エミ
まだあの狼の威圧感が頭にこびりついてはならない中、エミさんは僕に話しかけてくれた。
「その肩の歯形は何にやられたの?」
「えっ……、ああ、森の中で狼に襲われたんだ。何とか逃げ出せたんだけど…。」
翔が正直に話すと、エミリーの顔が青ざめる。
「あなた、結界を出たの?」
「結界?」
聞きなれない言葉に、思わず首をかしげる。
「結界の外には魔獣がうようよしてるのよ!?何でそんな危ないことしたの!?」
声を荒げて叱られるが、翔は何故叱られているのか見当もつかない。
「ちょっと待ってくれ。さっきから結界って何のことなんだ?それに魔獣ってなんだ?分からない単語が多すぎて全然理解が追い付かない。少し落ち着いてくれ。」
「は?あなた、何を言って……。」
この時点で、エミリーも翔が何もわかっていないことに気付いた。
「あなた、本当に何も知らないの?」
「たぶん……。そもそも僕はいつの間にか森の中にいて、今の状況をちゃんと把握できているわけじゃない。ここがどこなのかすら分からないし……。」
エミリーは眉をひそめ、半信半疑で聞いている。
こんな話、信じないのが普通だろうけど、信じてもらえないと困る。
彼女は少し悩んでいたが、ため息を一つして話し出す。
「分かったわ。ひとまずあなたの言うことを信じる。記憶が混乱しているだけかもしれないけど。
それで、もし本当にあなたの言うことが正しいとして、あなたはどこから来たの?」
「千葉です。千葉県の千葉市。」
翔は正直に答えたが、エミリーは首をかしげる。
「それってどこかの地名?聞いたことがないけど……。」
「……は?」
何かがおかしい。ここは日本のはずだ。なのに、千葉県を知らない人がいるなんてことがあるのか?エミさんは確かに海外の人だろうけど、これだけ日本語を話せるのだから、それなりの年月を日本で暮らしているはずだ。
この時僕の中にあった違和感は大きく膨れあがった。
エミさんの日本語はペラペラなのに僕の名前を呼ぶときだけ言いにくそうだったり、魔獣とか、結界といった、物語やゲームでしか出てこないような単語が普通に出てきたりと、目の前にいるエミさんにではなく、この世界そのものが、僕が元いた場所とは違うと感じ始めた。
僕は、恐る恐るエミさんに尋ねてみる。
「すいません、ここの国名を教えてもらってもいいですか?」
「この国の名前?セルジア王国だけど……。」
知らない。そんな国あるのか?
僕はゾッとして、エミさんに世界地図を見せてもらうことにした。
エミさんは何故そんなことをするのか、少し困惑していたが、大きな世界地図を持ってきてくれた。
そこに書かれていたのは、見たことのない大陸の数々だった。大陸の数はわずか4つ。当然、そこに日本は書かれていない。
初めは本当に訳が分からず、自分の頭がおかしいのかとも思った。
だが、襲ってきたあの狼は明らかに普通じゃない。いや、実際に狼を目の前にしたこと自体初めてだったし、もしかしたら恐怖心から大きく見えただけかもしれない。しかし、それを踏まえてもでかすぎたし、速すぎた。目で追う事すら敵わないほどの速さ。
明らかに狼のそれとは別次元のものだ。
加えて、結界や魔獣といった普段の生活では絶対に使わないような単語。
僕は認めるしかなかった。
ここはもう日本ではいない。それどころか、地球ですらない。僕は、どこか遠いところにまで来てしまったのだと。