事情
同刻、魔女の里――。
昼だというのに薄暗い、鬱蒼とした森の中。少しひらけた場所に、簡素な小屋が並んでいた。
どの煙突からも灰色の煙があがっている。
ここは人を受け付けていない。
道には結界があり、来訪者は魔女が許可するまで声をあげ続けなければならない。無視されることもある。ごく閉鎖的な集落だ。
広場というには狭い場所に、石が六つ置かれていた。そこへ黒のローブをまとった老婆が集まり、テンションの低い雑談をしていた。
「虚無婆さんとこの若いのが、魔界で迷子になったらしいね」
「ははぁ。たしか小屋をぶっ飛ばしとったガキじゃろ? あたしゃね、いつかやると思っとったよ」
「無暗に弟子を取るからだよ。いまさら魔女なんか増やしたって、誰のためにもなりゃしないってのに」
「虚無婆さんの考えはよく分からんぞな」
「ふぇふぇふぇ」
人の悪口を言う以外、ここには娯楽がない。
しかし言われたほうもいちいち気にしない。そういう集落だ。
その虚無婆さんの自宅は、まだ半壊したまま、かろうじて屋根がふさがれている状態だった。
中では「ばばさま」とレミとシドが、遅めのランチをとっていた。
「ばばさま、食欲ないの? ちゃんと食べないとダメだよ」
食事用のテーブルと石竈があるだけの、質素な家だ。
皿にはまるまる太った山ネズミが寝転んでいる。もちろん調理済みだ。レミの火力で必要以上に焼いてある。
そのレミからの苦情に、老婆は顔をしかめた。
「歳を取るとね、あんまり食べなくなるもんだよ」
「ダメだよ。ばばさま、最近あんまり食べてないもん。体によくないよ?」
「だったらもう少し丁寧に焼いておくれよ」
「それは謝るから……」
レミがしゅんとすると、椅子で足をバタバタさせていたシドが満面の笑みを浮かべた。
「じゃ、次はボクがお料理するね」
「やらなくていい。あたしが作るから。あんたらは勉強でもしてな」
「でもボク、もう勉強することないし……」
「生意気なことを言うんじゃないよ、シド。あんたは魔法のコントロールだけは立派だが、薬草の知識がサッパリだろ。あたしらはただの魔法使いじゃないんだ。魔女なら魔女らしくおしよ」
「えーっ」
足のバタバタが激しくなった。
人には得手不得手がある。
魔女は口をへの字にして溜め息をついた。
「まったく、どいつもこいつも身勝手だね。才能だけで魔女になれたら誰だって苦労しないよ」
ファラが魔界へ行ったことは彼女も把握している。
だが、魔界のどこかまでは分からなかった。だから監視もできないし、追いかけることもできない。
そのことはレミもシドも気にしてはいるのだが、師匠の機嫌を損ねるのが分かっているからあえて質問しなかった。
食事が終わると、老婆は小屋を出てしまった。
残されたのはレミとシドだけ。ふたり並んで食器を洗ってから、またテーブルに戻った。
「ねえ、シド。あんた魔法得意なんだからさ、ファラの場所分からないの?」
「ムリだよ……。ばばさまでも分からないのに……」
「はぁ? あんた、ばばさまにないモノついてるんだから、なんとかできるでしょ?」
「それ言わないでよぅ……」
泣きそうになってしまった。
あまりいじめるとまた小屋が吹き飛ぶ。
レミは溜め息をつき、ふたつに結んだ金髪の毛先を指でもてあそんだ。
「やっぱりあたし、護衛やめるべきじゃなかった」
「……」
シドは返事さえせず、代わりに抗議じみた目をするばかりだ。
「なによ。なんか言いなさいよ」
「レミは勝手だよ。イサキオスさんなにも悪くないのに、ひとりで怒っちゃって……」
「うるさい。あたしだって分かってるんだから。ただ、なんか納得いかなくて。なんであんな女のこと、あんなに……」
「魅了の魔法のせいなんでしょ?」
「そんなのウソよ。もしホントだったとして、もうとっくに切れてる。魔力の気配も感じなかったんだから。だから、むかし好きになったまま、その勘違いがずっと続いてるだけなの。あいつ、そんなことも分からないんだから……。思い出したらまたムカついてきたわ!」
「もー」
この件に関してはレミも強情だった。
どうしても受け入れられないのだ。
リリスは、魔法でズルして相手を好きにさせておいて、せっかく追いかけてきたのに槍で刺して、普通なら憎悪の対象となるべき女だった。なのにイサキオスは考えを改めない。
「シド、魅了の魔法ってどうやるか知ってる?」
「知らないよ……。なにに使うつもりなの?」
「別に。誰でもあたしのこと好きになるのか、ちょっと実験したいだけ」
「そんなことして好きになってもらっても、お互いのためにならないと思うよ……」
シドは弟子の中では最年少なのに、しばしばもっともらしいことを言う。
苦労人なのだ。
レミは、そんなシドの頭を乱暴になでまわした。
「あんたってかわいいわよね。ムカつくくらいに」
「やめてよぅ……」
「でもあんたの言う通りよ。魔法で心を操るなんて、クズのすることだもん。それに、あたしだってじゅうぶんかわいいんだから、好きにならないほうがおかしいわ」
「できれば性格もかわいくなってね……」
「その一言は余計よ」
*
翌日、イサキオスたちは魔界の荒野を進んでいた。
砂漠ほどではないにせよ、かなり乾く。遠方には蜃気楼。
ガニメデはずいぶん静かになった。もし王都が滅んでいれば、彼の肩書も意味を失う。だからなかばただのトカゲになっていた。
代わりに喋るようになったのはファラだ。
「ねえ、イサキオス。王都についたらどうしたい?」
歩き疲れているようで、少し元気がなかったが、それでも挑発するような態度だ。きっと暇つぶしにからかっているのだろう。
イサキオスはあえて乗ってやることにした。
「リリスを探す」
「会えたらなにを話すの?」
「俺たちの結婚式をいつどこで挙げるのか、だな」
「気持ち悪いわね」
そんなことは分かっている。
それに、もし近づけたところで、また攻撃を受けるだけだ。彼女の攻撃を回避できないようでは、求婚さえままならない。
すると樽を担いでいるマールが会話に加わってきた。
「そういうお嬢ちゃんは、王都でなにをする気だ?」
理由はシンプルだ。もちろんリリスが進軍した理由を探りに来た。
なのだが、ファラは一瞬、なぜか不快そうに目を細めた。
「だから……。リリスのしたことを問いただすのよ」
「人界に進軍したんだったか。だが本当なのか? もしそんなことをしたら、神が黙ってないだろう」
「神がなにを考えてるかなんて、私の知ったことじゃない」
つんとそっぽを向いてしまった。
なにが彼女の怒りに触れたのかは分からない。
代わりにイサキオスが応じた。
「どうにも動きの読めない連中でな。俺が神殿を攻撃したときも、まったく無反応だったしな」
マールはぎょっとした顔になった。
「攻撃した? 神殿を? なぜ?」
「言わなかったか? 俺たちは神と戦ってるんだ」
「おいおい、そいつはずいぶんと……」
「あいつらに村を襲われた。その復讐だ」
「村を……」
あまり理解できていないようだ。
無理もない。基本的に、神は人界へ介入しない。自分たちの神殿を破壊されても反撃しないような連中だ。
だからこれは、イサキオスにも理解のできない話だった。
神を動かしたリリスには、きっとなにか特別な秘密がある。その秘密を暴かない限りは、すべてを理解することができない。
無気力な目のトカゲが、チロチロと舌を出した。
「人界も大変なようですがね、こちらはもっと大変なのですよ。王都で問題が起きているかもしれないのですから……」
こうしていると、フリルのついた派手な衣服さえ、演劇用の偽物に見えてくる。明らかに荒野を行く格好ではない。
イサキオスもさすがに気の毒に思えてきた。
「元気出せよ。全部あんたの想像だろ? たまたま装置が故障してるだけかもしれない」
「はぁ、じつに羨ましいことですな。私もあなたのようになにも考えずに生きてみたいものです」
「この野郎……」
あまり深く考えていないことは認めてもいい。しかしイサキオスだってなにも考えていないわけではない。自分の計画が無謀であることは自覚しているし、巻き込んでしまった人間には申し訳ないとも感じている。だからこそ、最低限の配慮はしたいと思っているのだ。
ただし、レミには配慮できなかった。
イサキオスは思ったのだ。自分が神に憎悪を抱いたように、レミも過去に魔族との因縁があったかもしれない、と。だからきっと魔族であるリリスを許せないのだ。気づいてやるべきだった。
イサキオスはトカゲとの会話を切り上げ、ファラに話を振った。
「なあ、もし生きて帰れたら……。俺の代わりに、レミに謝っといてくれないか」
ファラは凍てついた瞳を向けてきた。
「謝る? なにを?」
「俺が魔族と仲良くしたがってること。あいつ、魔族が嫌いみたいだから。そのせいで怒らせちまって……」
するとファラは、フフフと愉快そうに笑った。
「ええ、安心して。伝えておくわ。きっとレミも許してくれると思う。あの子、とても純粋だから」
「そうか。悪いな」
「いいえ」
ファラは、その後もずっと肩を震わせてひとりで笑っていた。
イサキオスは、しかしジョークを言ったつもりはない。彼としてはかなり真剣に相談した。真剣すぎて笑われたのかもしれない。
ふと、トカゲが足を止めた。
「あ、あ、あ……」
眼球をグルグル動かしている。いろいろ考えすぎて頭がどうにかなったのであろうか。
マールがブルルと鼻を鳴らした。
「どうした? 雨でも降るのか?」
「あ、あ、あ……」
「あ?」
「あーっ! あーっ! あーっ!」
ある方向を指さして、激しくなにかを訴えている。
イサキオスもその方向を注視した。
遠方に蜃気楼がある。そしてヒビ割れた大地と、散在する草木。ほかにはなにもない。
ふと、魔力が満ちた。
巨大なシールドが展開したかと思うと、そこへ巨大な獣が衝突した。イサキオスが見たのは、鋭い鉤爪だった。
かと思うと、大気を切り裂くような怪鳥の絶叫。
ワシの上半身を持ち、ライオンの下半身を持った怪物、グリフィンだ。
そいつは障壁に弾かれて飛びのき、翼を使ってふわりと着地した。
あきらかにイサキオスたちを狙っている。
マールはやれやれとばかりに樽をおろすと、立ったまま気絶しているガニメデをその場に座らせた。
「お嬢ちゃん、こいつが食われねぇよう守ってやってくれ」
「ファラよ」
「頼んだぜ、ファラ」
「ええ」
彼女ならきっと守るだけでなく、魔法での援護もしてくれるだろう。後衛としては最適だ。
イサキオスもハルバードを構えた。
「作戦はあるのかい、隊長さんよ」
「悪いがなにも思いつかん。こんなのに出くわしたのは初めてだしな。だがまあ……俺たちならなんとかなるだろう」
「もちろんだ。なんとかする」
グリフィンは初めてでも、デカいヤツを相手にするのは初めてじゃない。そのためのハルバードだ。
イサキオスのモットーは「攻撃していればそのうち死ぬ」だ。始まればどちらかが死体になる。いつものことだ。今回もそうなる。
(つづく)




