悪魔
レイガスは私の父だ。
父はいつも無口で無表情で、感情を表に出すことは滅多にない。ただ、黙々と鉄を打ち、数多くの武器を部屋に並べる仕事人。それが、私の知る父の姿だ。
だから、こんな父は知らない。こんなにも怒りに満ちた顔をしている父は……!
「『剛力のレイガス』……!まさか、こんな奴が出てくるとは。」
「なんだ?俺を知ってるのか?」
「答えてやる義理はないな。」
「そうか。ならば、俺もペラペラと言葉を紡ぐ必要はないな。」
レイガスは刀を男たちに向け、戦闘態勢をとる。
刀は今まで見たことのない、異様な形をしている。黒い刀身に所々窪みのある刃。峰にはさらに反りの入った短い刃が生えている。
こんな奇妙な刀なのに、父が持つと様になっているように感じる。
「さて、ならそろそろ……」
一瞬にして、レイガスの姿が視界から消える。
ガキンッ
鉄と鉄がぶつかり合う音とともに、衝撃で風が起こる。
「うちの愛娘からさっさと手を離せ。」
見ると、レイガスは先頭に立っていた男が刀を交え、鍔競り合いをしていた。
「そうか、こいつはお前の娘か。」
対する男はすぐに刀の角度を斜めにし、刀を滑らせると、柄頭でレイガスの顔を殴ろうとする。しかし、レイガスは寸でのところで攻撃をかわし、背中から切りつける。
そんな攻防がいくつか続いたところで、エミリーを抱えた男ともう一人がその場を離脱した。
「隊長、町に仕掛けた魔術はどうしますか。」
「レイガスはおそらく、ここに来るまでにすでに憲兵を呼んでいるはずだ。もしこの子供が本当に奴の娘で、何も考えずに追いかけてきていたなら、俺たちはもっと早く追いつかれていた。」
男たちが話していると、近くから、カンッカンッという鐘の音がする。これは、サイレンのようなもので、非常事態の時に近くの市民に避難を勧告するためのものだ。
「レイガスを相手取っている3人も、そう長くは時間は稼げないだろう。」
「それなら、やはり……。」
「ああ、魔術を起動させろ。」
「……了解。」
男の一人が、杖を地面に向け、呪文を唱え始める。魔術には『呪い』と呼ばれるものもある。簡単に言えば、設置型の魔術。実際に使うにはその場所に魔力を籠める必要があるため、多くの時間がかかるし、起動させるにも呪文という決められた言葉を口にしなければならない。使い勝手は悪いが、呪文は長ければ長いほど、大きな効果を発揮することが出来る。
1分が経過した。それでもなお、呪文は終わらない。一体何の魔術を起動する気なのか、見当もつかないけど、かなり強力な魔術であることは確かだ。
そう分かっていても、口はふさがれ、身動きは取れない。
「固有魔術・≪魂の暴走≫。」
男が呪文を唱え終え、魔術の名を言葉にする。
すると、数秒もたたないうちに近くの路地裏から青白く光が漏れ出てきた。
男たちは再び屋根に上り、町中を見渡す。エミリーも辺りを見回すと、町の至る所に、先ほどの光があふれ出ているのが分かった。
すぐにわかった。これは、魔術の光。それも、呪いが発動した光だ。それにしても、この数は異常だ。一体どれだけ前から仕掛けていたのか、見当もつかない。
「……今更ですが、本当に発動してよかったんでしょうか。」
「構わん。王からの最重要命令だ。たとえどんな手を使ったところで、任務を達成できれば許されるさ。」
町から火の手が上がる。それも、一つではなく、複数個所から、同時に。
何が起こっているのかはすぐに分かった。青白い光が放たれた路地裏から、悪魔のような不気味な細く、長い指が建物の壁を掴んでいるのが見えた。
それが全貌を現すと、私は一瞬にして鳥肌が収まらなくなった。
赤く光る眼に円錐型の牙と爪は死体のように真っ白だ。全身が黒く、毛の一本も生えていない。手足は細くゴツゴツと角ばっている。だが、血流が勢いよく脈動しているのが50メートルは離れているはずなのにハッキリと見て取れた。
こんなにも弱弱しい身なりをしているのに、人が対抗できるものではないと直感が訴えかけてきた。
その生物かどうかも定かではないものは、近くに住民を見つけると、歯をむき出しにする。
その中には何かが蠢いているようで、見ているだけで気味が悪くなってしまう。皮膚の下で蠢いていたものはやがて、それの胸に集まり、ほんの少し皮膚を突き破って出てきた。
それは白く、先端が尖っているものだった。
「……骨?」
呟いた瞬間、その白いものは目にもとまらぬ速さで何人もの住民の喉元を一斉に貫いた。
人が死ぬのを初めてこの目で見た。さっきまで動いていた人が、あっけなく、赤い血を流して倒れてしまう。
こんな簡単に人が死んでいいの?こんな簡単に命が奪われてしまっていいの?
「こんな……っ、こんなの……。」
事実を認識できない。脳が理解することを拒み続けている。
私は、この日、地獄の始まりをただ眺めていることしかできなかった。




