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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
青い風編
25/35

拒絶するカラス

 修道院の運営は安定していた。

 街にビールを売りつけるまでには至っていないが、ただ寝て起きて食事をとるくらいのことはできた。


 教皇庁が義勇兵を退こうとした真夏のある夕刻、ついに魔王軍が動き出した。

 魔女はすぐにやってきた。

「準備はできてるかい?」

 修道院の蒸し暑い食堂。

 老婆はいきなり本題を切り出した。

 すでにみんなへは事情を説明してある。

「ちょっと待ってくれ。防具をつける」

「早くしな。レミ、あんたも行くんだよ」

「うん」

 出撃するのはイサキオスとレミだけ。


 支度を終えて食堂へ出ると、魔女が宙空に魔法陣を描いた。

「現場から少し離れた位置に送るよ。なにが起こるか分からないから、気を抜かないようにね」

 老婆は一緒に来ないつもりらしい。

 アラクネとエイミーも駆け寄ってきた。

「お気を付けて。必ず戻ってきてくださいね」

「おいしいビールを用意しておきます」

 イサキオスとレミはうなずいた。

「じゃあ送るよ」


 *


 身体が溶けるような感覚。

 それから、無だった自分がそこに発生するような感覚。

 我に返ったときには、すでに森の中にいた。

 怒声と悲鳴、そして剣戟の音がひっきりなしに響いている。


 義勇兵とは名ばかりの素人が、スケルトン兵に襲われていた。

 スケルトンは剣や槍を持たされただけの下級モンスターだ。エイミーと違って動きも緩慢。少し攻撃を受けるとすぐバラバラになる。が、倒しても倒してものたのた立ち上がり、何度でも義勇兵に襲い掛かった。

 数の上では義勇兵が圧倒していた。おそらく千はいたろう。しかし三百かそこらのスケルトン兵に恐れをなし、不運にも命を散らすか、あるいは武器を投げ出していずこかへ逃走し始めた。

 寡兵が、大軍を切り崩してゆく。


「なんで死なないんだ!」

「もう限界だ! 俺は逃げる!」

「た、助けてくれぇ!」

 義勇兵は、本当にただの素人の寄せ集めだった。

 冒険者で稼げる人間は、こんな仕事を受けたりしない。だから冒険者の経験さえないものたちが、ただ武器を持たされ、神のために命を捧げている。


 スケルトン兵の背後には、巨大な黒馬にまたがった指揮官が控えていた。

 カラスを思わせるフォルムの、禍々しい黒の鎧だ。細見である。バイザーをあげているが、薄暗くてよく見えない。

 それでもイサキオスには、彼女がリリスであるという確信があった。


 ハルバードを構えもせず、イサキオスは歩き出した。

 スケルトン兵も手を出してこない。

 魔女の気配を感じたのか、あるいはリリスの意志なのか、とにかく衝突はなかった。

「待って」

 レミも後ろからついてきた。


 リリスは黒い瞳で遠方を見つめていた。

 黒髪は伸ばし放題で、前髪は顔にかかるほど。

 血の気のない青白い肌。

 世界のすべてに飽いたような表情。

 それらすべてが、なぜか神々しくさえ見える。


「イサキオス……」

 彼女の薄い唇が、その名を呼んだ。

 イサキオスが足を止めると、リリスは初めて視線を向けた。

「会いに来てくれたのね」

「まさか本当に生きていたとはな……」

「後ろの少女は?」

「気にするな。ただの護衛だ」

 するとリリスは、うっすらと笑みを浮かべた。

 夜の空気を吸い込みながら、ふたたび遠方を見つめる。

「なにをしに来たのかしら?」

「いまなにが起きているのか、知るために来た」

「戦っているわ」

「なぜ?」

「そうしたかったから」

 会話が噛み合わない。

 それでもイサキオスは、再会の喜びで徐々に体温があがっていた。言葉を交わせば交わすほど、本当にリリスなのだと実感できた。

「なぜそうしたかったんだ?」

「しつこい男は嫌い」

「昔も言われたな、そのセリフ」

「そうよ。おぼえていたのね。偉いわ、イサキオス」

 水車のオモチャで遊ぼうと何度も誘ったのだ。そしたらリリスにピシャリと断られてしまった。苦い思い出だ。

「森を攻撃するとどうなる?」

守護神ガーディアンが死ぬわね」

「塔を攻撃するのか?」

「いいえ」

 予想外の答えが返ってきた。

 というより、もしそうなら森を攻撃する必要を見いだせない。

「いいえ? じゃあ目的は? なぜだ? まさか本当に、ただの気まぐれなのか?」

「……」

 リリスは、漆黒の瞳でふたたびイサキオスをとらえた。

 空洞みたいな瞳だった。

「なんとか言ってくれ」

 するとリリスは急にのけぞり、大気を切り裂くような甲高い声で笑った。

「たまらないわね。本当に」

「なにがだ?」

「まだ気がつかない? あなたにかけられた魔法に」

「魔法?」

 まったく自覚がない。

 振り返ってレミにも確認するが、レミも首をかしげている。

 リリスはまだ身を震わせていた。

「ふふ。面白いわ。魅了の魔法よ。あなた、私のこと好きでしょう? けれども、それは魔法の効果によるものなの。人界での手駒を増やしたくて、あなたに魔法をかけたの。まだ解けてなかったのね」

「……」

 たしかに、理由もよく分からないままリリスという少女に惹かれていた。きっと初恋のようなものなのだと思っていた。

 それが魔法だったとは。

「私のことを想って、神への復讐を計画してくれたのよね? 想像以上の働きだったわ。しかも魔女と契約して、人間をやめてまで……。ふふ。おかしい。そこらの魔物より忠実なんだから。もし魔族が勝利したら、庭で飼ってあげるわ」

 怒りは湧いてこなかった。

 おそらく、なにを言われているのか理解を拒絶したからだ。


 いまこのときも、義勇兵たちは叫びながら逃げまどっている。

 かと思うと、人が近づきすぎたせいで、神殿から守護神が現れた。

 戦いは最終局面を迎えている。

 が、イサキオスにとって、いまはそんなことどうでもよかった。この世のすべての意味が分からない。


 ぼうっとしているイサキオスを押しのけ、レミが前に出た。

「あんた! 馬から降りなさいよ!」

「あら、元気な子……」

「さっきからなんなのよ、偉そうに! あんた、魔法で人の心をいじったの? ホントに? そんなことして、なんで普通に笑えるの?」

 近づこうとして、魔法の障壁に弾き飛ばされた。

 が、レミはすぐに起き上がってまた近づいた。

「答えなさいよ! 魔族だかなんだか知らないけど、そこまでしたら正真正銘のクズよ! イサキオスに謝って!」

「魔女にお説教されるなんて思いもしなかった」

 イサキオスはそこでようやく我に返り、レミをたしなめた。

「いいんだ。少し静かにしていてくれ」

「はぁ?」

「俺は彼女に聞きたいことがある」

 すると突然、イサキオスの頬に平手打ちが炸裂した。

「しっかりしてよ! あんたいま魔法にかかってんの! あんた、こんな女のこと好きじゃないのよ!」

「さがっててくれ。少しふたりで話がしたい」

「待って! ウソでしょ? なんでよ! バカ! 知らない!」

 子供みたいに地団駄を踏んだ。


 イサキオスはリリスに近づき、そして大きく呼吸をした。

「リリス……」

「見て。守護神が人間を焼いているの。眩しくて、きれいな光……」

「リリス、聞いてくれ」

「ええ」

 しかし顔さえ向けてくれない。

 イサキオスは構わず言葉を続けた。

「俺に魅了の魔法がかかってるってのは本当なのか?」

「本当よ。だって拾われた子犬みたいに忠実じゃない? あなたは私に逆らえないの」

「それでもいい……。俺は……。ウソでもいい……。お前に会えて嬉しかった」

 そう告げるしかなかった。

 自分の心さえ真実でないのだとしたら、いままでしてきたことすべての根拠が失われる。だからもしウソでも、もう仕方がなかった。

 リリスは返事こそしなかったものの、不快そうに目を細めた。

「なあ、リリス。魔法でもいい。俺はお前のために戦ってきた。人間もやめた。そろそろ怪物になるかもしれない。だが、これだけは伝えておきたい。俺はお前を諦められない」

「下等な人間が、魔王の娘に言い寄ろうというの? 身分違いよ。あまりに哀れだわ。見ていられない」

「なんとでも言え。だが諦めない。絶対に。もしお前が魔界に帰っても追いかける」

「不愉快だわ」

「どうしてもというのなら俺の命を奪え。魔王の娘なら、それくらい簡単だろ?」

「なら死んで」

 言い終わるかどうかのうちに、リリスの手中で黒い発光があった。かと思うと槍が伸び、イサキオスの胸部を一気に貫いた。

「ガッ……ガハッ……」

 心臓からあふれた血液が、口から大量にこぼれ出た。

 駆け寄ろうとしたレミも、魔法の障壁で遠くへ弾き飛ばされた。

 リリスは槍をぐいぐいと動かし、イサキオスの体内をかき回した。

「どう? 苦しい? そろそろ死んだかしら?」

 槍が引き抜かれた。

 イサキオスはその場に崩れ落ち、痙攣しながら徐々に回復した。外に出てしまった血液の分は回復しない。それでも傷はふさがる。

「まあ、面白い。そうやって回復するのね。傷口がトカゲみたい。ホントに人間をやめてしまうなんて。かわいい忠犬だわ」

「ゲハッ……ハッ……」

「惨めね。それに汚らしい。あなたを殺すのは面倒みたいだから、生かしておいてあげる。でも、もう二度と私に近づかないでね。次はあなたじゃなくて、あなたの仲間を殺すから」

 リリスは軽く馬を蹴ると、まっすぐ神殿へと向かった。

 イサキオスは動けない。

 回復した心臓がドクドクと鼓動して、少なくなった血液でなんとか生存しようとしている。指先の感覚がなくなり、景色がかすむ。地べたに頭をこすりつけながら、激しく呼吸を繰り返した。


 *


 朝を迎えた。

 それまでずっと眠っていたらしい。

 すでに火の消えた焚き火と、気を失ったようにぐったりと眠るレミが見えた。

 森は死んでいる。

 奥にはおびただしい数の義勇兵の死体。そして散乱するスケルトン兵の骨。

 リリスは自分の部下を使い捨てにしたらしい。

 そのリリスの姿はない。


 六つ目の神殿が落ちた。

 神々の住む白亜の塔はついに無防備となったのだ。


 イサキオスの手で成し遂げたことではない。

 半分はリリスがやった。


 身を起こしたイサキオスは、体中に薬草の張られているのに気づいた。レミがやってくれたのだろう。おかげでかなり回復している。

 もちろん傷跡は残っていない。

 バッグからパンを取り出し、土のにおいをかぎながら朝食をとった。

 鳥の声もない。


 はるか遠くに、朝日を受ける塔の姿が見えた。

 あそこに神々が住んでいる。倒すべき敵が。

 そう思うのだが、イサキオスの心にはなんらの興奮も湧きあがってこなかった。神を殺す理由がなくなってしまった。

 すべてウソだったのだ。

 ウソに突き動かされて神へ戦いを挑んだ。リリスも死んではいなかった。しかも完全に拒絶されてしまった。体質がこんなでなければ、本当に殺されていたことだろう。次は仲間が殺される。

 なにもない。

 空っぽだ。


(続く)

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