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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

よくある世界のそんな一幕

作者: 南方凄騎

 


「キャー!」

「はぁ…」



 面倒事がやってきたと言わんばかりに、砂利道の端で休憩していた男――――冒険者のヴァンはため息を吐く。

 その顔にはこれまで何度となく同じことを繰り返してきたような、慣れのような、呆れ混じりの感情が見て取れた。



「方角は……この先か」



 見て見ぬふりをするという選択肢はないのか、彼は耳を澄ませて剣戟けんげきの音がした方角を見やる。


 変な正義感や野心を持たない一般的な冒険者であれば、悲鳴一つ聞いたところで我関せずを貫くだろう。

 狙われているのが商人であれ貴族であれ、相手が悪かった、護衛が悪かったなと言って切り捨てるはずだ。

 悲鳴が起こるという事はそれなりの問題もあるという事。

 冒険者は慈善事業ではない、自分の身をわざわざ危険に晒すことはないのだ。


 実際、ヴァンもそういった冒険者らには幾度となく遭遇してきた。

 当たり前のごとく、今のは聞かなかったことにしておけと進言されたこともある。



「チッ」



 不機嫌な様子でたき火へ砂をかけて言葉をこぼす。



「面倒だな」



 口ではそう言いつつも、休憩するために腰を落ち着けていた切り株から立ち上がった。


 ……今まで彼がそういった現場を置いて足を背けなかったのは、彼自身もまた見捨てられる痛みを知っているからだった。

 故に相手が誰であれ、なんであれ、彼の中に見捨てるという選択肢自体はない。



「行くか」



 己の分身とも呼べる片手用直剣を携えて元来た道を駆けて戻る。


 しかし悲鳴の元へ向かう足取りは決して軽くない。

 疲労の為ではなく、本心から彼はこれが面倒事だと思っているからだ。

 それは決して今までの文言が嘘であるだとか、彼自身が本当は薄情だからというわけではない。


 では敵の実力がわからないから? それも違う。

 彼がここまで嫌な表情を浮かべる理由、それはこれから助ける相手が高貴な身分、所謂お貴族様だからだ。


 相手が平民であったなら、彼とてここまで嫌な表情は浮かべなかっただろう。

 むしろ同じ立場から相対する敵へ怒りを露わにして突貫していたかもしれない。


 相手が商人や同業者であったなら、彼とて面倒だと顔には浮かべど早急に助けに入っただろう。

 なぜなら彼らが所属する冒険者ギルドや商業ギルドには、ヴァンにとって少なくない恩義があるからだ。


 だが、こと貴族となれば違う。

 貴族という存在は総じてプライドが高い。

 誇りだなんだと口に出しては、孤児の……平民の出であるヴァンを煙たがる。

 その癖助けたのだから最後まで面倒を見ろだのなんだのと宣い、彼の尻を追っかけてくるのだ。



「はぁ」



 ほんの数秒、全力で走っているのですぐに追いつけるような距離のはずなのに、彼にはその数秒が数分にも、数十分にも感じられ、再びため息を吐く。


 なぜ相手が貴族だとわかったのか。

 それは簡単な事で、ヴァンが王都に向かう途中こっそりと森の中に入りながら追い抜いたのは、ゆったりと歩くようなスピードで走っていた馬車一台のみ。

 貴族の紋章が入った、嫌に白く絢爛な馬車だけだったからだ。

 悲鳴の元は走ってきた道で、ターゲットになりそうなのは追い越した馬車一台だけしかないとなればもはや猿でもわかる。



「はあ~」



 何度となく、ヴァンはため息を吐いた。

 しかしもう一度ため息を吐いている暇はない。


 既に現場は目前まで迫っていた。


 目前まで迫ったところで、一度足を落ち着ける。

 別に見殺しにしようとか、見物してようだとかではなく、ただ純粋に敵の力を測るためにだ。



「グゴッ、グゴッ」

「オッオッオッオッ!」

「オークかぁ…」



 どうやら馬車は緑の体色でガタイのいい大型の体型、頭は悪いが肉は美味いの要素が揃った魔物、オークの集団に襲われているようだった。

 周囲には凹みや砕かれた甲冑を着た騎士が何人か倒れている……状況を見るに生きてはいない。

 しかしその中に先程の悲鳴の主が周囲に見当たらない事を考えるに、声の主は馬車の中にいると思っていいだろう。

 幸い、馬車本体は頑丈なのかオークに揺さぶられてもビクともしていない。

 オークの集団に群がられているので時間の問題ではあるが、とヴァンは一人頷いた。



「ひいふうみいよ、ひいふう、で、後ろでふんぞり返ってるので、み。合計七匹か。オークの群れの認定数を三もオーバーしてるなぁ…しかもナイトまで」



 鞘を平野へ放り出し、抜き身の剣で敵の数を数えるヴァン。

 オーク達もその不粋な存在に気付いたのか、はたまた単にお楽しみの時間を邪魔されたのが気に入らなかったのか、忌々し気に参入者を睨む。



「さすがにこの数相手は気が乗らないなぁおい」



 そんな視線を気にもせず、ヴァンは酷く落ち着き払った様子で、またはどうでもよさげなさまで、左手に持った剣を構えることもなくオークの群れへと歩み始めた。



「グルァァアアア!!」



 堪らず、といった感じに馬車を揺らしていたオークが、無防備に歩くヴァンへと襲い掛かる。

 傍に落ちていた棍棒を拾い上げ振りかぶるオークに、ヴァンがとった行動は……不規則なリズムで剣先をオークへと目掛け『揺らす』ことだった。



「アァアァアアア! ……ア?」



 どのオークもがあの剣士は死んだと思った瞬間、襲い掛かっていたオークが不思議そうな表情と声を上げ動きを止める。

 仲間のオークらがどうしたのかと首を傾げた瞬間。



「まずは一匹目」



 そのままの姿勢で前へと倒れ伏し、首が転がった。


 抜き身の剣に血は付着していない。

 にもかかわらず、オークの首は確かな切断面を残しながら血を垂れ流していた。



「ア? アァ? ア?」



 脳が認識の限界を超えたのか、首だけの状態となったオークは同じことを繰り返し呟く。

 壊れた人形のように痙攣し始めたのを見て、ヴァンはその個体に興味を失くしたのか次なる獲物を求めて歩みを再開した。


 ピチャリ、ピチャリと、オークから流れ出た血がヴァンの足跡をナゾリ跳ねる。



「ル、ルァァアアアアアア!!」

「そんなバカの一つ覚えみたいに…」



 先程とまったく同じように、正直に突っ込んでくるオークに向けて剣先を揺らしながら掲げ―――



「二匹目」

「アッ…」



 ―――彼が言葉を告げると同時に一言だけ発し、二匹目のオークは物言わぬ亡骸となった。

 最初の一匹目とまったく同じ様子で、ゴトリッ、と首が落ちる。


 今度は目を向けることなく、ヴァンはオークの集団へと近付いていく。

 ピチャリ、ピチャリと、足音に死の香りを漂わせながら。



「ガ、ガァッ」

「三匹目」



 棍棒を盾にしようとお構いなしに首が切り裂かれる。

 抵抗をさせない、その一切を許さないとでも言わんばかりに、無慈悲に命が刈り取られていく。



「四匹目」



 ヴァンの数える行為は、もはやオークの集団にとって死の宣告に近かった。



「ガ、グッグルァ―――!」

「五匹目」

「ガッ、ハッ!?」



 なにもできず、ゆらゆらと揺蕩たゆたうように歩み寄るヴァンに、言い知れぬ不気味さを感じて逃走を図る者もいた。



「六匹目」



 だが、現実は非常。

 ついぞ取り巻きのオークたちは一匹たりとも彼に傷を負わすことはできず、また逃げる事も叶わなかった。



「オークナイト、最後が一番の大物だな」



 ヴァンは足元に転がる騎士とオークの亡骸には目もくれず、最後の一匹となったこのオーク集団の親玉……オークナイトを見やる。


 実際、オークナイトと名付けられてはいるが、見た目はオークと大差はない。

 違うのは剣術を扱えるだけの知能と技術、努力する精神があるかどうかだけだ。



「グッ」



 オークナイトは目の前の存在が理解できないものだと悟ったのか、一歩後退した。

 虚ろ、とまではいかなくとも、微弱な戦闘の意思すら感じられないヴァン自身に本能的な恐怖を覚えたのだ。



「…………はは…」



 それを目敏く映したヴァンは、一度顔を俯かせ、上げた時には――――誰もが安心する、大輪の花の想起させる笑顔を浮かべていた。



「安心しな」

「グガ?」



 本当に、心の底から安堵を誘うその笑みに、一瞬だけオークナイトは身体の緊張を弛緩させた。


 それが誤りだとも知らずに。



「楽に殺してやる」

「ッ!!」



 瞬間、甲高い音を立ててヴァンの剣が跳ねる。

 オークナイトは首を守るよう大剣を盾にし、間一髪それを防いでいた。

 先程まで見ていた光景を元に、ほとんど本能で凌いだといっても過言ではない。


 それほどまでに速く、鋭い斬撃だった。



「……防がれたか」



 ここにきて初めて、ヴァンが苛立ったように表情を曇らせる。

 それを見たオークナイトは少しだけ気分を持ち直したが、すぐにそれが意味のないことだったと悟ることになる。



「もう一撃」



 苛立ちを隠そうともせずに小さく呟いて、ヴァンは速度を落とした剣を振るう。


 速度を落としても、目視できるのはほんの僅か、霞ほどの光。

 常人であれば認識すら、ともすれば理解すらできないであろう剣の軌跡。


 まるでしなる鞭のように下段から繰り出された斬撃が、再びオークナイトの首へと誘われる。



「グァ、ガァ!?」



 自信満々に、次も押し返せると確信を持って受けた剣。

 だが、そうはいかなかった。



「グ、ガァアァアアア!!」



 叫び声を上げながら、己の身に大剣が迫るのを感じる。

 ヴァンは剣の速度を犠牲にした代わりに、重みを持たせていた。

 下からだというのに押し込まれる形で、今度はオークナイトの大剣が弾かれる。



「これくらいで終わりか」



 オークナイトが最後に目にしたのは、ゆらゆらと揺れる剣先だった。








「ふぅ、馬車は……無事とは言えないけどま、概ねオッケーってところか。おーい、生き残った奴はいないかー」



 ヴァンは生存者がいないかと一応周囲を見渡して声を……張り上げるというには些か気力に掛けた声をあげたが、返答はない。

 気絶しているだけかもしれないなぁと、適当に近くにいた騎士の兜を外してみるが、そこには光を宿していない息無き者の亡骸しかなかった。


 一人の加勢もなく、声をあげる者もいない。

 王都の騎士団なんかは実力者ばかりだと聞いていたので、怪我人でも騎士になれた連中だ、もしかしたら生きてるかとも思っていたが……どうやら思い違いをしていたらしい、とヴァンはこの惨状を眺めながら思い直した。


 そうして興味を失くした亡骸から目を逸らし、馬車へと移す。



「それにしてもよく壊れてないなあ」



 今更ながらに馬車を見て、そう感心する。

 普通、六匹ものオークにたかられて原型を留めているのは相当に難しい。

 だというのに、目の前には無傷とまでは言えないが、ほぼ元の形のままの馬車が横たわっていた。



「あぁそうだ、さっきの声の主の安否を確認しないと」



 気怠げに告げてから、半ば死んでいてくれ、と思ってしまうヴァンは決して悪ではない。

 貴族にはそれだけの事をされてきたのを、ヴァンは記憶の底で覚えている。


 悪戯に己が権力を振りかざして、それを盾に色々迫ってきた事。

 脅すように孤児院にけしかけ、大事な弟達の尊厳をにじり、みんなの母代わりである院長や、妹達の魂すら穢した事。

 魔物が攻めてきた時、統治している立場でありながら守るべきはずの領民を捨て、護衛と共に我先にと逃げた事。


 大事な一人娘を妹達と同じ目に合わせ、男に弟達が受けてきた責め苦を味わわせ、一族を皆殺しにしても尚、彼は、ヴァンは忘れられなかった。


 それでも、だ。



「今は今だ」



 なんの感慨もなく割り切り、横たわる場所に乗り上げドアを開こうとして……やはり諦めた。

 助けるのを諦めたわけではなく、正攻法で開けようとしたことをだ。



「邪魔する」



 バギィ! メギッ!

 雑音というには少し不快過ぎる音を立てて、馬車のドアを引っぺがしたヴァンが、頭から肩まで覗かせて馬車内部の様子を探る。

 そこには、予想に違わず貴族のご令嬢がいた。


 三つ、ヴァンにとって予想外だったのは、その令嬢があまりにも幼く、十歳にも満たない事と……馬車の内部に充満した鼻を突くようなツンとした臭い、そして令嬢が抱きかかえる、頭部から血を流した従者服の女性だった。



「俺の名前はヴァン、とりあえず馬車を出よう」

「………だまってなさい平民」



 会話して早々だが、ヴァンはこれ以上は無駄な事だと悟った。

 こういった人間は、基本的に関わらないほうがベストだと、今までの人生経験が語っている。


 それでも最後に、彼は一つ、気になった事だけ質問していく。



「俺の出自に関して語った覚えはないが?」

「ふんっ、ふいんきがすでに平民くさいのよ……わかったらあっち行って」



 ご令嬢は律儀に答え、そっぽを向いた。


 答えは想定の範囲内、実に幼いご令嬢らしい回答だった。

 しいてあげれば、私的な事だがふいんき(・・・・)ではなく雰囲気ふんいきと言ってほしい事くらいだ。


 そんなどうでもいい事を考えながら、満足したとばかりに頷いてヴァンは用済みになった覗き込んでいた体を戻す。



「はぁ、まぁわざわざ俺が女を助ける必要はあるまい」



 本日何度目かわからないため息を吐きながら、ヴァンは小言を漏らしてその場から離れるべく馬車から飛び降りようとして――――引っ張られる感覚についその方向を睨んでしまう。



「っ! ま、待ちなさい!」

「……まだなにか用でも?」



 さっきので君との関係は終わりを告げたはずだが? とヴァンは言外に告げてジットリとした、嫌味たっぷりの視線を向ける。



「うっ、あ、あなた……キキを助けられるの?」

「可能だ」



 瞑目しながら、ご令嬢の問いに一寸の迷いもなく答える。

 回答を渋りはしない。

 自分の質問に答えてもらった以上、自身も返すのが礼儀というものだろうと。

 一には一を、それが彼の基本スタンスだった。


 実際、ヴァンにとって彼女の傷はあまりにも軽傷に見えた。

 そのままにしておけば後々困った事にはなるかもしれないが、それでも死ぬほどではないレベルだと。


 ……あくまでも彼の基準で(・・・・・)だが。



「じゃ、じゃあたちゅ、助けなさい! 平民ごときに助けられるのはしゃくにさわるけど、キキの命には代えられないもの!」



 ふんっ、と堂々とした態度で言い放つご令嬢。

 ヴァンは表にこそ出さないが、心の中は虚しさで溢れかえっていた。


 決して、彼女達だけが悪いわけではない。

 キッカケはご令嬢の態度だが、別段、関係もない、どうでもいい些細なことだ。


 けれども、その優しさを、その身内に寄せる優しさをほんの少しでも平民に、民に与えられたなら、とどうしても考えてしまう。

 しかしヴァンは決して表には出さない。

 出したところで意味のないことだと、とうの昔に知っている。


 だからその代わりにと、少し大げさに人差し指を立てて条件をつけた。



「今後一切、俺の行動に異議を唱えないというのなら、その女性の命を助けよう」

「はっ、なんでわたしが平民ごと―――」

「できないのであれば俺はこれで失礼する」



 辞退の意を手で表して、平然と置き去る。

 窮地きゅうちは助けたが、人命救助まで受けるかどうか、するかどうかはあくまで任意だ。

 他の国がどうかなんてのはこの国から出た事がないため詳しくは知らないが、ヴァンの知る限りここはそうだった。

 助けを拒否したならば、その後は全て自己責任。

 助けを受理したならば、その処置の仕方、結果問わず文句は言わない。

 それがちょっとしたセクハラまがいのものだとしても、故意になにかしようと、選んだのは自分だと、お前だと、例え貴族だろうが言われる。


 もちろん揉み消せないわけではないが、そんな都合の良いネタを人は逃さない。

 良い言い方で言えば貴族たちの飽くなき貪欲さ、自分達の立場を守るべく法的力を最大限利用する国民達。

 それがこの国の確固たる強さの源と言っていいと、ヴァンはよく知っていた。



「わ、わかったわ! だから早く!」



 ご令嬢は余程焦ったのか、少し迷ったような様子で馬車から飛び出しヴァンへと救助を求めた。

 本人が気絶している場合、本人の知り合いで本人よりも上の立場、地位が高い者がいれば、救助の責任をその者が負う形で受理したものとできる。


 これは貴族共のくだらない欲を満たすためだけの案であった(・・・)と同時に、平民達が自分の身を護るために差し出した、いわば折衷案。


 こうした節々にこの国の強さは垣間見えている。

 ヴァンはそれを少し面白いと気に入っていた。



「待て、了承したなら宣誓してくれ。貴族のやからはそれがないとどうにも信用ならん」



 それはそうと、今はまったく別の話。

 ヴァン自身は貴族を微塵たりとも信用していない。

 例え宣誓を使ったとしてもないよりマシ程度、それは変わらない思いであった。



「っ!! わかったわよ! わたしマヘーンドラ・ミュカティスは、あなたとのちかいをかならず守るわ!」



 そう言ってご令嬢、マヘーンドラ嬢はミュカティス家の紋章が刻まれている髪飾りを外し、魔力を込めて渡してくる。



「確かに」



 ヴァンは(うやうや)しくではないが、髪飾りが一瞬光って契約が成立したのを確認してしかと受け取りその身にしまった。

 これで約束を反故にしたならば、髪飾りは黒く染まりこの貴族に心置きなく突き返せる。

 ほの暗い思考を隅に追いやって、ヴァンは従者の女性の介護にあたるために馬車から運び込み、道の端の木の陰へ横たえ治療を施していく。


 自身の胸元にある、確かな髪飾りの感触を確かめながら。

 これでヴァンは何事もなく王都に堂々と帰還できる。

 そこでヴァンを悪者だとすれば、すぐにでも髪飾りは黒く変色してその契約の意味を果たすはずだ。

 ヴァンを秘密裏に処理できたとして、契約魔法の内容はお互いが解消の言葉を唱えない限り消えはしない。


 貴族の紋章が入った道具はただの飾りではない、貴族の誇りそのものだ。


 そんな物が一時的にとはいえ消えれば、身内の間で話題に上がらないはずもなく、他の貴族はその僅かな綻びを逃さない。

 すぐに調べ上げ、宣誓を立てたのであればその人物に会わせろなりなんなり言い、最終的には契約魔法に込められた内容まで調べられてくだんの人物がもういないとなれば、対立している貴族に貶められる要因となり得るだろう。


 貴族の世界は深く、広い。

 そこに平民の付け入る隙ができる。


 隙を補強できたとして、ツギハギだらけの補強ではいずれ瓦解がかいし、自ら崩壊を告げる。


 それがわかっているからこそ、貴族はその誇りをかざすのだ。

 平民が、と脅しをかけるように、自らを鼓舞するように。



「っと、これでしばらく安静にしていれば起きる」



 頭に包帯を巻いたり、背中に刺さっていた馬車の破片などを抜いたりなどで従者の女性を治療し終えたあと、他に怪我をしている箇所がないか一通り確認して服を着せる。

 ヴァンにやましい気持ちはない、貴族の関係者にそんな感情を抱くことは、既にあり得ないという域にまで達している。



「今日はもう野営しか選択肢がないな」



 戦っていた時間はそれほどでもないが、治療などでそれなりに時間が経ったせいか、ヴァンが見上げた空は朱色に染まりつつあった。

 これからここにある死体がアンデッドにならないよう、全て燃やさなければならない事も考えると確実に夜を迎えてしまう。

 夜間に動くのは、知っている道だとはいえ危険が伴う。

 要因は魔物であったり、野盗であったりと様々だ。


 チラリと、ヴァンが目をやる先はあの馬車。

 自分もあの空間で寝れたら、と思うがそれはできないとすぐに思考を振り払う。


 貴族の馬車にはそれなりの階級の者しか入れない、それがこの国の在り方の一つ。

 非常時と言えど、いくら危険が伴おうと――扉は壊したが――それは変わらない。


 しかし彼女達は違う。


 それなりの身分の貴族なのだ、これだけ好条件な野営場所はないだろう。

 頭の中で答えを弾き出して、従者の女性を再び抱きかかえている令嬢へと向き直った。



「あんたらは馬車の中で――――」

「イヤよ」



 ヴァンが一抹の優しさから提案した場所は、露骨に嫌な表情を浮かべたマヘーンドラ嬢に一蹴された。



「…理由を聞こう」

「イヤなものはイヤなの、わたしにさしずしないで! これだからぶをわきまえない平民は!」



 まるで野生の魔物のようだな、とヴァンはマヘーンドラ嬢を見ながらどうでもいい感想を抱く。

 しかし当然のことながら疑問も生まれた。


 なぜここまで拒否するのかと。



「………わからないな」



 色んな事を含めて考えてみるが、思考が答えに辿り着くことはない。


 仕方ない、とヴァンは最終手段を使うことにした。



「行動に異議を唱えないと契約したはずだが?」



 それを反故にするのか? と片眉を上げて問う。

 これでご令嬢は貴族の誇りの為に動くはずだと、ヴァンは思っていた。


 だが、返ってきたのは予想外を超えて目を見張る言葉だった。



「約束はあなたの行動に(・・・・・・・)いぎをとなえない、よ! 言う事を聞くなんてふくまれてないわ!」



 毅然きぜんとした態度で、虎の子のようにヴァンを睨むマヘーンドラ嬢。

 一瞬、ヴァンはそれに面白いものを見つけたような表情を浮かべると。



「やれやれ」



 呆れたような態度を取りながら、自由にしてくれと手を振って死体を一か所に集め始めた。



「っ、ふんっ」



 マヘーンドラ嬢は今更ながらに周囲の惨状に気付いたのか顔を青くしたが、悲鳴は上げずにそっぽを向きながら従者の女性を膝枕している。

 ヴァンはどうでもよさげに騎士一人一人のタグを集めながら、心の中では、少し拙い言葉でしゃべる幼い令嬢に惜しみない称賛を送っていた。



 このご令嬢は、見た目よりも随分と賢いらしい。

 こちらがあえて出さなかった弱いところを的確に突いてきた。

 物事をただ呑み込むだけではなく、一人で考える力を持っている。

 そもそも視線の意味などを理解している時点で俺は気付くべきだった。

 単に判断ミス、とも言えるが、そのミス一つで平民の人生を左右できるのが貴族という存在だ。

 幼いからとはいえ、油断していた。

 ……これは負けたと言わざるを得ない、か?

 それでどうなるわけでもないが、これなら子供だからと遠慮などせず、要求を呑むようにと言えばよかったかもしれない。



 と、ろくでもない事を流れ続ける滝のように考えていることを除けば、それは惜しみのない称賛であった。








「どうしたものか…」



 数刻後、今までの疲れがドッと襲ったのか寝息を立てるマヘーンドラ嬢と、頭の包帯であった血の染みた服であったりと姿は痛々しいものの、安らかな表情で眠る従者の女性へと視線をやる。



「すぅ…すぅ……キキ…」

「………………んん、お嬢様…」



 お互いがお互いに心を許せる相手なのか。

 肩を寄せ合い、頭を寄せ合い、寝言でもやり取りを交わしている。



「…助けたとはいえ、近くに男が居て襲われるかもわからないのに、暢気もんだ」



 ヴァンにはないそれに、彼は一瞬眩しいものをみるかのように目を細めると、一度瞑目してたき火へと追加の枯れ木を投入した。


 パチパチと火を散らせ、今度は揺らめくたき火の炎に目を奪われながら、体力を回復するためのポーションをあおり、ヴァンはこれからの憂鬱に頭を悩ませる。

 街へ戻れば当然、冒険者ギルドや王都の騎士団に事情を聴かれるのは間違いない。

 加えて相手は貴族、きっと色々な手段でヴァンという存在を調べ知ろうとするはずだ。

 調べられるだけならマシだが……それは希望的観測だと言わざるをえないだろう。



「…はぁ、面倒だな」



 ため息を吐きながら、ヴァンは空を見上げる。



「異世界に生まれ転じて二十と六年、この歳でテンプレはもうキツイかぁ…。考えがヤな方にばっかいってかなわん…」






 ――――よくある世界の、そんな一幕。






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