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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
青い風編
7/35

文字と算術

 結局、イサキオスは交渉のテーブルからおり、レミも説得に疲れてぐったりしてしまった。メガネの修道女だけがニタニタ笑っていた。

「寝る」

 イサキオスはふたりに背を向け、横になった。

 いざとなったらハルバードで追っ払うしかない。まともな教育も受けていないのだ。文字だって書けない。交渉で目的を達成したことなど過去に一度もなかった。


「聖女さまもお疲れのようですね」

 修道女は少し距離を詰めた。

 するとレミも同じだけ距離をあける。

「誰のせいだと思ってんのよ……」

 この数時間で顔がややゲッソリしている。

 自慢の金髪もやや跳ねてしまっている。

 修道女はさらに身を寄せた。

「回復して差し上げましょうか?」

「そういやあんた、得意なんだっけ? あたしね、大魔法使いになるの。だからどんな魔法にも興味があるわ。ちょっと見せてくれる?」

「仰せのままに」


 しかしこの動乱の時代、甘言ほど警戒にあたいするものはなかった。

 あるいは善意から出た言葉であったとしても、だ。


 うとうととまどろんでいたイサキオスは、聞きなれない声でハッと目を覚ました。

 少女の甲高い声がする!

「あらあら、聖女さま。まだ始まったばかりですよ?」

「待って! ちょっと待って! むりむりっ! もう回復できないからっ!」

「回復に限界はありません。技を極めた私が保証します」

「あるのっ! もうむりだからっ! 止めてよぅ!」

「なんですって? 申し訳ありませんが、暗くてよく聞こえません」

「暗さは関係な……ひうっ」

 なかば拷問である。

 ただし、やや離れたところで寝ているイサキオスには、心地よい回復の余波が伝わってくる。適切な距離をたもち、なおかつ適切なエネルギー量であれば、身体にはよさそうだ。


 助けに入るべきかもしれない。

 しかしイサキオスは、彼女たちの楽しむ声を聞いてなお、まったく体が反応しないことを再確認させられ、完全に消沈していた。

 神々の軍勢が幼馴染のリリスを槍で貫き、夜空に掲げたとき、自分の中の大事なものが消失した気がした。村の燃える炎が死骸を赤々と照らしていた。まるで狩猟した獲物を見せびらかすように。

 当時、イサキオスもまた幼かった。村を出て街へ入ったときも、同年代の少女を見るだけで言い知れぬ哀しみに襲われた。

 いまでこそ動揺をおぼえることは少なくなったものの、それでも女性を遠ざけたい気持ちは消えずに残っていた。

 大人になったらリリスと結婚するつもりだった。それは幼いイサキオスの勝手な思い込みであったかもしれない。しかし戦争で両親を失い、魔女に育てられた彼にとって、幸福な家庭こそが人生のゴールそのものであったのだ。

 ところが、一夜にしてすべてが破壊された。楽しく会話していた村の人たちは、ただの肉にされた。踏み潰された水車のオモチャが、泥と血液にまみれてひどく醜いものに見えた。


 やがて夜が明けた。

 イサキオスは目を覚ますなり、盛大に溜め息をついた。いや、深呼吸のようなものだ。不快な記憶を引きずらないことはなかったが、それはいつものことだから、取り立てて気にするようなことでもなかった。

 問題は、それよりも、すでに鍋で湯を沸かしているレミである。

「あ、おはよ。いい朝だね」

 にこりと愛敬のある笑み。

 昨日さんざん騒いでいたのがウソのようだ。

 一方、修道女はぐったりして動かない。他人を回復するために、魔法を使いすぎたらしい。

「こいつは死んでるのか?」

「どう見ても生きてるでしょ。それよりほら、今日もおいしいスープができたわ。食べよ?」

「えらく豪勢だな。また婆さんが来たのか」

「そう。あたし、ばばさまに気に入られてるの。きっとかわいいのね」

 とんでもない得意顔だ。

 たしかに顔はかわいいとイサキオスも思う。しかし彼の好みは、もっとつめたい人形のような女だった。在りし日のリリスのような、超越的な雰囲気をもった女だ。

 イサキオスは串を突き刺し、熱さを警戒しながらロールキャベツに齧りついた。

「うまいな……」

 中に肉は入っていない。キャベツだけだ。それでもキャベツのほのかなあまみが口の中にひろがって、体に栄養を与えてくれる感じがした。

「でしょ? あたし、料理って得意なの。ばばさまも、あたしの料理だけは褒めてくれたわ」

「料理だけか……痛っ」

 すねに蹴りが飛んできた。

 まだ防具をつけていないから、木靴の先端が容赦なく骨を責めた。

「あんた、ひとこと余計なのよ!」

「自分で言ったんだろ」

「そこは聞き流すのがマナーでしょ! あんた、ホント、人間としての振る舞いに問題があるわよ!」

「なにがマナーだよ、魔女のクセに」

 すると突然、修道女がガバリと起き上がった。

 目が血走っている。

「おはようございます! ちょっとあなた! 聖女さまに対して、なんて口の聞き方なの?」

「はぁ?」

「聖女さまの下僕げぼくなのでしょ? 身の程をわきまえたほうがいいと思いますが?」

「誰が下僕だてめぇ。俺がこいつを雇ってんだよ」

 修道女は「んんーっ」とのけぞった。

「雇う? つまりお金で買ったということですか? よくもそんなことを公言できますね! 恥ずかしくないのですか!?」

「金なんて一銭も払ってねぇよ」

「ではなんなのです? 代わりになにを提供しているのです? まさか回復魔法!? 回復魔法なのですか? それで毎晩回復を!? ちょっと詳しくお聞かせ願えませんか!」

 朝から鬼の形相だ。

 イサキオスも思わず腰が引けた。

「全然違う。ていうか一回落ち着いてくれ。俺はお前が怖い」

「ええ、そうでしょうとも。魔物は神聖なるものを恐れるものです。存分に私を恐れなさい。そしてそれ以上に聖女さまを敬いなさい」

「……」

 話が通じない。

 イサキオスは溜め息をつき、ロールキャベツを齧った。


 会話が途絶えると、修道女も我に返ったのだろう。

 丸太へ腰をかけ、メガネを着用し、コホンと咳払いをした。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はアラクネ。神に仕えるもの、そしていまは聖女さまに仕えるものです」

 恍惚の表情だ。

 レミはぷるっと身震いした。

「あ、あの……でもさ、あんたにも帰るべき場所があるんじゃない?」

「いいえ、ご心配なく。修道院は半年前に追い出されましたし、そのあとどこも受け入れてくれませんでしたから。まったく。昨今の修道院はどこも堕落していて、ひとつも話になりませんね。神に全身を捧げようという気持ちが感じられません。嘆かわしい」

 なかば破門されたわけである。原因はおそらく回復魔法の乱用であろう。

 しかし、それでもまだ神に仕えているつもりでいる。

 つまり、魔女は敵ということだ。

 レミも複雑そうな顔になった。

「ついてくるの?」

「もちろんです。私のすべては聖女さまのもの。つまりは運命共同体。ふたりは分かれることのできない存在なのです」

「でも、また森に入って、守護神ガーディアンと戦うけど」

「覚悟しております。聖女さまみずから討伐に出るということは、守護神に深刻な落ち度があるということ。私も進んで罪をかぶりましょう。そしてふたりは一緒に地獄に落ちて、ふたりだけの世界に閉じ込められるのです! ああ、なんという悲劇! でもご安心ください! 私にも回復魔法がありますから!」

「うぇぇ……」

 槍で刺されても意見を変えなかった女だ。言葉による説得はそもそも不可能なのだ。諦めるしかない。

 するとアラクネの腹がくぅと鳴った。

「ま、お恥ずかしい。私も朝食をいただきますね。聖女さまの手料理です。汁の一滴まで残さずいただきます」

「ホント怖いから……」

 こんな信徒の姿を見たら、神も自分たちのおこないを改めるかもしれない。

 イサキオスはそう考えると、塔まで同行させてもいいのではという気持ちになってきた。この女を見せつければ、神々だって困惑するはずだ。


 イサキオスは「いいぜ」と割って入った。

「お前の同行を許可する。どうせ止めてもムダだろうしな。ただし、宿代だけは自分で稼げ。なにせほとんど金がねぇからな」

 これに反論したのはレミだった。

「待ってよ! お金? 私たちを売るっていうの?」

「はぁ?」

「かわいいからって、悪い男に売りつける気でしょ! あんたがクズなのは知ってたけど、ここまでとは思わなかったわ!」

「俺もそこまでとは思わなかったぜ。勘違いするな。皿洗いでも薪割りでもガキのおもりでもいいから、宿代だけ稼げって言ってんだ。ホントに金がねぇんだ」

 するとアラクネがすっとメガネを押し上げた。

「ならいいアイデアがありますよ。私、密造酒の作り方には詳しいので。少ない元手で大きく稼げます」

「待て待て。密造酒? そんなことして役人に目をつけられたらどうするんだ? 神と戦う前に、人間に殺されるぞ」

「まあたしかに、サバく相手を見つけないと厳しい商売ですが……」

 本当に修道女だったのか怪しくなってくる。

 レミも思案顔だ。

「困ったわね。ばばさまも、お金だけは絶対に手を貸さないって言ってたし。てか、なんであんたそんなに貧乏なの?」

「うるせぇな。定職についてないんだから仕方ないだろ。守護神なんか倒したって、一銭にもなりゃしねぇしな」

 短期の労働で稼いでなんとかやり繰りしている状況だ。

 ふたりの宿代までは工面できない。

 生きているだけで腹は減る。そう簡単にトカゲがつかまるわけでもない。

 アラクネが「ふむ」と空を見上げた。

「では、魔物の退治などはいかがでしょう。野蛮な戦士に、高貴な魔法使い、そして回復魔法の得意な私がいるのです。いかにも冒険者らしい編成ではありませんか?」

 たしかに「いかにも」な編成になっていた。

 あるいはそこらの冒険者どもよりはるかにマシだった。


 多くの自称「冒険者」は、ナイフを振り回すのが得意なゴロツキばかりである。帰ってくるときもたいてい傷だらけだし、報酬の分配でも揉めないことがない。

 魔法を使えるメンバーは人気が高い。戦闘能力の高さもさることながら、最低限の教養を有しているから、なんと文字が読める。不当な契約でぼったくられることもない。しかも割り算ができるから、分配で揉めない。


 イサキオスは神妙な顔でこう尋ねた。

「お前たち、文字は読めるよな?」

「……」

 返事はなかった。読めないのではない。そんなの読めて当然だろうという顔をしている。

 彼はうなずいた。

「では割り算はどうだ? この技を使うと、報酬を人数ごとにピッタリ分けることができるらしいぞ」

「ピッタリしないこともあるけど」

 そう応じたのはレミだ。

「ピッタリしない? どういうことだ?」

「何枚か余ることがあるの。三人だと、銀貨が二枚あまる可能性があるわ」

「二枚か……。まあ許容範囲だな。いいだろう。魔物退治で行こう」


 話がまとまると、少女たちは小声でヒソヒソと内緒話を始めた。

「聖女さま、この男は文字が読めないのですか?」

「短いのはなんとか読めるっぽいけど、長いのはムリだね」

「割り算もできないとは」

「ねー、わりとヤバいよね」


 イサキオスにはすべて聞こえている。

 が、あえて反論しなかった。

 金の計算が得意な人間とケンカすると、結局は自分が損をすることになる。いつもそれでぼったくられてきた。いまは我慢のときだ。


(続く)

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