見習いの魔女
魔女は、しわだらけの顔をさらに歪めて笑った。
「いいのかい? このままでは死んでしまうよ?」
足は無事だ。両腕がなくとも立ち上がることはできる。全力で駆ければ逃げ切れるかもしれない。ただし武器は失う。回復を待つ間も宿代はかかる。時間をかければかけただけ状況は追い込まれる。次は消耗した状態での仕切り直しとなるだろう。
男は盛大に溜め息をついた。
「分かった。降参だ。なんでもいいから寄越せ」
見上げる森はグリーンのステンドグラスのようであった。美しい木漏れ日が空間を満たしている。
絶景だ。
くだらない駆け引きをするのがバカらしくなってくる。
魔女は満足げにうなずいた。
「契約成立だ。魂を少しもらうよ。ああ、心配しなくていい。まだ見習いのガキだからね。あんまりたくさんは取らないよ。なにより、あんまり取りすぎて、あんたに正気を失われても困るんだ。怪物の魂なんて、なんの値打ちもないんだから」
そう言って引きつるように笑った。
初めて魔女と契約した日を思い出す。
男は強くなかった。小銭稼ぎのつもりで挑んだ簡単な魔物退治でさえ、生きて帰ることはできたものの、まともに戦えずズタボロにされたのだ。無抵抗のカカシ相手に鍛えた技は、実践ではほとんど役に立たなかった。
のみならず、戦闘に貢献しなかったという理由で、同行した賞金稼ぎどもに報酬をぶんどられてしまった。
自分に特別な能力がないことは、じゅうぶん過ぎるほど理解した。
魔女を頼るのに抵抗はなかった。もともと魔女に育てられたのだ。親のようなものだ。ただし、魔女にもいろいろいる。善良な魔女ばかりではない。いま目の前にいる魔女のように、人間から魂を搾り取ることしか考えていないものもいる。
宙空に光の輪が現れた。
かと思うと魔法陣が描きこまれ、そこからひとりの少女が落ちてきた。うまく着地できず、尻から。
「いたっ! ばばさま! もっとゆっくり!」
長い金髪をふたつに結んだ少女だ。凛とした顔つきだが、魔女の言う通りまだ見習いらしく、顔つきに幼さを残している。
フードをかぶってはいないものの、衣服は魔女のものと同じ深緑のローブだ。
老婆は顔をしかめた。
「レミ、杖はどうしたんだい?」
「だから、急だったの!」
「はぁ、やれやれ……」
魔法陣から杖が落ちてきた。二匹の蛇が絡み合ったような、木製の杖だ。宝飾品などははめ込まれていない。
レミと呼ばれた少女は杖を拾って立ち上がり、男を見下ろした。
「で、あたしが護衛するのはこいつ? もう死にそうなんだけど? こんな弱いのに、よく守護神と戦おうと思ったわね」
「そう言うんじゃないよ。挑もうとする壁が高ければ高いほど、人間の魂ってのは価値が出るもんさ」
「それって、叶いもしない夢を追ってるヤツってことでしょ? 度を越したバカじゃない」
「バカだろうと客は客さ。あんたの昇級試験も兼ねてるんだから、しっかりおやり。この男が死んだら、あんたは下働きからやり直しだからね」
「はぁ?」
すると先ほど切断された左腕が、ふわふわ浮いて近づいてきた。かと思うと、男の腹の上にどっと落ちた。
魔女はふんと鼻を鳴らした。
「こいつはサービスだよ。あとはうまくおやり」
そして彼女は土くれとなって崩れ去り、姿を消した。
レミは杖の先で男をつついた。
「で、敵はどっち?」
「あっちだ」
両腕がないので、男は視線で敵の位置を知らせた。
レミは眉をひそめている。
「分かんないんだけど?」
「その前に、腕をつけてくれないか」
「くっつくの?」
「たぶんな」
だが少女は動こうとしない。杖の先で男の肩をなじりながら、値踏みするように見下ろしている。
「なんか命令されるのムカつくんだけど」
「なんだと……」
「あたし、魔女なの。人間の命令になんて従わない。特に死にかけの弱い男なんてまっぴら」
正直、男にしてみれば、守護神さえ始末できればなんでもよかった。魔女を頼らなければ、塔に入ることさえできないのは事実だ。目的達成のためなら、多少のことは聞き流せる。たぶん。限度はあるが。
反論をすべて飲み込み、彼はこう言い直した。
「どうすればいい?」
「もっと丁寧にお願いして? 大魔法使いのレミさまが気分よく応じたくなるように」
「いいからつけろ」
限度はある。
レミは少しビクッとしたものの、すぐに余裕ぶってこう応じた。
「へぇ、それがあんたの態度ってワケ? あたしの魔法で、その腕をこんがり焼き上げることもできるんだけど?」
「……」
議論している余裕はない。
男はもう少女に頼まず、自力で腕をつけることにした。体をゆすって腕を落とし、それを両足で挟んでなんとかくっつけるのだ。
しかしそうしている間にも、切断面からは血液がしたたっている。血圧が低下して、細かい動作がままならない。足で挟むところまではいくのだが、それを持ち上げようとするとぶざまにひっくり返ってしまう。
少女は怯えたように身をすくませている。
「え、なに? 本気?」
「見てるだけなら失せろ。邪魔だ」
「なによその言い方! あんたが呼んだんでしょ?」
「俺が呼んだのは戦える仲間だ。お前みたいなクソガキじゃない」
「はぁ? クソガキ? あたしこれでも大人なんだけど!」
「ガキにしか見えない」
「うるさい! 大人になったばっかなの!」
明確な大人の基準などない。体が育っていれば大人とみなされる。育っていなければガキだ。男の率直な感想では、このレミという少女は大人ではなかった。
すると彼女は杖を放り投げ、男に近づいてきた。
「ああ、もう! 見てらんない! 貸して! つけたげるから!」
「そうか」
「なぁーにが『そうか』よ! いい大人が子供みたいにゴロゴロして!」
大声で会話していても光線が照射されないところをみると、だいぶ遠くまで飛ばされたものらしい。いずれにせよ、ただの人間なら死んでいるところだ。
少女はおそるおそるといった様子で腕をつかんだ。
「なんか痛そう……」
「痛いんだ。早くしてくれ」
「うん……」
「逆だ、逆! なにやってんだ!」
「待って! あんまり動かないで!」
レミは少し震えている。腕が血まみれなのを気にしながら、慎重に男の切断面とくっつける。
激痛が背骨まで駆け巡るのを、男は歯を食いしばってこらえた。痛みはすぐに引く。切断面がミチミチと不気味な音を立て、結合し始めたのだ。
やがて男は手をグーパーし、調子を確認した。ちゃんと動くようだ。
レミは不審そうな表情を浮かべている。
「気持ちワル……。ホントにくっついちゃった」
「魔女がなに言ってんだ。あの婆さんの魔法でこうなったんだぞ」
「あたしまだ見習いだし……」
「魔法は使えるんだろうな?」
この問いに、少女はぐっと眉をひそめた。
「バカにしないで! みんなのお風呂沸かしてたの、あたしなんだから! 火くらい起こせるし」
強気なものだ。
男は一息ついて立ち上がり、まずは周囲の状況を確認した。じつに静かだ。守護神が動いている気配もない。追ってこないところを見ると、あまり神殿から離れたくないのかもしれない。
「守護神を焼けるのか?」
「は? 疑ってんの? ちょっとそいつの場所教えて。いますぐぶっ倒してやるから」
「あっちだ。俺は武器を探してくる」
いくら無謀な男とて、素手であの鎧に挑むほど愚かではない。
すると少女は急に不安そうな顔を見せた。
「え、待って。どこ行くの?」
「言っただろ。武器を探すんだ」
「ひとりで?」
「お前の邪魔をしたくない」
「なんで? 待って! 話が違う! あたし、あんたの護衛しないといけないし……」
「得意の魔法でなんとかするんだろ?」
「で、でも! ひとりでやったら、あたしが強いってこと分かんないじゃん!」
「ぐっ……」
いきなり肩をつかまれたので、右腕に激痛が走った。
「あ、ごめん……」
「本気で痛ぇ……」
「待って! 怒らないで! 怒ったら泣くから!」
もうすでに涙目になっている。
泣きたいのは男のほうだ。
「怒らないから安心しろ。だが、なんだ? ひとりじゃ困るのか? 倒せるんだろ?」
「た、倒せるけど……。でも初めてだし……」
あの魔女が送り込んできた女だ。見た目の若さはともかく、実力はあるのだろう。しかし実践で活かせるかは別だ。それは男も身に染みて分かっている。
「分かった。だが武器を探すのが先だ」
「武器ならあるから」
ふわーっとハルバードが浮遊しながら近づいてきた。しかし先端部の槍が男のほうを向いていたので、とっさに横っ飛びで回避した。
「お前! 危ないだろ!」
「ち、違うの! わざとじゃないから!」
「いいから一回下に置け!」
「うん……」
ハルバードはUターンして男のところへ戻ってくるところだった。それが重力に引かれて草むらに落ちた。
男はおそるおそるそいつを拾い上げた。
「お前……まさかとは思うが、あんまり魔法が得意じゃないのか?」
「違う! ちゃんと使えるから! ただ急にいろいろありすぎて、調整がうまくいかなくて……。でも火は得意なの! いまから見せるから! ねっ? あんたも得意なことと不得意なことあるでしょ? それと同じだから!」
あまりに必死すぎてむしろ不安になる。
男はしかし反論しなかった。仲間の機嫌を損ねてもいいことはない。
「分かった。信じる。念のため、俺が先に仕掛けて隙を作る。お前はその隙に魔法で倒してくれ」
「うん……」
緊張しているのか、返事に元気がない。
が、ひとりでやるよりマシなはずだ。男は自分にそう言い聞かせ、なんとかいいイメージだけを思い描くことにした。片手でも攻撃を仕掛けることはできる。決定打にはならないかもしれないが、今回は魔法がある。
「頭を低くしろ。俺はあっちから回り込む。お前はお前のタイミングで仕掛けてくれ」
「え、あっち行くの? ひとりで?」
「一緒に行くわけにはいかないだろ」
「なんで……」
「役割分担だ。安心しろ。あいつは遠くの標的には攻撃しない」
次回もそうなるかは不明だが、少なくともこれまではそうだった。ダメージを受けるのは男だけであろう。
少女はそれでもまだ不安らしい。
「死なないでよ? あんたが死んだら、あたし昇級できなくなるし……」
「ああ」
男も死ぬつもりはない。死んでしまったら神を滅ぼせなくなる。自分が死ぬのは、神が滅んでからだ。
その後、特に言葉を交わすこともなく、男は茂みの合間を進み始めた。ガサガサ音を立ててしまうが、そんなに大きな音ではない。
しばらくして、男は進行を止めた。
敵の巨体が、棒立ちになっているのが見えた。まるで死んでいるかのように静止している。が、長い棒を手にしているところを見ると、まだ警戒を解いていないのであろう。
男も気を抜くわけにはいかない。
レミと連携し、必ず打ち倒すのだ。
そう思い、レミの居場所を確認するため振り返ると、真後ろのレミと目が合った。
「お、お前……なんでついてきて……」
「しーっ。気づかれちゃうでしょ?」
「……」
男はこのとき心に決めた。もしこのまま守護神を倒せたら、すぐさまあの老婆を呼び出して、別のヤツに変えてもらおうと。
(続く)