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彼女が高所に昇る理由

「ひゃー、死ぬかと思った。五年ぶりくらいに」


 身軽に気軽に、屋上の床に帰ってきた巻谷はまるで死にそうだったとは思えない様子で笑った。ラフだ。


「君のおかげで僕は死にそうなんだよね」


 非常に痛い。人間の体に制約がかかっているのはもちろん身を守るためであって、限度以上の無茶をすれば体中をハンマーで殴打されているような、またはノコギリで切断されているような痛みを感じるのは当然の帰結だった。


「膝枕をしてあげる」


「痛み入る」


 カラスに漁られたゴミのように転がる僕の頭が持ち上がる――ぽすんと、彼女の太ももの体温が後頭部に伝わる。


「三百万の価値か」


 何を思っているかわからない巻谷の顔を見つめながら走馬灯の断片をぼんやりと口にした。もともと大きな彼女の目はさらに広がり――なるほど、今は驚いているのだろうと僕は理解した。


「どうして知ってるの? さっきの身のこなしもおかしかったし、変な人だね」


「変な人で片づける君も大概、変な人じゃないかなぁ。いや、不安定なフェンスの上に立ったり同級生に殺せと求めたり、叶わないときたら飛び降りたり、とても変な人だよ。反省したまえ」


かえりみないことが長所なの、可愛いでしょ?」


 そんな態度で可愛いと言われるのはまだ善悪の区別もつかないような幼い子供だけだろう。

 巻谷はメスガキに類するのでセーフということだろうか。


「……話を戻そう。これはちょっとした特技だよ、僕は」


「可愛いって言って?」


「……」


「可愛いって言って」


「可愛い」


「うん、続けて?」


 僕のちょっとした特技(あんまり役には立たないがアイデンティティとしては悪くないと思っている)よりも彼女への「可愛い」が優先されてしまった。少し切ない。


「僕の目前で死にそうな人が助かろうとした時に記憶が見える」


「えっ、ウケる。化け物じゃあん」


「言葉を選びたまえよ。君の恥ずかしい記憶だって知っているんだぜ」


「先週の日曜に葦名くんのことを考えて何をしてたかも?」


「走馬灯で見る内容じゃないなぁ。でも興味はある、何をしていたんだい?」


「電柱の頂上に立ってたよ、二本足で」


「四天王の一角? まぁ、つまり普段から危ないことばっかりしてるわけだ」


「仕事柄ね」


「仕事柄、ねぇ」


 仕事柄――それは走馬灯の中で見たワンシーン。彼女の軌跡。

 わずか三百万で親に売られた彼女は純潔を捨てるか見世物になるかを迫られた。

 そして死と隣り合わせになることを選んだ。


 そんな仕事を迫るアンダーグラウンドな世界の住人。自分の死を期待する人々の視線。

 なるほど、人殺しの目を知ってるわけだ


高所愛好者ルーファーの仕事、最初は怖かったよ。でもすぐに慣れていった。とっくに借金を返し終わって、お金持ちになって、もうやらなくても暮らしていけるようになった。すべてを手に入れたんだぁ。私の命の価値は三百万の軽さだったけど三百万より高かった」


「じゃあどうして続けてるんだ? 豪遊して暮らせばいいじゃないか。タワマンで庶民を見下ろしながら札束を扇子みたいにして毎日三ツ星食べて、最高じゃないか」


「足りないよ、そんなんじゃ。私の体が、脳内麻薬が欲しい欲しいって叫んじゃうの」


 スリルジャンキー、そんな言い方もできるだろうか。

 死と隣り合わせで居続けた結果、普通を享受できなくなった――危険ですら、飽きてしまった。

 そしてまた彼女を見ていた者たちも飽いてしまった。


 平然と歩く彼女、怯えのない彼女、当たり前のように死なない彼女は、ずっと繰り返されるオチを知ったドラマに他ならない。そこに期待できる新たな展開なんて、ない。

 誰も彼女の命に価値を感じなくなる、とうの彼女ですら――命は宙に浮いたまま重さも軽さも失った。無重力の中で慣性をなくしたように佇んだ。



「芦名くんに一目惚れしちゃった。どれだけ高いとこより、崖っぷちよりも怖くて、この人なら私を満足させてくれるって、この人に求められたなら価値を感じられるって――でも求められるどころか振られて、殺されるどころか助けられちゃった。嘘はつかないでよね芦名くん、君に命を求めて貰うために生きたいって願っちゃったんだから」


「はぁ」


 困ったものだった。拾った以上は責任が発生する。僕は巻谷を本気で殺めにかからなくてはならない。


「もっとロマンチックな場所にしよう。シチュエーションも大事だ。とりあえず今すぐってわけにはいかない。こんな状況じゃ、やる気にならない」


「ふぅん、まっ、約束を守ってくれるならなんでもいいかな」


 僕は体を起こす。

 ひとまずこの場はしのげたが、彼女にはこれ以外の何かを見つけてもらわなければならない。生きたいと願うようになれる代案を。


 脳がエンドルフィンに侵された巻谷に提供できることなんてあるだろうか――今はなにも思いつかなかった。


「今日は満足したし、今度お礼もしてあげるね。なんでもいいよ? なんでも言ってね」


 なんでも、なんでもだって?

 選びたい、最高のランデブーを。しかしそれもまたシチュエーションやロケーションを重視するものだった。一旦保留。


「考えとくよ」


 僕の言葉を受けると巻谷は屋上の扉に歩を進める。しかし、くるっと振り返った。


「そういえば見たよ青い蝶、あれってなに?」


「……都市伝説みたいなもんだよ。課外授業の時に教えてあげる」


 正直、教えたくはないと思う。あれは都市伝説、というかオカルティックな言い伝えによるとネガティブ寄り(黒猫が横切る数百倍くらい)の不吉な存在だからだ。


「そっか」


 あまり興味はなかったのだろう、巻谷は帰っていった。普通に歩いて。

 言葉通り満足していたらしい、もう一度フェンスによじ登ることもなければ帰り道で車道と歩道の中間を歩むこともないだろう。



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