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- 4 - 月の花 4


暗い室内に、


幻想的な光景が広がる。


かつて水を湛えていたはずの巨大な湖──





今や干上がり、あるいは泥沼と化したそこに、


信じがたい光景が出現していた。





漆黒に沈む大地に、


蔦が無数に這い上がり、


まるで世界樹のように天を突き刺す。


その枝々に、


巨大な、月のような丸い光を宿す花。


それとも、実なのか――





蔦は太陽を覆い隠し、


昼間すらも夜に変えてしまうほど、


空を埋め尽くしていた。





根元からは、


季節も、環境も、地理も無視したように、


さまざまな花々が咲き乱れる。





この国では本来咲かないはずの花──


まったく異なる大陸でしか育たない花──


それらが、狂ったように無秩序に咲く。





咲き乱れる期間は、最短で数日。


長いと、数か月近く続く。





やがてすべては、


光の粒子へと変わり、


風に乗り、羽ばたくように空へと昇っていく。







―――







レンは、椅子に背を預けたまま、


その映像を黙って見つめ続けた。




「……今回、どれだけ続くか、だな」





手に書類を持ちながら


低く呟いた声だけが、


虚空に消える。












一方、外の世界では緊張が高まっていた。



磁場の狂いから月花現象が起こる可能性が高いと思われる周辺には立ち入り禁止と発令され、市民は屋内待機を命じられている。





しかし、月花の影響か、


既に夢遊病者のように外へ誘われる者が出始めている。




湖に向かう群れを防ぐため



王国、いや世界各地では騎士団が数人単位で夜間警備に当たり



要人は移動を制限されたうえで


誘導されやすい場所から遠ざけ


厳重な警護が施されていた。











「……なんだろうな」




デリの箱を押しやり、レンは誰かが気を利かせ置いておいてくれたぬるくなったビール樽と、カフェテリアから持ってきたチーズで埋もれ下が見えないキッシュを並べる。




レンは背もたれに深く体を預け、キッシュをかじりながら、ホログラムの映像と、ビール樽と同じように用意されていた古い植物図鑑を照らし合わせていた。





フォログラムに映し出される花の群れは、植物図鑑に載っているはずのものとは似ても似つかない。





明らかに種も環境も無視した異常な咲き方だった。





「……まあ、当たり前か」



キッシュ片手に、低く呟く





たった二日間。




この二日間に起きたことを、レンは頭の中で順に整理していった。




初日のお嬢さん方の相手から深夜の夢、そして照合機で起きた問題と白昼夢――



今日の外出に月花現象とたった2日間でここまで起きると疲労を激しく感じるのも無理はないだろう。




数年分働いたような疲労感が、身体の芯に滲み出している。


何度も繰り返し映る光景は何故か夢で見た情景と、白昼夢で見た光景を断片を否応なく思い出させた。




映像が、浮かんでは消える。


消えてはまた、蘇る。





そして渡された書類を見ると頭を抱えたい気持ちの方が強いが色々と…。


そう。色々と立て続けに起きたせいで見逃した――ことを実感させられていた。





今日の外出だってそうだ。


本来なら俺が外に出ずに、中心で遺物の移動業務を割り振られるのが当たり前だったのに、局長たちが中心で行った時点でおかしかったんだ。




本当は遺物の移動中に研究所に俺たちがいては、誤作動が起きる可能性も考えていたんだと今さらながら思い浮かぶ。




テオがいきなり呼ばれている時点で気づくべきだったが頭がよほど働いていなかったのだろう。




月花現象が起こってから、いまの待遇も問題が起きた時の配慮…





いや、実態は──


──俺たち自身が、保護対象になっただけだ。




ネイトも、エオスも、そしてレン自身も。




はっきりと明言は書類上もされてはいないが、これはどう立ち回るのが正解なのか。



気づいてよかったのか気づかないほうが楽だったのか、書類を再度見ては思わずため息も出る。












──王族とはいえ傍系で研究が生業の家系だとしても、今回は自分も王子と一緒に護られる側。





しかも、表向きには「任務遂行中」の扱いにし、他の保護対象者たちに悟られないよう振る舞えということだろう。




どこまでも、厄介な話だ。





局長にしろ母上…。いや王も噛んでいるのか。



理由を考えれば自分がこちらに回されるのは仕方がないとしても、今後の事を考えると頭も痛くなる。






…理由は、はっきりしている。





今回の欠片の抽出しか考えられない。



今、国にとって最も「失いたくない人材」──俺たちがただそれになっただけだ。



研究者や王族という視点でみれば、月花などで損失するくらいなら遺物と欠片の抽出の実験に俺たちを使いたいのは当たり前だと思う。



いまのところ替えが見つかっていないのだから最優先で警備や監視が付くのは仕方もないだろう。





実感は薄いが、事実として突きつけられている。





さらに、明日からは環境が変わる。




局長の三男であの性格で忘れがちだが、腕利きの騎士であるテオの部隊を中心に、

研究所に縁の深い、信頼できる者たちで新たな拠点へと移動することになるということだ。




彼らは今回、特別に契約更新を済ませ、今後の国家規模の研究・防衛体制を見据えた配属先として選ばれた。




レンたちも、その移動に紛れる形で、そちらの研究所に身を置くことになる。




オリバーが来たのは補佐というが偽装工作の一部だろう。




ここのところオリバーはレンのアシスタントとしてついていたから一緒に動けば別館でやっていた照合をやっているように見えるからだろう。




エオス嬢も優秀だと見込まれているので、少し違う仕事をいま抽出が止まっている間に覚えさせ、王子は緊急事態に王宮ではなく研究所担当になったという態を取るということで見せ方を整えたから、今後の方針が決まるまでうまく立ち回れということだ。










「……だから、今日は休めって話か」




ビールを口に運びながら、レンは一人ごちた。


いつものような皮肉も、冗談も浮かばない。




ビールの苦みだけが、妙に現実感を持って舌に広がった。





明日からが、本当の始まりだ。





そう思いながらもぼんやりと、フォログラムの揺らめきを眺めながら、

レンの思考はまとまらないまま、ただ沈んでいった。





思い出す。





先ほどの──



セラタの髪飾り。




あれも、結局、衝動だった。


買うつもりなどなかったはずだ。




だが、あの夢の中で、


確かに誰かの髪に揺れていた──あの青紫の、朧げな花。



取り込まれた、あの魔法陣の光景。


あれは、いったい何だったのか。













レンは、冷えたキッシュを手にしたまま、静かに息を吐いた。



一番、合理的に考えられるのは──




「取り込まれた人間の記憶を見た」という仮説だ。





だが──



夢で見た映像と、白昼夢で見た映像。





その二つは、言葉にはできない本能的に感じる似通った部分があるにも関わらず映像としてはあまりに違いすぎた。





白昼夢の中で、断片的に浮かんだ景色。





それは、



赤と黒がまとわりつくあの独特の空気感と痛みを伴う感覚。


制御できない怒りと悲しみと愛しさが込め上げる理解不能な感情の奔流。




もし、夢も白昼夢も、


同一人物──同一の存在──から来たものだとしても。





レンは、自然とグラスを握りしめていた。






あれは──そもそも人なのか?






言葉は、わからなかった。





だが、直接頭に叩き込まれたような感情だけは、


無理やりに追憶させられるしかなかった。






憤怒、



怨嗟、



黒と赤に塗り潰された視界越しに見た、



無惨に崩れた世界。






あんなもの──



人間が見る景色のはずがない。






あんな感情、


人間のものとは思えない。






だが──




レンは、額に手を当て、目を閉じた。





だが──あの存在を求めるような、


焦がれるような感情が、


胸のどこかに、確かに残っている。






──矛盾だ。



──混乱だ。





論理では片付かない。


感情が、思考をかき乱す。






「……もしかして」






レンは、フォログラムをぼんやりと見たまま、思わず呟いていた。




──あれは、魔導大国が滅びた時の記憶──なのか?






それならば、説明がつく気がする。





異様な赤黒い空。


崩れた大地。


憤怒と絶望の奔流。






あれが、ただの戦場や災害ではないことは、


夢の中の空気で、肌が理解していた。







──魔導大国。




かつて、世界に覇を唱え、そして忽然と消えた、あの超古代文明。





歴史の教科書には、理由不明のまま「消失」とだけ記され、


幾多の学者たちが今もなお頭を悩ませている、空白の歴史。





あれほどの崩壊──


あの凄絶な滅び──




あれが、魔導大国の最期だったと考えれば、


まだ筋は通る。











冷めたチーズも、ぬるくなったビールも、今はもう何の味もしない。


だがレンは、ぬるくなったビールをまた一口飲んだ。


喉を通っていく感触だけが、いまや現実を繋ぎとめる唯一だった。







だが──なにかが引っかかる。






あの夢で見た景色。







最後に見えた、北の山向こう──






──あれは、魔導大国の領域ではない。







地図を広げればすぐにわかる。






魔導大国のここよりもはるか南で生息している植物があまりにも違う地域だったはずだ。






だというのに、



あの夢の中で自分は、北の山脈を越えた先にある針葉樹の森の先に湖を見た。






あれは、この国の、もっと北側の景色。


魔導大国は針葉樹は存在しなかったはずだ。






レンは、無意識にビールのグラスを置いた。


手が、かすかに震えている。






滅びた大国の記憶をなぞったのなら──




なぜ、ありもしない北の地を見た?






それとも、滅びた後、何かが──



思考が、また堂々巡りを始めた。






フォログラムに映る、狂い咲く月花の白い光。





あれが、すべてを知っているかのように、


静かに、こちらを見下ろしている。






レンは、ホログラムの光がゆらぐ部屋の中で、静かに目を閉じた。






そして深く、低く、ため息をついた。





今日のところは、これ以上考えても、答えは出ない。



ただ、胸のどこかに、「引っかかるもの」が刺さったまま──


夜が、静かに更け、フォログラムの光だけが、


ぼうっと部屋を照らしていた。







――――――――――




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