- 9 - 願いと祈りと選択 4話
長い沈黙を破ったのは、レンだった。
彼は、混乱する頭を整理するかのように、荒々しく髪をかき混ぜながら、ティモシーに問いかけた。
「…なあ、悲劇だったのはわかったよ。
だけど俺たちに、あの壮大な過去を見せて、一体何がしたかったんだ?」
その声には、苛立ちと、そして答えを知ることへの恐れが混じっていた。
隣で、ネイトもまた、静かに、しかし核心を突くように尋ねる。
「僕たちが見たのは、250年前に起きた、魔道大国とモイラにまつわる真実…なのですね。
ですが、私たちがモイラやノルンに干渉してしまう理由がわかりません。
あのノルンという人物やモイラと、僕たちには何か繋がりがあるのでしょうか?」
ティモシーは、焚き火の炎からゆっくりと顔を上げ、二人を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、まるで湖の底のように、どこまでも深く、静かだった。
「…まず、基本的なことから話そう。
君たちが見てきたように、僕や、ベネット、ダニエル所長、そしてノルン…
僕たち"管理人"は、肉体を捨てた精神体だ。
この湖そのものと外をつなぐ存在と言ってもいい」
彼の声は、感情の起伏を感じさせず、ただ淡々と事実を紡いでいく。
「そして、君たちについてだが
君たちが過去の記憶を見ている間に調べたところ――――君たちはノルンの末裔だった。
君たちは―――生きることを選んだノルンの…たった一人、残された息子から始まるんだ」
その言葉に、レンとネイトは息を呑んだ。
ティモシーは、遠い過去を思い出すように、再び炎に視線を落とした。
「なぜ、ノルンの息子は残ったか…
あの子は、ただ純粋に信じていたんだ。
『父さんは必ず帰ってくる』とね。
軍の施設でノルンの次の媒体になるか調べられている間も、来る日も来る日も、そう言い続けていた」
ティモシーの語り口は、まるで古い物語を読み聞かせるかのようだった。
「やがて、軍の人間が、彼に酷な真実を告げた。
『お父さんは、もう人として帰ってくることはない。
湖の管理人として、世界を守るために、そこに縛られている』と。
子供は泣きながら言ったんだ。
『記憶になったら会えるというなら、本当に会えるなら、父さんをここに連れてきて』とね。
だが、いつ暴走するとも知れぬモイラに、子供を近づけることなど、到底できなかった
いや、近づけたところでノルンに既に接触する方法を失ったオルタンシアの人間にはどうしようもなかったんだ」
レンもネイトも、言葉を発することができなかった。
「会えないと知っても、あの子は『約束だけを信じて待つ』と言って、残ることを決めた。
その子どもの純粋さに心を打たれ、そしてノルンを任務に就かせたことへの責任を感じた一人の軍人が、『私がこの子を育てる』と申し出て、あの子を養子として引き取ったんだ」
ティモシーは、一度言葉を切り、薪をくべた。火の粉が、夜空に舞い上がる。
「そして、運命とは皮肉なものだ。
ノルンの息子は時代の管理人としての適性検査で軍の重要な守りが固められている場所に居た為、家族がモイラに飲み込まれたにも関わらず生き延びた。
そしてそこには、同じように適正の可能性があると保護されていた管理人候補だった高位貴族の娘がいた。
その時まだ、赤ん坊だった。
ノルンの息子は、その赤ん坊の姿に、モイラに飲み込まれた自分の幼い妹の面影を見て、声を上げて泣いていた」
その情景が、まるで目の前で起きているかのように、レンとネイトの胸に迫る。
「やがて、その軍人と赤ん坊の母親が再婚し、二人は兄妹として育てられた。
そして時が経ち、彼らが結ばれ…その血筋の末裔が、君たちの曾祖母にあたる」
ティモシーは、最後に、二人を真っ直ぐに見据えて、全ての点を繋ぐように言った。
「ノルンの息子の血は、曾祖母様を通じてアナベルの王家の直系へと受け継がれた。
だからこそ、君たちには、あの悲劇の記憶へのつながりが色濃く宿っている。
そう、レン。
君には夫の帰りを待ち続けたノルンの妻の面影が。
そして、ネイト。君も見ただろう?
…全てを背負い、湖に縛られた、ノルン本人の面影がね」
真実が、静かに、しかし決定的な重みを持って、二人に告げられた。
自分たちのルーツに、これほど壮絶で、悲しい物語が隠されていたことへの、計り知れない衝撃。
なぜ、自分たちがここに呼ばれたのか。
なぜ、あの記憶を見せられたのか。
その理由の一端を理解し、レンとネイトは、ただ、言葉を失う。
「待ってくれ。
では俺たちが欠片の抽出があまりにうまくいったのは、その影響で王族でも他のものができなかったのは…」
「ああ、君たちと一緒にモイラに接触しようとした人間かい?
彼は確認したら250年前の王弟殿下の曾孫にあたる。
君たちとは遠い親戚ではあるが、ノルンの系譜ではない。」
揺れる焚き火の炎が、三人の顔を静かに照らし出す。
ティモシーが語り終えた後、湖畔には再び、焚き火がはぜる音だけが響いていた。
「そんな理由だったなんて…」
レンとネイトは、自分たちの血脈に刻まれた、あまりにも壮絶な物語の重みに、ただ言葉を失っていた。
運命、血縁、そして250年前の悲劇。
全てのピースが、今、一つの形となって彼らの前に示されたのだ。
やがて、思考の海から先に浮上したのは、ネイトだった。
彼は、冷静な瞳でティモシーを見つめ、静かに、しかし鋭く切り込んだ。
「ティモシーさん、あなたのお話、そして僕たちに見せてくださった記憶、その全てに感謝します。
僕たちのルーツも理解できました。
…ですが、一つだけ、どうしても解せない点があります」
「…なんだね」
「あなたの話には、ただの一度も、『エオス』の名が出てきませんでした。
僕たちがここにいるのは、そして、この一連の出来事には、エオス嬢も大きく関わっているはずなのですが…」
その名を聞いた瞬間、ティモシーの表情が、初めて微かに動いた。
250年の時を映してきた湖の底のような瞳に、さざ波が立つ。
「…エオス…?」
ティモシーはその名を繰り返し、まるで自身の記憶の深淵、あるいはセラフィナ湖の広大なデータベースを探るかのように、静かに目を閉じた。だが、彼の知る250年の歴史の中に、その名は見当たらない。
やがて、彼はゆっくりと目を開けた。
眉間には、深いしわが刻まれている。
「…知らない名だ。僕の知る限り、この件にその名は存在しない。
…ノルンの記憶の中にもだ。」
ティモシーは、何か想定外の変数に直面した研究者のように、険しい表情で立ち上がった。
「だが、君たちがそう言うのなら、何か、我々が見落としてきた重大な事実があるのかもしれない。
…調べる必要がある。話は、一旦終わりだ」
彼は、一方的にそう告げると、踵を返し、その場を去ろうとした。その動きには、長年の孤独に起因する、他者とのコミュニケーションのわずかなズレが感じられた。
「おい、待てよ!」
レンが、思わずティモシーの腕を掴んだ。
「待ってくれ、話が途中過ぎるだろ!」
ティモシーは、掴まれた腕を振り払うことなく、冷たい、しかしその奥に強い意志を秘めた目でレンを振り返った。
「君たちが、何を目的としているかは知ってはいるが知ったところでこちらには関係ないと伝えたはずだ。
だが、これだけは言っておく。
過去とは、ただ知ればいいというものではない。
それは、時として今の君たち自身を形作る、重い枷にもなる。
そして、何より…」
ティモシーの声のトーンが、一段と低くなる。
「モイラとノルンへの干渉…
君たちがやっている『記憶の抽出』は、今すぐ辞めるんだ。
彼らの精神は、250年の時を経ても、なお、薄い氷の上を歩くように脆い。
君たちの無遠慮な好奇心や焦りが、再び世界の均衡を崩す引き金になりかねないことを、忘れるな」
「それは…!
待て、その前にエオス嬢だ。
俺たちみたいに勝手に連れてこられて処分されたら困る!」
レンがさらに食い下がろうとした、その瞬間だった。
「まあまあ、ティモシー、そのくらいにしておきなさいって!」
快活な声と共に、どこからともなくジルが現れた。
彼女は、ティモシーの肩にポンと手を置くと、彼の険しい表情を和らげるように、悪戯っぽく笑いかけた。
そして、レンとネイトに向き直る。
「ごめんなさいね、うちのティモシーが。
ちょっと彼、人付き合いが苦手なのよね。
でも、彼の言うことにも一理あるわ。
モイラやノルン関しては、本当にデリケートなんだから」
ジルは、そこでパンと手を打ち、一つの取引を持ち掛けた。
「こうしましょう。
あなたたちが、モイラやノルンへの干渉を一切辞めると約束してくれるなら…
こっちで、その『エオス嬢』とやらについて分かった時点で、もう一度こうして話す機会を設けてあげる。
どうかしら?」
その提案に、レンとネイトは顔を見合わせた。
これ以上、ティモシーに食い下がっても埒が明かないだろう。二人は、小さく頷いた。
「よし、決まりね!」
ジルは、満足そうに言うと、ティモシーに向かってにっと笑う。
「いいわよね、ティモシー?
あなたも、その『エオス嬢』が、気になって仕方ないんでしょ?」
ティモシーが何か反論する前に、ジルは、もう二人に向き直っていた。
「じゃあ、そういうことで! また連絡するわね!」
彼女が軽く指で水盤を操作すると、レンとネイトの足元に淡い光を放つ魔法陣が瞬時に展開される。
「あっ、おい!」「また、強引な…!」
二人の声が、光の粒子の中に溶けていく。
景色が急速に歪み、彼らの意識は、元の場所へと強制的に送還されていった。
レンとネイトの気配が完全に消えた後、湖畔には再び静寂が戻った。ジルは、「やれやれ」と肩をすくめ、ティモシーの隣に腰を下ろす。
ティモシーは、静かに、しかしどこか、ジルの強引な介入に救われたような表情で、再び揺れる焚き火を見つめていた。
「…ジル。ありがとう」
「どういたしまして。
あなた一人じゃ、話がこじれるだけだもの。
そういうところは、昔とちっとも変わらないんだから」
ジルは、懐かしいものを見るような目で笑う。
二人の間に、250年という長い時間を共に過ごしてきた者だけが持つ、穏やかな空気が流れた。
そして、ティモシーは、脳裏に刻まれた新しい響き…
「エオス」が何につながるのか、静かに、そして深く、思考を巡らせ始めるのだった。
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