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- 3 - 抽出と心の機敏 1話


レンは、ネイトを止めようとするジョッシュ局長を横目で見たまま、静かに腕を組んだ。




「……ネイト、無理はしないほうがいいんじゃないのか?」





それに対し、ネイトはにこやかに頷く。



だが、その声には譲る気配はまるでなかった。





「色が変わった方の水盤の欠片は、私が取り出しましたからね。



私自身、レンと同じ状況にいますし、このままでは気になって休めませんよ」






ネイトの声は穏やかだったが、底には確かな緊張が潜んでいた。






「この状態で“休め”と言われても、恐らく眠れないでしょう。



それに、公務は今日は文書仕事ばかり。



急ぎの案件ではありませんから、調整は可能です」






それは、反論を許さない、それでいて柔らかな物言いだった。



ジョッシュ局長は片眉を上げ、やれやれといった感じで肩をすくめた。





「ったく、お前さんたち二人揃って倒れでもしたら、こっちはシャレになんねぇんだぞ」





ジョッシュ局長は頭を掻きながら、ネイトに確認をする。






「サイラスには連絡して本館まで来させるんだな?



ついでに、俺が一緒に行って上に報告する時に、事後承諾ってことでお前さんたち二人の本館への入所許可も取っといてやるよ」





ネイトは、無言で頷いた。



ジョッシュ局長の言葉はふざけているようでいて、決して無責任ではない。





今は「動かすべき局面」だと判断したのだろう。





レンは片手を軽く上げ、了承の意を示した。





「了解だ。保護者つきか。そりゃ手厚いな」





皮肉っぽい一言に、ネイトはわずかに苦笑を浮かべただけだった。















馬車は、本館の作業場へ向かって緩やかに揺れていた。



薄いクッションが敷かれた座席に身を預けながら、レンはぼんやりと視線を窓の外に向けていた。





頭の片隅で、何かが引っかかる。





――水盤の古代文。






ネイトが取り出したと断言していたが、正確には誰が操作したのか。




ふと、レンは隣で仕事の調整の指示出しをしているネイトに視線を向けた。






「……実際に水盤に触ったのは、お前だけか?ネイト?」





問いかけに、ネイトは少しだけ微笑んだ。



その柔らかな仕草とは裏腹に、答えは端的だった。





「いえ、違います。



正確には、私と、アシスタントとして今回来てくれたエオス嬢です」





レンは、ゆっくりと思い出すように言葉を継ぐ。





「エオス……ああ。あのお嬢様方とは毛色が違う、研究馬鹿っぽい子か。


いきなりあれに触らせたのか?」





レンは眉をひそめる。





エオス――。



今回の騒動で配属された補佐役の中で、我が国の宰相の家の養女だったか。




宰相の紹介で来て、最初は随分とおどおどしていたが、古代文の話になった途端、目を輝かせて熱く語り出した、典型的な古代文オタクだ。



唯一、女性陣の中であのお嬢様方の権力争いに加わらず、まあ猫の手も借りたいほどの忙しさで、後ろ盾も信用できるからとこちらに回されたとは聞いていたが…。





「……あの子か。



だが、あれは機密レベルが高いはずだ。



彼女を入れるのは時期尚早じゃないのか?」





レンの声は冷たかった。だが、その奥に微かな警戒心も滲んでいる。



ネイトはそれに気づいていたのか、あえて柔らかく補足した。






「彼女は、純粋に知を求めているように見受けられました。



今回も、私の指示を正確に実行してくれただけですよ」




「信用してるってわけか」






レンの言葉は刺すようだったが、ネイトは動じなかった。





「少なくとも、余計な企みをするような器ではないでしょう。


それに、安心してください。



君のお母上であるミレイア夫人にも相談し、神聖契約もより厳格なものにしてもらいましたから、情報漏洩には繋がりません」





その言葉は、エオスへの評価というより、自らの人選への自信の表れのようだった。





車内に、微かな沈黙が流れる。





ジョッシュ局長は黙って座り、空気を読んで口を挟まない。



レンは窓の外に視線を戻しながら、ぼそりと呟いた。






「……まあ、いい。


母上が許可しているのなら、何かしら見込みがあったんだろう。



だが、次からはそういう大きな変更は、先にこっちにも連絡を回してくれ」






その言葉に、ネイトはやんわりとした笑みで受け流す。




馬車の中で、エオスについての話が一段落ついた頃、ジョッシュ局長が声をかけた。






「……着いたな、お二人さん」






レンとネイトは同時に顔を上げ、車窓の外に視線を向ける。



小高い丘を越えた先に、本館の研究所が見えた。



城と言っても過言ではない建物群。



城との違いは、窓が極端に少ないことだろうか。





研究所に向けて走る馬車の多さが、新しい一日がすでに動き始めていることを静かに告げていた。



馬車の車輪が石畳を叩く音が、わずかに響いた。





この時間帯なら、朝の報告作業や機材点検を終え、すでに各班が作業に取りかかり始めている頃だ。




局長であるジョッシュは、馬車の扉を開けながらいい笑顔で振り返った。






「まあ、呼び出しても問題ねぇ時間だ。


……多少、寝不足気味のやつもいるだろうがな。」






レンは無言で頷き、地面に降り立った。



足元に伝わる冷たい朝の空気が、重く沈んだ頭をかすかに冴えさせる。





ネイトも後に続き、最後にジョッシュが「よっこいしょ」とでも言いそうな雰囲気で、ゆったりと馬車を降りる。





本館に近づくと、遠巻きに若い研究員たちの姿が見えた。


誰もがまだ半ば眠たげな顔をしていたが、手だけはせわしなく動いている。





レンは肩をすくめるような仕草をしながら、軽口を叩いた。




「……さて、古代文に取りつかれた廃人どもと語り合うとしますか」





その声に、ネイトは柔らかい笑みをたたえたまま、だが眼差しだけは冷静に周囲を見渡していた。




空気は静かだが、どこか張り詰めたものがある。



彼らがこれから直面するものを、誰もが本能的に感じ取っていた。






レンは小さく息を吐き、無言で建物の扉を押し開けた。






そして、本館の研究室へと、三人は足を踏み入れる。




建物の中に入ると、かすかに薬草と抽出液の独特の匂いが鼻を刺した。




高い位置にある窓から朝日が差し込み、まだぼんやりと眠たげな研究所の内部を、必要最低限だけ照らしている。





レンたちが足を踏み入れて間もなく、足音を聞きつけた小柄な影が、勢いよく廊下の奥から駆けてきた。






「あっ、おはようございます――!」






声を弾ませながら駆け寄ってきたのは、エオスだった。




まだ朝も早いというのに、白衣の袖を無造作にまくり、頬をわずかに上気させている。






「おはよう。朝早くからとても元気なんですね、エオス嬢は」






ネイトは笑顔で応じ、ジョッシュ局長は片眉を上げて「若いねぇ」とでも言いたげな顔で、疲労を押し隠すように応じた。





エオスは気にする様子もなく、瞳を輝かせながら手に持った小さい水盤を差し出す。





「すごいんです! あの後さらに続けたら、新しい欠片を抽出できました!」






その興奮の熱量に、三人は内心やったか…と苦笑しかけたが、表には出さずに水盤を受け取った。





「――過労の廃人に鞭打つようなニュースだな。ありがたいこった」とジョッシュ局長。





小さく息を吐きながら、額に手を当てるレンを横目で捉えてから水盤に目を落とす。






表示された欠片の羅列は確かに、昨日までのものとは異なる構造を持っていた。







レンとネイトも横から覗き込み、静かに目を細めた。





「――確かに、違いがあるな。どこからだ?」





レンの問いかけに、エオスはまるで誇らしげに胸を張った。






「前回とは別ルートから取得しました。


水盤の底層に沈殿していた断片から分離して――!」






矢継ぎ早に説明を続けようとするエオスを制し、ジョッシュ局長は手のひらをひらりと振った。






「はいはい、細かい話は後だ。



――まずは座らせろ。


ここで過労のお二人さんが、立ったまま倒れでもしたら後始末が面倒でかなわん」







言いながら、レンは廊下奥の簡易会議室へと無言で歩き出す。




疲れは確かに身体を蝕んでいるが、頭はまだ冷静だった。





ジョッシュ局長は肩をすくめ、ネイトは静かに苦笑して後に続いた。









――――――――――








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