その標的
それから数日が経過した。
街では「森が枯れたらしい」という噂が広まってはいたものの、それ以上の情報は出回っていなかった。そもそも森の奥に神殿があり、そこに守護神がいるということ自体ほとんど知られていないのだ。
人々は声をひそめ、よからぬことの前兆では、などとささやき合った。
一方、イサキオスとレミは、そんな世間の動向などお構いなしに、次の森へ足を踏み入れていた。
守護神は残り五体もいるのだ。悠長に休んでいる暇はない。
「ちょっと待って! 歩くの早い!」
レミの猛抗議に驚いて、小鳥たちが飛び立った。
旅には慣れていないらしく、杖によりかかるようにしながら、やっとといった様子でついてくる。
イサキオスはしかし振り返りさえしない。
「日が暮れちまうぞ」
「ちょっと休憩! 休憩しないとあたし怒るよ!」
「ひとりで休憩してろ」
「なんでそういうこと言うの? あんた、人の心ないの?」
「捨てたんだよ、そういうのは」
「バカ! アホ! 悪魔!」
魔女に言われる筋合いはない。
イサキオスはかすかに溜め息をつき、とにかく先を目指した。食料の詰まったバッグだけでなく、ハルバードまで担いでいる。なかなか重たいのだ。早めに着いて、少し休憩をとって、コンディションを整えてから戦いに挑みたかった。
レミの苦情を聞きながら進み続けると、やがて人影に出くわした。
巨人ではない。
修道服を着た小柄なメガネの少女だ。髪はマッシュルームカット。まだ見習いかもしれない。
イサキオスたちを睨んでいるようにも見える。
「あの、失礼ですが……」
目も合わせず通り過ぎようとしたのだが、だいぶ手前で呼び止められてしまった。
歓迎している様子ではない。むしろその逆だ。
「なにか用か?」
「それはこちらのセリフです。こんなところまで入ってきて……。奥になにがあるのかご存じなのですか?」
「まあな」
「いったいどんなご用です? 目的は? 巡礼ですか?」
いかにも生真面目そうな態度だ。
バカ正直に内容を説明したら、足止めを食うのは間違いなかろう。
イサキオスは肩をすくめた。
「散歩してるだけだ」
「散歩? そんな物騒なものを持って?」
「護身用だよ」
「……」
少女は不審そうな目でイサキオスとレミを交互に見た。そしてメガネをかけ直し、こう応じた。
「同行しても?」
「断る」
「なぜです?」
「邪魔だからだ」
「あきらかに不審ですね。ぜひ詳しい話をお聞かせ願います」
この道は通さないとばかりに立ちはだかった。
しかしあまりに小柄だ。武器さえ所持していない。どうやって止めるつもりなのであろうか。
イサキオスは担いでいたハルバードを構えた。
「俺は急いでるんだ。止めたいなら実力で止めろ」
「まあ! 本性を現しましたね! この神聖な森で乱暴を働くなど、神がお許しになりませんよ?」
このご高説に、イサキオスはつい笑ってしまった。
「は? お許しにならない? 神が? 笑わせるぜ。俺だって神を許しちゃいない。どっちの怒りが強いか、ぜひ試させてもらおうじゃねぇか」
「ま、まさか邪教の信徒……」
少女は身をすくませたものの、それでも道をゆずろうとはしなかった。
見かねたらしいレミが、ふたりの間に割って入った。
「ちょ、ちょっと待って! ホントに傷つけるつもり? ダメだよ! この子、関係ないじゃん!」
「口を閉じろ。そこをどけ。お前の仕事は俺の護衛であって、そのガキの護衛じゃない」
「やっていいことと悪いことがあるでしょ!」
「魔女が道理を説くんじゃねぇ。ゴチャゴチャ言ってるとお前ごとヤるぞ」
「やめてよ!」
レミも身をすくませてしまった。
すると今度は、その盾になろうと修道女が前へ出た。
「は、恥を知りなさい! そのご大層な武器は、あなたの仲間を傷つけるためにあるのですか!? わ、私は怖くありませんから! 神がお守りになってくださいます!」
神。
その言葉を聞くと、イサキオスは怒りで全身の血液が沸騰しそうになった。まさにその神とやらが村を焼き、仲間たちの命を奪ったのだ。神は敵だ。神を信奉するものも敵だ。
イサキオスは修道服の袖を切り裂いてやることにした。ちょっとした脅しだ。軽く踏み込み、ハルバードを前方へ突き出す。
すると修道女はとっさに身をよじった。狙いがズレて、槍の先端が腕に突き刺さった。
「あぎぃッ!」
「クソッ」
慌てて引き抜くが、濃い血液がビュッと吹き出した。
修道女はその場にうずくまり、激痛に震えた。
レミも信じられないといった顔になっている。
「ちょっとあんた! なんで刺したの!?」
「黙れ」
「ね、大丈夫? あ、薬草。薬草あるから! これ使って? ね?」
レミはバッグから膏薬を取り出し、修道女に押し付けた。それからイサキオスに向き直り、凄まじい剣幕で詰め寄ってきた。
「説明して!」
「行くぞ」
「なんで! なんでこんなことしたのか説明しなさいよ! あんた、そこまでクズだったの?」
「言っただろ。人の心は捨てたって。気に食わないならどこへでも行け。使えないヤツに構ってる暇はない」
「待ってよ! 置いてかないで!」
修道女を置き去りにして、イサキオスは奥へ奥へと突き進んだ。
気配がする。
かと思うと、突如浮かび上がるようにして白亜の神殿が現れた。のみならず、すでに巨大な甲冑の守護神が座り込んでいる。
巨人の警告が始まった。
「人の子よ望むなかれ。ただ大地を耕して、機を織り、えーと……パンとスープを……いや違うな。音楽を奏でて……でもないし。とにかく、ここは人の子の来る場所にあらず、ということだ。ま、そんなことは承知の上だとは思うが。だがもし迷子なら、なにも見なかったことにして帰ってくれてもいい。俺は寛容だからな」
前回の守護神とは異なり、かなり人間臭い。
とっさにハルバードを構えたイサキオスも、つい目を丸くした。
「なんだお前は……。中に誰か入ってるのか?」
「入ってるさ。魔石がな。ただ、他の連中と違って、まだ自我があるってだけだ。この退屈な神殿に配置されたのはいいが、どうにも気が乗らなくてな。武器をおろせよ。少し話がしたい」
「話すことなどない」
すると守護神は肩をすくめた。
「そう強がるな。隣の神殿をヤったのもお前なんだろう? そしてここへも来た。ただの観光客じゃないことくらい分かる。神の一族である俺に、意見や質問があるんだろ? ん? どうなんだ? 自慢じゃないが、俺は口が軽いぞ?」
本当になんでもペラペラ喋ってくれそうだ。
レミも後ろから袖を引っ張ってきた。
「ね、ちょっと聞いてみようよ。あんたの知りたいこと、答えてくれるかも」
知りたいことは山ほどある。
しかし「敵」が真実を語るだろうか。
イサキオスはまず、簡単な質問からぶつけてみた。
「なぜ俺に協力する?」
これに守護神はふっと笑った。
「協力じゃない。長いことひとりでいたもんだから、会話に餓えてるだけだ。お前が傷つけた女は、一度も会いに来てくれなかったからな」
「なら尋ねる。お前たちの軍勢は、なぜ俺の村を襲撃した?」
すると甲冑は少しのけぞった。
「襲撃? おお、あの村の生き残りか? じゃあ今日が初対面じゃないな。じつは俺も参加してたんだ。なつかしいな。何年経った?」
「お前が……」
「そういきり立つな。俺だって驚いたんだ。人間の村を襲えなんてな。普通、神が人の村を焼くことはない。あの命令は唐突だった」
「魔女の村だ」
「そうだな。だが関係ない。魔女が村を作ろうが国を作ろうが、わざわざ神が手をくだすことはない。どんなに人間たちが祈りを捧げても、だ。神ってのはいちおう世界を監視してはいるが、なるべく介入しないもんだ。女がハルバードで襲われたくらいじゃ助けたりもしない」
「だったらなぜ攻撃した!」
この追求に、守護神はまた肩をすくめた。
「知らない。なにも聞かされていない。ただ、隊長は少女を殺せと命じられていた気がするな。だから一番の目的は、村への攻撃ではなく、少女の殺害だったんだろう」
「リリスのことか?」
「悪いな。名前までは記憶にない。だが、俺たちが動員されたってことは、よほどの存在だったんだろう。その少女、おそらく魔女でさえなかろうな」
「……」
魔女よりも危険な存在。
それはいったいなんなのであろうか。
イサキオスはひとつ呼吸をした。
「事実なのか?」
「ああ。記憶が曖昧なところもあるが、ウソは言っていない。神に誓ってもいいぞ。あの子の正体がなんだったのか、俺も知りたいくらいだ」
「当時の隊長とやらはどこにいる?」
「塔のどこかだろうな」
村がターゲットなのではなかった。だからイサキオスは見逃されたのであろう。応戦した魔女たちは殺されたが、生き延びた子供はほかにもいた。
真実を知るためには、やはり塔へ挑むしかない。
イサキオスはハルバードを構えた。
「ならば塔への道を切り開く」
「血の気が多いな。もう質問はないのか? ないならいいが……。もう少し喋らせてくれてもよかろうに」
守護神もズシリと重たい腰をあげた。背が高いから、壁のように日の光を遮ってしまう。
そいつは手に棍棒を召喚し、泰然と構えた。
背も、武器も、イサキオスの倍はある。
しかしイサキオスはひとりではない。後ろに魔女がいる。いずれ大魔法使いになるはずの、見習いの魔女が。
「情報の提供には感謝する。だが、敵は敵だ」
「構わんさ。世界とはそういうものだ。こちらも手加減はせんぞ。死ぬのは怖いからな」
甲冑の巨人は冗談とも本気ともつかぬ言葉を吐いた。かと思うと、雰囲気が一変したように冷徹な構えを見せた。隙がない。
イサキオスも呼吸を整え、正面に対峙した。
いつでも始められる。
(続く)