拒絶するカラス
修道院の運営は安定していた。
街にビールを売りつけるまでには至っていないが、ただ寝て起きて食事をとるくらいのことはできた。
教皇庁が義勇兵を退こうとした真夏のある夕刻、ついに魔王軍が動き出した。
魔女はすぐにやってきた。
「準備はできてるかい?」
修道院の蒸し暑い食堂。
老婆はいきなり本題を切り出した。
すでにみんなへは事情を説明してある。
「ちょっと待ってくれ。防具をつける」
「早くしな。レミ、あんたも行くんだよ」
「うん」
出撃するのはイサキオスとレミだけ。
支度を終えて食堂へ出ると、魔女が宙空に魔法陣を描いた。
「現場から少し離れた位置に送るよ。なにが起こるか分からないから、気を抜かないようにね」
老婆は一緒に来ないつもりらしい。
アラクネとエイミーも駆け寄ってきた。
「お気を付けて。必ず戻ってきてくださいね」
「おいしいビールを用意しておきます」
イサキオスとレミはうなずいた。
「じゃあ送るよ」
*
身体が溶けるような感覚。
それから、無だった自分がそこに発生するような感覚。
我に返ったときには、すでに森の中にいた。
怒声と悲鳴、そして剣戟の音がひっきりなしに響いている。
義勇兵とは名ばかりの素人が、スケルトン兵に襲われていた。
スケルトンは剣や槍を持たされただけの下級モンスターだ。エイミーと違って動きも緩慢。少し攻撃を受けるとすぐバラバラになる。が、倒しても倒してものたのた立ち上がり、何度でも義勇兵に襲い掛かった。
数の上では義勇兵が圧倒していた。おそらく千はいたろう。しかし三百かそこらのスケルトン兵に恐れをなし、不運にも命を散らすか、あるいは武器を投げ出していずこかへ逃走し始めた。
寡兵が、大軍を切り崩してゆく。
「なんで死なないんだ!」
「もう限界だ! 俺は逃げる!」
「た、助けてくれぇ!」
義勇兵は、本当にただの素人の寄せ集めだった。
冒険者で稼げる人間は、こんな仕事を受けたりしない。だから冒険者の経験さえないものたちが、ただ武器を持たされ、神のために命を捧げている。
スケルトン兵の背後には、巨大な黒馬にまたがった指揮官が控えていた。
カラスを思わせるフォルムの、禍々しい黒の鎧だ。細見である。バイザーをあげているが、薄暗くてよく見えない。
それでもイサキオスには、彼女がリリスであるという確信があった。
ハルバードを構えもせず、イサキオスは歩き出した。
スケルトン兵も手を出してこない。
魔女の気配を感じたのか、あるいはリリスの意志なのか、とにかく衝突はなかった。
「待って」
レミも後ろからついてきた。
リリスは黒い瞳で遠方を見つめていた。
黒髪は伸ばし放題で、前髪は顔にかかるほど。
血の気のない青白い肌。
世界のすべてに飽いたような表情。
それらすべてが、なぜか神々しくさえ見える。
「イサキオス……」
彼女の薄い唇が、その名を呼んだ。
イサキオスが足を止めると、リリスは初めて視線を向けた。
「会いに来てくれたのね」
「まさか本当に生きていたとはな……」
「後ろの少女は?」
「気にするな。ただの護衛だ」
するとリリスは、うっすらと笑みを浮かべた。
夜の空気を吸い込みながら、ふたたび遠方を見つめる。
「なにをしに来たのかしら?」
「いまなにが起きているのか、知るために来た」
「戦っているわ」
「なぜ?」
「そうしたかったから」
会話が噛み合わない。
それでもイサキオスは、再会の喜びで徐々に体温があがっていた。言葉を交わせば交わすほど、本当にリリスなのだと実感できた。
「なぜそうしたかったんだ?」
「しつこい男は嫌い」
「昔も言われたな、そのセリフ」
「そうよ。おぼえていたのね。偉いわ、イサキオス」
水車のオモチャで遊ぼうと何度も誘ったのだ。そしたらリリスにピシャリと断られてしまった。苦い思い出だ。
「森を攻撃するとどうなる?」
「守護神が死ぬわね」
「塔を攻撃するのか?」
「いいえ」
予想外の答えが返ってきた。
というより、もしそうなら森を攻撃する必要を見いだせない。
「いいえ? じゃあ目的は? なぜだ? まさか本当に、ただの気まぐれなのか?」
「……」
リリスは、漆黒の瞳でふたたびイサキオスをとらえた。
空洞みたいな瞳だった。
「なんとか言ってくれ」
するとリリスは急にのけぞり、大気を切り裂くような甲高い声で笑った。
「たまらないわね。本当に」
「なにがだ?」
「まだ気がつかない? あなたにかけられた魔法に」
「魔法?」
まったく自覚がない。
振り返ってレミにも確認するが、レミも首をかしげている。
リリスはまだ身を震わせていた。
「ふふ。面白いわ。魅了の魔法よ。あなた、私のこと好きでしょう? けれども、それは魔法の効果によるものなの。人界での手駒を増やしたくて、あなたに魔法をかけたの。まだ解けてなかったのね」
「……」
たしかに、理由もよく分からないままリリスという少女に惹かれていた。きっと初恋のようなものなのだと思っていた。
それが魔法だったとは。
「私のことを想って、神への復讐を計画してくれたのよね? 想像以上の働きだったわ。しかも魔女と契約して、人間をやめてまで……。ふふ。おかしい。そこらの魔物より忠実なんだから。もし魔族が勝利したら、庭で飼ってあげるわ」
怒りは湧いてこなかった。
おそらく、なにを言われているのか理解を拒絶したからだ。
いまこのときも、義勇兵たちは叫びながら逃げまどっている。
かと思うと、人が近づきすぎたせいで、神殿から守護神が現れた。
戦いは最終局面を迎えている。
が、イサキオスにとって、いまはそんなことどうでもよかった。この世のすべての意味が分からない。
ぼうっとしているイサキオスを押しのけ、レミが前に出た。
「あんた! 馬から降りなさいよ!」
「あら、元気な子……」
「さっきからなんなのよ、偉そうに! あんた、魔法で人の心をいじったの? ホントに? そんなことして、なんで普通に笑えるの?」
近づこうとして、魔法の障壁に弾き飛ばされた。
が、レミはすぐに起き上がってまた近づいた。
「答えなさいよ! 魔族だかなんだか知らないけど、そこまでしたら正真正銘のクズよ! イサキオスに謝って!」
「魔女にお説教されるなんて思いもしなかった」
イサキオスはそこでようやく我に返り、レミをたしなめた。
「いいんだ。少し静かにしていてくれ」
「はぁ?」
「俺は彼女に聞きたいことがある」
すると突然、イサキオスの頬に平手打ちが炸裂した。
「しっかりしてよ! あんたいま魔法にかかってんの! あんた、こんな女のこと好きじゃないのよ!」
「さがっててくれ。少しふたりで話がしたい」
「待って! ウソでしょ? なんでよ! バカ! 知らない!」
子供みたいに地団駄を踏んだ。
イサキオスはリリスに近づき、そして大きく呼吸をした。
「リリス……」
「見て。守護神が人間を焼いているの。眩しくて、きれいな光……」
「リリス、聞いてくれ」
「ええ」
しかし顔さえ向けてくれない。
イサキオスは構わず言葉を続けた。
「俺に魅了の魔法がかかってるってのは本当なのか?」
「本当よ。だって拾われた子犬みたいに忠実じゃない? あなたは私に逆らえないの」
「それでもいい……。俺は……。ウソでもいい……。お前に会えて嬉しかった」
そう告げるしかなかった。
自分の心さえ真実でないのだとしたら、いままでしてきたことすべての根拠が失われる。だからもしウソでも、もう仕方がなかった。
リリスは返事こそしなかったものの、不快そうに目を細めた。
「なあ、リリス。魔法でもいい。俺はお前のために戦ってきた。人間もやめた。そろそろ怪物になるかもしれない。だが、これだけは伝えておきたい。俺はお前を諦められない」
「下等な人間が、魔王の娘に言い寄ろうというの? 身分違いよ。あまりに哀れだわ。見ていられない」
「なんとでも言え。だが諦めない。絶対に。もしお前が魔界に帰っても追いかける」
「不愉快だわ」
「どうしてもというのなら俺の命を奪え。魔王の娘なら、それくらい簡単だろ?」
「なら死んで」
言い終わるかどうかのうちに、リリスの手中で黒い発光があった。かと思うと槍が伸び、イサキオスの胸部を一気に貫いた。
「ガッ……ガハッ……」
心臓からあふれた血液が、口から大量にこぼれ出た。
駆け寄ろうとしたレミも、魔法の障壁で遠くへ弾き飛ばされた。
リリスは槍をぐいぐいと動かし、イサキオスの体内をかき回した。
「どう? 苦しい? そろそろ死んだかしら?」
槍が引き抜かれた。
イサキオスはその場に崩れ落ち、痙攣しながら徐々に回復した。外に出てしまった血液の分は回復しない。それでも傷はふさがる。
「まあ、面白い。そうやって回復するのね。傷口がトカゲみたい。ホントに人間をやめてしまうなんて。かわいい忠犬だわ」
「ゲハッ……ハッ……」
「惨めね。それに汚らしい。あなたを殺すのは面倒みたいだから、生かしておいてあげる。でも、もう二度と私に近づかないでね。次はあなたじゃなくて、あなたの仲間を殺すから」
リリスは軽く馬を蹴ると、まっすぐ神殿へと向かった。
イサキオスは動けない。
回復した心臓がドクドクと鼓動して、少なくなった血液でなんとか生存しようとしている。指先の感覚がなくなり、景色がかすむ。地べたに頭をこすりつけながら、激しく呼吸を繰り返した。
*
朝を迎えた。
それまでずっと眠っていたらしい。
すでに火の消えた焚き火と、気を失ったようにぐったりと眠るレミが見えた。
森は死んでいる。
奥にはおびただしい数の義勇兵の死体。そして散乱するスケルトン兵の骨。
リリスは自分の部下を使い捨てにしたらしい。
そのリリスの姿はない。
六つ目の神殿が落ちた。
神々の住む白亜の塔はついに無防備となったのだ。
イサキオスの手で成し遂げたことではない。
半分はリリスがやった。
身を起こしたイサキオスは、体中に薬草の張られているのに気づいた。レミがやってくれたのだろう。おかげでかなり回復している。
もちろん傷跡は残っていない。
バッグからパンを取り出し、土のにおいをかぎながら朝食をとった。
鳥の声もない。
はるか遠くに、朝日を受ける塔の姿が見えた。
あそこに神々が住んでいる。倒すべき敵が。
そう思うのだが、イサキオスの心にはなんらの興奮も湧きあがってこなかった。神を殺す理由がなくなってしまった。
すべてウソだったのだ。
ウソに突き動かされて神へ戦いを挑んだ。リリスも死んではいなかった。しかも完全に拒絶されてしまった。体質がこんなでなければ、本当に殺されていたことだろう。次は仲間が殺される。
なにもない。
空っぽだ。
(続く)




