デートアンドデッドヒート
「あっははー! 美味しいね、このアイス」
「それは良かった」
僕は巻谷と島根来の歩道を歩いている。
いや、歩道を歩いているのは実際のところ、僕だけで巻谷は歩道と車道の中間、ガードレールの上を歩いていた。素晴らしいバランス感覚だ。
巻谷のようなタイプの女子が一体どのようにアイスを食べるのか、まじまじと注視してやろうと思っていた僕だったが西日が眩しくて何も見えない。
舌の影だけがまとわりつく湿気の中で踊っていた。
「今日はいろいろとありがとぴょん、葦名くん」
「ぴょんは解釈違いだよ。慎みたまえ」
「お礼にとっても気持ちいいことしてあげよっか……?」
「解釈通りです」
こちらに飛び降りる巻谷。ぱんと、アスファルトを叩く乾いた音。
飛び降りた反動で目の前に広がる髪の香りはとてつもなく甘い香りがした。
アイスはいつの間にか無くなっていたが、溶けた一滴が彼女の指先から垂れていく。
陰影の中で舌がちろりと踊った。どえろい。
「いこっ」
「おっ、と」
ぐいっとブレザーの袖を引っ張られる。もう夏服の季節も近いのでこのまま脱いでやっても構わなかったのだが(ブレザーをはためかせながら走っていく彼女は間違いなくおもしろウーマンになるだろう)、一瞬のコントで青春の一ページを破り捨てたくなかった僕はあえなく走りはじめる。
橋を二本越え、青信号を四つ渡り、路地を八つほど入って、いつの間にか廃ビルの階段を上っていた。屋上に着く、着いた。足ががっくがくになっていた。
「ごへぇ、ごへぇ」
「葦名くん息も絶え絶え? ざぁこざぁこ」
「鉄の心臓とかハイブリッドの肺とか積んでる?」
鼻とエラで呼吸してるとしか思えない。マラソンに負けたあとの雑魚呼ばわりはスポーツマンシップに乗っ取っていっそ清々しかった。
「えっ、もしかして気持ちいいことってこの本気ダッシュのこと言ってる?」
人気のない場所、汗まみれで足もがくがく、呼吸も荒い――大体あってる。
「違う違う、もっと気持ちいいよ。でも芦名くんが本気出してくれないとザコすぎて無理かも」
「今の言葉でアドレナリンは全開だよ。次に雑魚と言われた瞬間に僕は陸のクジラになってみせるさ」
「やーい、面積だけ取って動けないザーコ」
「反論できない――隙あり!」
完全に隙を突いたタックル、もらった。
「止まってるみたーい、砂浜独占男」
しかし、僕が捉えたと思った時にはもう巻谷の姿はそこにはなかった。飛び退いた彼女はあまつさえくるくると宙で二度回転し、屋上の角に収まっている。
丈が巻谷の腰くらいしかないフェンスは人が立ち入ることを一切考慮されていない。そもそも彼女はどうしてここに入れることを知っていたのだろうか?
「さすがにそこは危ないんじゃないかい?」
「あっは、クジラが人間の言葉喋らないでくれなーい?」
「きゅろろろろろ!」
「超音波うまいじゃん、でもハズレ」
僕の突進をいなしながら今度は三回転した巻谷がまた横の角に着地した。
躱され、躱され、躱され、躱され。
この攻防は二十回を越え、とうとう僕のリビドーは尽きかけていた。
「そろそろ飽きてきちゃった、葦名くん全然本気になってくれないし」
「はぁはぁ、僕は、本気のつもりなんだけどね。シティガールと卒業なんて一生の思い出になる」
「嘘つき、目がマジじゃないよ」
そういうと一歩一歩と近付いてくる。だがここで誘いに乗ろうものなら、たちまち躱された上にまた罵倒されるだろう。
「僕はいつだって真剣さ」
「しらばっくれないでよね」
そして至近距離まできた巻谷は僕の耳元で囁いた。
「白華ちゃん相手みたいに求めてよ、人殺しの目で」
ドクン――心臓が跳ね。
巻谷の袖を掴んでいた。
一方巻谷はブレザーを脱ぎ捨て、僕は彼女が来ていた服をエスコートするハメになる。
青春の一ページをコントにされた気分だ。
「あっは、やればできるじゃん。二回戦しちゃお?」
彼女はフェンスに飛び乗る。
それなりの風をものともせずに、片足でバランスを取っていた。
「こんな子供騙しじゃもう満足できなくって、ほらほら、殺人鬼さーんこちら」
ここは島根来、断崖と険しい森に囲まれ、隔絶された孤島。
滅多に来ない転校生、転居者はその全員が。
「ちょっと押せばおしまいだよ? 私の命に価値を感じて、欲しがってよ、芦名くん」
満ち溢れる死のニオイに引き寄せられている。