- 8 - それぞれの覚悟と月夜の庭 5
最初に沈黙を破ったのは、ジルだった。
彼女は、焚き火の向こうで静かにシュークリームを頬張るミラに、ふと尋ねた。
「ねえ、ミラ。あなた、おばあ様と一緒に最後の時を過ごさなくて、本当に良かったの?」
その言葉に、ミラは少し呆れたように、しかしどこか嬉しそうにため息をついた。
「ジル。
またちゃんと話を聞いてなかったの?
おばあちゃんは、私と同じ湖の管理人になるのよ。
だから、これからもずっと一緒なんだから。
…みんなとこうして、外でご飯を食べられるのは、本当に最後でしょう? だったら、こっちを優先したって、おばあちゃんも怒らないわ。
…というか、嬉し泣きしてたの」
ミラは、少し照れくさそうにそう言って、顔を背けた。
確かに、彼女がここに来た8才だった当初のことを思えば、同じ研究者、仲間や友人と呼べる人間ができ、自分ではなく彼らとの時間を優先するようになったミラの姿は、祖母にとって、寂しさ以上に大きな喜びであり、誇りだったのだろう。
ミラは、照れ隠しか、少しつっけんどんな口調で、今度は皆に話を振った。
「そういうジルはどうなの? 家族には連絡したの? ティモシーやサーシャは…」
サーシャに話を振った瞬間、まずい、という表情がミラの顔に浮かぶ。
しかし、サーシャはそれを察してか、苦笑いを浮かべて静かに答えた。
「うちは王家に『通達』という形を取ってもらったよ。
その上で、彼らが何か手を打つ前に、代々的に報道を流してもらった。
これで、彼らが口を挟むことはできないだろう」
「うわ。さすが元敏腕王太子。仕事が早いことで」
ジルが茶化すように言うと、サーシャもふざけて片眉を上げてみせた。
「捨てた身分であっても、私が祖国の民の税で生きて来た事は間違いがないからね。
あの国を王として治め導きたいとは今もやはり思えないが、民たちを守るために自分を使えるなら、彼らから与えられてきたものに対しての対価に私がなるのは、何も不思議ではないだろう」
彼は、焚き火の炎を見つめながら、静かに続けた。
「王族として生を受け、富を享受して来た身だ。
覚悟はできている。
…ただ、国が…彼ら王族や貴族が私たちにしたことを思えば、王族として、自分の犠牲を彼らに美談として利用されるのは、絶対に御免だがな」
そして、サーシャはふっと息を漏らし、この10年間で、誰も見たことがないほど穏やかな笑みを浮かべた。
「それに――何より、あそこには彼女がいるんだから、何も問題ないよ。
むしろ、このまま彼女がいない世界で生き続けるより、幸せかもしれない。
だから、私が管理人になることについては、本当に気にしなくていい」
その穏やかな表情に、ジルもつられるように笑いながら、自分の話を始めた。
「うちは通信魔道具で伝えたわよ。
もう、驚いていたし、私で大丈夫なのかとか、走る場所はあるのかとか、運動できないストレスで周りに迷惑をかけるんじゃないかって、そっちの心配ばかりされたのよ?
ちょっとひどいと思わない?」
ジルの、あまりにも彼女らしい家族とのやり取りに、皆から笑いがこぼれた。
そして、最後にティモシーが、軽く肩をすくめて口を開いた。
「うちは平民で、家に通信の魔道具はないから、手紙を送ってもらったんだ。
もう、直接会うことも、返事をもらうことも、時間的に間に合わないと思うけど…
それでも、これが、みんなが残るかどうかを決める、一つの材料にはなったんじゃないかなって、思ってる」
その言葉に、和やかだった空気が、一瞬にして切ないものに変わる。
今回、作戦の要として、最も重い荷を背負うのはティモシーだ。
それなのに、家族との最後の別れすら、叶わない。
三人は、かけるべき言葉を見つけられずに、黙り込んだ。
ティモシーは、そんな仲間たちの様子を見て、困ったように微笑んだ。
「みんな、そんなに深刻にならないでよ。
ベネットの湖…ううん、セラフィナに入れば、様々なものに接触できる。
だから、たぶん…家族もみんな、“記憶”になることを選んでくれると思うんだ。
そうしたら、向こうで、僕が見送ってあげられるから」
彼は、星空を映すセラフィナ湖を見つめて、続けた。
「それに僕、子供や人の笑顔って、好きなんだよね。
ほら、子供の笑い声って、なんだか、明るい未来が待ってるって感じで、好きじゃない?
ベネットもよく"子どもだった誰かの記憶"と遊んでるでしょ?
僕も落ち着いたら、ああやってみんなの"記憶"と遊んだり…
それに、もし残ることを決めた人がいたら、その人たちの子どもが笑ってられたら良いいなって思うし――――
だから所長もジルもいるし、ベネットも戻ってくるだろうし
――うん。大丈夫だよ」
そう言って笑うティモシーにサーシャが背を叩いた。
そのまま四人は、言葉少なにしばらく静かに湖を見ていた。
・
ベネットがノルンと回路をつないだ際に展開されたモイラへの制御装置が、今、かろうじて世界の崩壊を食い止めている。
だが、その制御装置の寿命も長くはないだろう。
管理人不在となったセラフィナ湖も、歴代の管理人たちが施してきた防衛策によって平穏を保っているが、それも永遠ではない。
作戦は、この短い猶予期間の間に、必ず終わらせなければならなかった。
モイラが現れて、まだ1週間も経っていない。
ほんの少し前まで、オルタンシアの侵略戦争を、遠い国の出来事のように語っていたのに。
焚き火の炎をぼんやりと眺めていると、ジルが「飲み物を取ってくるわ」と立ち上がった。
それに、ミラも「手伝うわ」とついていく。
湖から少し離れたガゼボに置いたバスケットから、ワインや水を取り出す。
ミラの好きなシュークリームの箱や、ジルの好きなグミの袋も見つけ、二人は顔を見合わせて小さく笑った。来た道を戻りながら、ミラがジルに話しかける。
「ねえ、ジル。
サーシャじゃないけど、私も大丈夫だから。
おばあちゃんと一緒に入れるから、今までと少し変わるだけだから。
…こういう時、『気にしてくれてありがとう』って言うんでしょ?」
ふふ、と悪戯っぽく笑うミラに、ジルは驚いたように目を見開いた。
「成長したでしょ? もう、子どもじゃないんだよ」
「…そうね。本当に」
ジルは、優しく微笑んだ。
「だから、大丈夫。
これから先、もしものことがあっても、あなたが私の代わりになろうとしないでね。
あなたが一人で管理人になる方が、私は嫌よ」
ミラは、立ち止まって、ジルの目を真っ直ぐに見つめた。
「それよりも、ティモシーの傍にいてあげて。
一番つらい立場にいるのは、彼だから。
…ううん、もし作戦が失敗して、所長にティモシーがベネットと同じように――――
そんなこと起こるはずないけど、もし残されることになったら、あなたが一番つらいのかもしれないけど…。
でも、最初から1人と決まっているよりは安全性もだけど、精神的にもいいと思うの。
あのね。私は、私ができることをする。
だからジルは大変かもだけど、ティモシーのことは、あなたに託していいかな?」
ミラの、その真剣な言葉に、ジルは力強く頷いた。
「わかったわ。
そうね。
――でもミラがティモシーとやり合う姿が毎日見れなくなるのはさみしいわね」
もう。と言ってミラが笑う。
そのまま二人は笑い合いながら、再び焚き火のそばへと戻る。
そして、ティモシーとサーシャと共に、また、取り留めのない話を始めた。
世界の終わりに立ち向かうことにした、彼らの最後の夜が、静かに、そしてゆっくりと更けていった。
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ストック切れとリアルが忙しく次の章をいま書いているところなので次の更新は少し先になると思います。
30話ぐらいで終わる話が終わらなく、50話くらいで終わるかと思ったけど全然終わりが見えずどんどん話が伸びてゆく…小説を書くってこんなに調整が難しいものと思いませんでした。
気長にお付き合い頂けると嬉しいです。
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