キノコ
その晩、ふたりで焚き火を囲んだ。
男はレミにパンを分けてやった。代わりにレミは、どこかから拾ってきたトカゲをくれた。
「トカゲか……。いかにも魔女らしいな」
すると両手でトカゲを頬張っていたレミが、不満そうに眉をひそめた。
「なに? イヤなら食べないで」
「そうじゃない。好き嫌いがないってのはいいことだ」
「嫌いなものはあるわよ。ピクルスとか……。ていうか、あんたの腕大丈夫? なんか生えてきてるけど」
彼女の指摘通り、男の右腕は肘まで再生していた。
メシを食うと回復する。
そういう体だ。
「言っただろう。あの婆さんと契約したんだ。普通の体じゃない」
「どういう原理なの?」
「俺に聞くな」
魔女の技を魔女に質問されても困る。
男はよく焼けたトカゲの肉を食いちぎった。
火おこしは簡単だった。レミが魔法で火をつけたからだ。あやうく森全体を焼きそうになったが、ともかく火は簡単に手に入った。
レミはしかめっ面でパンを齧った。
「カタいパンね。スープが欲しいわ」
「贅沢言うな」
「ね、そういえば、あんたの名前ってなんていうの?」
「イサキオス」
「変な名前ね」
「お互いさまだろ」
食事を終えると、イサキオスは横になった。特に断りもなく。
これにレミが立ち上がりかけた。
「え、寝るの? 急に?」
「見ての通り重症なんだ。休んだっていいだろ」
「しばらく一緒にいるんだし、自己紹介とかしないワケ?」
「知る必要がない」
「はぁ?」
イサキオスとて、普段は人間社会に溶け込んで暮らしている。最低限のマナーは知識として持っているつもりだ。が、魔女に自己紹介するほど社交的でもなかった。
それに、相手のことを知って思い入れを持つのも怖かった。失うときのことを考えてしまう。
レミはふんと鼻を鳴らした。
「あっそ。じゃあ勝手にして。あたしも寝るから。言っとくけど、いくらあたしが魅力的でも、手を出そうなんて考えないでね。強い魔女なんだから。ま、そんなのにビクビクするようなあたしじゃないけど。魔女になるとき、もっとおぞましいものとも交わったし」
魔女にもいろいろ事情があるらしい。
イサキオスはふっと笑った。
「安心しろ。俺のは使い物にならない」
「えっ?」
「信用できないってんなら、縛ってもらってもいい。ただし置き去りにするなよ。イヌの餌になるのはごめんだからな」
「違うの。べつにそこまでは……」
消沈している。
少しは悪いと思ったのだろう。
魔女にしては殊勝である。
*
翌朝、朝日に照らされてイサキオスは目を覚ました。
森はすでに死んでいるから、鳥たちの声もしなかった。
ただ枯れ切った木々の合間に、日の光が差し込んだだけの朝であった。
イサキオスは喉の渇きをおぼえ、水筒から水を飲んだ。腕の再生は肘のところで止まっていた。もっと栄養をとらないともとには戻らない。
レミは自分のローブに包まって眠っている。頭からフードをかぶっているおかげで、まだ朝の到来に気づいていないのだろう。あどけない寝顔をしている。
イサキオスは立ち上がり、食料がないか周囲を見渡した。
が、すべて枯れている。
動物たちも逃げた。
なにもない。
腹だけが鳴る。
「ん、もう朝? おはよ」
レミが眠たげな目をこすり、身を起こした。
「悪いがメシを調達できそうにない」
「トカゲは?」
「見当たらない」
「なら虫でも探すしかないわね」
「……」
イサキオスもこれまで過酷なサバイバルをしてきたが、虫だけは可能な限り避けてきた。なのに目の前の少女は、さも当然のようにそれを口にするという。
するとレミは、男の様子を見て勝ち誇ったような表情を見せた。
「なに? 虫が怖いの?」
「そんなこと言ってないだろ。あまり馴染みがないってだけだ」
「ふーん。なら見つけたげるから、一緒に食べましょ?」
「ああ……」
腕が再生するまで街には戻れない。そして街に戻れない以上、どこかで食料を調達するほかない。
だが、救いの女神が現れた。
土くれが隆起し、老婆が姿を現したのだ。
「起きたかい? 様子を見に来てやったよ」
「ばばさま!」
駆け寄ろうとするレミを、老婆は魔法のバリアで弾き返した。
「いたっ! なにすんのよっ!」
「アマえるんじゃないよ。あたしはね、あんたらの行動を監視に来たんだ。いまは試験中でもあるんだからね」
「なにそれ! ちゃんとやってるじゃない!」
「どうだか」
すると宙空に魔法陣が浮かび上がり、そこからカゴいっぱいのキノコが落ちてきた。
「これは?」
「ふん。採りすぎたから処分してもらおうと思っただけさ。言っとくが、毒キノコも混ざってるからね。もし食べるならきちんと選別するんだよ」
「毒? ばばさま、あたしを殺す気?」
「見分け方は前に教えただろ」
「教えてもらってない!」
朝から口論が始まってしまった。
レミは半泣きだ。
「ひどい! きっと食べたら死んじゃうから! ばばさま、あたしを殺す気なんだ!」
「バカだねぇ、この子は。あんたを殺したって一銭にもなりゃしないだろ。それに、いままで教えたことだって全部台無しさ」
「でも毒……」
「いいかい。この赤いのは、黒い斑点のあるほうが毒で……」
「こっちのは?」
「それは平気さ」
「これは?」
「平気」
「どれが毒なの?」
「斑点のキノコだけさ。食べても死にゃしないよ。しばらく体がかゆくなるだけでね」
「ひどいよ!」
しかし結果として、すべての答えを教えてもらっている。試験どころではない。
老婆は溜め息をついた。
「分かった分かった。毒のは持って帰るよ。それと、こいつも使いな。煮炊きするなら必要になるだろう」
水筒と鍋まで出てきた。
もはや過保護とさえ言えるだろう。
「ばばさま! やっぱり優しい!」
「勘違いするんじゃないよ。あんたがあんまり不出来だから、仕方なくだ。手を貸すのはこれが最後だからね。二度と頼るんじゃないよ」
「はぁーい」
疲れ切った様子の老婆に、イサキオスはつい吹き出した。
「婆さんも大変だな」
「これで分かったろ。あたしの寿命をすり減らしてるのは、間違いなくこいつらさ。手のかかる弟子ばっかりで困るよ。さっきもくだらないケンカで家が半分ふっ飛んだところさ」
昨日言っていた「ほかに出せるのがいない」というのは冗談ではないらしい。魔女の家をふっ飛ばすようなヤツは、きっと敵と一緒にイサキオスをもふっ飛ばす。レミが一番マシというわけだ。
*
老婆が去ると、レミは調理を始めた。
なんだかんだ言って、老婆は去り際にカブまで置いて行った。レミの試験を応援しているのかもしれない。
「やっぱりばばさま、あたしに期待してるのね。だってね、あたしが一番優秀なんだもの」
「少なくとも俺をふっ飛ばしてないな」
「いい? あたしはこれから大魔法使いになるの。だからそんな皮肉を言うのはやめて。分かった?」
「分かったよ」
コックの機嫌を損ねるのは得策ではない。
カブとキノコが鍋の中で煮込まれて、かすかにうまそうなにおいがしてくる。
レミはそれを棒切れでつつく。
「あたしの同世代に、ファラとシドってのがいるの。どっちも最悪よ。魔法だけはそこそこだけど……。なんていうか、人間的に終わってるわ。皮肉ばっかりのファラと、おどおどしててなんにも言えないシド。シドなんて、魔女なのに男のモノまでついてるし」
「それは魔女なのか?」
「両方ついてるみたい。ちっちゃいけどね。でね、ファラがいっつもシドをからかって、それで最後はシドがドッカーンってなっちゃうの。ガキよね。あんなのでも試験を合格できたんだから、あたしだって楽勝のはずよ」
つまり合格できていないのはレミだけということだ。
イサキオスはその指摘をしかけて、すんでのところで飲み込んだ。口は災いのもとだ。
「ほら、煮えたわよ。好きに食べて」
「ああ……」
赤、青、紫、緑に黄色。どのキノコも毒々しい色だ。しかし毒キノコは取り除かれたはずだから、どれを食っても問題なかろう。
イサキオスはキノコのひとつを串で突き刺し、慎重に一口齧った。
かすかにカブの甘味がする。が、その他は特にクセもない。
レミも熱さを気にしながら、少しずつ口にしている。
なんの変哲もないキノコだ。
そう思っていた。最初だけは。
ふと、イサキオスは身体の内側がマグマのように熱くなるのを感じた。かと思うと、肘までしかなかった右腕がニョキニョキと再生し始めた。
「うわあっ」
急にそれが始まったので、つい間抜けな声をあげてしまった。
レミも目を丸くしている。
「え、なに? 毒?」
「あのババア、なにを食わせやがった!?」
「嘘でしょ? あたしも体が変……」
両者、ともに食事を中断し、しばらく成り行きを見守った。
なのだが、身体が熱くなり、イサキオスの右腕が再生したほかは、特に異変はなかった。
レミがポンと手を叩いた。
「あ、思い出した! この青いキノコ! 体の回復力を高めるやつだ!」
「いや、いま俺が食ったの赤いキノコだぞ」
「きっと成分が染み出したのよ」
「大丈夫なんだろうな?」
するとレミは眉をひそめた。
「はぁ? あたしが知るわけないでしょ!」
「いや、婆さんはちゃんと教えたって……」
「教えてもらってない!」
どちらが事実を語っているのかは分からない。あるいはどちらも事実なのだろう。老婆はきちんと教えたのに、レミが聞いていなかったということだ。
レミはローブを脱いだ。
「なんか体が熱いんだけど……」
もちろん中にはシンプルなチュニックを着ている。
「たしかに熱いな」
イサキオスも一枚脱いだ。
回復のためとはいえ、ずいぶんなキノコを食わされたものだ。
額の汗を拭い、彼はこう尋ねた。
「だが、便利なキノコだな。そこらに生えてるものなのか?」
「ううん。魔界に行かないと採れないと思う」
「魔界? そんなお伽話みたいな世界があるのか?」
「知らない。見たことないもの」
魔女とはいえ、レミはまだ見習いだ。ほとんどなにも知らないのだろう。
とにかく、腹を満たさねばならない。
イサキオスは次のキノコへ串を突き立てた。
(続く)




