竜
竜。その姿は、僕が知っているものとは何ら違いはなかった。うろこに覆われた体も、その巨躯も、人間がどうにかできるものではない。
狼に襲われた時よりもはるかに明確な死のイメージがこの建物の外に感じられる。
建物の外は人々があちこちで悲鳴を上げ、四方八方に逃げ出している。先ほどまでの町並みはもうない。建物は見る影もなく崩れ、瓦礫の山となっている。
この店はガラスと屋根の一部は吹き飛んでいるが、中はあまり損傷はない。
そんな中、僕は自分でも驚くほどに冷静だった。
「エミさん、大丈夫?」
僕は小声で呼びかけ、腰を抜かしているエミさんを立たせる。
「え……、う、うん、大丈夫。なんでこんなところに赤竜が……。」
赤竜というのはおそらくあのドラゴンの名前だろう。こいつが僕が知っている竜の通りの生態であるのなら、逃げるよりも隠れる方が助かる見込みがある。
そう考え、僕らは物陰に身を潜めながら姿勢を低くし、店の奥へと身を潜めることにした。
ふと、鉄の臭いが翔の鼻を突く。
臭いのする方を見ると、他の客だったのだろうか。血を流し、がれきの下敷きになっているのが見えた。
気絶しているのか、それとも死んでしまっているのか、ピクリとも動かない。
それを見た瞬間、手足の震えが止まらなくなる。僕は見つからないよう、必死で息を殺す。
「うわあーーーーー!!」
店の外で叫び声がする。恐る恐る覗くと子供があの竜に脚を踏みつけられ、身動きが取れない状態になっている。
胸が痛むが、僕らにはどうしようもない。助けようとしたところで無駄死にするしかない。
だというのに……。
ガキンッ……
何か金属音がする。硬いものに鉄を打ち付けたような……。
見ると、銀髪をなびかせながら、一人の女性がその竜に鉄の棒きれで殴り掛かっている。隣を見ると、さっきまでそこにいたはずのエミさんの姿がない。
もう一度外を確認すると、外で戦っている女性はエミさんだった。
竜は反撃はしていない。いや、する必要がないという方が正しいか。棒きれで殴っているだけでは竜は見向きもしない。
エミさんが歯を食いしばり、思い切りたたきつけると、ようやく竜はエミさんに注意を向ける。
でも、もしこれで子供を逃がせたとしても、エミさんが殺されてしまう……。
そう思った瞬間、僕は後先のことを考えず、エミさんのもとへ駆け出していた。付き合いは短い。なのに、こんなにも何かを失いたくないと思ったのは初めてだ。さっきほどまでの冷静さはもう保つことはできない。
「エミさん!!」
僕が彼女の名前を叫ぶと、竜の注意はこちらに向く。蛇に睨まれた蛙というのは、まさに今の僕のような状況なのだろう。ワニや蛇のような縦長の鋭い目は僕を怯ませるのに十分な殺気を放っている。
「何してるの!?ショー君は早く逃げて!!」
「バカ!!逃げるのはエミさんの方だ!子供を連れて早く逃げろ!」
自分でも何でこんなことをしているのか分からない。勝てない相手ならすぐに逃げるべきだ。他人のために自分の命を懸けるなんて馬鹿げてる。
竜は僕に向かってその大きな前足を振り下ろす。
間一髪で僕は全力で後退して回避したものの、その風圧でいとも簡単に吹き飛ばされてしまい、瓦礫に背中を強く打ち付けた。
「はっ、はあ、はぁ……。」
肺の中の空気が一気に吐き出され、酸欠で頭が真っ白になる。僕は必死で呼吸を整え、何とか視界を確保した。血の味が口の中に広がる。
竜はゆっくりとこちらに迫ってきている。
……エミさんはもう逃げただろうか。彼女が逃げ延びることが出来ればそれで十分だ。
僕はよろよろと力なく立ち上がる。
1秒でもいい。少しでも長く竜の注意を引き付けよう。どうせ死ぬなら無様でも何でもやってやる。
「来いよトカゲ野郎。僕はまだ生きているぞ!」
竜は蛇のような鎌首を持ち上げ、こちらを見下ろしている。
僕の右腕は上がらない。骨が折れているのかもしれないが、今はどうでもいい。少しでも長くこの場に竜をとどめる。
僕と竜の力の差は比べるまでもない。竜にとっては僕は羽虫同然だろう。なら今の僕にできることは何だ?考えろ。考え続けろ。何かないか、こいつをこの場にとどめる方法は……。
ガキンッ……
そう考えていると、あの金属音が聞こえてくる。
「ショー君大丈夫!?今助けるから!」
息を切らしながらエミさんが戻ってきた。その手には鉄棒が握られている。それで竜を殴ってはいるが、効くはずがない。
近くにあの子供はいない。どこか安全な場所に逃がしてきたのだろう。
僕は初めて彼女に苛立ちを覚えた。
「なんで戻ってきたんだ!早く逃げ……。」
その時だった。竜の喉元が赤く光り出した。それは炎の揺らめきにも見え、竜のうろこ越しにもかかわらず、明るく輝く。
僕は最悪の事態を察した。もし僕の世界での伝説上の竜の特徴を目の前の竜も持っていたなら、まさか……
「炎……。」
かみ合わされた上下の牙の隙間から光の筋が漏れ出す。
竜は大きく口を開き、それを下方向に向かって放出した。