嫉妬の亡者
松下君が放った鞭は空中で緩い弧を描きながら俺の元に飛んできた。でも、そこまで速度はなくて思考加速なしでも目で追えるほどだった。これだったら躱せばいいかな。鞭の動きを目で追いながら少し移動する。
『メタトロン、松下君を助ける方法ってあるか?』
『そうですねぇ。一番確実なのはレヴィアタンを倒すことですが……。』
『無理じゃね?』
『ですよね。だから、もう一つは……。守!よけてください!』
「は?」
メタトロンの声で会話から意識を外すと、よけたはずの鞭が空中で動きを変えて俺の所に向かってきていた。慌ててその鞭の先についている刃に自分の刀をぶつけて向きを変えた。するとその鞭は少し離れたところに突き刺さった。いや、何気にこもってたエネルギーが半端ないな。体に当たったら穴開くでしょ。
ズッ、という鈍い音と共に地面に刺さっていた鞭が松下君の方に引き寄せられていく。その間
「妬ましい、妬ましい。……あんな反射神経してるなんて。これまで外したことなかったのに。……妬ましい、妬ましい。」
という、怨嗟の声が聞こえてきた。あまりにその声はひび割れていて、痛ましいものだった。驚きなのはその声と共に彼の胸の紋様が渦巻き、そこから緑色のオーラが漏れ出し、それらはすぐに彼の体に吸収された。
その声が止まない内に彼は再び鞭を俺めがけて飛ばしてきた。
『嫉妬の亡者、ですか。確かあれは嫉妬心を燃やして力に変換するものだったはずです。時間が経てばたつほど守が不利になりますよ。』
『嫉妬心を燃やす!?しかもそれを力に変えるって?』
なんだそれは?嫉妬心なんていくらでも出てくるじゃないか。人との違いが見方によったら嫉妬の対象になるんだから。たとえ背が大きくても、小さいほうがいいと思えればそれに嫉妬心を抱けるわけだし。
『そうです。とはいえ当然そのとんでもない効果の反面、代償もかなり大きかったはずです。神臓がどんどん膨張して、ありえないほどの悪魔の力が絶えず体の中を流れるようになります。そして一度でも膨張しすぎた神臓はもう元には戻りません。なので彼はもう二度と人として生活することはできなくなるでしょうね。』
……それは、ダメだ。メタトロンの言葉を聞きながら飛んでくる鞭を刀で弾く。今松下君はレヴィアタンに操られているっぽい。だからそれが彼の本心ではないかもしれないから、一度彼の話を聞いてみるべきだろう。それに……、いや今はいい。
『どうしたらいい?さっき何か言いかけてただろ?』
『はい。いいですか、彼の右胸に怪しい紋様が浮かんでいるでしょう?あそこに刀を突き刺してください。そうすれば神臓を一時的に壊すことができるので、嫉妬の亡者の魔法を強制的に解くことができます。』
……なるほど?確かにちょうど今も何かぶつぶつ呟いている最中に右胸から緑色のオーラが漏れ出している。あれが嫉妬心が生み出した力だと見るべきか。そして、それがすべて彼の体に吸収されている。
「じゃあレヴィアタンに勝てる見込みがない以上、松下君を刀で刺すしか選択肢がないな。」
『そうです。さっきも言いましたが、早い方がいいですからね。多少の膨張だったら時間と共に小さくなってくれますから。』
そうか、まだ松下君が戻れる可能性があるのか。だったら覚悟を決めなくちゃな。土壇場になってためらったりしないように。
……うん。大丈夫。行ける。
松下君が再び鞭を振り下ろした瞬間に、俺も松下君めがけて飛び出した。さっき確実に躱したと思ったところに鞭が飛んできたから、きっと投げた後でも何らかの操作ができるのだろう。だからもっと真剣に鞭の軌道を予測しないといけない。それに松下君を止めた後にまたレヴィアタンと戦うことになるかもしれないから、まだ加速は使えない。……最も加速を使えたところで歯が立たないんだけどな。
いや、今は松下君を止めることだけを考えろ。彼が放った鞭は俺が最初に立っていた場所をめがけていたせいか、まだ高度が高めだ。だから来るとしたら……
俺の頭上から来るよなっ!
当たるギリギリのタイミングで大きく横に飛んで鞭をよけた。ドスッという、地面に先の刃が突き刺さる音を聞きながら、足を再び松下君の方に向ける。よかった、もともとそれなりに近い位置にいてくれて。あと少しで届く――!
「ッ!?」
右胸の紋様めがけて突き出した俺の刀はその途中で松下君の左手に阻まれた。松下君の左手に刺さった刀を慌てて抜いて距離を取ろうとしたけど、万力で捕まれているかのようで刀を引き抜きことはできなかった。
「妬ましい、妬ましい。……なんだその行動力は。なんだその勇気は。なんだその覚悟の強さは。……妬ましい、妬ましい、……妬ましいっ!!」
最後の大声の後に一際強い勢いでオーラが右胸から漏れ出した。それは刀を引き抜こうとしていた俺の元まで流れてきた。当たったらダメだって言われたのを思い出して、刀から手を放して大きく後ろに下がった。
でも、確実によけるということはできなかったようで刀を最後まで握っていた右手に少しそのオーラが触れてしまった。触れた部分についたオーラは後ろに引いても当然のようについてきて、ヌメっとした不快感を伝えてきた。それは一時のことですぐに消えたけど、さすがに楽観はできない。とりあえずメタトロンに聞いておかないと。
『どうしてあのオーラに振れちゃダメだったの?』
『……あれはとても厄介なんですよ。悪魔によって効果は変わりますが、大抵の場合がアレに振れた部分っていうのは悪魔と直接つながってしまうんですよ。』
『直接つながるとどうなる?』
『どこにいようが距離を無視した攻撃が飛んできます。攻撃とは言っても特殊なもので、悪魔によって全く違うので具体的なことは分からないんですが。』
は?何それ絶望的じゃん。つまり、ここから逃げ出せたとしてもお先真っ暗ってことじゃん。余計に負けられなくなったな。とりあえず、松下君を止めてレヴィアタンも倒せるようにしておかないと。
新しく刀を取り出すと、松下君の左手に刺さっていた刀が消えた。その甲には穴が開いていたが、すぐにふさがった。……回復速度もすごいんですね。
すると、今度は左手に鞭を持ち替えて攻撃を仕掛けてきた。
……あれ?なんか速くなってない?
咄嗟に刀を頭上にもっていって腹で受けた。よけるのはもう間に合わなさそうだったし。少しの間をおいて、
ギイィーン!!
という金属が擦れ合うような音が響いた。
間違いない。最初の時よりも明らかに速くなってるし、込められている力も強くなっている。もしかして利き手が左手だったのか?それとも嫉妬心が彼を強くしたのか?……おそらく後者だろう。だとしたら左手に持ち替えたのはなぜだ?
考えている間にも松下君からの攻撃は止まらない。回数を追うごとに俺の動きが見てきているのか、途中から避けた先に攻撃をしてくるようになった。そのたびに刀で受けて、耳元で破壊的な音が響く。
……これはもう後先考えている余裕はないな。
もう十分思考は巡らせた。それでもどれも可能性の域を出ないんだから、もう当たって砕けるしかない。……砕けたらダメだけど。
既に十分以上に思考が回っていたおかげですぐに思考加速を発動させることができた。行動加速は当然のように発動できている。すぐ頭上にまで迫ってきていた鞭を刀で弾いてまっすぐ松下君のもとに飛び出した。ちょうど彼との距離が半分くらいになった時、後ろで鞭の先端の刃が地面に突き刺さる音がした。
想定外の躱され方をしたせいか目を少し見開いている松下君に近づいて、今度こそ右胸の文様の上に刀を突き刺した。
「アアアアッ!?!?」
その感覚と共にすぐさま加速を解いて大きく後ろに飛んだ。やばい、頭がふらっとしたぞ。座り込みながら松下君の方に目を向けると、右胸に刺さった刀を抜こうとしながら
「何故だ何故だ何故だ!?!?!?何が違う!?どうしてお前はそこまで動ける!?妬ましい妬ましい!!」
と叫び散らかした。あまりの大声と度重なる戦闘の疲労の蓄積のせいで天装を出しておくのも少し辛くなってきたから、刺さったままの刀をしまった。すると、その瞬間ピタッと彼は動きを止め、そして直後彼の角が崩れ始めた。
呆然としながら元の人間に戻っていく松下君を眺めていると、後ろから拍手が聞こえてきた。
「お見事。まさか神臓を一突きして魔法を強制中断させるとはな。天使の入れ知恵だろうが、それでもよくやった。」
振り向くと、レヴィアタンが空中でくつろぎながら俺もことを見下ろしているのが見えた。そうだ。ボーっとしている場合じゃない。まだボスが残ってた。
「それにしてもこの魔法はそれなりに完成度が高いと思っていたんだがな。もっと調整が必要か。」
俺の前で独り言をつぶやいているレヴィアタンの様子を確認しながら作戦を考える。……考えたところで単純なパワープレイで負けそうなんだけどな。
「まあいい。そこの使えないコマはくたばったようだし、あたしが相手をしてやろう。
……とはいえそれだと面白くないな。せっかくだしあたしは空を飛ばないで地面に立ったまま戦ってやろう。そうすればお前にももしかしたら勝ち目があるかもしれないしな?」
レヴィアタンは俺をまるで愛玩動物を見るかのように見ている。……付け入る隙があるとしたらそこか。
『あとどれくらいできると思う?』
『……もう限界ですよ。大丈夫です。もしもの時は私が……。』
『いや、そんなはずはない。前は一分使えてた。思考加速を使うようになったからってたった十秒になるはずがないよな?』
『……答えないと倒れるまで使いそうですね。あとだいたい三十秒です。それとどんなことがあっても四十秒は超えないでくださいね。』
『分かった。』
三十秒。それが俺が何とかレヴィアタンともしかしたら対等に戦える時間だ。その時間内で倒しきる、もしくは逃げ切るための方法を考える。なかなかに無茶ぶりだな。
「では行くぞ。」
地面をすべるように距離を詰めてくる。右腕に緑色のオーラをまといながら近づいてくるその様はまるで蛇のようだ。
それに対し、俺も加速を惜しみなく発動させてから向かい打つように駆け出す。刀を軽く握りすぐ振り下ろせる程度の高さに振り上げる。
そして直後。
俺の振り下ろした刀とレヴィアタンの右腕がぶつかり、俺たちを中心に結界内に強烈な風が吹き荒れた。
少し後ろに押し戻されたが、すぐに体勢を整えて再び刀を構えてレヴィアタンに攻撃を仕掛ける。レヴィアタンの方は押し戻されることなく、ただただ獰猛な笑みを浮かべて今度は左腕にもオーラをまとわせて距離を詰めてくる。
俺は思考加速で相手の動きをより正確に予測し、行動加速でその地点に先ほどの戦いよりも速い速度の攻撃を置く。レヴィアタンに比べるとそこまで威力は高くないが、それでもすべての攻撃がかする程度であることもあるが確実に当たっている。
レヴィアタンはただひたすらにパワープレイだ。俺の刀がかする程度になってしまうのは一重に彼女の反射神経故だろう。俺の攻撃の悉くを最低限のダメージに抑え、鋭い反撃を何度も放ってくる。時にはそのオーラを膨張させて俺に当てようとしてくる。
『レヴィアタンを倒す方法ってあるのか?』
戦闘の最中だが、それでも聞いておかなければならないことだったから聞いた。
『あります。ただ、今の守ではまだできません。なので、結界と維持できない程度にまで損傷を与えることを目標にしてください。おそらく、普通の人における致命傷ほどの損傷で維持できなくなるはずです。』
『分かった。』
そうか。結界さえ壊れてしまえば逃げられる。しかもレヴィアタンの厄介な気配っていうのは未来のことだろうから、結界さえなくなれば助かる可能性も上がるか。
――でもさ、
ブンッ!
俺の目の前を緑色のオーラが通り過ぎた。
反撃が強すぎて途中から攻撃が上手くできてないんだよな!
レヴィアタンの攻撃が笑っちゃうくらい強いんだけど。さっきだって当たってないのにものすごい風が俺の顔に当たるんだぜ?当たったら吹っ飛ぶな。
それに俺には時間制限があるけどレヴィアタンにはそれがない。
もう残されているのは十秒を切った。
……うーん、やるしかないか。
レヴィアタンの攻撃のタイミングを少し後ろに飛ぶことでよける。そして刀を大上段に振り上げ、
「はあっ!!」
思いっきり振り下ろす。これまでで最高速の斬撃がレヴィアタンに襲い掛かる。でも、
最後の攻撃だと判断したのかレヴィアタンは初めて反撃度外視でよけた。つまり、俺の渾身の一撃はレヴィアタンには当たらなかった。
よけきったレヴィアタンはその顔に勝利を確信したかのような笑みを浮かべる。そりゃそうだ。今俺はあり得ないくらい大きな隙をさらしているんだから。あと一歩踏み込んで腕を振るえばレヴィアタンの勝ちだろう。
それで俺の攻撃が終わりだったなら。
俺は振り下ろしている刀をその途中で止める。そしてその軌道を逆になぞるように振り上げる。あまりに無茶な動きにただでさえボロボロの体が悲鳴を上げる。でもここを逃したら俺に勝ち目はもうない。その悲鳴を無視して刀を振り上げた。
その刀はレヴィアタンの右腕に当たり、――斬り落とした。
なぜか俺の右腕も一緒に。
三日に次話投稿します。