剛力のレイガス
化け物に殺された人を見て、町中の人々はパニックに陥った。
あちこちで悲鳴が聞こえることを考えると、きっと町中でこんなことが起こっているんだろう。
一斉に逃げ惑う人々の姿を見て、その化け物は嬉しそうに細長い舌を伸ばし、にやけた顔をする。
それを見てはっきりした。この化け物は何かの目的のために人を殺しているんじゃない。ただ、殺したいから殺しているんだ。
「ふんっ、大したものじゃないか。これなら、俺たちもこの騒ぎに紛れて行方を眩ませられる。」
エミリーを抱えていた男が冷たい声で言う。
そうだ、元はと言えば、この人たちがこんな惨状を作り出したんだ。
「あなた達、こんなことをしてただで済むと思っているの!?」
「ああ、ただで済むさ。お前を連れ帰りさえすれば、この先の事なんざどうとでもなる。お前のようなお子様には少し刺激が強かったかもしれないが、俺からしてみれば話したこともないような人間の命なんざ、どうなろうと知ったことじゃない。」
しばらくすると、どこからか爆発音が聞こえる。衛兵が魔術であの化け物と戦っているのかもしれない。
「衛兵さんがいれば、きっとみんな助かるよね?」
誰に言うでもなく、無意識に口にしていた。そして、それがきっかけだった。
……嘘。
自分の言ったことが真実ではないことが当たり前のように理解できた。
みんな助かるということはない。それは、決して逃れることのできない運命であると。
「もう誰も死なないよね……?」
嘘。このままではみんな死ぬ。
「……あの化け物は人間なの?」
嘘。あれは人間ではない。
「……お母さんは、助かるよね?」
嘘。母は今晩、確実に死ぬ運命にある。
「やめて、やめてやめてやめて!!私に本当のことを伝えないで!!」
エミリーは泣き叫び、男の腕の中で体をくねらせて暴れ出す。
「なるほど、これが王がこの少女を求めた理由か。」
男は納得したように頷く。
「隊長、早くこの町を抜けましょう。」
「ああ。」
再び、その男たちは走り出す。
町のあちこちで火の手が上がり始め、警報が鳴り響く。
誰も死なないでほしい。どれだけ強くそう願っても、それは真実ではないと確信できてしまう。そして、その事実を塗り替えるための力は私にはなく、ただ事実を知るだけ。
「もうすぐ町を抜ける。爆破魔術の準備をしておけ。」
男が部下に指示を出したその時だった。
何か黒く巨大な物体が私たちの目の前に吹っ飛んできた。
男たちが走っていた屋根は崩れ、大量の砂煙が上がる。一体何が起こったのか、全く分からなかった。
砂煙が収まると、飛んできたものが何だったのかが分かった。それはズタズタに切り刻まれ、透明な血を流して息絶えたあの化け物だった。
「おいおいおい、一体どこへ行く気だ?その子は俺の娘だといったよな?」
「レイガス……!!」
父だ。服は所々で破れ、息を切らしている。父は元々軍人で、体力は常人の比にはならない。そんな父がここまで消耗している姿は初めて見る。
エミリーは改めて、現状のまずさを思い知った。
「あれだけでお前を倒せるとは思っていなかったが、まさかこれほど早く追いつかれるとは……!」
「あまり俺をなめてもらっては困る。この町に土足で踏み入ってただで済むと思っているなら尚更だ。」
「……隊長、ここは俺が。」
「お前では数秒と持たん。」
男たちはそばにいるエミリーがかろうじて聞き取れる程度の声で話すが、父から目をそらすことはない。
3人のにらみ合いは数秒続く。
だが、その均衡はすぐに崩れた。
レイガスは直立した状態から屋根の河原を踏み割り、一瞬で間合いを詰める。
「くっ……!」
部下の男は慌ててレイガスの攻撃を受けるが、その剛腕によって重心ごと吹き飛ばされる。
「相変わらず滅茶苦茶な男だ。」
エミリーを抱えている男はレイガスから距離を取るが、愚策だった。
その距離はレイガスがその一撃の威力を上げるための助走の幅となる。ただでさえ強力な腕力を持つレイガスの一撃に加速による重さが加われば、片方の腕で受けきることは誰であろうと不可能。
男はサッカーボールのように跳ね飛ばされ、エミリーを手放した。
かつて、その剛腕であらゆる魔物や敵兵をなぎ倒し、『剛力』の二つ名を与えられた軍人がいた。
名をレイガス。固有魔術、『身体強化・重』を持つ、唯一無二の魔剣士だ。




