで彼女の接近に全く気付いていなかった。
それだけ自分が彼女に見惚れてしまっていたという事が、顔から火が出るくらい恥ずかしくて顔を上げることが出来ない。
急いで椅子から身を半分ずらすと、彼女は大して気にしていないようで無言で窓際の残り半分に腰を下ろしてきた。
僅かに触れる肩と肩。
「痛っ」
今の今まで気付いていなかった。
隣の彼女を見ると、痛々しく右腕は白い包帯に包まれて肩から斜めに三角布で吊られていた。
窓際に座るという事はその右側をセイゴに寄せるという事で、座る時に右腕が当たってしまったのだ。
「大丈夫か!?」
慌てて彼女の顔を覗き込む。
辛そうに歪む表情は僅か一瞬。
一秒にも満たないうちに彼女は無表情になっていた。
「大丈夫よ、あなたが気に病む必要は無いわ」
間近にある透き通った青い瞳。
サファイアを思わせる瞳は力強く、心を射抜くようだ。
-ドクンッ-
「悪いな気付かなくて、もう少し離れるから」
さっきまでの頭痛とは違う。
彼女の瞳を間近で見てから、自分の内なる鼓動に違和感を感じた。
-なんだ・・・今のは-
胸に手を当てても、トクトクなっている心臓の鼓動とは違うような気がして、結局なんだったのかは分からなかった。
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教室で俺らが使う一人用の机は横に約60センチ、椅子に限っては良くて直径40センチがいいとこだろう。
机半分椅子半分という距離は何とも言い難い絶妙な距離だった。
恋人同士がじゃれあうように存在を感じあうのでも無ければ、友人同士のように何かのアクションに対してスキンシップするのでもない。
一人用の机と椅子の共有。
触れていないのに常に熱や挙動が伝わってしまう上に、それ以上距離を取ることも出来ない。
さっきの一件があって、俺が座っている範囲は半分どころか尻の端を椅子の端に引っ掛ける程度。
空気椅子とまでいかないが、体重の殆どは両足と机にかける両手で支えている状態だった。
今の時間は4時間目の『日本史』。
黒板の前で重低音のビブラートを効かせて授業をしているのは担任の清水先生だ。
俺らの担任は、あんな見た目をしているが日本史を教えている。
3時間目のHRが終わってから、10分の休み時間を挟んでまた担任の授業というわけだ。
彼女は教科書どころかまだ机も用意されていない為に、俺の教科書を見せている。
見せるといっても机の見えない境界線上にただ適当なページを開いて置いてるだけ。
隣の彼女は何をしているかというと、教科書も黒板も見ている訳でなく、静かに窓の外を眺めている。
彼女は本当に綺麗だと思う。
瑞穂と那美も相当な美人だが、彼女はなんというか風に髪が流れるだけで絵になる美しさだ。
ヨーロッパの人達の髪の毛は日本人の髪より三分の一程の細いらしいが、彼女の銀色の髪はホントに細かった。
青の瞳は同じ人間が持つものとは思えない輝きで、ガラス越しでも宝石のように光っている。
「なに?」
「・・・・えっ?」
ガラスに写る瞳はいつの間にか眼があっていた。
というより、もしかしたらずっと気付いていたのかもしれない
「用があるんじゃないの」
相変わらず彼女は無表情で、視線もガラス越し。
「えっと、アイリスって呼べば良いか?」
「ええ」
「アイリスってどんな意味なんだ?」
「アイリスは私が生まれた土地に咲く花の名前。この国でも珍しい花じゃない」
「・・・・そ、そうか」
-・・・会話が続かない・・・-
視線をガラス越しに合わしたまま逸らす事も、話すことも無い沈黙。
何か気の利いた質問があった訳じゃないし、元々会話も得意じゃない。
それに身じろぎすれば触れてしまうこの距離で、一回話しかけてしまったら話していない沈黙が余計緊張する。
-こんな初対面の時は何を話せば良いんだよ!-
そうか、初対面だから自己紹介すれば良いのか!
硬直していた口を開きかけた時に、ガラスの中の桃色の唇が開いた。
「名前は得てして意味があり、人生も人柄も表す」
彼女の誰にも聞こえないような小さな声。
身を摺り寄せるような距離でないと聞こえない声で言葉を紡ぐ。
「あなたにはどんな意味があるのかしら、御堂誠齬君」
視界を銀色だけで埋めるくらいの距離で少女は名前を呼んだ。
『誠齬』
それが俺の本名であり、今となってはこの身以外に残された唯一つの繋がり。
桃色の薄い唇は低く冷静な変わらないトーンで話し続ける。
「『誠』は真実や偽りの無い心、『齬』は歯の食い違いを意味する」
予想外だった。
普通、オレの名前を初めて知る者の皆は、画数が多いとか難しい漢字だとかの感想が多い。
ましてや、『齬』はあまり日常的に使われない漢字でフランスからの転校生が意味まで知ってるとは思わなかった。
「『吾』は『誠』を頭に備え、人が持つ唯一の武器、『牙』を持つ」
ゆっくりと振り向いて、静かに向けられた視線。
「あなたが持つ心には上下、裏表があり噛み合わない。それとも真実は一つで、裏表の牙があるのかしら」
-コイツ-
間近にある青い瞳。
そこにあるのは好奇心や興味じゃなく、御堂誠齬という人物の観察と分析だ。
「何でオレの名前を知っている」
「クラス名簿を見た。同じ席に座る異性の名前には興味がある。」
確かにクラス名簿を見れば名前は分かる。
転校するクラスの人の名前を知ってても不思議は無い。
彼女は今”同じ席に座る異性”と言った。
それは、おかしい。
担任の清水先生は彼女の席の事を「午後には用意しておくので、この時間はどこでも好きな場所を選んで一緒に相席させて貰うといい」と言っていた。
そこでは一言も異性とも、俺のことも指定していない。
彼女の言っている事が本当なら、
彼女はこのクラスに入る前から、”自分の席が無くて、担任が相席にさせる事”そして”自分が選ぶ席の異性=俺の存在”を知っていたに事になる。
しかし、それも推測でしかない。
クラス名簿を見たのも本当だろう。
もしかしたら相席の話は聞いていて、最初から窓際の後ろの方に座りたくて俺の名前を覚えていたのかもしれない。
たしかHRの時の担任の話だと、彼女は日本に縁があるために日本語は完璧で、日常生活や会話にも全く支障が無いらしい。
日常会話では使われないが、俺の名前の漢字の意味を知っていても不思議は無い。
-・・・あれ?-
ふっ、と気がつくと、彼女は窓の外を向いていて、俺の中の緊張もいつの間にか消え去っていた。
-多少変な自己紹介になったが帰国子女の知り合いなんて初めてだし、記念すべきファーストコンタクトは良かったのかな-
変な緊張が無くなったおかげで、やっと普通に授業を過ごせる。
・・・・という俺の考えは、完全に甘かった。
-何抜け駆けしてんだよオメエっ!-
-名前呼ばれてんじゃねえよっ-
-私もお話したいのにっ-
前を向いてみると、暗闇から狙う野獣の如く席から顔だけ振り返って目を光らす無数の殺気に囲まれていたからだ。
見なかった事にしよう。
机の端にパタリとうつ伏せになる、が
-セイゴの隣に座ったら孕んじゃうよ-
-アイリスちゃんが汚れちゃうって-
-アイリスちゃん私の教科書見ない!?-
-あぁ!?オレの教科書の方が綺麗だ!-
そんな小声や破いたノートの回覧板が絶え間無く振られ続いていて、眠ることさえ出来ない。
でも、それも仕方ない。
さっきのHRが終わった後、誰もが彼女と話したかったのに、彼女は手続きやらでスグに職員室に連れて行かれてしまい、今だに誰もまともに話せていない。
皆クラスにやってきた白銀の美少女と早く接したいのだ。
渦中の彼女は自分の事を話されているのが分からないのか、それとも俺が勝手に返答して丸めてぶん投げているせいか、授業にもクラスにも興味を示していなかった。
だから、そんな彼女の代わりに俺が受け答えしていた訳だが・・・
-セイゴの隣にいたって教科書なんて持って無いぜ!-
-せっちゃんの教科書は普段使ってないから綺麗だよ-
ピシピシ当たる紙飛礫にも、妬みが混じった輪ゴムや消しゴムのカスにも、いい加減ムカついた。
「テメエらうるせぇ!教科書は毎日机に入ってんだ!オレがいなくても教科書なんて全て見せれんだよ!」
席を立ち上がって大声を張り上げてから、ハメられた事に気づいた。
”しまったっ”
この時間は担任が受け持つ日本史の時間。
平和に過ごしたい者は、その存在を気づかせてはいけない。
「良い度胸だセイゴ・・・」
近づいてくる『青鳳の龍』。
ざざっと教室を掻き分けるのは威圧感と筋肉の塊。
-セイゴ・・・なんの自慢にもならんぜそりゃ-
-くっくっく、バッドラック-
そんな、クラスメイトの悪魔的なBGMの中、俺に出来ることは
「授業を居眠りするヤツは教科書ぐらい持って帰って復習するべきだと思わんか?どうだ?」
「ま・・・全くその通りだとわたくしめも思いまくな、くなななななな・・・・・」
敬礼の姿勢のまま、ゴリラみたいな握力で絞めつけられるアイアンクローの苦しみを耐え抜くしかなかった。
再び教壇に戻った清水先生がバン!バン!と黒板を叩いているのは、一般教師の方々が普及されてるような指し棒ではない。
とある闘魂注入を見て閃いたらしく、清水先生完全ハンドメイド、その名も『愛と、気合の、根性棒』。
ただの鉛筆を黒と黄色のビニールテープでグルグルに巻かれた危険信号ヨロシク棒である。
その使用法は単純明解で、あの棒で力任せにケツを引っ張たくだけ。
遅刻、赤点、サボりetcなどをやらかす輩に愛と気合いと根性を注入されるというわけだ。
これが痛いのなんので、体験談から言わせて貰うと食らった日はまず空気椅子を持続しないと椅子には座れない痛みだ。
しかし、そんな清水でも生徒からの信頼は厚く、数少ないオレ達側の先生である。
何回も注入の常連になってしまっている俺でさえ嫌いでは無い。
「セイゴ~せっかく教科書を開いてるんだ。今やっているページを読んでみろ!」
今また、俺はそんな清水先生からの愛のムチを前に窮地に立たされていた。
日本史の教科書を開いてはいるものの、ずっと隣を見ていたせいでどのページかさえ分からない。
今から、慌ててページを探してもニコニコと近付く殺気のデジャヴには間に合わないだろう。
だが!
こんな時こそお隣さん幼なじみフラグ発動でコッソリと答えを教えてくれるなんて事があるのかもしれない!
そんな期待を込めて、廊下側の隣に座る瑞穂を見る。
視線が合う前にぷいっと視線を外されました。
全く無いようです。
所詮、妄想と現実は違いました。
「セイゴォ~、お前には昼休みにでも顔を貸して貰おうか!」
根性棒を振り回しながらのグッフッフッフというドS全開の笑みが非常に怖い。
「じゃぁ変わりにアイリス、転校してきて早々に悪いんだが隣に教えるためにも読んでやってくれ」
「・・・はい」
すっと、席を立つアイリス。
-それはまずいっ!-
俺が彼女の前に適当なページを開いて教科書を置いているなんて問題じゃない。
彼女は最初から黒板はおろか見ていないんだから。
しかし、俺の心配もよそに彼女は俺の教科書を持って読み上げだす。
手の中で開かれているページは俺が適当に開いていたページ。
しかし、口に出ているのは開かれているページには載っていない文章。
「そこまでで良いぞアイリス」
「はい」
全く別のページを見ながらも、まるでその本一冊は一言一句全て暗記しているかのように彼女は完璧に読み上げた。
「セイゴもお前の変わりに答えてくれたんだから、お礼の意味もかねてクラス委員と昼休み職員室に来るんだぞ!」
髪を揺らして椅子に座った彼女は再び窓を向く。
同じ椅子に座る俺らの距離は何も変わっていない。
なのに、俺が感じる緊張感はさっきとはまるで別なものになっていた。
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ガラっと開いた足元の小さな小窓から、ポイポイと弁当箱と紙パックが放り出される。
「よっと」
そこから、ズリズリと這いずり出てきた黒髪の少年。
立ち上がって、服を払うとまずは深呼吸する。
頬に感じる風が気持ち良くて、開放感に思いっきり背伸びをする。
「やっぱ屋上はサイッコ~!」
ここはいつも風が気持ち良かった。
夏は日差しが強くて少し辛いが、この時期は屋上がこの学園で一番居心地が良い。
セイゴは弁当の時で天気が良い時はいつも屋上で昼を食べていた。
青鳳学園の屋上は、屋上へと上がる唯一つの階段の扉は鍵が閉まっていて、記念撮影等の特別な事でも無い限り普段は上がることが出来ない。
しかし、普段は開放されていない屋上だからこそ最高なのだ。
少しだけ手間なのだが、ちょっとした裏技がある。
階段の途中にあるジャンプすれば届く小窓を使って這いずりながら出れば、そこには校舎の幅分の誰もいない専用フロアが広がっているのだ。
男は腕力に物を言わせてこの方法を使うが、偉大な先輩方が残した階段にある掃除ロッカーに残された脚立は腕力が無い女性用だったりする。
たまに瑞穂や那美も誘って一緒に食べるが、滅多に来ることは無い。
脚立を使っても、結局窓から這いずって出る時にスカートの女子だと中々勇気がいるからだ。
だから、いつもここに来る時に誘うのは男友達で、今日は攸理が売店で食べ物を買った後にやってくる。
不思議な事に転落防止の金網は分かるが、開放していないのにベンチが置いてあるのはちょっとした学園の七不思議。
あるからにはその日の気分で見たい方向に引っ張っていって、そのベンチで座って昼食を食べるのが通例だった。
今日はどこを見ながら食べようかなんて考えていたが、ベンチには先客が既に座っていた。
「・・・隣、良いか?」
姿勢良くベンチのど真ん中に座っている少女。
風で銀髪を流しながら、黒髪の部分を抑えて転校生は口にする。
「勝手にしたら」
「ああ、失礼します」
見つけてしまったからには声をかけずにはいられなかったものの、何でここに今日転校してきた彼女がいるのかという事よりも、まさか昼休みになってまで相席をしなきゃならないとは思ってもみなかった。
さすがに今度は全体重も乗せられるし、触れるような距離じゃない。
しかし、隣で一人だけ弁当を広げて食べるには気まずかった。
「・・・昼飯、食べないの?」
彼女は手に何も持っていなかった。
さすがに食べ終わるには昼休みに入ったばかりだし、早弁なんてするようにも思えなかったからだ。
「いらない」
まさか、転校初日でクラスにも馴染めず、学食にも行けず購買で買う事も出来ていないのだろうか。
色々考えている内に彼女が言葉を付け足してくれた。
「無いんじゃなくて、あまりお昼ごはん食べないだけだから気にしないで」
その言葉に少なからず驚いた。
”気にしないで”
今も無表情のままだが、彼女は案外良い子なのかもしれない。
「んじゃ、遠慮なくっいただきま~す」
最初はどうなることかと思ったが、無愛想だけど綺麗だし性格も普通の子なんだ。
膝で開けた瑞穂と那美特性合作弁当は今日も美味そうだった。
俺の弁当は、毎日では無いが大体瑞穂と那美がいつも朝食と一緒に用意してくれる。
といっても、米と卵焼き以外の美味そうなのが全て瑞穂で、別タッパーにあるのは那美の特訓の成果という名の失敗作が詰め込まれている。
でも、色鮮やかな弁当はやはり美味しくて、こんな弁当をいつも作ってくれる二人には感謝だ。
しかし、やはり一人だけ食べるというのもやはり気まずいもので・・・
「食べてみないか」
「え・・・私?」
箸につまんで差し出してみたのは、弁当の定番タコさんウインナー。
急に差し出された食べ物に、戸惑いを隠せないようだ。
箸に摘まれた可愛らしいウインナーを、目を寄せて不思議そうに眺める姿は年相応の女の子に見えた。
「他にいないだろ」
「私は・・・んんっ、んぐんぐ」
こんな時は口に放り込んでしまうに限る。
フランス人でも、差し当たり無いであろう食べ物を選んだつもりだ。
「ぅん、あなた強引なのね」
「でも、美味かったろ」
「ええ、とても美味しかったわ」
隣に座る白銀の少女は初めて笑った。
ほんの一瞬だったけど、どこか幼くて柔らかい笑顔。
「どうしたの?」
「い、いや何でも無い」
慌てて弁当をかっ込み出す。
-今、俺は見惚れていたのか!?-
確かに自覚がある。
今の一瞬の彼女の笑顔に、俺は見惚れてしまっていた。
考えれば考えるほど頭はのぼせ上がり、口に詰め込む弁当の味なんて既に分からなかった。
「ふう~食った食った」
食べ終わったはいいものの、何も言葉が出てこない。
俺が食べ終わるのを待っていたのか、それとも俺が落ち着くのを待っていたのか分からない。
彼女は立ち上がり、目の前の手すりに手をかけて背を向ける。
立ち上がるときに彼女の髪からは僅かに花のような良い香りが鼻腔を擽った。
手すりに軽く手をかける小さな背中。
光を反射してキラキラと光る銀色の髪は風に揺れている。
俺はそこから何も口にせず、ベンチから彼女の後ろ姿をただ眺めていた。
どれくらいの時間が流れているのか分からない。
でも、この沈黙は穏やかで心地良かった。
「あなたはこの世界が好きですか」
その静寂を破った背中はゆっくり振り返る。
真っ直ぐ交し合う視線。
白銀の転校生は、唐突に、そして染み渡るように俺と彼女の運命の言葉を口にした。
「私は今の世界を保つために、あなたの全てを監視する」
文章構成、表現等、未熟な私にお付き合いして戴き有り難う御座います。
やっと本編が始まりました。
記念すべき第1話はいかがだったでしょうか?
御拝読下さった皆様、自身の向上の為にも誤字脱字の指摘、意見、感想等ございましたら、ぜひ一報下さい。
今後とも末永く未熟な私にお付き合い下さいます様宜しくお願い致します。
また、ほぼ同時進行で進めていきます、
『精霊騎士物語』
”精霊と魔法そして人間が当たり前に共存する世界”の神秘的で不思議な異世界譚!
も良ければ併せてお楽しみ下さい!