闇の空間
どうしてこうなったのか、見当もつかない。確かにあの桜の木はどこかおかしかった。そもそも、あんな大木が通学路に立っていたのなら、僕が知らないなんてことはあり得ないはずなんだ。
僕は落ちながらも、こうして考え続けた。
普通なら、自分が落ちているという状況に立たされれば、慌てふためくだろう。実際僕自身もそうだった。
けれど、そんなことをすること自体、無駄だと思ったんだ。その落ちている時間が、あまりにも長かったから。
何時間、何日落ちたのだろう。
いや、そもそも落ちているのかどうかすらわからない。始めは落ちていると感じた。だが、風を切る音は聞こえない。
さらに言えば、暑い、寒い、といった感覚や、空腹、喉の渇きなども感じない。もちろん、自身の体は触ることはできるのだが、他の場所に手を伸ばしても何か掴めるわけでもなく、暗闇に視界は閉ざされ、光が全くないせいで目が慣れてくることもなかった。
ズボンのポケットを探り、スマートフォンで明かりをつけようとも試みたが、いくらスイッチを押しても電源がなぜか入らず、光を得ることはできなかった。
自分が生きているのか、死んでいるのかさえ分からなくなってくる。
こんなところで一人で死ぬのは嫌だな。
ぼんやりとそう思う。別に何か特別に、人生でやりたいことがあったわけではないが、なりたいものはあった。それになることが出来ないと考えると、何だか悔しくて泣きそうになる。
呼吸をすることすらやめようかと思った時だった。背中側から一筋の光が差し込んだ。振り返ると、暗闇の中に亀裂が走り、そのわずかな隙間から光が漏れ出ている。
僕は必死に手を伸ばした。届くかどうかなんて考えなかった。ただ、僕の瞳にはその光が、希望の光だと直感したんだ。
だが、手を伸ばす必要なんてなかった。
亀裂は渦のような形に変形し、僕の体を引き寄せた。渦にのまれたことなんてあるはずがなかったが、きっとこんな感じなんだろうなと想像する。
こんな状況で考えることがそれなんて、自分でも少し驚いたが、これだけ暗闇にいれば気がおかしくなってもしょうがないか、と勝手に納得できた。
渦にのまれると同時に、意識が剥ぎ取られる。抵抗なんてする暇もなかった。一瞬で、僕の意識は電源を落とされたかのようにプツンと切れた。
気づけば、僕はあの桜の木のもとで、仰向けになって寝転がっていた。
桜は相変わらず満開で、服の上には花びらが降り積もっている。
自分で自分にあきれる。まさかこんなところで寝てしまうとは。
しかし、あんな夢を見たのは初めてだ。昼寝だろうと、居眠りだろうとと僕が見る夢はいつもあの戦場の夢だったからだ。
木漏れ日の差し込み具合からして、もう学校には間に合わないだろう。
体を起こし、一度伸びをする。
さて、遅刻は確定だろうけど早く学校に向かわないと……。
周りを見渡して、僕は心臓が止まるかと思った。
目の前には崖。後ろには森林。崖から見下ろした先には、見たことのない巨大な街が広がっていた。
何度も目をこすり、見間違いではないかと確認するも、目に映るものは変わらない。それならばと、自分の頬を思いっきりつねるが、ひりひりと痛むだけで、状況は変わらなかった。
焦り、恐怖、不安などの感情から、呼吸が荒くなる。
僕は深呼吸を2回ほど挟み、状況を整理しようと試みた。
まず、ここはどこだ?少なくとも元の町からは遠く離れているはず。こんな場所が近くにあるはずがない。この桜の木は別のものだろう。見た目は変わらなくても、あの時感じた妙な存在感はない。
そもそも、もしあの暗い空間にいたことが夢でないのだとしたら、一体何だったんだ?
ここから見える町には、少し変わった建物があるくらいで、それ以外はどこにでもあるような普通の町だ。ビルなどは建っていない。
僕の所持品は二千円と少しが入った財布に鞄、教科書と筆記用具。あとはハンカチとポケットティッシュ、腕時計。スマートフォンはあるが、画面がバキバキに割れてしまっており、使い物にならない。
腕時計で時刻を確認すると、今は朝の10時半。
まずい。判断材料がなさすぎる。焦りで汗がにじみ出る。
状況はまだまだ把握することはできないが、こうして座り込んでいても何も変わらない。ひとまずあの町に向かうしかない。
僕は体についた土を叩き落とし、その場を後にした。