- 4 - 月の花 2
馬車に揺られながら、俺たちは魔道具を使い手短に所属と情報交換する。
現状、街中で大きな混乱は起きていない。
だが、"月花"のニュースが伝わった直後ということもあり、人々の間に漠然とした不安が広がっているらしい。
情報が錯綜し、余計な噂が拡がる前に、俺たち自身も公式情報と上層部の判断を仰ぐべきだ。
そんな中、ふと。
「……せっかくなら、また改めて行きましょうか」
ネイトが、隣に座るエオスに微笑みかけた。
「今日、寄れなかったガラス細工屋へ。エオス嬢も、見たがっていたでしょう?」
エオスは驚いたように目を見開き、それからぱっと笑った。
「……はいっ。ぜひ、また!」
それを聞きながら、テオとケイリーがまたしても「やれやれ、若いねぇ」とでも言いたげに目を細め、笑いを押し殺している。
レンはため息をつきながら、窓の外を流れる景色に目をやった。
──この先、事態が大きく動かなければいいが。
そんな一抹の不安を胸に抱きながら、研究所の方角へ向かう馬車に揺られていた。
・
研究所の馬車寄せに到着するや否や、俺たちは二手に分かれた。
「レン、ネイト、テオ。すぐ局長のところへ」
と、連絡を受けていた。
俺は軽く顎で示し、三人で足早に廊下を進む。
テオはケイリーには、
「兄貴がもうすぐ戻るから、エオス嬢とカフェテリアで待っててくれ」
と伝え、案内役がついていた。
「……ケイリー、無理はするなよ」
テオが名残惜しそうにケイリーに言うと、
「大丈夫よ、あなたこそ。大人しくしてるから、安心して行ってらっしゃいな」
と笑顔で返される。
エオスは緊張した面持ちだったが、ケイリーに「さ、行きましょうか」と軽く手を引かれて、少し肩の力が抜けたようだった。
・
カフェテリアは、昼時を過ぎたためか、落ち着いた空気が漂っていた。
窓からは柔らかい陽光が差し込み、テーブルクロスを淡く照らしている。
「……そんなに肩に力、入れなくても大丈夫よ」
ケイリーがふわりと微笑み、エオスに紅茶のカップを手渡した。
エオスは小さく礼を言い、両手でカップを抱えながら、少しだけ息を吐いた。
「……すみません、なんだか、こういう時、どうしても緊張してしまって」
エオスの声は、いつもの魔道具について語る時の快活さとは違い、慎重に、言葉を選んでいた。
ケイリーはそんなエオスを責めることなく、優しく微笑む。
「無理もないわよ。私だって、昔は似たようなものだったもの」
「え?」
エオスが目を見開くと、ケイリーはカップを傾けながら、懐かしそうに続けた。
「うちの家も、そんなに立派なわけじゃないの。
それでも、いろんな人たちと一緒に動くようになって……
最初は、私も毎日肩こりみたいに緊張してたわ」
「……ケイリーさんが?」
エオスが信じられないという顔をする。
「ふふっ。今はこんな感じだけどね」
ケイリーは、からかうでもなく、穏やかな調子で言った。
エオスは、口の端をわずかに緩めた。
「……ありがとうございます」
「うん」
ケイリーはにっこりと頷く。
「エオスちゃんが、ちゃんと考えてるの、みんな分かってるわ。
だから無理に背伸びしなくていい。
そのまま、知りたいこと、話したいこと、やりたいこと──
少しずつ出していけばいいの」
エオスは一瞬俯き、それから意を決したように顔を上げた。
「……じゃあ、少し、聞いてもいいですか」
「もちろん」
「さっき、ニュースで言っていた……『月花』のこと。
あれって、どうして花が――ああやって現れるんでしょうか」
ケイリーは少しだけ考え、首を傾げた。
「私たちにも、正確なことは分からないの。
ただ、あそこは昔、たくさんの想いや祈りが集まった場所だったから……
もしかすると、何か残響みたいなものが影響してるのかもしれないわね」
「残響……」
エオスはその言葉を噛み締めるように繰り返し、目を細めた。
やがて、カップをテーブルに置き、
ほんの少しだけ、はにかむような微笑みを見せた。
「ケイリーさんと話してると、なんだか……落ち着きます」
ケイリーは、嬉しそうに、しかしどこか頼もしく微笑んだ。
「まあ、そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」
こうして、カフェテリアには、ささやかながら穏やかな時間が流れていた。
・
局長室の前。
扉の向こうから、すでに低く押し殺したような声が聞こえてくる。
テオが軽くノックをすると、
「入れ」
と短い返事。
俺たちは一斉に室内へ入った。
局長――ジョッシュの顔にはいつもの飄々とした表情がない。
椅子に腰かけたまま、資料の束を前にしていた。
局長室の扉が重々しく閉じられる。
「さて、やっと揃ったか。急いで現状を共有するぞ」
ジョッシュ局長は肘掛け椅子にもたれかかりながら、いつものふざけたような笑みを浮かべつつも、手元の資料を手早くめくりながら、俺たちに説明を始めた。
レンは壁に背を預け、ネイトは椅子に腰掛け、テオは少し真面目な顔で立っている。
ジョッシュ局長は手元の資料をパラリとめくり、わざとらしく眉を上げて言った。
「お前さんたち、いいタイミングで戻ってきたな。
ちーっとばかし、世界がエラいことになってるんでな」
「……世界、ですか」
ネイトが静かに問い返す。
「ああ。月花の狂い咲き現象の発生確認だ。
しかも、規模が今までの非じゃねえ。
世界の三割――地上全域の三割だ。
既に各国が非常事態として動いてる」
レンが声もなく低く唸る。
ジョッシュ局長は、投影機を起動させる。
そこには赤く染まった地図が映し出され、各地に拡がる警戒場所と、月花の発生地点が記されていた。
「予兆は……我が国も、含まれているのですね」
ネイトの問いに、ジョッシュ局長は頷く。
「ほとんどの国で観測済みだ。
ただし、まだ発生はしてねえ。
──が、いつ起きてもおかしくない状況だ」
ジョッシュ局長は一瞬だけ冗談めかして口角を上げたが、すぐに真顔へ戻る。
「……今回問題になっているのは、過去の湖地帯だ。
今回の発生地点付近は旧オルタンシア区域が中心になっているが、他の国でも発生していてな。
現在、別の国で観測された月花は、過去の記録通り季節外れかつ異常な成長を伴って、先ほど──
月がないどころか夜でもないのにかかわらず、陽を遮り狂い咲くように幻想的な花が咲き乱れたようだぜ」
ジョッシュ局長は視線を俺たちに向ける。
「小規模な現象なら、10年ぐらいに一度はあった。
だが、世界規模となると六十年ぶりだ。
──誰も、本格的な対応経験なんざ、持ってねぇのよ」
「具体的な対応は?」
ネイトが冷静に促す。
ジョッシュ局長はデスクに肘をつきながら、不敵な笑みを浮かべて告げた。
「咲く花は毎回異なる。
その土地に存在しない種類の花まで現れる。
……理由は、未だに不明だ。面白いだろ?」
俺たちは黙って聞き入った。
「昼も夜も問わず、花々は淡い光をまとって咲き、ある朝、突然朝焼けとともに、光の欠片となり、その欠片が光の粒子の様に、または羽や花びらのような形に変わって、空へ昇っていく──
見た者にとっては、まるで奇跡のような光景だと言われているな」
一拍置き、ジョッシュ局長は資料を指で叩いた。
「だがな。この現象を見た者の中には、精神に異常をきたす者が出る。
既に周辺では"感覚過敏"や"幻視"を訴える症例が報告され始めており、市民の安全確保のため、月花が現在表れている場所や過去の出没地域、それに湖への接近禁止令が出た。
…酷い場合は、錯乱し、行方不明となるケースもある。
我が国の近隣エリアでも、関連現象が起きる可能性が全くないわけではないため、情報収集と初期対応体制の強化が求められるってわけだ」
テオが眉をひそめた。
「……それは、小規模なものと比べ物にならないくらいひどいんじゃないですか?」
「その通りだ」
ジョッシュ局長は頷いた。
「大戦直後、この現象に誘われるように湖へ向かい、そのまま戻らない者が続出した。
だから、あの地帯じゃ『花が咲いたら近づくな、見るな』という厳しい決まりができたんだとよ」
俺は無意識に、肩の力を少しだけ強めた。
「──それが、また起きているってわけか」
「そういうこった」
ジョッシュ局長は端的に答えた。
「現地では既に封鎖措置に入っているが、問題はこの現象が拡散するかもしれねぇという点にある。
特に湖や湿地が多い地域は警戒対象だ」
緊張感が、室内にじわりと満ちていく。
レンは深く息をつきながら、眼前に広がる奇妙な美と、背後に潜む狂気の気配を思った。
(……面倒なことになりそうだな)
この空気。
どうやら、ただの季節外れの花騒ぎじゃ済まなさそうだ。
俺は、ジョッシュ局長が次に差し出してくるであろう書類の束を待ちながら、内心で舌打ちした。
ネイトが落ち着いた声で尋ねた。
「我々には、どういった指示が?」
ジョッシュ局長は俺たち一人一人を見渡し、慎重に言葉を選ぶ。
「まずは情報整理と予測作業だ。
――特に、王子とレン。
お前さんたちには、別任務も正式に割り当てられることになると思う。
……まあ、内容は後だ。
今は一刻も早く、既知情報をまとめて上にあげるのが先だ。
テオ、お前さんには保護区の警戒準備を頼むことになるだろう」
「了解です。」
テオは快活に笑ったが、その目はいつになく真剣だった。
ジョッシュ局長は、手元の資料を指で叩いた。
「あと、ネイト王子は王宮に戻るか、こちらで対応になるのか、お前さんの親父殿からの回答待ちになっている。
返事が来るまでの間はこちらの人員として動いてもらうことになる」
レンは「ああ」と低く応じる。
ネイトも小さく頷いた。
「じゃあ、それまでに情報整理と予測作業を頼む。優先事項は三つだ」
指を三本、順に立てる。
「一つ、予兆地点の監視と封鎖──一般市民の接近防止の確認部隊への指示系統の確認。
二つ、発生時の即時対応指示書の整備と連絡系統の確保。
三つ、仮に精神汚染が発生した場合の隔離・治療体制の構築。」
「それを……俺たちに?」
レンが片眉を上げる。
ジョッシュ局長はわざとらしく肩をすくめた。
「ま、お前さんたちのその“繋がり”ってやつを、こういう時にこそ使わねぇ手はねぇだろ?
血は水よりも濃いって言うじゃねぇか」
「……光栄ですね」
ネイトが静かに皮肉を返すと、ジョッシュ局長はカラカラと笑った。
「まぁ、そう拗ねるな。
すでに動き出してる班もある。
お前さんたちは"特別調査班"としての前準備をして欲しい。
異常兆候の観測と初期対応の司令塔をやってもらうってわけだ」
レンは懐からペンを取り出し、素早く資料に要点を書き留めながらぼやいた。
「特別ってのは便利な言葉だな……都合よく使われるだけだ」
「皮肉屋め。だが、今回は真面目に頼むぞ、レン坊」
ジョッシュ局長はそう言って、最後に顔を引き締めた。
「──命を、守れ。民も、自分自身もな」
部屋に、一瞬、重たい沈黙が降りた。
だが、次の瞬間、テオが大きく息を吸い込み、破顔した。
「よし!まず腹ごしらえしてからにしましょう、局長!」
ジョッシュ局長は満足げに頷き、手を叩いた。
「おう、なんでもいい。
やる気が出るように美味いもんでも取ってこい。
じゃあ次の確認は2時間後だ。
それまでに各自準備しとけよ!」
「了解です」
ネイトが静かにうなずき、
レンも軽く頭を下げ、
テオは既にドアに手をかけていた。
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