- 3 - 抽出と心の機敏 3
――――――――上層部会議室
局長ジョッシュが重々しく扉を押し開けると、 すでに上層部の面々は揃っていた。 その表情は一様に硬く、室内の空気は張り詰めている。
白衣や軍服、形式ばらない外套姿――
それぞれ立場の異なる者たちが一堂に会している。
その中央に、威厳をまといながら座していたのは、 所長のカイルとレンの母であり、研究本館総責任者であるミレイアだった。
ミレイアの顔には普段の冷静さに加え、得体の知れないものへの警戒感が滲んでいた。
今回の騒動を受け、現在所長の代わりにミレイアが表向きにはトップとして君臨している。
ジョッシュは無言で会釈すると、 馬車でまとめた資料を投影機にかけた。
その手は僅かに震えているようにも見えた。
「……新たに今回抽出された欠片だ。
内容は、いずれもこれまでの解析記録とは異なる構造を持っていた。
そして、極めて異質な魔力の残滓が確認されている」
周囲に息を呑むような緊張が走る。
ミレイアが鋭い視線を上げると、 ジョッシュは続けた。
「今日の日付が変わった頃、レンと王子、そして私が、照合にあたった。
だが、その最中に――」
言葉を切り、ジョッシュはわずかに表情を引き締め、忌まわしい記憶を振り払うように一度目を閉じた。
「……王子とレン、二名が同時に意識を失った。
何の前触れもなく、まるで魂を引き抜かれるように、だ」
ざわり、と空気が揺れ、誰かが息を飲む音が響いた。
一人の上層部員が、声を引きつらせながら口を開く。
「発作か? それとも何らかの魔術的な攻撃か?外的要因は?」
「医療班に確認しようとしたが深夜だったのもあり王子たちの意見で魔道具での確認だけだが、肉体的な異常は認められない。
ただ照合機の魔力波形にも、観測史上例のない乱れが生じていた。
そして―――
意識を失った後、二人とも酷似した、そして極めて不気味な症状を訴えた」
ジョッシュは短く息を整えると、 報告を続けた。
その声には、彼自身がいまだ整理しきれていない混乱と畏怖が混じっていた。
「――白昼夢、というにはあまりに生々しく強烈な幻視体験。
いや、あるいは…何者かによる強制的な記憶の流入、とでも言うべきか」
重い沈黙が、会議室を死のように包み込む。
誰もがその言葉の持つ異常な響きに凍りついていた。
ミレイアは手元の資料に目を落としながら、普段の冷静さを保とうと努めているかのように、低く問うた。
「内容は?」
「目覚めた直後の二人は激しく消耗し、意識も状態も落ちついた後は冷静ではあったが、かなりの疲労が見える状態での証言で2人も似通っていたので、信憑性としては大丈夫だとは思う。
『意思とは無関係に、何かの内部から世界を覗き込むような、冷たく無機質な視点。
形容しがたい黒と赤が、生命あるもの全てを無慈悲に侵食していく終末の光景。
身動き一つできないまま、意識だけが荊のような霧に捕らえられ、引きずり込まれる感覚。
断片的に流れ込む、そこに存在したであろう人々の生活の残滓。
そのどれもが、筆舌に尽くしがたい悲劇と絶望の色を帯びていた。
…そして、自分の感情ではないはずの、止められぬ怒りと狂おしいほどの愛しさと喪失の念が、まるで熱い鉄を押し付けられるように脳髄に直接叩き込まれ、意識が焼き切れるかと思った』
――とのことだ」
耳を傾けていた者たちの間に、恐怖に近いざわめきが広がる。
顔面蒼白になる者、身震いする者もいた。
研究員の一人が、乾いた唇を引き結び、か細い声で呟いた。
「……それは、過去の記録にある…
『魂喰らい』や『精神汚染』と呼ばれる現象に酷似している。
認知侵食の可能性も否定できないのでは…」
ジョッシュが即座に、だが確信のない声で否定した。
「だが、精神侵食の兆候は現時点では見られない。
自我の混濁や記憶の欠落もない。
彼らは自我を保持したままだ。
…今のところは、だがな。」
ミレイアは手を組み、深く考え込むように沈黙した。
その表情は、かつてないほど険しい。
その沈黙を破ったのは、ジョッシュだった。
彼の声には、未知への警戒が色濃く滲んでいた。
「現時点では、対象物に何らかの――
我々の理解を超える、精神構造そのものに直接干渉し、汚染する特性があると推測する。
今後、これを単なる情報ではなく、『意志を持つ汚染源』、あるいは『精神感応型・危険度クラスS指定古代遺物』として 暫定管理し、最高レベルの警戒態勢を敷くべきだろう。
これは、何かしら大きな問題が起きる前兆として過去記録された異常現象との関連も疑われる。」
その言葉に、周囲は静かに、そして重々しく頷いた。
誰もが、これが尋常ならざる事態の幕開けであることを予感していた。
ミレイアは、ふと顔を上げると、 静かに、しかし鋼のような意志を込めて厳然と告げた。
「――まずは、王子とレンの精神状態と魔力汚染に関する経過を、最優先で徹底すること。
些細な変化も見逃してはならない。
同時に、抽出班に対しては欠片の抽出を即時全面停止。
作業員の安全確保が最優先だ。
対象への接触も、許可された者以外は厳重に制限する。
特に王子の状態は、国家の安寧に関わる。
優先的に確認し、万全の保護体制を。
レンには、危険を伴うが、彼にしかできない確認と検証を優先的に行わせる。
彼自身の安全も最大限に考慮し、監視体制を強化するように。
所長、異論は?」
「ああ。…それで進めてくれ」
所長の力ない返事を聞き、ジョッシュは即座に頷いた。
「承知した」
重苦しい空気の中、まるで葬儀の参列者のように、 次の指示を待つ者たちの視線が、一斉にミレイアに集まる。
ミレイアは、凛とした声で最後に言った。その言葉は、会議室の全員の心に鉛のように重くのしかかった。
「これは、まだ始まりにすぎない可能性が高い。
古代文に隠された“何”が、我々の世界に対して明確な干渉を始めたと考えるべきでしょう。
それがレオントポディウムの遺志か、あるいはもっと別の
…モイラのような災厄の前触れか、現時点では判断できない。
だが、油断は許されない。」
誰もがその言葉の持つ不吉な重みを、 肌を刺すような悪寒と共に感じ取っていた。
会議室には、静かな、だが抗い難い破滅的な緊張感が満ちていた。
・
食堂はまだ若手研究員が大半を占めるせいか、朝の光を浴びて賑やかなビュッフェ形式だ。
しかし、その喧騒もどこか上滑りしているようにレンには感じられた。
レンは入口脇の小部屋で、比較的親しいメンバーに声をかけられていた。
「レンさん来てくれたんですね!昨日の抽出で出たのってどうだったんですか?」
「時間ください!見て欲しいのがあるんです!」
「ねえレンさん、あの“お嬢さん方”の噂、もう伝わった?」
「……ああ。まあ、ちょっと順番に話せ。
一気に話されてもわからん」
レンは額に手を当て、昨夜の幻視の残滓が引き起こす微かな頭痛と吐き気をこらえながら答える。
「研究の方は局長の打ち合わせが終わってから、順番が順次決まるだろうから待て。
で、お嬢さん方は昨日の夜も大荒れだったみたいだな」
相槌を打つと、その瞬間――
食堂の中央にある“食堂の女神”の石像から、ひとひらの光がきらりと弾けた。
次の瞬間、ふわりと現れたのは、細身の精霊だった。
「またあの子たちね!
香水の嵐に食事の味が変わってしまいそうなの。
ただでさえ、このところ研究所全体の空気が淀んでて気分が悪いのに!」
精霊は腕を組み、鼻をつまみながら文句を並べ立てる。
するとあちこちから同調の声が飛び、たちまち愚痴大会が始まった。
「もっと控えめにしてもだな」
「気分転換に書物庫に行きたくてもあのお嬢さん方の根城の傍を…」
ビュッフェのパンやスープをつまみつつ、若手たちは肩を寄せ合い悪態をつく。
しかし――遠く隅のほう、王子とエオスだけは静かに向かい合い、朝食を口に運んでいた。
ただ、その顔色は二人とも優れず、どこか上の空のようだ。
王子は柔らかい笑みを浮かべようとしていたが、その瞳の奥には消えない疲労と、未知への不安が宿っている。
エオスは王子との食事に緊張した面持ちを隠しつつ、パンを小さく千切っては口に運ぶが、その手は微かに震えていた。
だが二人は言葉少なにしながらも、互いの存在に、そして先日の抽出で何かしら特別な体験した者同士の奇妙な連帯感というか、はた目から見ると何とも生ぬるいというか砂糖を吐きそうというかそんな温度感を醸し出している。
彼らはこの騒がしい愚痴の渦から一歩離れた朝のひとときを過ごしていた。
食堂の喧騒の中、レンは数か月前まで日常だった環境に一息つき、王子とエオスが座るテーブルへ視線を向ける。
レン自身もまた、あの幻視の悪夢のような感触から完全に抜け出せてはおらず、王子と同じように目に疲労を浮かべていた。
そんなレンのとなりに椅子に腰を下ろすと、隣にいた若手研究員の一人が、苦笑いを浮かべながら小声で耳打ちしてくる。
「……あの二人、本館じゃ、ちょっとした噂ですよ。
何というか、近寄りがたいオーラが出てるって…」
レンは眉をひそめた。
「……どういう意味だ」
若手は肩をすくめ、やや困ったように続けた。
「王子閣下は、言わずと知れた超然の存在ですし……」
「それに加えて、エオスさん。あれだけ素直で純粋な子が、超高度な古代語を解読してるんですから。
最近は、何かこう…神懸かり的な集中力を見せる時があるって話です。
まるで何かに導かれてるみたいに…」
「そりゃあまあ、手を出すやつはいませんけど
……ほとんど『別格』って感じですね。
良くも悪くも、人間離れしてるというか…」
レンは思わず小さく鼻で笑った。
……まあ、当然だろうな 誰よりも突出した才能と、誰よりも慎重な保護の目。
そして、あの“異質なモノ”に触れてしまった可能性。
あの二人に無闇に近づく度胸がある者など、今の本館にはいないだろう。
レンは立ち上がり、軽く手を振って朝食を締めくくった。
研究員たちは徐々に食事を終えレンに声をかけては、それぞれの作業や打ち合わせへと散っていく。
人が減った食堂に、ぽつりと取り残されるレン、王子、エオスの三人。
その周囲だけ、空気が密度を増しているかのようだ。
席を立ったレンは、カウンターで注文した温かいお茶を手に戻ってくる。
3人は静かにカップを傾け、束の間の休息を取った。
しかし、3人とも理由は違えど視線はどこか遠くを見つめていたが、気を取り直して明日の外出の話を進める。
・
会議の終了と、局長たちがまとめた新たな調整結果が届くのを待ちながら―――
それぞれ、内心に拭いきれない不安と、これからの予測不能な展開への重苦しい覚悟を抱えて
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