秘密
屋敷から馬車を拝借し、街へ帰還したときにはすでに昼になっていた。
少女たちをミゲルの手下に引き渡し、イサキオスとヤンはバケツ酒場へ向かった。
「ご苦労だったな。全員の無事を確認した。こいつが報酬だ」
テーブルにふたつの革袋が置かれた。どちらをとっても中身は同じ。75リブラ。
ヤンが下卑た笑みを浮かべた。
「きっと中に150リブラ入ってるんだろ?」
「75リブラだ。契約内容に変更はない」
「残りの二人は死んじまったんだ。ケチケチしねぇであいつらのぶんもよこせよ。死人に金は不要だろ?」
ヘラヘラと笑うヤンに、ミゲルはしかし怒りもしなかった。
「いいか? 俺はあとから契約額を変更しない。増やしもしないし、減らしもしない。もし感謝したくなったら、次にウマい仕事を回す。その逆もある。ずっとそうして来た。前回も、今回も、次回も同じだ」
「あんたは立派だよ、ミゲル。あのとき戦場で生かしておいて正解だったぜ。まさかこんなご立派な男に成長するとはな」
「……」
ヤンはすると、革袋をひとつつかんで店を出て行ってしまった。
ミゲルはもうひとつの革袋をイサキオスへ勧めた。が、イサキオスはまだ受け取らない。
「受け取る前に、ひとつ質問がある」
「言っておくが、プライベートな質問には答えない。仕事の内容についてもな」
「あの女たちは、親に売られたのか?」
「答えないと言っただろ」
「帰りの馬車で言われたんだ。助けてもらっても、行く場所がないって」
「なにも考えるな。あんたは英雄じゃない。こちらの指示通りに仕事をこなしてくれれば、契約した額を支払う。さ、この金を持って好きなところへ行ってくれ。こう見えても俺は忙しいんだ」
店を追い出されたイサキオスは、別の酒場でビールを一杯やってから街を出た。水で薄められているから、さほど酔うことはない。あくまで「飲むパン」としての栄養補給だ。
修道院では、仁王立ちのアラクネが待ち構えていた。
「無断外泊とは、ずいぶん立派なご身分ですね」
確かに連絡を入れていなかった。
イサキオスは革袋を押し付けると、「仕事だ」と言い残して寝室へ向かった。ほとんど寝ていないから、くたくただった。
彼は唯一の男だから、個室を与えられている。しかしベッドはない。藁と毛布だけの寝床だ。
防具を外し、身を横たえると、溜め息をついた瞬間に眠りに落ちた。
濃密な眠りだった。
夢を見たような見ないような、なんともいえない感覚。
おかげで目を覚ましたときには、気分がサッパリとしていた。
食堂ではみんなが談笑していた。
「やっと目を覚ましましたか。おなかは空いていますか?」
「ああ」
「では座っていてください。いまご用意します」
アラクネが立ち上がると、エイミーが「手伝います」と席を立ち、続いて「ボクも」とシドが行ってしまった。
イサキオスはひとりになった。
テーブルを見ると、麦を炒って茶にし、みんなで飲んでいたようだ。飲めないエイミーのカップもある。こういうのは雰囲気が大事なのだろう。
やがてパンとスープ、野菜のピクルスが供された。
「なあ、なんでお前の作るパンはこんなにうまいんだ?」
「作り方が違いますから。そのぶん傷みやすくもあります。店と違って食べるぶんしか作りませんしね」
「パンにも種類があるのか」
「もちろん。故郷では作っていなかったのですか?」
「オートミールばかりだったな」
麦を煮てどろどろにしたものだ。味はほぼない。あの集落での暮らしぶりはじつに質素だった。
食事を終えたイサキオスは、自分で食器を洗った。ここではそうする決まりだ。
「イサキオスさん、ちょっといいですか」
食堂へ戻ると、アラクネに座るよう促された。
「なんだ」
「あなた、昨晩仕事をしていたと言っていましたね?」
「金なら渡しただろ」
「70リブラありました」
「75じゃなかったか? いや、ビールで少し使ったんだっけ……」
アラクネは溜め息をついた。
「ともあれ、現在あなたから預かっているお金は約170リブラ。で、目標額は800リブラでしたね?」
「よくおぼえてるな」
「どうせまたバケツ酒場でしょう? いまやってるケチな仕事では、目標を達成する前に命を落としてしまうのでは?」
「ケチ……」
そうだ。たしかにケチだ。案内所で受けた岩石蟹の退治は500リブラだった。なのにバケツ酒場で受けた仕事は100と75。どうしようもなくケチだ。
アラクネはすっとメガネを押しあげた。
「つまり、あなたは安いお金でいいように使われているのです。バケツ酒場の仕事を受けるのは、もうやめたほうがいいのでは?」
「いや、そのうちいい仕事回してくれるって言ってるぜ」
するとアラクネのメガネが激しく反射した。
「そのうち? いつです? いい仕事というのは、具体的にどのような内容なのです? 報酬の額は?」
「だ、だから……そういうのは、まだ……」
「あなた、騙されていますよ」
「……」
そうかもしれない。
今回同行した常連顔の冒険者たちでさえ、イサキオスと同じ仕事をさせられていた。
しかしミゲルがウソをついているとは思えない。
少なくとも、あの狡猾なヤンが仕事を引き受けているのだ。マズい仕事ばかりではないはずだ。
「ちょっと考える時間をくれ」
「煮え切らない人ですね……。あなたのためを思って言ってるんですよ。正確には、あなたが死ぬと聖女さまが帰ってこない可能性があるから、それを阻止したいだけなのですが」
「ハッキリ言いやがる……」
「とにかく! 忠告はしましたからね! 勝手に死んだら許しませんから!」
「死なねぇよ」
*
だがその晩、部屋に入ったイサキオスは、アラクネの言うことにも一理あるのではと思い始めていた。
ミゲルはウソつきではないかもしれない。
それでも、いつになったら800リブラを稼げるのかは分からない。
100リブラの仕事を八回こなせば800リブラなのは分かる。しかしその100リブラの仕事でレミは負傷した。次は自分かもしれない。命を落とす可能性がある。
金を稼ぐのは難しい。
家業のない人間が手っ取り早く稼ぐには、傭兵になるか、あるいは冒険者になるしかなかった。
イサキオスは以前、街で鍛冶屋の丁稚をやっていた。あのときはまともに給料さえ支払われなかったが、食事と寝床を与えられた。
親方にハルバードの値段をしつこく尋ねたら、安いものでも100リブラだと言われた。月の小遣いは5リブラ。それもレモネードで確実に消えてしまう。
体がそこそこ大きくなると、職人を続けるか、神と戦うかを選ぶ日が来た。
イサキオスはそして神と戦うことを選んだ。
いま使っているハルバードは、そのとき親方からもらったものだ。それも100リブラの安物ではない。500リブラの特注品だ。
「いいか、小僧。こいつは俺の中でも会心のデキだ。持っていけ。止めてもムダだろうからな。ただし、こいつを使ってみっともないマネだけはするな。なるなら英雄になれ」
名の知れた名工というわけではなかったが、真面目な男だった。
本当は貴族の注文を受けて作られたハルバードだった。しかしその人物が戦死してしまったため、ずっと倉庫で眠っていたのだ。
だが、その後のイサキオスは英雄とは程遠い人生を送った。
案内所で仕事を受けてはボロボロになり、まともに報酬も受け取れず、正攻法を諦めて魔女にすがりついた。
その時の魔女が例の「ばばさま」だ。
イサキオスが協力を求めたとき、魔女たちは露骨に迷惑そうな顔をし、互いに担当を押し付け合った。その後、仕方なく「ばばさま」が引き受けることとなった。
「あんたはどうなりたいんだい?」
その問いに、イサキオスは困惑した。
「強くなりたい……」
「強さにもいろいろあるよ。どうなりたい?」
「神を殺せる力が欲しい」
すると魔女はふんと鼻で笑ったが、否定はしなかった。
「ならドラゴンにでもなるしかないね。分かった。願いを叶えてやるよ。あんたの魂と引き換えにね。さ、これが契約書だよ」
眠くなかったこともあり、イサキオスはずっと部屋で考え事をしていた。
余計なことばかりを思い出す。
村が襲われたこと。必死で草原を駆けたこと。街の鍛冶屋で働いたこと。冒険者になったこと。魔女と契約したこと。守護神と戦ったこと。
一通り思い返すと、また最初から繰り返した。何度も何度も同じことを考えてしまう。
ドアが開いた。
シドだった。ドレスを脱いで、下着姿になっている。とはいえ露出の高い恰好ではない。少し薄めの服だ。
「起きてる? ボク、半分は男だから、たまにはこっちで寝ようかなー、なんて……。ダメ?」
「ダメだ。布団がひとつしかない」
「ボクはいいよ……」
「どういう理屈だよ」
諦めてスペースをつくると、シドはそこへ横になった。
だが、ただアマえに来たわけでないことは、その雰囲気で分かった。小さな魔法の障壁を展開したのだ。
「これでばばさまにも気づかれないよ……」
「なにをする気だ?」
「教えてあげる……。誰が三つ目の森を壊したのか……」
「えっ?」
シドはガラス玉のような瞳をしていた。
のばされた小さな手が、イサキオスの頬に触れる。
「魔王の軍勢がね……塔を攻撃しようとしてるの……」
「魔王? 悪いが、俺はお伽話は卒業したんだ」
「信じない……?」
「もし事実なら信じたいが、もう少しヒントというか、証拠が欲しいな」
するとシドはぐっと身を寄せ、イサキオスの体に顔をうずめた。
「証拠ならあるよ……。ボクの記憶を転送してあげるね……」
映像が頭に流れ込んできた。
いつの間にか朝になっていた。
まるで起きたまま悪い夢を見ているようだった。
イサキオスはなかば放心状態で、寝室の天井を見つめた。
シドに見せてもらった映像は、上空からの映像であった。あるいは鳥の目を借りたものであろうか。
異形の魔物を従えた女が、守護神の神殿を襲撃していた。
音はなかった。
しかしハッキリと見えたのだ。
部隊を指揮していた女の顔が、記憶の中のリリスとそっくりであった。
しかし彼女はすでに死んだ。ならば母親だろうか。それにしてはあまりに若い。姉か妹かもしれない。
それくらい似ていた。
リリスは魔族だったのだろうか。
もしそうなら、神々が村を襲った理由も分からなくはない。
なにが正しいのか分からなくなる。
確かなのは、すべてを奪われた恐怖と憎悪だけ。
それだけがイサキオスのよすがであった。
(続く)




