森の死
もう口論している余裕はない。
鎧の巨人はすぐそこにいる。じっと棍棒を構えているその姿は、ちょっとした要塞のようだ。
男は溜め息をつき、小声でこう伝えた。
「先に俺が仕掛ける。お前はその隙をついて魔法でなんとかしてくれ」
「任せて」
実際、ハルバードでどうにかできる敵ではない。しかも腕が一本どこかへ行ったままだから、あまり力も込められない。囮になるしかないのだ。トドメは見習い魔女に任せるしかない。
男たちの周囲には、濃い緑の影が落ちている。その木々の隙間からは、輝くような青空が覗けている。もしピクニックに出かけるなら、最高の条件であろう。
しかしこれは闘争だ。守護神を撃ち滅ぼし、神々の住まう塔へ攻め込まねばならない。血なまぐさい復讐の、その緒戦である。
男は呼吸を整え、歯を食いしばり、大地を蹴って駆け出した。
ガサガサと音がした。気づいた守護神がゆっくりと向きを変える。頭部のバイザーが開き、光が満ちる。
男が身を伏せると、頭上を光線が通過した。そして急降下してくる棍棒を、横ざまへ回避。ドッと大袈裟なくらい土砂が舞い上がる。男は側方へ回り込み、巨人を翻弄した。
隙は作った。
あとは魔女の手並みを拝見するばかり。
ごうと音がして、猛烈な炎が守護神の上体を包み込んだ。
レミの放った魔法だ。せっかく持ち込んだ杖からではなく、手から炎を放っている。
尋常でない火力だ。これが下級の魔物であれば、一瞬で灰に変えていたことだろう。
巨人はしかしうろたえることもなく冷静に向きを変え、レミを正面に見据えた。このままでは光線による反撃が来る。男は自分へ注意を引き付けようと、とにかくハルバードを突き込んだ。ガンと金属の衝突する手ごたえ。巨人は振り向かない。
守護神の頭部には魔力が高まっている。
カッと閃光が起きるのと、巨人がよろめくのは、ほぼ同時だった。
なにかに引きずられるようにして、守護神の兜が天を仰いだのだ。巨人を絡めとったのは植物の根であった。神聖な森の木々が、守護神に絡みついて動きを阻害していた。
土中から老婆が姿を現した。
「アマいねぇ、レミ。この鎧に炎なんか効きやしないよ」
「ばばさま!」
レミも目を丸くしている。
まさか手を貸してくれるとは思わなかったのだろう。男も同感だった。
「婆さん、なにか手はねぇのか?」
悠長に会話をしている時間はあった。なにせ太い根がギチギチと音を立てて甲冑を拘束している。身動きが取れないのだ。
老婆はふんと鼻で笑った。
「この魔法生物はね、魔石を叩かなきゃダメさ」
「魔石?」
「鎧の中にある結晶さ。そいつを打ち砕かない限りは、いつまで経っても倒せやしないよ」
「どうすれば壊せる?」
「それは自分で考えな」
「なんだと……」
「動きを止めてやっただけありがたく思いなよ」
「……」
老婆の言う通りだ。
男は会話を切り上げ、遠心力でハルバードを鎧へ振り下ろした。ガァンと金属の鈍い音。衝撃が骨までビリビリ伝わってきた。なのに鎧はヘコみもしない。これはよじのぼって鎧を剥がさないとダメかもしれない。片腕では厳しい。
男が思案していると、老婆はレミへ語り掛けた。
「レミ、なにぼうっとしてるんだい。この男を手伝いな」
「どうやって? あたし、火の魔法しか使えないよ……」
「なにを言ってるんだ。いろいろ教えてやっただろ」
「教えてもらってない! あたし、いつも風呂焚きばっかりで……」
「言い訳は聞きたくないよ。魔術書にはきちんと全部書いてあっただろう。そんなことさえできないから、お前は見習いのままなんだよ」
「ばばさま、ひどい!」
レベルの低い口論が始まってしまった。
男は構わずハルバードを置き、根をつかんで鎧をよじのぼり始めた。胴体へ近づくと、かすかにキィーンと高い音がした。魔石とやらはそこにあるのだろう。腰のナイフを抜き、鎧の隙間にぐいぐいとねじ込んだ。が、どれだけナイフを動かしても、硬い鎧は剥がれそうになかった。
老婆が溜め息をついた。
「ほら、どうするんだい? あんたがそこでぼうっとしてたら、あの男はそのうち寿命で死んじまうよ」
つまりこの方法では、男が老人になっても鎧は剥がれないということだ。遠回しにバカにされている。
レミはふくれっ面だ。
「どうすればいいか分からないもん」
「はぁ、あんたはどこまでダメダメなんだい。見れば分かるだろう。木の根っこを使って鎧を絞り上げるんだよ」
「どうやって?」
「杖さ。いいかい。昔から言ってる通り、あたしらの魔法は、自然との調和から生まれるんだ。火の力に頼ることはないんだよ」
「でもお風呂が……」
「風呂のことは忘れな。杖を使うんだ。ほら、構えて」
「ばばさまが先にお手本見せてよ」
「ワガママ言うと破門だよ。ほら、構えて」
「はぁい……」
手のかかる弟子もいたものだ。
しかし先ほどの火力は、なかなかのものであった。うまく使いこなせていないだけで、秘めた魔力は高いのであろう。訓練すれば、そのうちいっぱしの魔法使いになるかもしれない。
そのうち……。できれば自分が死ぬ前にそうなって欲しいと、男は思った。
すると根が軋みをあげ、鎧を締め上げだした。かと思うと、バァンと装甲の一部が弾けた。内部は空洞だが、魔力に満ちていた。鎧がさらに歪むと、菱形をした魔石がちらと見えた。
地面に置いたハルバードが、ふっと浮き上がって男の手元へ来た。
「使いな」
老婆だ。さすがにコントロールがいい。
男はうなずいてハルバードをつかんだ。魔石が出てきたら全力でぶっ叩いて砕く。それで勝てる。
根はさらに鎧を締め上げた。あまりに強大な力がかかったせいか、子供にわしづかみにされた人形のように、守護神は奇妙な格好になった。
やがて歪みきった胴体から、魔石が露出した。
男は短めにハルバードを持ち、戦鎚を叩き込んだ。キィーンと甲高い音がして、手にも衝撃が来た。ハンマーで岩を叩いているような衝撃だ。それでもなお叩く。叩いて叩いて叩きまくる。
ふと、守護神の足が根に切断され、どこかへぶっ飛んでいった。おかげで全身が傾き、男は転げ落ちそうになった。
これには老婆も渋い顔だ。
「レミ、もうやめな。十分だ」
「いいの?」
「あんたの目的は、鎧を締め上げて隙間をつくることだよ。その目的を終えたら止めていい。ひとつのことに集中しすぎるのはあんたの悪い癖だ」
「なにそれ! せっかくうまくやったんだから少しは褒めてよ!」
「やれやれ……」
老婆も弟子の育成には苦労しているらしい。
男は手首の砕けそうになる痛みに耐えながら、ひたすら魔石へ打撃を繰り返した。やがてピキリとひびが入り、次の打撃で完全に砕け散った。
途端、魔法の力でつながっていた鎧はバラバラとなり、地面へと転げ落ちた。
終わった。
加護の消失は、誰の目にも明らかだった。
白亜の神殿が砂のように崩れ去り、青々とした清浄な木々は急速に枯れていった。
森が死んだ。
残されたのは、木の根に絡まれた冷たい鎧のみ。
男は大地に着地し、ほっと息を吐いた。
「助かったよ。礼を言う」
しかして老婆は眉をひそめたままだ。
「ああ、まったくさ。客と弟子を同時に失うところだったよ」
彼女にとっては、なにも得るもののない無償労働であったことだろう。
だが、レミは満足げだ。
「ま、これであたしの実力は分かってもらえたんじゃない? 大魔法使いとして天下に名をはせる日も近いわね」
男は老婆へ目を向けた。
「ところで相談なんだが、できれば別の……」
だが老婆の反応は早かった。
「お断りだよ! ほかに出せるのがいないんだ。いや、返事だけは素直なのがいるが……あんたの手に負えるような娘じゃない。レミで我慢おし」
これにレミが眉をひそめた。
「我慢? どういうこと? あたし、完璧だったじゃない! なにが不満なの?」
「とにかく、ふたりでうまくやりな。契約は済んでるんだから、交渉には応じないよ。それと、火を起こすのは風呂のときだけにすること。あんたの魔法は危なっかしいからね」
「ひどい!」
しかしレミの抗議を無視し、老婆は土くれとなって消え去った。
周囲の景色は、清々しい初夏からいきなり冬になったような、荒涼としたものになってしまった。ふたりで立っていても寂しいだけだ。
男は溜め息をついた。
「で、なんでお前は消えないんだ? 婆さんと一緒に帰らないのか?」
「言ったでしょ? あんたの護衛するって」
「それは戦いのときだけでいい。今日は野宿だ。帰ったほうがいい」
だがレミは、むっとむくれてこう応じた。
「終わるまで帰れないの! どうしても帰れって言うなら魔法陣書きなさいよ! そしたら帰ってやるから!」
「無茶言うな」
あまり金がない。この先、宿をとるにしても、レミのぶんまで払ってやる余裕がなかった。
レミはすると目を細め、男を見下すような態度を見せた。
「もしかしてあんた、あたしが怖いの?」
「は?」
「そうよね。一流の魔女だもの。人間が恐れを抱くのも仕方ないわ。けど安心なさい。あんたのことは傷つけないであげるから。あたしを怒らせない限りはね」
「ま、ブーブー文句言わねぇならなんでもいいさ」
「なにを偉そうに」
ともかく野宿だ。腕がもげたまま街に帰るわけにはいかない。いったん失ったはずの腕が生えてきたら、周囲から怪しいやつだと思われる。これから神々と戦わねばならないのに、人間にまで疎まれたら面倒だ。
「ちょっと薪拾ってくる」
まだ日は高いが、明るいうちに準備しておかないと大変なことになる。
レミは急に不安そうな顔になった。
「え、待って。なんで勝手に行くの? あたしも行くから」
どうもひとりで待つことができないらしい。
男は本日何度目かの溜め息をつき、そのまま枯れ木の森へ足を踏み入れた。ハルバードで枝を落とせば、薪はいくらでも手に入るだろう。あとは食料さえ確保できれば、なんとか生き延びることができる。
(続く)




