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- 3 - 抽出と心の機敏 7話


レンが休憩場所に選んだのは、研究棟の中でも、厳重な認証を経ないと入れない特別管理区域だった。



そこは、まるで外界から隔離された聖域のようでもあり、同時に、研究に夢中になりすぎた研究員を強制的に休ませる得体の病院的機能も備えた場所だった。




そう。元々、体調を崩したり集中管理が必要な作業後に休息を取るために設けられた区画だ。




ネイトとレンは、身分証と幾重もの認証をクリアして、陽の光に溢れる神殿のような静寂に満ちた特別管理区域へと足を踏み入れる。




木漏れ日が窓から差し込み、光が踊るように壁を照らしている。





「レン」





廊下を歩く中、ネイトがぽつりと、とてもかすれた小さな声でレンに呼びかけた。




レンは小さく振り向いた。


ネイトの顔は、蝋のように白い。





ネイトは、まっすぐに、しかし焦点の合わない目で彼を見た。





「……本当にすみませんでした。




私が…私が抽出に参加したから…



あんな、おぞましいものを呼び覚ましてしまったのかもしれない…。



あの時、何かが私の頭の中に直接語りかけてきたような気がしたんだ…




『もっと深くへ』と…」






ネイトの声は罪悪感と、未知なるものへの根源的な恐怖に震えていた。



レンは瞬きをした。彼自身の精神もまた、幻視の残響に蝕まれていた。






「何がだ?」





ネイトは言葉を選びながら、しかしその内容は支離滅裂になりかけていた。





「昨日、私は──興味本位で欠片の抽出を試みた時。



ただの好奇心だったんです…でも、あれは…あれはただの情報じゃない。


生きてる…何かで。




それが原因で、あんな異常な現象を引き起こしたかもしれないなんて。




君まで巻き込んで…。


――自覚が足りなかった。




いや、想像すら、できなかった。


あんなものが、あんなことが起きるなんて…。





あれは、あれは――――」







レンは立ち止まり、わずかに目を細めた。


壁に刻まれた古代文字が、まるで嘲笑うかのように歪んで見える。





「──そうだな。


起きた結果だけを見れば、軽率だったといえるだろうな。



だが、お前だけのせいじゃない。



どの道お前がやらなくても、エオス嬢の話から俺が呼ばれただろう。




結果からみると、よりお前より俺の方が酷かった。



まだ何が原因かわからないのにそこまで追い詰めて考えなくていいだろ。



あの“何か”は、俺たちを選んで接触してきた。


そう考えた方が自然だ。



お前一人が抱え込むような話じゃない」






ネイトは眉を下げ、懇願するような目でレンを見据えた。





「責任を取る覚悟はあります。



……だから、後処理も命じて欲しい。


どんな罰でも受けるつもりです。




だから、あれを――このままでは―――」





レンはしばらくネイトを見たまま、静かに、そして深く考えた。



彼の脳裏にもまた、あの黒と赤の奔流が、おぞましい感情と共に蘇っていた。





そして、重い、鉛のようなため息をつく。





「……そこまで大袈裟に考えなくていい。



いや、もう既に『大事』にはなってるが、お前を罰したところで、あの『現象』が止まるわけではないだろ。




現状、ネイト、お前を責め立てても、事態は進展しないどころか、悪化する可能性すらある。」





ネイトの目が、絶望の中でわずかに揺れた。





レンは静かに、だが心の奥底から湧き上がる不吉な予感を抑えながら続けた。





「むしろ、これで判ったこともある。



俺たちが、あの『何か』にとって、何らかの『意味』を持つ存在であるということ。



適性があるか否か──そして、その『適性』が、俺たちをどこへ導こうとしているのか。



そして、今後どう対処すべきかという、絶望的に困難な道筋もな。





…もっとも、その道筋が、破滅へと続いていないといいがな。




ま、どっちに転んでも面白そうだとは思ってるが」





レンはそう言い、わざと不敵な笑みを浮かべた。



レンは前を向き、まるで重い枷を引きずるように、歩みを再開する。





「……だから、とりあえず今は休もう。



これ以上意識を保っていると、本当に『向こう側』に引きずり込まれそうだ。




いい加減限界だ」





ネイトは無言で頷き、力なくレンの後を追った。


二人の影は、どこまでも明るい廊下に長く伸びていた―――











静まり返った特別エリアの休憩室に辿り着いたレンとネイトは、柔らかなソファに腰を下ろした。




レンがゆっくりと目を閉じようとしたところ、ふいにネイトが切り出した。





「……そういえば、明日どこへ行くか、まだ決めてなかったですね」





レンは片目を開けた。





「ああ。まだ聞いてなかったな」





ネイトは考え込むように手を組み、いくつか候補を挙げていく。





「……まずは、庭園が綺麗な場所があるらしいですね。



それから、珍しいお菓子を出す小さな店もいいかもしれない。



あとは──動物と触れ合える広場も、人気だとか聞いたことがあります。」






レンはネイトを見た。


その顔には明らかな色が浮かんでいた。




──女子供が喜びそうな場所ばかり。




レンは静かに、口の端を引き上げて揶揄いの含んだ表情を浮かべた。


それに気づいたネイトが目を丸くする。




「……どうしたんです?その顔は」


「いや? 別に?」




レンはあくまで素知らぬ顔で、少し体をずらして座り直した。



だが、肩が小刻みに揺れている。




ネイトはますます焦る。




「……本当に何なんですか?その顔。私が何かおかしなことを言いましたか?」


「いや別に。


ただ、ネイトが……せっかく研究室直属の滅多に入れない街に行くのに興味好奇心ではなく、色々と随分と“気を遣っている”のがよくわかるな、と思ってな」




レンはわざと淡々と答えた。


ネイトは耳まで赤くなり、言葉に詰まった。





そんなネイトを、レンはしばし眺め──


ふっと、柔らかな笑みを漏らした。





午後の光が差し込む静かな空間で、


2人は穏やかに、そして少しだけ可笑しさを交えながら、明日の行き先について話し合いを続けた。












──早朝。



休憩室に設けられた仮眠用の簡素なベッドから目を覚ましたレンとネイトは、互いに軽く顔を見合わせた。





(……寝過ぎたか)





そんな空気を共有しつつ、身支度を整え、研究所の食堂で簡単な朝食を取り終える。




待ち合わせ場所の本館の馬車乗り場に向かうと、すでに局長の三男であるテオとその妻ケイリー、エオスが揃って待っていた。




テオは「おはようございます!」とでも言いたげな快活さで手を振り、ケイリーは「おはようございます、ネイト殿下、レン様」と穏やかな笑みを浮かべ、エオスは緊張でやや表情を硬くしている。





「おはようございます、ネイト殿下、レン殿下」




エオスはきちんとした挨拶をしたが、どこか硬直している。




それに対し、ネイトは穏やかな微笑みを浮かべ、






「おはよう、エオス嬢。そんなに気を張らなくていいよ。


今日は、皆で街を歩くだけだからね」




と、声をかけた。





──6人乗りの馬車が用意されており、彼らはそれに乗り込んだ。











馬車の中で、自然とエオスとネイトが隣り合う形になる。



エオスが緊張しているのを察したネイトは、ゆっくりと、しかしさりげなく話題を振った。




「そうだ、エオス嬢。


昨日の話だけど──あの、魔道具の欠片の抽出の話。


詳しく調べが終わるまで内緒になったから、私たちだけの秘密になったよ」




「えっ。は、はい……! あの、わかりました。


何かほかにも、内緒にしておいた方がいいことはありますでしょうか…?」




エオスは恐縮しながら答えるが、話題が「魔道具」に入った瞬間、ぱっと表情が和らぎ、言葉数も増えた。




ネイトはエオスの様子を見ながら、興味深そうに相槌を打ち続ける。




「そうだな、他にどんな気づきがあったか、ぜひ詳しく聞きたいな。


……レンが教えてくれた範囲じゃ、まだ全体が掴めなくてね」





その態度は、あくまで自然で、上から目線など微塵も感じさせない。




──それを見ていたレンは、隣でふっと鼻で笑った。


(……ああ、やってるな、こいつ)




目の端で、テオとケイリーも同じタイミングで顔を見合わせ、眉を上げ意味あり気に笑う。




テオはわざとらしく「コホンッ」と咳払いをして視線を外し、ケイリーは手元に視線を落としながら、楽しそうに肩を震わせていた。




──誰もが気づいている。




ネイトが「身分差を感じさせず、エオスを自然に受け入れようとしている」ことを。




──しかし、当のネイト本人だけが、自覚なく振る舞っている。




そんな微笑ましい光景を乗せた馬車は、ゆっくりと街へと向かっていた。







――――――――――







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