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autumn

  ◇◇/サラン、過去 


私たちは鑑賞用。透明で柔らかな間だけ庇護を受ける。 

 ときおり、こんなにも長い年月生きているように感じるのに、未だ十代である自分を不思議に思ったりした。 


「サランは私たちの生活とは別の、異世界を作り出すね」と乳白色の歯を見せてスーが笑いながら言ったのはいつのことだったか。そのあまりに純粋でてらいのない言い方に、私はやられてしまったのだった。




 サランは異世界を作り出すね。



     *



 十五歳の私は、自分の想像力と文章力だけで物語を生み出すことができるという喜びに夢中になっていた。もともと昔から「本」という存在に崇高な憧れを抱いていたから、拙いながらも自分にもそれができるのだと分かったときの興奮といったらなかった。日夜夢中になって紡ぐその物語を読ませる相手は、専らルームメイトであるスーの役割だった。無邪気なスーは何でも面白がって読んでくれたから、私は得意になってますます執筆にのめり込んでいった。



「いつも揺れている感じがするの」

 私が執筆に夢中になっていたその頃、スーはバレエに夢中になっていた。常に体を動かしている彼女ならではの感覚なのかも知れなかった。

「揺れてるって?」

「あのね……」

 寝巻き姿のスーは起き上がって、自分のチェストの一番上の抽斗から何かを取り出し、手で大事そうに包み込んで戻ってきた。ビロード製の黒い箱が、九歳のスーの小さな(てのひら)にちょこんと乗っている。私ははっとしたが、スーは造作もなく蓋を開け、中身を指で(つま)んで私に見せた。


 摘まれたそれは揺れて、さらに波及して揺れる。その動きは決して止まらず、定まらず、形があってないようで、直線の金属の連なりなのに柔らかくうねる細い金糸のようで。


 その繊細なつくりのピアスを初めて目にしたとき、私は吸い込まれるように見入ってしまった。

「……これって、お母さんから貰ったっていう?」

 スーはことんと頷く。代々受け継がれてきた装飾品を、こんなに無防備に私に見せてしまって良いものなのか。

「〝二重振り子〟って言うんだって。この形だとすごく揺れるって」

 二重振り子なら聞いたことがある。振り子の先にさらに振り子をつけて、際限なくスイングするその動きはやがてカオスと呼ばれる運動を展開させる。実際目の当たりにすると、法則性があるようでないような動きが神秘的で、まるで生きているみたいだ。


 私ね、こういうダンスがしたくて、私の中に、こんな風に揺れてるものがあるような気がして──言葉にするのが難しいのか、スーは辿々しく語る。

「バレエのうごきだけじゃきっとできないの。だけど、他にどうしたらこれを表現できるのかも分からない」

 理由もなく、スーの体が動きたがっているのだ。

「私、書きたい」

 考えるより先に、声が出ていた。

「え?」

「私にこれをモチーフにした物語を書かせて欲しいの。おねがい。そうしたら──」

 スーの絵画のように整った顔の、その目が大きく円く拡がる。

「そうしたら、スーは踊れると思うから。私の物語なら、スーは踊れる。そうでしょ?」

 スーの目がベッドサイドの僅かな灯りにきらめいて、次の瞬間小さな躰が歓声と共に飛びついてきた。


 それからひと月程だろうか。私の生活は執筆一色になった。就寝前の薄暗がりの中、スーの細い指に摘まれてきらめき揺れるあのピアスを見た瞬間からすでに物語は生まれていた。あとはそれを宝石の原石よろしく丁寧に削り整えて磨くだけだった。

 物語には力がある。読むだけでも影響力は充分だが、書くとなると確実に持っていかれる(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)。分厚い本の各(ページ)にみっしり詰まった文字群を見るとき、人の反応は大体二手に分かれるように思う。文字量に圧倒されて興味を失い本を閉じてしまう人と、その文字量にぞくぞくと魅せられて取り憑かれてしまう人。私は後者だったのだろう。そういうものを見つけたときに──。

 揺れるのかな。

 自分にとってのそれを見つけたとき、きっと揺れる。魂とも呼ぶべきような何かが。まさにスーのあのピアスのような揺れ方で、輝き方で。自分にとってそれほどきらめき揺れているそれも、興味のない誰かが見たら何も輝いていないのだろうか。執筆のあいだ、ずっとそんなことを考えていた。


 書き上げた物語の内容自体はそれほどはっきりとは覚えていない。本気で取り組みはしたけれど何しろ夢と現実の区別が曖昧になるくらいのめり込んで書いたし、それ以上にスーが私の物語を基に踊ったダンスのインパクトがあまりに強烈で、上書きされてしまったのだ。

 スーは執筆中から私の物語が気になって仕方ないようで、いつにも増して私の周りをうろついていた。書き上げると、一晩で読んでしまった。その時だっただろうか。サランは異世界を作り出すね、とスーが言ったのは。

「サランの物語が本になったらなあ」スーはそう言い足した。「立派な革表紙でね、タイトルは金の箔押しなの。中身はもちろん活字で印刷されてるの。私、その本が欲しいなあ」


 ──ねえ、スー。笑ってしまうけれど、あなたのその言葉で、私は作家になりたいと思ったのです。本になった私の世界を活字にしてびっしり詰めて、あなたに贈りたいと思ったのです。

 ねえ、スー。小説って一体どうやって書くものかしら、と未だに思いながら書いています。あなたのために、書いています。 あなたに続きをせがまれることの快感を手探りに、とにかく今までやってきたのでした。




     *




 ちょうど良い折に学院主催の発表会があり、そこでお披露目したいとのことで私はスーからダンスの練習風景を覗くのを禁じられていた。そんなわけで、私の物語がスーの中でどうダンスに昇華されたのかを知ったとき、スーはステージの上、マスタードイエローの衣装を身に纏いまばゆいスポットライトを浴びていた。


 ただの少女とは思えないスーの神々しい輝きに、生徒や教師、来賓でいっぱいになっていた公会堂はその瞬間しんと静まり返る。それまで比較的に和やかに進んでいた発表会が清澄(せいちょう)な緊張感に包まれ、スーのダンスは厳かに始まった。

 音楽はバレエでよく使われるジゼルだったが、ダンスはバレエを下敷きにしてはいるものの伝統的なそれとは明らかに異なる。四肢の長くてしなやかなスーはそれを存分に活かして優雅に動き、徐々にバレエの型から外れた表現に移ってゆく。関節がどこなのかすら分からなくなるほど腕と脚はなめらかに波打ち、その動きはやがて全身にまで及び大きく激しくなる。ときおり見せるアントルシャやジュテは舞い上がる羽のように軽やかで、子どもとは思えない妖艶さがあった。

 脳裏にあのピアスが浮かぶ。そして私とスーしか知らないあの物語──。


 文字が(うね)った。


 幻想かも知れない。けれど、踊るスーとリンクするように、私がインクで書いた文字が確かに彼女と一緒に畝り舞っていた。


 他人には届きようのない才能。

 ああ、この子はどうして。

 どうして。


 創作を創作で返されるということが、これほど魂に響くなんて知らなかったのだ。

 クリエイターとクリエイターが本気で関わりあうとここまで剥き出しになってしまう。だって、創作ってそういうものだ。互いが互いに嘘をつけない。当たり障りのない会話をすっ飛ばして、いきなり相手の柔らかいところに触れられてしまう芸術のこわさ。

 融け合っているのにそれぞれ別の世界線にいるような。

 近いような突き放しているような。


 これがスーの揺れ方なんだ。


 私たちは、常に揺らめいて定まることがない。そう、特別なことなんかじゃない。揺れているのが通常なのだ。そんなことに気が付かなかったなんて。


 もっと揺れて。もっと激しく、激しく振れ。


 あんなに高く遠いところにいるはずのスーの、なめらかな肌に産毛がきらきら光っているのさえ見えるような気がした。




 スー、あなたと私は思わぬ不遇によって引き合わされた。貧しさという痛みから逃れた代わりに、新たに離別という痛みに耐えねばならなかった。でも、この痛みを伴う世の中であなたは鈍くも強くもならなくていいと思う。だって私がいるのだから。繊細で純粋な感性のまま、分け隔てがない優しさを持ったまま、無邪気なあなたのままで私をひりひりさせてよ。

 大人になっても、幾つになっても、おばあさんになっても死ぬまでも、私も文章を書き続けたい。書き続けよう。大丈夫。私にはスーがいるのだから。私にはそれができる。






 今思うと、あの瞬間は私の人生の最高潮だった。


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