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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
青い風編
10/35

凍てつく魔女

 腰にナイフがある。

 イサキオスはそれを引き抜いて、隙なく構えた。

 とはいえ、また下から突き上げられたら対抗できない。恐怖感だけが高まってゆく。


 ふと、足になにかが絡みつき、底へ引きずり込まれそうになった。

 が、蟹ではない。

「た、助けてっ、くださいっ」

 アラクネだった。

「待て待て。俺を沈めるな」

「助けてっ」

「もう助かってる。落ち着け」

 ヒラヒラした修道服のせいで、まともに身動きが取れないのであろう。イサキオスにしがみついて、なんとか水面から顔を出している。メガネが無事だったのはなによりだ。

 一方、イサキオスは木で補強した革鎧だ。おそらく木のおかげで浮いている。

「聖女さまは?」

「さあな」


 すると水面からざばと老婆が現れた。

「レミならここさ。かわいそうに、気を失って……」

 ぷかーっとレミが浮いてきた。

 死んではいないらしい。

「婆さん、助けてくれとは言わねぇ。そいつを頼む」

 これに老婆は顔をしかめた。

「待ちなよ。カッコつけてる場合かい? あたしはね、あんたと契約してるんだ。護衛をつけるってね」

「魔女のくせに、ずいぶん殊勝だな」

「魔女ってのはね、きちんと契約を守るもんさ。その代わり相手にも守らせる。そういうもんだ」

「じゃあどうするんだ? あんたが蟹をぶっ殺してくれるのか?」

 イサキオスの挑発に、老婆は歪んだ笑みを浮かべた。

「あんたの魂をいますぐ全部差し出すってんならそうしてもいいがね。契約では、見習いを出すことになってる」

 すると宙空に光の魔法陣が描かれた。

 ふっと降り立ったのは、まっしろな少女だ。いや、少女というにはあまりに大人びていた。艶めく白銀の髪、透き通るような白い肌、そして星のように輝く青い瞳。身にまとうローブも、レミのと違って絹の衣のようである。

 彼女は水面の上で静止していた。

「この子はファラ。レミの代わりに使っておくれ」

 それだけ告げると、老婆はふたたび泥となって消え去った。


 ファラは妖しくほほえんでいる。

「フフ。弱くて哀れなレミ。泥にまみれてみっともないわね。でもいいの。姉である私が、あなたの仕事を代わりにやってあげる」

 冷気が巻き起こった。

 かと思うと氷の槍が現れ、それが次々と水中へ投入された。

 波が起きて、イサキオスは上下に揺られた。アラクネもしがみついている。


 ザーンとひときわ大きな波が起きた。

 蟹が顔を出したのだ。

 腹に氷の槍が突き刺さっている。比較的やわい正面から攻撃を食らってしまったのだ。

 ファラは微笑しながら、さらに蟹へ槍を突き立てた。蟹は暴れて仰向けになってゆく。槍は容赦なく降り注ぐ。

「弱いわ。なんて弱いの。みんなすぐ死んでしまう。でもいいの。私はあなたの死を許すわ」

 パチンと指を鳴らすと、氷の槍が次々と炸裂し、蟹の胴体を木っ端微塵に飛散させた。


 すべてが終わってからも、イサキオスは呆然と蟹の残骸の沈みゆくのを眺めることしかできなかった。なにが起きたのか、にわかに理解できなかったのだ。圧倒的過ぎた。


 ファラが冷徹な微笑のまま見下ろしてきた。

「あなたたち、こんなのにビクビクしていたのね。かわいいわ。でも大丈夫。姉である私がすべてを終わらせたから。安心してお帰りなさい」

 それだけ告げると、また光の魔法陣に吸い込まれて姿を消した。


 残された三人は、ただ沼に浮いていた。

「いまの……姉? あいつの姉か?」

「……」

 アラクネは思考停止しているのか、ただじっと黙っている。

 だがいつまでもこうしているわけにはいかない。浮いているレミを回収し、治療を施さねばならない。アラクネの回復魔法が、やっとまともに役に立つ日が来たのだ。

 ともあれ、すべては陸地へ到達してからの話だ。

 舟の残骸の板をつかみ、イサキオスはゆっくりと移動を開始した。

 レミの身体を引き寄せると、彼女がなにかをつかんでいることに気づいた。ハルバードだ。

「こいつ……」

 ひとつ借りができた。


「おーい!」

 しばらく泳いでいると、向こうから小舟のやってくるのが見えた。

 若い男が乗っている。

「旅の人ーっ! 無事かーっ!?」

「いや無事じゃない! 助けてくれ!」

 イサキオスとて、こういうときは素直に助けを求めることができる。ここは漁師のエリアだ。漁師に助けてもらうのは恥ずかしいことではない。

 男はほとんど少年といっていい年齢だった。

「はは、ずいぶんひどくやられたみたいだな。デカかったろ? あいつを倒すのはムリだよ。オイラはマノーリン。あんたらが蟹を倒しに行ったって聞いたから、加勢しようと思って急いで来たんだ」

「いや、蟹は倒したよ」

「えっ?」

「やったのは魔法使いだけどな。俺は手も足も出なかったよ」

「ホントに? でもすげぇよ! ついに倒せたんだな! オイラ、ずっとあいつに勝ちたくてよ。でも負けっぱなしで……。見たかったなぁ」

「向こうで木っ端微塵になってるよ。ただ、まずは助けてくれ。ひとり気を失ってる」

「任せてくれ! 村のみんなにも報告しなくちゃ!」


 事情を説明すると、老人たちは大喜びだった。

「おお、そうですか。これでようやっとあの辺での漁を再開できますぞ。今日はお祝いですな」

「あたしゃね、ひと目見たときからやると思ってたよ」

「よう言うわい。ガハハ!」

 イサキオスはタオルで泥を拭いながら、愛想笑いを浮かべていた。

 彼はただ舟を漕いだだけで、実際に蟹を倒したのはファラという魔女だ。少し後ろめたい気持ちだった。

 そうはいっても、村の人たちが笑顔になってくれたのは、イサキオスにとっても救いだった。蟹にとってはいい迷惑だったかもしれないが。


 やがて、回復したレミが戻ってきた。

「もう平気なのか?」

「うん。ちょっと頭がフラフラするけどね。それよりさ、ファラが来たんでしょ? なんか言ってなかった?」

 泥まみれになったから、いまは髪をほどいてまっすぐにしている。おかげでいつもより少しだけ大人びて見えた。

 イサキオスは肩をすくめた。

「さあな。自分は姉だって言ってたくらいかな」

「まあ家族だから、姉みたいなものだけど……。ほかには?」

「ほか? 特になかった気がするが。なにかあるのか?」

「ううん。ないならいいの」

 そして椅子へ腰をおろした。

 物憂げな表情をしていた。


 *


 夜、盛大な酒宴がもよおされた。

 家々から食材が持ち込まれ、テーブルにはたくさんの皿が並べられた。男たちは飲んで騒ぎ、女たちも歌い始めた。

 ふと、マノーリンが近づいてきた。

「凄いよ! あんたら英雄だ! さっき漁師のひとりが蟹の残骸を見つけてきてさ。デカいのなんのって。オイラが最後に見たときより、ひとまわりはデカくなってたよ」

「よしてくれ。俺たちはただの賞金稼ぎだ。なすべきことをしただけだよ」

 裏で神殿を襲っていることを知ったら、いまの評価を取り消したくなることだろう。

 しかしその態度を謙虚と受け取ったらしい。

「くぅーっ! さすが、兄貴。こんなの朝飯前って感じだぜ」

「兄貴……」

 すると家主の老人が顔をしかめた。

「やめんか、マノーリン。お前はすぐそうやって人をあおりおって。客人が困っておるだろう」

「なんだい、爺さん。あんただって昔は立派な漁師だったのによ。オイラ、ホントはあんたと蟹を倒したかったんだぜ」

「その話は何度もしたろうが。もう引退したんだ。無茶ばかり言うな」

「ちぇ」

 しかし彼は、ひとりで蟹に挑み続けていたのだ。誰よりも勇敢ではあろう。


 *


 翌朝、イサキオスたちは大勢に見送られながら村を出た。

 大量の魚料理を持たされて。

 とはいえすべて保存食だ。レミの苦手なピクルスもある。それはイサキオスに押し付けられた。

「なんとかうまくいったわね! この調子で続けてたら、そのうちお金持ちになっちゃうかも!」

 最終的に気絶していただけなのに、レミはずいぶんご機嫌だ。

 しかし舟を漕いでいただけのイサキオスも強くは言えない。

「あまり浮かれるな。魔女の助けがなかったら、いまごろどうなってたか分からんのだぞ」

「そうだけどさ。次はもっとうまくいくって。あたし、なんかつかめた気がするんだよね」

「お前がつかんだのはハルバードだけだ」

「あ、それ拾ってあげたんだから感謝しなさいよ?」

「してるよ」

「あと、あたしの言うことなんでもひとつ聞くこと!」

「は?」

 唐突な要求に、イサキオスは足を止めた。

 レミは勝ち誇った表情だ。

「忘れたの? ただの岩だったらあたしの命令聞くって約束」

「そんな約束してねぇよ」

「しました」

「してない。お前は頭打ったんだ。夢でも見てたんだろう」

 だが、ここでアラクネが悪ノリした。

「いえ、約束してました。私が証人です」

「はぁ?」

「敬虔なる神の信徒アラクネがここに証言いたします。この男は、聖女さまの命令に従うと宣言いたしました」

「このアマ……」

 だが、イサキオスはここでふと思い出した。

「いや、分かった。ひとつだけ聞いてやる。いや、もうすでに聞いたようなもんだ。ピクルスを押し付けられたんだからな。お前の命令はそれでシマイだ。それともお前、ピクルス食うか? 村の人たちがよかれと思って持たせてくれたんだぞ? まさか捨てたりしないよな?」

「うっ……」

 レミは引きつっている。

 これにて交渉は終了だ。

「ふん。好き嫌いがあるうちは、俺に勝てねぇよ」

「あんただってあるでしょ?」

「ねぇよ」

「じゃあ虫は?」

「……」

 面食らったのはイサキオスだけではない。

 アラクネも眉をひそめている。

「せ、聖女さま、聞き間違いでしょうか。虫をお召しあがりになると……」

「そうよ! 虫を食べるのよ! 殻のついてるのから幼虫まで、なんでも食べるんだから! 言ったでしょ? あたし、魔女なの。虫なんて普通に食べるわ」

「ま、まあそのぅ……命をいただくという意味では、魚も虫もあまり違いは……」

「なにその顔? ちゃんと料理してから食べるけど? 生でイケるのもあるけど」

「いえ、あの……はい……結構でございます……」

 さすがのアラクネも渋い表情だ。

 いい加減、ただの魔女であることを受け入れるべきだろう。


 なんにせよ、仕事は終わった。

 あとは500リブラを受け取り、次の戦いに備えるだけだ。


(続く)

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