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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
赤い砂編
35/35

政治

 同刻、人界――。

 昼過ぎの静かな田園には、カラスの鳴き声さえなかった。

 秋は深まっているらしく、風に肌寒いものが感じられるようになっていた。

 聖レミ修道院の玄関前には、静かに草を食むビューティフルな白馬。

 伯爵家の「バカ息子」が、今日も修道院を訪れていたのだ。きらびやかな衣装で、玄関前に仁王立ちしている。


「麗しの淑女よ、会いに来たよ。ああ、もちろん分かってる。君は僕に興味がないね? けれども、せめて一言釈明させて欲しい。僕は生まれ変わったんだ」

 まるで演劇のように声を張っていた。

 作業中だったアラクネは、エプロンで手を拭きながら渋々顔を出した。

「なんなのですか、騒々しい」

 アーロンの姿を見た瞬間、彼女はさらに顔をしかめた。

 メガネを装着している。

「見てくれ。君とお揃いだよ」

 白い歯を見せてのスマイル。

 顔立ちはまあまあ整っているのだが、肝心の頭がどうにかなっている。

 アラクネは背筋に寒いものを感じ、少し震えた。

「あなたは底なしの愚か者ですね……」

「褒めているのかな?」

「逆です。そうしてお金にモノを言わせて着飾っても、あなた自身が成長するわけではないのですよ? あ、着飾るのがダメと言っても、服を脱いで欲しいという意味ではありません。ここまで言わないと分からないでしょうけれど」

 完全にゴミを見る目になっている。

 アーロンはしかしスッと指先でメガネを押しあげた。

「父上と同じことを言うんだね」

「お父上に言われたのなら、なおさら直してください、ホントに……」

 しかし今日のアーロンは様子が違った。アラクネの言葉にめげることなく、どこか寂しそうな目をしていた。

「じつは塔の守護をしていた義勇兵が、暴徒と化してね。僕はその鎮圧にあたることになった。だからしばらくは君にも会えない」

「え、戦争ですか……?」

「そんな大袈裟なものじゃない。大部隊を見せつけて、戦意を喪失させるだけさ。なるべく血を流さないようにする」

「いったいなぜ暴徒に?」

「教皇庁が原因さ。すぐに解散したのだから、給金を支払わないと一方的に通達したんだ。彼らはもう塔の前で待機していたのに、だよ? それで義勇兵が怒ってね。もし給金を払わなければ、塔を攻撃すると言い出した」

「まぁ……」

 教皇庁は兵の動員が致命的にヘタクソだった。そのくせ神に関する事案はぜんぶ自分たちで仕切りたがるから、間に業者も入れない。金もかけない。おかげで、すべてがぐだぐだになった。

 アーロンは沈痛な表情で髪をかきあげた。

「出発は明日だ。僕のためには祈らなくていい。けれども、犠牲者が出ないよう、みんなの無事を祈って欲しい。僕は、敵にも味方にも傷ついて欲しくない」

「はい」

 立派なことを言う。おそらく父から叩き込まれた騎士道のたまものであろう。

 アーロンは背を向けたまま、静かにこう続けた。

「そしてもし無事に帰ってきたら、僕と結婚してくれないだろうか」

「えっ? なんですか急に。ムリです」

「答えはいまじゃなくていい。時間はあるんだ。ゆっくり考えてくれ」

「いえ、ムリなんです。私はここで聖女さまと回復魔法するので……」

「また会おう、麗しの淑女」

「あ、ちょっと! 無視しないでください!」

 アーロンは人の話も聞かず、白馬にまたがって「ハッ」と行ってしまった。長い金髪を風になびかせながら。


 麦のない草原を秋風が吹き抜けた。

 小さくなるアーロンの姿。

 はるか遠方には街の城壁。


 アラクネはやれやれと溜め息をついて、礼拝堂へ引き返した。

 壁にはシンボルの塔が掲げられている。

 彼女はベンチに腰をおろすと、胸に手を当て、そっと黙祷を始めた。

 アラクネ自身は、戦争に巻き込まれたことはない。けれども、戦禍を逃れた人々の治療にあたったことはある。五体満足であればまだいいほうで、その後の生活に支障が出るような傷を負った人たちもたくさんいた。

 兵士の振るう刃は、体だけでなく、心、生活、家々までも切り裂いてしまう。せっかく育てた麦だって踏み荒らされてしまう。


 *


 同刻、魔界――。

 イサキオスら一行は、デルタの市長邸で無意味な時間を過ごしていた。

 情報がない。策もない。それでガニメデも市長もどう行動すべきか決めあぐねているようだった。

 イサキオスはしかし彼らを責める気にはなれなかった。自分にだって力がない。権限もない。財もない。その上、政治を知らない。状況もろくに分かっていない。周囲の判断に任せるしかなかった。

 ファラが帰りたがらない以上、イサキオスはただそこにいるしかない。


 だが、状況に変化があった。

 監視とおぼしき男が居城に駆け込んできて、そのまま市長の執務室へ入った。かと思うと市長も部屋を飛び出し、ガニメデとなにやら議論を始めた。

 あまりの騒がしさに、イサキオスも部屋から顔を出した。


「陛下が? こちらへ向かっていると? それは本当なのですか?」

「監視のものがそう言っています。とにかく、どう対処すべきかお知恵をお貸しいただきたい」

「そ、そう言われましても……」

「頼みますぞ、侍従長どの」

 ガニメデは侍従長だ。王族に付き従い、さまざまな要望に対応するのが職務である。だから魔王にかなり近い存在と言える。


 魔王が来るというので、イサキオス、ファラ、マールは個室を追い出され、ひとつの部屋に入れられることとなった。大部屋だ。そこには、あとから来るであろう魔王の兵士たちも入れられる予定だという。

 つまり身分の低い「その他大勢」が押し込まれたというわけだ。


 儀仗兵や軍楽隊が大慌てで準備を始め、街の大通りは魔王のためにあけられることとなった。市民たちも魔王が来ると知って、どうしていいか分からず困惑しているようだった。


「ああ、なぜ急にデルタへ。事前に通達いただければ、もっときちんと対応できたものを……」

 バッカスは廊下をうろうろしていた。

 ガニメデも緊張の面持ちだ。

「本当に陛下なのですか? 失礼ですが、なぜ縁故でもないデルタへ?」

「それは私が知りたいことです。もし緊急であれば、北のアルファや東のベータへ向かうはず」

「陛下の叔父上と、弟君が治められている都市ですな。親族を避けるとなると、やはり……」

 ガニメデはあえて言葉を濁したのだが、切羽詰まっていたバッカスが先走った。

「やはり謀反であると?」

「いや、なにもそこまでは……。ともかく、魔王さまがいらっしゃるのです。事情はそのときうかがいましょう」

「はぁ、なぜこんなことに……」


 大部屋で暇をつぶしていたイサキオスは、皿に盛られていたリンゴを齧った。

「トカゲの野郎、ずいぶん焦ってるようだな。魔王が来るとなにか問題があるのか?」

 マールは肩をすくめた。

「魔王さまは、ほとんど城から出てこないんだ。とんでもない力を持ってるから、少しでも動きを見せると、周囲に動揺を与えちまうからな」

「王なのに? そんなに不自由なのか?」

「王だからだ。この魔界は、むかしはいろんな勢力が対立してて、情勢が不安定だったんだ。けど、何代か前の魔王さまの時代に、ついに統一がなされてな。それで魔王さまは代々この世界を統治してる。なるべくみんなの不満を受け止めて、争いが起こらないようにしていらっしゃるんだ」

「へえ、ずいぶん立派なやつなんだな」

 リリスの父親にあたる人物だ。イサキオスは、しかしいまいちピンと来ていなかった。なにせ娘の性格が普通ではない。きっと父親も接しづらい人物なのだろうと思っていた。それが立派な人格者とは。


 やがて魔王が到着したらしく、居城はさらにバタバタし始めた。

 あとはガニメデと市長でなんとか話をつけるのだろう。

 イサキオスはそう考え、大部屋でリラックスしていた。

 が、使用人が駆け込んできた。

「イサキオスさま! 市長がお呼びです!」

「俺? なんの用だ?」

「とにかくいらしてください!」

「まあいいけど……」

 不法侵入を罰せられるのか、あるいはリリスに気安く話しかけたことを叱責されるのか、いずれにせよいい予感はしなかった。


 *


 応接室に通された。

 客用のソファには、燃えるように逆立った黒髪の、スラリと背の高い男が座していた。魔王であろう。リリスの父親というにはあまりに若い。それでも堂々と威厳にあふれた態度で、強い覇気をまとっていた。鎧を脱いだばかりらしく、服装にはまったく飾り気がなかった。

 彼の背後には、重武装した護衛がひかえている。


「ああ、来ましたか! こちらへ! ほら早く!」

 ガニメデがわざわざ立ち上がり、イサキオスを中へ案内した。

 これから処刑が始まる雰囲気ではない。

「ええと、イサキオスです。ご用ってのは?」

「はわわ、陛下に対してその態度は……。まったく人界のものはこれだから……」

 ガニメデの眼球がこれまでないほど回転した。

 魔王はしかしフッとかすかに一笑したのみで、イサキオスを咎めなかった。

「よい。俺はベルゼブル八世。この世界を統治している。いや、かつて統治していた、と言ったほうが正しいかもしれないな。会いたかったぞ、イサキオス」

「あんたがリリスの父親か……」

 イサキオスとて、自分がただの平民であることは自覚している。相手が王族なら膝をつくのが礼儀であることも知っている。なのだが、リリスのことを考えると、どうしてもそうできなかった。

 ベルゼブルはかすかにうなずいた。

「王都はいま、あやつによって封鎖されている。なぜか分かるかな?」

「さあ」

「原因はお前だ、イサキオス。お前に会いたくないからだそうだ」

「俺に……?」

「理由は分からん。推測くらいはできるが。とにかく、お前が魔界にいる限り、あやつは王都を解放しないであろう」

 できればジョークであって欲しかった。

 自分のせいでこんな大騒動になったとは考えたくもない。

「人界へ帰れと?」

 イサキオスが尋ねると、ベルゼブルはカカカとのけぞるようにして笑った。

「いや、そんなことは言わんよ。むしろ逆だ。俺はすぐにでも王都へ引き返し、娘から王都を奪還するつもりだ。魔界を統治する王が、娘に家を追い出されたままでは格好がつかんからな。お前も手を貸して欲しい」

「あいつを殺すのか?」

「そうしないために、お前の助けが必要なんだ」

「分かった」

 リリスのいる場所へ、父親が案内してくれるというのだ。断る理由はない。

 するとバッカスが遠慮気味に切り出した。

「しかし結界はどうします?」

「案ずるな。精鋭の魔導師を連れてきた。小さな穴でよければ開けられる。そのおかげで脱出できたのだからな」

「そこへ兵を突入させると?」

「いや、突入するのは俺とイサキオスだけだ。お前たちは、他の都市と連絡を取り合い、慎重に行動するよう伝えてくれ。兵を動かす必要はない」

「仰せのままに……」

 言葉とは裏腹に、バッカスは不服そうな表情を浮かべた。魔界を統べる王が、外から来た人間を頼るのは面白くないのであろう。

 ともあれ、リリスに関係することなら、遠慮するイサキオスではない。自分にできることをするつもりだ。


(つづく)

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