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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
赤い砂編
27/35

さらば人界

 玄関に入った瞬間から、しんと静まり返っているのが分かった。

 ヤンは家具もないリビングに寝かされていた。ビール瓶がひとつ添えられている。

 大袈裟な葬儀もできなかったのであろう。

「寝てるだけ……じゃないのか……?」

 イサキオスの問いに、ヤスミーンは無言で首を振った。

 たしかにヤンは動いていない。青白い顔で、自慢の赤鼻さえも黒ずんでしまい、空気の抜けたようにしぼんで見えた。

「死因は?」

「ずっと病気で……痛みをごまかすためにお酒を……」

 ヤスミーンはそこで我慢しきれなくなり、しゃくりあげた。

 ただの酒好きではなかったということだ。

 イサキオスはなにも言えなかった。たった一度、味方として戦い、次は敵として戦った。長い付き合いとは言えない。

 なのだが、多くを学んだ気がする。

 人懐こくて、いい加減な性格で、しかし戦場での判断はズバ抜けていた。

「どこへ葬るんだ?」

「所定の共同墓地に……」

「そうか」

 イサキオスは膝を折り、胸へ手を当てた。

 祈りのほかに捧げられるものがなかった。


 しばしの黙祷ののち立ち上がり、涙を拭っているヤスミーンに尋ねた。

「これからどうするんだ?」

「この家を売って、街を出ます」

「その先は? もしアテがないようなら、修道院に来ないか?」

 ヤスミーンはジョークでも言われたと思ったのか、少し戸惑ったような笑みを浮かべた。

「私が出家を?」

「いや、修道院というか救貧院というか……。俺も住んでるんだ」

「そうですか。ありがとうございます。もしほかにアテが見つからなかったときは、ご厄介になります」


 *


 ヤスミーンと別れたイサキオスは、なんとも言えない気持ちで街を出た。

 ヤンはあまり近所とも交流がなかったらしく、別れの挨拶に来る客人もいないようだった。だからヤスミーンは不憫な気持ちになって、街で見かけたイサキオスを追って酒場まで来たのだろう。

 遺品はなかった。


 まだ日は高い。

 麦はすでに収穫されているから、吹き付けてくる風もあまりに寒々しい。

 短い秋になりそうだ。


 アラクネとエイミーはいつものように地下で作業でもしているのだろう。礼拝堂にはファラだけがいた。彼女は最前列のベンチの壁際へ腰をおろし、シンボルである「塔」を見つめていた。

「イサキオス……」

 足を踏み入れるや、彼女は振り向きもせずつぶやいた。

「魔女も礼拝するのか?」

「いいえ」

 なにか話があるふうだったので、イサキオスも少し距離をとって腰をおろした。

「レミはまだ怒ってるのか?」

「ええ。けれども気にすることはないわ。彼女、子供なのよ。感情のコントロールができていない」

「年の離れたあんたから見りゃ、まだガキだろうぜ」

「あら、私の歳が気になる? たしかに私は、見習いをするにはあまり若くないわ」

「あの婆さんは誰でも弟子にするのか?」

 例の「ばばさま」は、なんだかんだ言って人を見捨てておけないタイプだ。入門者は全員受け入れているのかもしれない。

 ファラは口元を抑えてかすかに笑った。

「誰でも、ではないわね。受け入れるのは、身寄りのない子だけ」

「ふん。立派な魔女もいたもんだ」


 イサキオスの故郷でも、魔女が身寄りのない子供たちを集めていた。

 彼女たちに言わせれば、それが「よきこと」だからだ。

 イサキオスには両親の記憶がほとんどない。

 話では、敵軍の略奪から逃れようとした両親が、このままでは子供を守り切れないと判断し、魔女の村へ「預けた」のだそうだ。事実かどうかは分からない。その後どうなったのかも不明。

 村で育った子供たちは、働ける年齢になると外へ出される。しかし女子だけは、希望すれば残ることもできた。ただし残る場合、魔女としての修行を受ける。


 イサキオスは、かつてリリスに尋ねたことがある。

「君も魔女になるの?」

 すると彼女は、やや困惑した表情でこう応じた。

「なれないわ」

 ならない、ではなく、なれない、だった。

 素養はあった。

 しかし魔族だから、村に残ることができないと判断したのだろう。


 イサキオスはファラの横顔を見た。

 じつに整った容貌をしている。作り物のようだ。

「もし俺が塔を攻撃すると言ったら、あんたどうするんだ? ついてくるのか?」

 彼女はこれに微笑で応じた。

「もちろんよ。神を殺すことには興味があるわ」

「前向きだな。なにか理由でもあるのか?」

「単に好きになれないだけよ。大地の中心にあんな塔を建てて、人間を見下ろしてる」

 それだけではないとイサキオスは感じたが、重ねて問うことはしなかった。

 沈黙していると、ファラは言葉を続けた。

「でも戦いの前に、ちょっと寄りたいところがあるの」

「いいぜ。すぐに始めるつもりはないから、好きに行動してくれ」

「違うわ。あなたも一緒に来るの」

 凍てついた瞳だ。

 温度が感じられない。

「あんまり遠くには行きたくないんだが」

「遠いとも言えるし、近いとも言えるわね」

「ややこしい話は得意じゃない」

「魔界よ」

 呼吸が止まりそうになった。

 魔界――。

 魔族の支配する領域だ。リリスもいる。

「行けるのか? いや、なにしに行くんだ?」

 ファラは妖しくほほえんだ。

「リリスが本当のことを喋ってくれないから、親から聞き出そうと思って」

「その親が事情を把握してないから、代わりに俺が聞きに行ったんだがな」

「なにかヒントくらいはつかんでいるはず」

「それで魔界へ? 俺たちが行っても平気なのか?」

「いいえ。けれども、魔族ごときを蹴散らせないようでは、神々に勝てるわけがないわ」

 もちろんそうだ。

 そうなのだが、これはそういう話ではない。

「俺には時間がないんだ」

「魂を回復できるとしても?」

「回復? できるのか?」

 ウソみたいな話だ。

 だが、これまでもずっとウソみたいな話だった。魔女の仕事というのは、そもそもそういうものだ。

 ファラはフフフとかすかに声を漏らした。

「死者の魂って、だいたいは魔界か神界へ行きつくものなの。エイミーみたいな例外を除いてはね。だから魔界へ行けば、魂を収穫できると思うわ。もちろん鮮度は落ちてるから、たくさん集めないといけないけれど」


 これは甘言だ。

 魔女の誘いに乗れば、破滅に身を投じることになる。

 だが魔界にはリリスがいる。

 また顔が見たい。会って話がしたい。今度はもう少しうまくやれる。

 それがイサキオスの本音だった。

 微塵も懲りていない。


「分かった。だがあくまで情報収集が目的だ。魔王軍とは戦わない」

「もちろんよ。私はレミみたいにおバカさんじゃないもの」

 魔王軍と戦う理由はない。メリットもない。あるのは命を落とす危険だけ。それはファラにとっても同じはず。

「で、どう行くんだ? 空飛ぶ馬車でも使うのか?」

 この質問に、ファラは駄犬でも眺めるような笑みを見せた。

「面白いことを言うのね、イサキオス。空飛ぶ馬車に乗りたかった? でも残念。移動手段は、いつも通りの魔法陣よ」

「そうかよ」

 バカにされたのはさすがに理解した。


 *


 ファラの描いた魔法陣を抜けると、おそろしいほどあっけなく魔界へ到達できた。

 うごめくような群青の空、虚無のような白い太陽、そして目にも鮮やかな赤い砂漠。

 イサキオスがこれまで見てきたどの景色とも違った。

 空気にも魔力が混じっている。ときおり吹き抜ける風は鋭い。


「で、魔王ってのはどこにいるんだ?」

 いくら見渡せど、周囲にはなにも見当たらなかった。

 砂から突き出した巨岩、あるいは枯れて黒くなった樹木、かろうじて生き延びている雑草、ヒビ割れた動物の骨。そういうものしかない。

 ファラは微笑を浮かべているものの、しきりに周囲をキョロキョロしている。

「予定の場所よりも、少し離れた場所へ転移してしまったようね」

「少し? ここで干からびて死ぬ前に、もとの場所へ戻れるんだろうな?」

「そう願うわ」

 表情には出ていないが、かなり焦っているのが分かる。

 イサキオスは疑惑を先送りせず、ここでハッキリさせておくことにした。

「いますぐ戻りたいって言ったら、魔法陣を用意してくれるんだよな?」

「……」

「どうした? なんか言えよ」

 ファラの答えはこうだ。

「周囲の魔力が濃すぎて、少し難しいわ」

「は?」

「大丈夫。もう少し薄い場所を見つければ、なんとかなるから。ほら、怒ってないで行きましょ?」

「……」

 ファラは試験に合格した魔女だ。が、それだけだ。まだ一歩目を踏み出したばかりであり、一人前ではない。おそらくは戦闘だけが飛びぬけて得意なだけの新人なのだ。

 イサキオスはゴクリと唾を飲み込んだ。

「分かった。いまは論争してる場合じゃないよな。行き先はあんたに任せるぜ」

 多少の荒事には対処できるが、しかし彼は不死身ではない。食料と水を確保できなければ、さすがに命を落とす。

「もし私が先に死んだら、体を好きに使っていいわ」

「そうはならねぇから安心してくれ」

 根拠はない。ないが、イサキオスは生き延びるつもりでいる。ここで仲間を死なせるつもりもない。情報収集が終わったら塔を攻撃するのだ。例外はない。


 だが、それから何時間も歩いたが、まったく景色が変わらなかった。

 無限とも思える砂漠。

 道しるべもない。

 持ち込んだ水筒はとっくに空だ。

 強烈な太陽のせいで目もチカチカしている。

「ここ、さっきも通らなかったか?」

「さあ」

 行けども行けども砂の大地だ。

 何度も足がもつれて転びそうになった。

「このままじゃ日焼けしちゃう……」

 ずっと余裕ぶっていたファラが弱気な声を出した。

 イサキオスは振り返るほど親切ではないが、なにげなく足を止めた。

「少し休むか……」

「ええ」


 岩陰で日差しから逃れ、ふたりは砂の上へ座り込んだ。

 ひんやりしている。

「なあ、魔法で水を作れないのか? 前にたくさん氷を出してただろ」

「ムリよ。この空間には水気すいきが存在しないもの」

「つまり俺たちもああなるってことか」

 イサキオスの視線の先には、巨大な頭蓋骨が転がっていた。どんな動物の遺骨かは分からない。原形さえ失われている。

 ファラが返事をしなかったので、イサキオスは砂をつかんだ。

「この赤い砂はなんだ?」

「さあ」

「なにも知らないんだな。魔界へはよく来るんじゃないのかよ?」

 するとファラは、か細い指で、うんざり気味に額の汗をぬぐった。

「ばばさまに何度か連れてきてもらっただけよ。ひとりで来たことはないわ」

「だろうと思ったぜ」

 しかし素直に白状したことは、イサキオスにとってはマイナス評価ではなかった。この期に及んでまだウソを重ねるようなら、今度も協力できるとは思えない。いまある能力だけでやり過ごさねばならないのだ。どんな能力があるのか互いに正しく把握しておかねばならない。

「いま使えそうな魔法は?」

「小石を飛ばすくらいなら」

 おそらくジョークのつもりだったのだろう。

 イサキオスはしかし真に受けた。

「あの頭蓋骨ならどうだ? 飛ばせそうか?」

「なにをさせる気? 遊んでる気分じゃないんだけど」

「派手になにかを打ち上げれば、誰かが気づくかもしれない」

 その誰かは、必ずしも好意的な人物とは限らない。

 なにせふたりは、魔界へ入り込んだ侵入者なのだ。どんな方法で排除されてもおかしくはない。


(つづく)

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