兎の街
乾いた大地を蹴ってイサキオスは突進した。
ハルバードの柄を腰に抱え、先端の槍でグリフィンの巨躯を狙う。どこでもいい。とにかく当てなければ話にならない。
並走していたマールはあまり足が速くないらしく、次第に距離があいた。
怪鳥はクチバシを開いて絞り出すように絶叫している。
イサキオスは怯むことなく前進。後ろから「待て!」と制止の声が聞こえたが、無視して仕掛けた。
全体重を乗せた槍の一撃。
だがグリフィンは羽ばたきながらサイドステップし、イサキオスの全力攻撃をいともたやすく回避した。そしてすぐさま頭部を振り回し、鋭いクチバシでえぐり込む。
あまりにも迅い。
イサキオスは肩口を抉られ、そのまま地べたへ叩きつけられた。無防備な背面へふたたびクチバシが降ってきたが、マールが戦斧で追い払った。
「おい! 大丈夫か!」
「ぐっ……」
死ぬほどではない。が、しばらく動けそうもなかった。
はじめは絶望的な表情で周囲を警戒していたマールだったが、イサキオスの傷口が徐々にふさがるのを見るや、ぎょっとした表情になった。
「き、傷が……。お前、人間じゃないのか……?」
「人間だよ。いまはまだな」
しかもその傷口は、修復と同時に鱗のようになり、やや遅れて人間の皮膚へと変化した。
マールは息をのんでいる。
「もしかして、見なかったことにしたほうがいいのか?」
「いや、いい。気にしないでくれ」
イサキオスはなんとか上体を起こし、肩口をなでた。感触に違和感はない。鱗もない。
少しふらついたが、ハルバードを拾ってマールの隣に立った。
「なあ、イサキオス。悪いことは言わねぇ。相手の動きも見ずに突進するクセを直すんだ。モンスターってのは、近づいたときが一番危険だからな」
「どうやらそのようだな」
「ただし、この手のモンスターはたいして賢くねぇ。動きさえ見切っちまえばこっちのもんだ」
「手本を見せてくれ」
「あせるな。俺も観察してる最中だ。ただ、見た目は違えど、サソリと同じような動きかもしれねぇとは思ってる」
つまり正面から攻めれば横に回避するし、左右から挟めば動きが鈍くなるということだ。
そしてもう一点。サソリの肉はプリプリしていてうまかった。口に入れた瞬間は水っぽいのだが、噛んでいると甘味がにじみ出た。
今回のモンスターも、倒せばメシにありつける。
ふと、グリフィンの頭上へ無数の雹が降り注いだ。
ファラの魔法だ。ダメージはないが、グリフィンはうるさがって何度もクイクイと頭を上下させている。
仕掛けるならいまだ。
マールが斧を構え直した。
「よし行くぞ。俺のスピードに合わせろよ。お前は足が速すぎる」
「任せとけ」
二手に分かれ、グリフィンの側面へ回り込んだ。
雹はなおも降り続けている。
マールが突進したので、イサキオスもスピードを合わせて前進した。
走りながら、イサキオスはグリフィンを観察した。
このモンスターは、翼をうまく使って巨体をコントロールしている。風を前に煽るから、咄嗟のときは後ろに飛び退くかもしれない。
つまりイサキオスは、ハルバードの槍で前に突き込むのではなく、後退されてもいいように斧かハンマーで横に薙いだほうがいいということだ。
グリップを変えて斧を使うことにした。
敵は目前。グリフィンも気が付いて翼を広げた。イサキオスの予想通り、後ろへの跳躍。遠心力で斧を振った。その刃が、羽ばたいた翼の一部へ炸裂した。
かと思うと、イサキオスは正面からの攻撃でぶっ飛ばされた。マールの斧が地面に炸裂し、その衝撃波をもろに食らったのだ。
「はぶっ」
乾いた地面をかなり転がされた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫だ!」
人に観察しろとか言っておきながら、マールは考えもなしに正面へ攻撃を叩き込んできた。文句のひとつでも言ってやりたかったが、それは戦いのあとでもできる。
イサキオスは立ち上がり、グリフィンを追った。
翼を切られたのが気になるらしく、怪鳥は奇妙なダンスを踊っていた。
「隊長! もう一回だ!」
「おうよ!」
それぞれの位置からまた仕掛けた。
敵の動きをよく見ながら、歩調を合わせ、武器を強く握る。
ファラも雹で援護を続けた。
接敵するや、イサキオスは腰を使って斧をぶん回した。グリフィンは地面を蹴って後退。すると今度は、翼ではなく、前足に刃が食い込んだ。しかもキレイに切断。
かと思うと、また正面からの衝撃波でぶっ飛ばされた。
「わぷっ」
「大丈夫か!?」
「……」
大丈夫だが、返事をしたくなかった。
このイノシシ、賢いのだかバカなのかよく分からない。
「隊長、敵は後ろにさがるクセがあるようだ。横に攻撃するといい」
「分かった。次からそうしよう」
だが怪鳥は、足の負傷でのたうっていた。しかも飛ぶことさえ難しいらしく、少し飛び上がっては着地し、その動作を何度も繰り返した。
もはやいままでのような回避行動は不可能であろう。
マールがぶんと斧を素振りした。
「よし、もう一回だ」
「今度こそ決めてやるよ」
イサキオスもハルバードを構えた。
グリフィンは完全に錯乱している。だから正面から仕掛けて、槍で喉を突いてやるのだ。きっとトドメを刺せる。
マールが走り出したのを見て、イサキオスも突進を開始した。
すでに雹はやんでいる。もはや必要ないと判断したのだろう。
敵は隙だらけだ。
イサキオスは狙いをすまし、グリフィンの喉元へ槍を突き出した。が、避けられたわけでもないのに、少しズレた。斧の刃がない部分がひっかかり、怪鳥が「グゲーッ!」と奇妙な声を出した。
そこへマールの斧が炸裂。アバラを折りながら胴体を深々と切りつけ、力任せに振り抜いた。
肺をやられた怪鳥は、もはやまともな鳴き声さえ出せなくなっていた。
イサキオスも気を取り直し、トドメの一撃。今度こそ喉に当て、後頭部まで貫通させた。
グリフィンはビクビクと痙攣し、やがて絶命した。
*
まだ空は明るかったが、食事のために腰を落ち着けた。
火をおこし、グリフィンの肉をよくあぶる。
「ううむ、意外と筋っぽいな。これならサソリのほうがマシだった」
マールはお気に召さないようだったが、ダメージを負ったイサキオスは一心不乱に食った。失った血液を補給するには、肉を食うに限る。
ファラは顔をしかめている。
「ちょっと獣臭いわ」
魔女が口にするのは小動物だ。あまりクセのない虫やトカゲに比べれば、グリフィンはたしかに獣のにおいがキツかった。
ガニメデはまだ気絶している。
慌てて食っていたイサキオスがむせると、マールは苦い笑みを浮かべた。
「おいおい、大丈夫か? あんまり食いすぎるなよ。気持ち悪くなるからな」
「大丈夫だよ」
「旅ってのはバランスなんだ。食えるときに食うのは鉄則だが、この量はさすがに多すぎる」
「分かってる」
もちろん分かっていない。
旅が再開されると、マールの指摘通り、イサキオスは体調を崩した。食いすぎたせいで水が欲しくなり、水をがぶ飲みした結果、腹がゆるくなったのだ。
「クソ、なぜこんなことに……」
「だから言っただろ」
イサキオスはずっと腹をさすっている。
マールは右肩に樽の天秤、左肩に気絶したガニメデを担いでいた。戦斧はファラが持っている。
「この斧、捨ててもいいかしら? 重たすぎるわ」
「そう言うなら樽かトカゲと交換してくれ。俺の肩はふたつしかねぇんだ」
「あーもー。悪かったわよ」
樽はふたつで100キログラム以上ある。ガニメデの体重は約50キロ。それに比べて斧は5キロもない。
数日ほど歩くと、ようやく街が見えてきた。
まだ乾燥地帯ではあるが、川から水を引き込んでいるらしく、街には緑があふれていた。住んでいるのは二足歩行の兎たちだ。
「おや、南から客人だね。オークに、人間に、竜人族の貴族さまと来た」
「こんにちは、旅の人」
かなりフレンドリーだ。
なぜかみんなニンジンを手にしている。常に齧っているらしい。
しかもガニメデが尋ねる前に、彼らのほうからこう言ってきた。
「ねえ、貴族さま。ちょっと来てくださいよ。転移装置の調子がおかしいんですよ」
「ぐぬぬ……」
ここもアウト。
つまり街の装置に問題があるのではなく、あきらかに王都の装置が機能していないのだ。
「え、どうしました? 俺、なんか変なこと聞きました?」
「いえ結構。どうやら王都の装置に問題が起きているらしいのですよ。復旧するまでしばしお待ちなさい」
「あ、そうなんだ。分かりましたぁ」
兎は行ってしまった。
かと思うと別の兎が来た。
「まぁ、貴族さま! 遠いところをようこそいらっしゃいました! わたくし、ここの市長をしておるものです! ここへは観光に? それともなにかお仕事で? なにかお手伝いできることはございませんか?」
中年の女性だ。彼女も会話の隙にちょこちょこニンジンを齧っている。
ガニメデは溜め息をついた。
「宿を用意してください。水と食料もいただけると助かりますな。王都へ戻ったら、皆さんの貢献を魔王さまへお伝えします」
「まぁ、なんと光栄な! ささ、こちらへ! わたくしめの家へご案内いたします」
ここらの家々は木造建築であった。大部分は畑となっており、どこへも豊富に水が流れ込んでいた。
荒んだ猫たちの生活様式とは大きく異なっていた。
こうなってくると、今度こそ人界と変わりがない。イサキオスにもなじみのある田園風景だ。
ただし案内された家はややサイズが小さく、マールなどはずっと身をかがめていないといけなかった。斧もハルバードも入らない。
イサキオスから見ても天井が近いから、かなりの圧迫感があった。
もちろん小さすぎて椅子にも座れない。
「あらぁ、そちらのイノシシさんはちょっと窮屈そうねぇ! でも大丈夫よ! ちゃんと入ったんだから!」
市長は適当なことを言い放ち、ひとりでオホホと笑った。
マールが少し暴れたら家ごと壊れてしまいそうだ。
小さな子供が怯えている。
「ママ、この人たち誰……?」
「お客さまよ。狭いから、あなたたちは上へ行ってなさい。ね?」
「うん」
あまりにもいづらい。
「あ、ぜひここの特産品召し上がってくださいね。ニンジン。いっぱいありますからね。ほら。ね?」
棚からニンジンを取り出し、大皿にそのまま積み上げた。好きに食べてくれということらしい。
みんな面食らったようで、イサキオスしか手を付けない。
「遠慮なくもらうぜ」
シャリッと歯ごたえのあるニンジンだ。採れたてらしく、かなり瑞々しい。クセもない。噛んでいると甘味がある。
誰も手を付けないので、イサキオスは二本目を食った。
市長はしばらく台所をうろうろしてからテーブルへ戻ってきた。
「それで、貴族さま、こちらへはいつまでご滞在を? この村でよろしければ、百年でも二百年でもいてくあさってかまいませんよ? あら、でもそんなに経ったらみんな死んでしまいますわね! オホホ!」
兎族にとっては面白いジョークなのかもしれない。
が、急いでいるガニメデにとっては、まったくシャレになっていなかった。
「市長、あなたのもてなしには感謝します。しかし私たちは少々急いでおりましてね。明日にでも出発しようかと」
「あらそうですの? 残念ですわね。でも、またいつでもいらしてくださいね。この町はどなたでも大歓迎ですの。オホホ!」
「……」
ガニメデは困惑したように眼球を動かしまくっている。
魔界には、じつにさまざまな住人がいる。
イサキオスは三本目のニンジンを齧りながら、そんなことを思った。
(つづく)




