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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
青い風編
24/35

審問

 日曜日。

 年齢性別を問わず、修道院にはさまざまな人たちが集められていた。仕込んでいたビールがついに出来上がったのだ。

 彼らは持ち帰り用の大樽を荷車に乗せている。

「俺はこの日が来るのをずっと楽しみにしてたぜ。神に感謝だ」

 ジョンソンは興奮でずっとそわそわしていた。

 この辺りでは、子供にもビールを飲ませる。なぜなら水質の影響を受けずに水分を補給できる貴重な手段だからだ。


「しばしお待ちください。順番にお出しします」

 現場を仕切っているのはアラクネ。

 エイミーも覆面で給仕している。

 イサキオスとレミは裏方だ。


 修道院は教会ではない。ゆえに普段から人が訪れるような場所でもない。が、そうはいっても教会の代わりのように機能することはあった。


「ひゃあ、こいつはうまい!」

 振る舞われたビールを、大人たちは一気に飲み干してしまった。

 子供たちはしかし渋い表情。

「苦い……」

「これが大人の味ってもんだぜ。だがまあ、酒っていうにはちっと弱いかもしんねぇな。これじゃあジュースだ」

 アラクネの判断で、アルコールは弱めにしてあった。

 いずれは子供用と大人用の二種類を作る予定だ。今回のはあくまで試作品である。


 ともあれ、ちょっとしたお祭りのようだった。

 ひとりの老人が踊り出すと、周りの大人たちも手拍子ではやし立てた。

「いいぞ、爺さん!」

「転ぶなよ!」

 すると女も踊り始め、子供も真似して輪に加わった。


 パンとピクルスも供された。

 この食材は、もともと彼らが持ち寄ったものだ。だからアラクネは惜しげもなく振る舞うことにした。


「シスター、修道院を再会してくれてありがとう。ずっと無人で不気味だったんだ。魔物が住みついてるって噂もあって……。それをこんなに素晴らしい場所にしてくれるなんて」

 若者が熱のこもった感想を述べると、周りの男たちも指笛を吹いた。

 とはいえ、感想に共感したというよりは、若者がシスターに言い寄っているように見えたのだろう。「行け行け!」だの「待て、修道院だぞ」だの勝手なことを言っている。

 一方、アラクネはこれまで見せたことのないような、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「私はなにも。すべては神のお導きです」

「おお、神よ! 水で薄められていないビールに感謝いたします!」


 *


 集会はわきあいあいとした雰囲気のまま終えることができた。

 納めた麦は味のいいビールとなり、きちんと農家へ還元されることも証明できた。

 アラクネは、彼らから金を取るつもりはない。狙いは街の商人たちだ。量産したビールを大量に売りさばき、街のシェアを一気に奪い取るのだ。


 しかしその計画が始まりもしないうちから、厄介な問題が持ち上がった。

 集会の三日後、数名の男たちが修道院に現れたのだ。

「もし! もし! 誰かあるか!」

 そのときイサキオスは、裏手でカカシとにらめっこしていた。

 声に気づいて表へ向かうと、すでにアラクネが対応していた。

「どなたさまでしょう?」

「この地区の審問官をしているトーマス・バルクマンである。申請もなく活動を再会した修道院があると聞いて、調査に来たのだ」

 短く頭を刈り上げた、いかつい僧侶である。

「これは失礼しました。中へどうぞ」

「いや結構。こちらは申請について尋ねたいだけだ。お答え願いたい」

 ずいぶん威圧的な態度である。

 アラクネもやや委縮している。

「申請は出しておりません。必要とは知らず……」

「申請なくば活動を認めるわけにはいかない。即刻活動を停止し、改めて申請を出すように」

「活動停止? それはいきなりでは……」

 バルクマンはギロリとねめつけた。

「反論かな?」

「いえ……」

「三日後にまた来る。そのときまだ活動しているようなら、重い処分が待っていると思いたまえ。以上だ」

「はい……」


 一方的に用件を告げると、彼らは帰っていった。

 イサキオスはあえて間に入らなかった。入れば余計に話をややこしくすると思ったのだ。

「どうするんだ?」

「どうしましょう……」

 アラクネはいつになく弱気だった。

 新しいビールを仕込んだばかりだ。それを放棄しなければならない。

 エイミーが気遣うような態度でやってきた。

「とりあえずビールを飲んでから考えましょうか? ね? ビールはなんでも解決しますから」

「いえ、結構です」

 ビールは万能ではない。


 四名は食堂に集まった。

「聖レミ修道院始まっていらいのピンチです……。あの堕落した教会が、真面目に仕事をするなんて……」

 アラクネは頭を抱えている。

 いや、イサキオスもおかしいとは思っていた。自分のものでもないのに勝手に修道院を使ったのだ。いつか誰かに怒られると思っていた。

 問題は、アラクネがまったくなにも考えていなかったということだ。

「エイミーさん、助けてください!」

「申請を出してはいかがです?」

「ムリです! 通るわけがありません! 私はどこの聖職者の推薦も得られないのです!」

「ああ、破門されたんでしたっけ……」

「破門じゃありません! 中に入らないよう言われただけです!」

 ほぼ破門である。

 こんな女が申請を出したところで、通るわけがない。


 イサキオスは静かにうなずいた。

「ならギルドに依頼を出すか……」

「はい?」

「あの坊主をヤるんだよ。安心しろ、命までは奪わねぇ。ちょっとビビらせるだけだ。雇った冒険者の手が滑らねぇ限りはな」

 するとアラクネはバンバンとテーブルを叩いた。

「それは神への冒涜です!」

「手っ取り早いだろ」

「本当に愚かですね! 愚かさの塔登者ですよ! あの男を消したところで、次の誰かが審問官になるに決まってます! 人数だけはムヤミにいるんですから!」

 教会を冒涜しているのはアラクネのほうではなかろうか。

 イサキオスはしかし反論せずに黙り込んだ。


 するとレミが「うーん」と天井を見上げた。

「申請が通ればいいんだよね? ばばさまに化けてもらって、あの男のフリして申請を通すってのは?」

「化ける? そんな魔女みたいなことが可能なのですか?」

「え、うん……」

 魔女である。

 アラクネはまだ現実を受け入れていないらしい。

「いえ、ちょっと待ってください。あとからバレて取り消しになる可能性があります」

「有力者を買収するとか」

「まあ堕落してますから、買収は有効だと思いますが……。しかしお金が……」


 イサキオスも、有力者に知り合いはいない。

 バケツ酒場のミゲル、飲んだくれヤン、あるいはむかし世話になった鍛冶屋くらいしかツテがない。

 いや、それでもミゲルならなにか手があるかもしれない。

「ちょっと街で相談するか。ミゲルは顔が利く」

「でしたら私もご一緒します。もとはといえば私の招いたことなので」


 *


 かくしてイサキオスとアラクネのふたりは街へ乗り込んだ。

 ちょうど昼を過ぎたころだ。

 まっすぐ貧民街へ向かおうとしたのだが、その手前の噴水広場で人だかりに出くわした。

 街の娘たちが、ある男を見てヒソヒソと噂話をしていた。


 中心にいたのは、身なりのいい若者だった。

 噴水を覗き込み、うっとりとした表情を浮かべている。すらっとした鼻筋のハンサムな男だ。輝くような金髪を肩まで伸ばしている。口には花。

 近くの花売りから買ったものらしく、だいぶしおれた花だった。

 ヒソヒソ声の大半はこうだ。

「また伯爵のバカ息子が来たわ」

「なんのアピールかしらね……」


 そのバカ息子は、周囲に聞こえる声でこう演説した。

「ああ、娘たちがまた僕の噂話をしているね! けど恥ずかしがらないで! もっと近くでその声を聞かせておくれ!」

 教皇庁の義勇兵を募る弁士は、やや離れた場所で迷惑そうにしていた。伯爵の息子が噴水を占拠しているので、さすがに声を出せないのだ。

「太陽よ、今日も君は美しいね。水面に映った美の化身も祝福しているよ。あれ? これはもしかして僕自身じゃないのか? ふふ、まいったね。あまりのきらめきに目がつぶれてしまいそうだよ」


 アラクネは目をパチクリさせた。

「なんです? 街にはいつもあんなのが徘徊しているのですか?」

「いや、俺も初めて見たぜ。行こう。酒場はもっと先だ」

 イサキオスが歩を進めようとすると、噴水の声がひときわ大きくなった。

「美しい! いや、美しいという言葉さえ委縮させてしまう! シスター、君はいままでいったいどこに隠れていたんだい? 僕はここだよ!」

 謎のステップでくねくねと近づいてきた。

 アラクネはぎょっとしている。

「わ、私にご用ですか? 花をくわえながらよく喋れますね……」

「訓練したからね。それより、君の貞淑ないでたち! 力強い視線! ああ、美の女神が嫉妬している! 豪華なだけじゃノンノンさ。誰だって着飾れば美しくなる。けれども僕は知っているよ。本当の美に過剰な装飾は不要! そうだよね?」

「あの、ご用は?」

「僕の馬に乗らないか? 馬! ビューティフルな白馬だよ!」

 サラッとした金髪を、正面からかきあげた。ほとんどブリッジのようにのけぞっている。

「いえ、このあと用事があるので……」

「それは僕と馬にライドするより大事なことかな?」

「ええ、大事ですね」

 すると男は口にくわえていた花をすっと差し出してきた。

「僕は、アーロン・A・アートマン。君の花婿になる男さ」

「いえ、あの、私、修道女ですので、結婚とかは困ります……」

「君も知っての通り、僕は伯爵家の生まれでね」

「伯爵家? では権力もおありなのですか?」

「そう! 権力だ! しかし僕は権力が憎いよ! こんなものがあるから、娘たちが僕を避けてしまう! 身分違いの恋は、常に哀しい結果をもたらしてしまうからね」

 アーロンは話を聞いていない。

 が、アラクネも聞いていなかった。

「じつは修道会を結成したのですが、ここの審問官がなぜか許可を出してくれないのです。できればお力添え願えませんか?」

「もちろんさ! 必要に応じて権力も使う。僕はそういう男さ。約束の証に、この花を受け取ってくれ」

「よだれが……」

「気にしないで」

「……」

 突き出された花を、アラクネは汚そうに指先でつまんだ。そこまでよだれまみれではないが、中央のあたりがだいぶ湿っていた。

「修道会と言ったね? いったいどこで活動しているのかな?」

「街の南の修道院です。畑のまんなかにぽつんとある……」

「なるほど! きっと探し出すよ! その花のかおりが僕を誘い出してくれるはずさ!」

「あ、はい……。ではくれぐれも審問官への圧力をお願いいたします」

「すぐに迎えに行くよ。ビューティフルな白馬でね」

「麦を踏み荒らさぬようお願いします」

「ヒュウ、なんて優しいんだい。麦にまで愛を注ぐなんて……」

 麦を踏まれたら農家が怒るし、ビールの材料も減ってしまう。愛ではなく俗な理由だ。


 結局、イサキオスとアラクネは酒場へも寄らずまっすぐ帰宅した。

 アーロンが審問官に圧力をかけるほうに期待したのだ。


 夕刻、ヒヒーンと馬のいななきが聞こえた。

 修道院に降り立ったのはアーロンだ。麦畑に似つかわしくない豪華すぎる格好だ。

「麗しの淑女、君のナイトがやってきたよ! 顔を見せておくれ!」

 食堂でパンをむさぼっていた四名は、食事を中止して彼を出迎えた。

 姿を見ずとも、声だけで誰か分かった。

「本当に来たのですか……」

「花のかおりが僕を導いてくれた」

 たしかにアラクネは、あの花を捨てずに持ち帰った。小瓶に活けてある。

 アラクネが困惑していると、伯爵は懐から封書を取り出した。

「審問官からだ。許可するそうだよ」

「えっ? もう……」

「僕はなにをするのも早いんだ。たいていのことは三秒で終わる。いや、五秒かな。とにかく早い」

「そ、そうですか。感謝いたします。せっかくですので、お食事でもどうでしょう? 粗末なものしかありませんが」

 するとアーロンは、ファサッと前髪をかきあげた。

「いや、結構。僕は君にいいニュースを届けたかっただけだ。いきなりレディーの手を握ったりはしないよ。僕は紳士の中の紳士だからね」

 白い歯を見せてニッと笑った。

 それから颯爽と馬へ飛び乗り、二本指で敬礼した。

「僕はこれで失礼するよ! 神の祝福のあらんことを! ハッ!」

 帰ってしまった。

 本当に封書だけを届けに来たらしい。

 アラクネはメガネを押しあげると、その背を笑顔で見送った。

「たしかに紳士ではありますね。あなたにも神の祝福を」

 レミはしかし脇腹をかいた。

「え、なに? ぜんぜん分かんない……」


(続く)

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