- 3 - 抽出と心の機敏 6話
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やがてジョッシュは、低い、押し殺したような声で付け加える。
「……この事実は、絶対に口外無用だ。
もしこの『選別』の事実が漏れれば、パニックを引き起こすどころではない。
適性の有無で人間関係が歪み、差別や迫害が生まれるかもしれん。
特に、ネイト王子に関わる事となれば、国家を揺るがす政治的な問題にも発展しかねん。
そして何より、あの『何か』に、我々が気づいたことを悟られてはならない。
我々は今、薄氷の上を歩いているようなものだ。下手すりゃ、奈落行きだぜ」
レンは小さくうなずき、乾いた唇を舐めて短く応じた。
「了解した」
こうして、適性の存在とそのおぞましい意味については、局長ジョッシュとレンの間だけで共有され、血の誓いにも似た極秘情報として封印されることになった。
局長ジョッシュは、机上に積み上げられた、通常ではありえない量の、そして明らかに不吉な空気を纏った古代文の欠片が格納された水盤を見下ろしながら、低い声で告げた。
「この欠片の分析は、明後日に回す。
いや、分析できるかどうかすら怪しい。
これだけ異常な量と質だと、今日中には定まらず、そもそもどの程度の古代語へ復元できるのか、あるいは復元すべきなのかもわからないだろう。
お前の母上様──つまりミレイアたちとの合議が絶対的に必要だ。
軽率には進められない。
これは、人類の存亡に関わる問題かもしれん。
下手をすれば、触れてはいけない箱を開けちまったことになるからな」
レンは静かにうなずいた。
その顔には、年齢に不相応な深い疲労と覚悟が刻まれていた。
「了解した。今日この後は?」
「ああ」
局長は、魔道具に目を通しながら、努めて冷静な声で続けた。
「君とネイト王子は、ここ──本館の研究所に泊まる。でいいんだったな?
厳重な監視と警備を置く。
エオス嬢も寮に入っているが、同様の措置を取る」
「明日、午前──君たち三人で市街を案内してもらう。
ただし、これは表向きだ。
エオス嬢にも、欠片の抽出のコツに関して、
"あの方法は禁忌に触れる可能性が高い。二度と単独で行うな。結果が出るまでは、絶対に他の人間に話すな"と、君から直接、厳命しておいてくれ。
彼女の精神に異常が出たりお前さんたちのように白昼夢を見る前にな。
あの娘は、あまりにも無防備すぎる。見ていてハラハラする」
レンは一瞬だけ考えたあと、重々しく返答した。
「わかった」
ジョッシュはさらに続けた。
その声音には、抑えきれない警戒心と疲労が滲んでいた。
「それから──」
「王族の男二人に若い女性一人が随伴して出歩く。
それはさすがに、外聞が悪い。
特に今のこの状況では、どんな些細なことでも憶測を呼ぶ。」
レンは苦笑し、黙って続きを促した。
「だから、護衛と世間体を兼ねて──
うちのテオと妻ケイリーを同行させる手配を進めている。
彼らは信用できるが、事情の全てを話すわけにはいかない。
あくまで、普通の視察として振る舞ってもらう。
あいつら、そういうの得意だろ」
レンは驚いたように目を瞬かせた。
「……あの二人を?」
「ああ」
局長は、作り笑いにも似た表情で、にやりと笑った。
「彼らは空気が読める。
必要以上に踏み込まないし、ネイト王子たちにも自由を与えるだろう。
ただし、見た目上の体裁はきちんと保つ。
お前は、“ただの視察と案内”に終始していればいい。
だが、常に周囲を警戒しろ。
何が起きるか分からん。
あのお嬢さんらが、お前さんたちを狙っている可能性も否定できないからな。
こちらに入れないと言っても情報まですべて止められるかというと難しいからな。
ま、若い奴らのデートの護衛なんて、役得だと思って楽しんでこいよ!」
楽しそうに笑い声をあげた局長にレンは小さく息を吐き、そして軽く頭を下げた。
「手配、感謝します」
ジョッシュは軽く手を振りながら、疲れ切った声で締めくくった。
「ふ、珍しく感謝されたな。
――だが、気を抜くな。
ここまでくると、次に何が『視えて』も、『聴こえて』も、おかしくない…。
そして、それが吉報であるとは――いまの状態では考えにくいからな。」
・
廊下を歩きながら、レンは懐中時計で時間を確認した。
その針の動きが、やけに緩慢に感じられた。
14時半。
ネイトと別れたのは午前10時半だったか。
すでに4時間が経過している。
しかし、体感では数日分の精神力を消耗したかのようだ。
ネイトが滞在している研究棟の小会議室の扉を叩き、控えめに呼びかけた。
扉の向こうから、微かに張り詰めたような気配が伝わってくる。
そして中から、サイラスが所長の息子とは思えない相変わらずの丁寧さでレンを中に招き入れる。
「失礼。――昼は、取ったか?」
「まだです。少し作業に集中していました。
…いえ、集中しようと、していました。」
中に入ると、ネイトは書類をめくりながら頷き、しかしその顔色は明らかに悪く、目の下には濃い隈が浮かんでいた。
「……そろそろ休憩も必要かな。
頭が、割れるように痛い――
それに、あの映像が…まだ、ちらつくんですよね。
…まるで網膜に焼き付いたように」
レンは頷き、控えめに提案した。
「大丈夫なのか?
無理がないならサイラスも一緒に3人で軽く食事を取りに行こう。
話したいこともいくつかある。
…聞かなければならないこともある。」
ネイトもサイラスも同意し、三人は食堂ではなく、研究棟内の小休憩室へと移動した。
そこは、作業中に食堂まで行けない者用に設えられた静かなスペースだったが、今はどこか息詰まるような空気が漂っていた。
研究者が仕事中に休む部屋とあって殺風景な部屋に簡素なテーブルだが、料理は豪華で栄養面まで配慮されているのが伺える温かいスープとサンドイッチが用意された。
―――しかし、誰もすぐには手を付けようとしなかった。
ため息を吐き食事を始めながら、レンは重い口を開いた。
「局長から、ネイト王子へ注意事項の伝達を頼まれた。…極秘事項だ。」
ネイトが緊張した面持ちで眉を上げる。
「注意事項ですか?」
レンは淡々と、しかし一言一句に重みを込めて要点を述べた。
「あと明日の市街案内ですが、外聞を考慮して──
局長の三男夫婦、テオとケイリーが同行する。
一応、婚約者候補だとまだ思っているお嬢さん方がいる中で、エオス嬢だけ連れ歩くと外聞が悪いっていう配慮だ。
だが、本当の目的は監視と、万一の際の対応だ。
俺たち二人は、いつまたあの"現象"に見舞われるか分からないからな」
ネイトは小さく、乾いた笑みを浮かべた。
「なるほど。……気を使わせたて悪かったかな。」
レンもわずかに肩をすくめた。
また、食事を取りながらレンはもう一つ、さらに重要な話題を切り出した。
「ネイト、エオス嬢から聞いた欠片の抽出のコツについては、明日の案内の中でエオス嬢にも伝えるが、あの方法は、我々が考えていた以上に危険なものの可能性が高い。
今後だが結果がある程度わかるまでは──
抽出のコツも、今日の会議内容も、そして我々が見た『あの忌まわしい光景』についても、誰にも話さないで欲しいということだ。
他者に話すこと自体が、汚染を広げる危険性すらあると判断された。
あの“何か”は、人の精神を介して伝播するのかもしれないと。
まるで呪いか悪夢みたいな話だ。」
ネイトは青ざめた顔で、しかし力強く頷いた。
「了解しました。
…二度と、あんなものは見たくもないし、広がる危険性など…。
考えたくもないですね。
――ただ、また見てしまうような気がして――
あの、脳を直接掴まれるような感覚が――」
「ああ、できるのなら俺ももう見たくはないな」
そう言いながら軽食を終えると、レンは時計を見た。
そして、ふっと全身の力を抜いた。まるで糸が切れた人形のように。
「──この後悪いが、昼寝する。
…いや、気絶に近いかもしれん。もう限界だ。」
一瞬、ネイトとサイラスが虚を突かれたような顔をした後、心配そうに顔を見合わせたが、誰も反対しなかった。
ネイトもまた、限界に近い疲労を感じていた。
ネイトは軽く首を傾げた。その声は掠れていた。
「私も、付き添っても?
…一人でいると、またあの声が聴こえてきそうで…。
あの、耳鳴りのような…誰かの囁きのような…あれは、一体何なんだろう…」
「……どうせ1人にはできないからな。
何かあった時に、すぐに対処できるように。」
レンは淡々と答え、サイラスにも「少しの間、必要になった場合にネイト王子とサイラスもこちらに滞在できるようにある程度の準備を明日出かけている間にしてくれ。水や食料、それに…精神安定系の魔道具の補充も頼む。」と指示を出した。
ネイトに視線を送り頷くのを見ると、そのままサイラスは重々しく一礼し、席を立った。
「滞在場所の準備をしてまいります。
何かあれば移動する前にご連絡を。
…くれぐれも、ご無理はなさいませんように。」
その声には、切実な響きが込められていた。
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